18
13:00。
僕とリリィはススキノよりやや南、南七条西五丁目にある、『ジャンガリアプラザ』と呼ばれる大きなホテルに来ていた。一階ラウンジに入る。やって来たボーイに、周囲に人が居ない席が良いと希望を伝えたところ、外れの窓際の席を案内された。悪くない席だ。
本当はロビーである人物と待ち合わせをしていたのだが、なかなか現れないので、先にこうして席に着き、コーヒーを頼むことにしたのだ。
「あのスケベ野郎、いっつも時間に遅い」
リリィがイラ付いた様子で、自慢の細長い足を組み、揺らしながら言った。その時、リリィのPHSが振動した。件のスケベ野郎だ。
「もしぃ?遅いよ!今どこさ?……うん。もうラウンジいるよ。窓際。うん。あいよ」
リリィが通話を切って、ラウンジ入り口の方に視線を向ける。つられて僕もそちらを見ると、グレーのチェスターコートを着たスリムで長身の優男が見えた。携帯を片手に握りながら、小走りで近付いて来る。
「いや~わりぃな。ちょっとあっちこっち走り回っててさ」
「けっ。こんな年暮れでも、記者は休みもねえのかよ。ご苦労だね」
「そりゃあリリィ、探偵のおめえらも同じだろ」
その男は僕達の向かいのソファにどかりと腰を下ろした。コートを脱いで乱暴に丸め、バッグと一緒に隣のソファに放り投げた。ジャケットの下は、しわくちゃのシャツにノーネクタイ。年は、僕達と同じくらいか、やや上だろうか。その態度から察するに、自分が待ち合わせに遅刻して来たことに対して、口では「悪い」と言ったが、本心では少しも悪びれていないに違いない。
この男が、久我山か。全北報知社会部の記者で、源介の古くからの友人らしい。
「いや~暖房が効きすぎてて暑いのなんのって。俺、アイスコーヒー」
額に汗を浮かべながら、久我山は通りがかったボーイに片手を上げて注文した。僕はブレンドコーヒー、リリィはレモンティーをそれぞれ注文した。
「あ、久我山です。源介から聞いてると思うんだけど、あいつとは腐れ縁ってか、色々と持ちつ持たれつでさ。よろしくね」
久我山は、名刺を僕に差し出した。僕も、名刺を取り出し、自己紹介した。
「くがっち、例の、ちゃんと持って来てくれた?」
「当たり前だ。ホラよ」
久我山は、ジャケットの内ポケットから黒いUSBメモリを一本取り出し、テーブルの上に置いた。
「今ここで中身確認していい?」
リリィが、ノートパソコンを取り出す。
「そりゃ構わないが……そっちこそ、約束、その後も大丈夫なんだろうな?」
久我山はアメリカンスピリットを咥え、使い込まれたデュポンを取り出して火を点けた。タバコもライターも、僕のピースとダンヒルより高価だ。負けた。ただ、久我山も僕も、オッサン臭い趣味であることだけは似ているようだ。少し親近感が湧いた。
「誰に向かって言ってんのよ。うまくいったに決まってるっしょ。もう燻らないよ。完全に鎮火させた。あれからカミさんの様子どうよ?」
「あぁ、バッチリだ。助かったよ。疑うつもりはないが、俺ぁ小心者だからさ、つい」
この久我山は先月、妻に浮気がバレそうになりあわや離婚、裁判でケツの毛までむしられる一歩手前の窮地に立たされたのだが、その隠蔽、もとい火消し工作を僕達が請け負った。その見返りは貸しとしてまだ取っておいたのだが、ここに来て、その貸しを返してもらうことにした。ある情報を彼に要求することにしたのだ。
「ダメ元でも聞いてみるもんだね。さすが、マスゴミじゃん」
「うるせーよ不良探偵。お互い、社会の必要悪だな」
リリィと久我山が笑い合う。そして久我山は一つ咳をしてから、真面目な顔になって続けた。
「それな……前に何回か、小さくとりあげたことはあったんだがな。ガキのいたずらだと思って、その後忘れてた。まさか、自分の身を助けるネタになるとはね」
昨日、源介は久我山への貸しを急に思い出し、追い剥ぎについて何か情報を持っていないかと、日夜犯罪ネタを追って駆けずり回っている彼に聞いてみた。するとやはり、彼は追い剥ぎの有力な情報を持っていたのだ。
犯罪についての情報は、警察が最も詳しいに決まっているが、民間人に簡単に教えてくれるわけがない。次に詳しいのが、マスコミだ。
「わかってると思うが、その映像の出所は秘密だ。俺が流したってことも秘密だぞ」
「わかってるよ、そんなこと」
USBメモリをノートパソコンに差し込み、動画ファイルを再生させる。画質は粗いが、何やら、防犯カメラの映像のようなものだった。屋外で、石畳の階段が映っている。場所は、公園かどこかだろうか。
「ちょっと早送りしてみてくれ」
若い、ロングスカートを履いた二十代前半くらいの女が、階段をゆっくり下りて行く。薄着であるので、時期は夏だろうか。
「いいか、ここからだ。よく見とけ」
その時、画面外から突然男が現れ、勢い良く階段を駆け下り、女に背後から抱き付いた。男の服装は、ありふれた半袖のTシャツ、ジーンズだが、サングラスとマスクをして顔を隠している。追い剥ぎで間違いなさそうだ。女は身をよじり、腕を振り回し、激しく抵抗している。
「ハサミを使わないのか……?」
僕は夢中で動画を見ながら、ついそう呟いてしまった。
「えっ!?」
「うわっ!」
僕達は揃って声を上げた。その時僕達が見たものは、追い剥ぎによる、職人芸とも言える一瞬の早業だった。
「すげえよな、よく考えるよ。動画サイトにアップロードしてぇくらいさ」
何度もこの映像を見たであろう久我山は、ため息をついてそう言った。
追い剥ぎは、いつの間にか手に持っていた自転車のワイヤーロックらしき物を女のパンツに通し、それを階段の手すりに固定したのだ。そして、脱兎の如く画面外へと消えた。動けなくなった女は、狼狽し、何とかロックから逃れようと無駄な努力を続けるが、外れるわけがない。
「えぇ……!?」
「考えたな、野郎!」
やがて女はロック解錠を諦め、周囲を見渡す。恥ずかしそうにしながらも素早く、スカートの中でそっとパンツを脱ぎ、その場から走り去ってしまった。手すりには、パンツを通して固定されたワイヤーロックが残る。
「で、そこに、満面の笑みで戻って来るってわけだ」
遠くから様子を見ていたであろう追い剥ぎが、また画面内に走って戻って来る。素早くワイヤーロックを解錠し、パンツを畳み、尻ポケットに突っ込み、颯爽と消えた。気付けば、ここまでの一連の犯行が、わずか三分程度。
「……何て言うかこいつは、女のパンツを盗むことに関して、専門家って言うか、職人って言うか。その情熱と知恵と努力は、相当なもんですね」
僕は、感服してそう口走ってしまった。気付いてから、悔しくなった。リリィは怒りを通り越して、呆れるような表情で、ソファにもたれかかった。
「なぁ、マジでこんなイカれた奴を探すってのか?」
久我山は苦笑いしながらそう言って、アメリカンスピリットの煙を深く吐き出した。そこへ、ボーイがドリンクを運んで来た。久我山はアイスコーヒーをブラックのままですぐに半分ほど飲み干し、残った半分にガムシロップとミルクを注ぐ。変わった飲み方をする奴だ。僕とリリィも、それぞれのドリンクに口を付ける。
「あの……久我山さん。追い剥ぎが現れるようになったのは、いつ頃からなんでしょうか?」
「う~ん。これ系の事件は、被害者が黙っちまうと誰もわからないからなぁ。正確なことは言えないんだけどよ。最初に表立って騒がれたのは、去年の、夏くらいからじゃねえかな」
久我山は手帳を取り出し、ページをめくり始めた。