17
13:00。
クリスマス当日、午後一番の狸小路商店街はとても賑わっている。
僕は昼食に、生まれ故郷である帯広のソウルフード、甘辛いタレの効いたボリューム満点の豚丼をたいらげた。そしてのんびりいくつかの地方紙と週刊誌に目を通しながらピースで一服した後、三丁目の一角にある老舗の文房具屋でA4コピー用紙を買ってから、人ごみの中を縫うようにして事務所へと急いだ。
小さな子供が、親と手を繋いではしゃいでいる。これから親にプレゼントを買ってもらうのか、それとも昨夜すでに、サンタ・クロースから枕元の靴下にプレゼントを忍ばせてもらったのか。そう言えば、僕の両親はどうしているだろうか。去年この仕事を始めたことを電話で告げた時、母親は嬉しさのあまり、泣いたのだ。大袈裟だと思ったが、それだけ僕が今まで心配をかけていたということか。決して安定した仕事ではないが、それでも安心したのだろう。今年はもう手遅れだが、来年のクリスマスは、何か親にプレゼントをしてみようか。もし源介が許すなら、札幌から帯広まで電車で二時間半くらいとそう遠くもないし、年越しくらい帰ってみようか。今のスリムになってスーツを着ている僕を見て、親はどんな反応を見せるだろうか。きっとすごく驚くだろうに違いない。もしかしたら、僕だとわからないのではないか。
気が付くと事務所に辿り着いてしまったので、そんなぼんやりとした親孝行の計画はどこかへと消し飛んでしまう。
「お昼、戻りました~」
事務所に入り、そう大きく声を張り上げたが、誰からも返事がない。様子が変だ。応接スペースで靴を脱いでスリッパに履き替え、事務スペースに向かうと、源介とリリィが揃って険しい顔をして、一つのパソコンのディスプレイを見つめていた。
「どうしたんですか?」
僕の問いかけに、源介だけが顔を向けた。リリィは微動だにしない。
「……これ、見てみろ」
源介が席を立ち、キッチンへと向かう。僕は、ディスプレイを覗いてみた。
ディスプレイには、顔にモザイクがかけられた女性の写真と、下着の写真が映っている。
「……えっ!これって!?」
服装と髪型でわかった。
それは、リリィの写真だった。
「畜生……やられたわ」
リリィの、その低く押し殺したような呟きは、怒りと悔しさに満ちていた。
「えぇ、どうなってんすか、これ!」
僕は慌てて椅子に座りマウスを掴んで、画面を上下にスクロールさせてみた。明らかに素人と思われる沢山の女達と下着の写真。どれも携帯カメラなどで撮影されたと思われる粗末なもので、その雰囲気がかえってリアルさを醸し出している。そして、それぞれの下着には、値段が付けられている。このサイトではそれらの下着は、価値を持った『商品』なのだと言うことがわかる。
「その筋の変態マニア共が利用する、アングラサイトだってさ」
「前に源介さんが言ってた、ブルセラの……?」
「らしいよ」
「だけど、何でリリィさんがここに!?」
「あたしが聞きてぇよ」
やはり追い剥ぎは、転売目的で下着を強奪していたのか。
リリィも苛立った様子でキッチンに向かった。酒を取りに行ったのだろう。源介は、ジャックダニエルの瓶を片手に持ちながら、入り口に「クローズド」の看板を立てかけた。それはそうだろう。今日はもう仕事になりそうにない。
リリィに関する写真は三枚。一枚目は、いつ撮られたのかわからない、地下鉄のシートに座ってスマートフォンをいじっているもの。犯人はリリィを前々から狙っていたということだろうか。二枚目は、イクタサのトイレで座りこんでズボンを脱ごうとしている瞬間を背後から撮った、暗くピントのブレたもの。この二枚目は、強奪寸前に撮影されたのだろう。こんな写真を撮影するのは相当危険であるが、この写真があることによって、このパンツの商品としての信頼性が高くなることは間違いない。そして三枚目は、端の部分をハサミで切られたラベンダー色のパンツが、テーブルの上に平置きされた状態で撮影された商品写真。二枚目のトイレ写真のズボンからわずかに覗くパンツの色と、三枚目のパンツの色は全く同じであるので、これが強奪されたリリィのパンツであることに間違いはなさそうだ。
このリリィのパンツには、価格の部分に『応相談』と記載されている。他の女の同じようなパンツには、五千円から高くても一万円程度の値が付けられている。この違いは一体何だ。呆然として見ていると、何やら商品解説のコメントのような文言が目に飛び込んで来た。
『シミ付き!決死の覚悟でついに入手!ボッタクリ違法探偵事務所の美人R』
自分のコメカミに青筋が立ち、目が血走るのがわかった。震える手でブラウザをスクロールさせると、さらにスレッド形式で、顧客からのコメントらしきものが表示される。
『これすき』
『うぉぉーついに!あの狸小路のマドンナの!大二枚』
『チ○コビンビンですよ神』
『ヤワイヤ!』
『家宝キマシタワー30K』
『くさそう』
『50Kいけるわ』
『↑マジで?』
『Rちゃん、金髪のが良かった……』
『くさい(確信)』
『あの女強いんじゃないの?よく奪ったな』
『さすがヤワイヤ神』
『ヤワイヤすごE』
本能の赴くままにぶちまけられたであろう、歪んだ性癖を顕にした大量のコメント。これ以上は、読むに堪えない。知性の欠片も感じられない低俗な言葉と、意味がわからないネットスラングの羅列。それはまるで公衆便所の落書きのように無責任で、醜悪だった。
──もしかして、キヨミちゃんもここに……!?──
リリィの前に、キヨミも襲われていることを思い出した。目を背けたくなる気持ちを必死に堪え、キヨミの写真を探す。しかし、それらしきものは見つからなかった。もうすでに売れてしまったのだろうか。我に返って立ち上がると、応接スペースのソファーでは、源介とリリィがムッツリとした顔で酒を飲み始めている。僕もやりたくなって、向かった。
「……先日はああいうことで落ち着きましたけど。あんなことになって。あれ。いいんですか?」
源介は、無言でエイトオンスタンブラーに氷を満たし、憤る僕に渡して来た。僕はテーブルにあったハーパーを半分ほど乱暴に注ぎ入れ、一気に煽った。喉が、カッと熱く燃える。
「何とか言ってくださいよ、源介さん」
源介は、それでも黙ってジャックダニエルを飲んでいる。片方の眉が、ピクピクと痙攣している。
「源介さんだって、頭に来てるんでしょう?リリィさんをあんな晒し者にされただけじゃなく、事務所のこともボッタクリだのなんだのって書かれてる。僕はもう我慢できない。源介さんがやらないなら、僕一人でやりますよ」
「あたしも、もう限界だよ。源介」
リリィは、ショットグラスにヘンドリックスを注ぎ、一口で飲み干した。
「リリィさん、協力しますよ。僕は、追い剥ぎを捕まえて見せます。去年のように」
「ちょっと待て」
源介が、テーブルを見つめたまま言った。
「源介さん!」
「源介!」
僕とリリィは、イクタサの帰りに揉めた時以上に、源介に対して苛立っていた。
「止めても無駄ですよ。僕とリリィさんで、犯人を、追い剥ぎを捕まえて見せます」
「そーだよ!やるって言ったらやるからね!」
「捕まえるのなんてダメだ」
僕は源介に呆れ、溜め息をついた。リリィは、源介をキッと睨んでいる。
「捕まえるなんて生温いことは許さねぇ。それじゃダメだ。半殺しだ」
僕は一瞬耳を疑って、源介を思わず二度見した。リリィが笑顔を取り戻す。
「そ~来なくっちゃでしょ!やっぱ源介!」
「ここまでコケにされて黙ってられるかよ。中途半端はダメだ。二度と札幌を歩けなくしてやる。俺と、俺の仲間に恥かかせた奴はどうなるか、思い知らせてやるんだ!」
僕達は、タンブラーとグラスが割れそうになるくらいの勢いで乾杯した。
追い剥ぎを捕まえる。
僕は、しばらく里帰りはしないことに決めた。
「おはようございま~す!あれ!?もう今日閉めちゃったんですか?」
出勤して来たハルが、僕達の様子を見て不思議そうに首を傾げた。
「ちょっとでかい仕事の作戦会議してたんだ。ハルちゃんもやるか!?ちょっと強い酒ばっかりだけど!」
「え!いいんですかー!?」
「ハルちゃんダメだよ!源介さん!未成年ですよ!」
「ハルちゃんにはこれ買っておいたよ!ほら、シャンメリー!」
さすがにハルに酒を飲ませるのはまずい。クリスマスらしく、ハルはリリィが買って来たシャンメリーをおいしそうに飲んで笑った。