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12月24日、クリスマスイブ。
今日から札幌市内の多くの学校は冬休みに入る。北海道の冬休みは本州よりやや長く、学校によって僅かな違いはあるものの、翌年の1月15日前後まで続く。代わりに、夏休みがやや短い。
13:00。
僕とリリィ、ハルの三人は、和弥の部屋の前に立っていた。
「かーずやっ!あーそーぼっ!」
ハルは、ドアに向かって明るく叫んだ。
「和弥君、またお邪魔してます。探偵の横山です。元気かな?もしよかったら、少しだけ、お話がしたいんだけれど、どうだろう?」
ドアの向こうで、ガサゴソと音がした。前回は、全く何の反応もなかったのだが。
「今日さ、クリスマスイブじゃん!ケーキと、和弥の好きな寅屋の揚げタコ焼き、買って来たよ!食べようよ!だから顔見せてよー!」
ハルが、食べ物で釣る作戦に出た。先ほど、わざわざ北区にある地下鉄南北線北24条駅まで向かい、氷点下の中足踏みをしながら行列に並び、この評判のタコ焼きを買って来たのだ。和弥はこのタコ焼きが大好物であるらしい。
「早くー!せっかく買って来たのに、冷めちゃうよー!開けてー!」
ドアノブが、ゆっくりと動く。
「うるせーな。クリスマスなのにタコ焼きかよ……」
低く、穏やかな声だった。ドアがゆっくりと開けられる。鳥の巣のような癖毛の頭を掻き毟りながら、眠たそうな表情をした少年が立っていた。グレーのスウェット上下、身長は170cmくらいだろうか。標準的な体型で、予想に反し、整った顔をしている。いじめを受けたり、引きこもったりするような少年にはまるで見えない。
「和弥~!久しぶり!ほら、あんたの好きなネギぽん酢。ソースからしマヨもあるし」
「……しょうがねえな。入れよ」
和弥はハルに向かってそう言ってから、僕とリリィを警戒するようにチラリと見た。
「初めまして、和弥君。改めて、僕が探偵の横山です。こっちは、リリィ。お邪魔してます」
何とか警戒を解いてもらおうと、僕とリリィは必死に笑顔で挨拶した。
「……どうも。何のお構いもできないっすよ」
和弥は、ぶっきらぼうにそう言ったが、それでもこうして顔を見せてくれたのが、嬉しかった。
「失礼します」
僕とリリィは、ハルに続いて和弥の部屋に足を踏み入れた。綺麗に整理整頓された、7.5帖の広めな洋室。フローリングに白い壁、シンプルなパイプベッドに、座椅子、ローテーブル。机には、デスクトップパソコンとデュアルディスプレイが設置されている。本棚には、沢山の小説や実用書、コミック、写真集などが並んでいた。教科書や参考書も、まだ処分されていない。極ありふれた、今時の男子高校生らしい部屋だった。
「適当に座っててください。今、お茶……」
「あっ、いや、そんなお構いなく」
そう呼びかけた僕の声を無視して、和弥は部屋を出て階段を下りて行った。
「しっかりしてるじゃん~!結構イケメンだし。意外」
リリィは、関心した様子でそう言った。僕も同感で、何だか安心し、嬉しくなった。
「へへっ、あたしの作戦うまくいきましたね!」
ハルは、笑顔で言って僕達の顔を見た。確かに、ハルのタコ焼き作戦はうまくいった。浜田探偵事務所の臨時調査員として、初手柄である。すぐに階下から、和弥と母親のやりとりが聞こえて来た。
「いいのよ!ほらあんたは上行ってて!」
「うるせ~なこれくらい俺がやるよ!」
微笑ましい親子の会話を聞いて、僕達は顔を見合わせて笑った。
「しかし、あんなにしっかりした子なのに。一体どうして……」
僕がそう呟いたの聞いて、ハルは寂しそうな顔をした。
和弥が何度か一階と二階を往復し、ウーロン茶のペットボトルとグラス、皿とフォークを持って来た。僕達は、ローテーブルの上に、ケーキとタコ焼きを並べた。
「変な組み合わせだな……」
和弥はそう言いながらも、確かに嬉しそうな表情をした。
「ほら!食べなよ!やっぱ喜んでるし!」
ハルに促され、和弥はネギぽん酢揚げタコ焼きを頬張り、唸った。僕達はそれを見て、自然とまた笑顔になる。しばらくは彼の顔色を伺いながら、とりとめのない雑談をした。意外にも会話は弾む。彼は、かつての僕のような本当の引きこもりではないことを確信した。
「和弥くん、それで、本題なんだけれど。ハルちゃんから聞いていると思うけど、僕達は、和弥くんをいじめた子達について、調査をしたいんだ」
僕は、いよいよ切り出した。
「……調査してどうするんすか?」
「決まってんじゃん、あんたに謝らせんのさ」
「俺は、そんなこと望んじゃいねえよ」
「あたしがそうしたいんだよ。あんたは悔しくないの!?」
ハルが、興奮して和弥に詰め寄る。
「……もういいだろ。ほっといてくれよ」
和弥は、投げやりな態度でそう言い放った。
「もしかして、ハルちゃんや僕達のことを心配して言ってくれてるのかい?そいつらが、ただのいじめっ子じゃなくて、危険な奴らだったりとか」
僅かに、和也の表情が曇った。何かある。
「そんなんじゃないっすよ。ご馳走してもらってこんなこと言うのは悪いっすけど、だいたい、余計なお世話っす。当事者の俺がもういいって言ってんのに……」
「確かにその通りだね。でも、僕達は、受けた依頼はどんなものでも必ず達成させるって決めて、仕事をしているんだ。ハルちゃんから受けた依頼だから、尚更ね。それに、和弥君には、絶対に迷惑をかけないと約束するよ。話を聞かせてくれないかな?」
「この時点でもう迷惑っすよ。それって勝手っすよね。ハル、おまえ勝手なことすんなよ」
「そうだよ勝手だよ。あたしの勝手さ」
「じゃあ勝手なんだからおまえらでそれこそ勝手にやれよ。俺は何も協力できないし、関係ねえだろ」
「何よその言い方!」
「まぁまぁ、タコ焼き冷めちゃいますし、とりあえずこれ、食べちゃいましょ。ね?」
リリィが笑顔で二人の言い争いを仲裁した。和弥は、さっきからリリィをチラチラと見ている。思春期の少年にとって、自分の部屋に知らない年上の美人が入って来たら、それは心穏やかではないだろう。ましてやリリィほどの美人となれば尚更だ。和弥は黙ってリリィに従い、また黙々と食べ始めた。非常にわかりやすい。その様子に気付いたのか、ハルはますます鼻を膨らませた。これがもしヤキモチだとすれば、ハルは、和弥を異性として意識していることになるが、どうだろう。また、逆に和弥はどうなのだろうか。
「今日は、これで十分でしょ!こうやって、和弥君、あたし達にも顔見せてお話してくれたし。タコ焼きとケーキ食べたら、帰りましょ!」
「でも、リリィさん!あたし納得いかない!」
「ハルちゃん、焦っちゃダメ。あ、和弥君、これ」
リリィは、バッグから名刺とボールペンを取り出し、わざわざ私用の携帯番号を書く。リリィが客に私用の携帯番号を知らせるなんて、今まではありえないことだった。座っている和弥の前に移動してから膝を付き、一度その美しいロングの黒髪を耳にかける仕草をしてから、彼の手を両手で取って、名刺を握らせた。名刺からは、微かに甘い香水の香りが漂った。
「困ったことあったら、いつでも電話して」
リリィは、和弥の目を見て静かにそう言った。
「……は、はい、どうも……」
和弥は、頬を赤くして、目を逸らしながらも名刺をしっかりと受け取った。リリィの凄さを再確認した瞬間だった。腕っ節だけではなく、こう言う強さも持っている。僕もタコ焼きを食べながら、名刺をローテーブルの上にそっと置いたのだが、まるで彼の眼中にないようだった。
14:30。
僕達は木内宅を後にし、本日午後の依頼をこなすために、環状通を南に向かって車を走らせていた。環状通とは、札幌市中心部からおよそ3Kmから4Kmほど外側をぐるりと一周する、その名のとおりの主要環状道路だ。中央分離帯で区切られ片側が三車線となる大きな道路だが、国道12号線と同じくこの時期は除雪された雪が外側に大きく積み上げられるため、外側の一車線が半分潰され、そのせいで流れが非常に悪い。
「リリィさん、お色気作戦はすごかったですけど。大丈夫ですか?プライベートの携帯まで書いて」
僕は、心配になって言った。調査のためとは言え、彼の純粋な気持ちを弄ぶことになってしまわないだろうか。
「あの子、真面目で頭もいいと思うよ。あたしみたいな安い年増の挑発には簡単に乗らないって!」
リリィは、前を見て運転しながら、楽観的に笑って言った。
「何なのさ。あいつ、リリィさんに鼻の下伸ばしてさ!エロ坊主め!」
ハルは、まだブーブー文句を垂れている。
「ハルちゃんさ、もしかして妬いてる?」
リリィはルームミラー越しに、ハルを見てからかった。
「ちょっと!んなわけないですって!あいつのあーゆー下心丸出しな所が情けないってだけです!だいたいあたし、弱っちい男嫌いなんで!」
ハルは随分とムキになって否定した。
「ま、まぁそれは許してあげなよ。男ってのは、皆そう言うもんさ」
僕は、何となく和弥を庇いたくなって言った。
「だって、あいつリリィさんでチンコ勃たたせてましたよ!あたしわかるんで!」
僕とリリィは、ちょうど口に含んだペットボトルのお茶を、同時に盛大に噴き出した。フロントガラスが濡れる。咄嗟にリリィがワイパーを作動させたが、当然ガラスの内側が濡れているので効果はない。僕が慌ててティッシュを数枚取り出して拭いた。
「……わかるって、それも、その、能力で?」
「はい。あたし、男の人、半径10m以内に近付けば、勃ってるかどうかわかるし、勃ってないなら勃たせることもできるから」
結構な射程距離だ。毎度、彼女には驚かされる。ん?待てよ?と、言うことは……
「え、じゃあオトのもわかるってことよね?」
リリィが半笑いで言った。
「わかってましたよ。さっき、リリィさんが名刺出す時、オトさんも」
「言わんでよろしい!!」
僕の声が裏返った叫びを聞いて、女子達が爆笑した。
「じゃ、和弥くんは、ハルちゃんにとってはただの幼馴染ってことね。本当にそれでいい?」
リリィが念を押した。リリィはこれから和弥に対して、もしかしたら多少過激な調査手段も取るかも知れない、それでも良いか、という意味なのだろう。
「いいです!って言うか、リリィさんは、誰か良い人いるんですか!?」
僕は、マズいと思った。ハルに悪気はないのだが、この話はリリィにはタブーなのだ。リリィは無性愛者だ。演技としてさっきのように色目を使うことはできるのだが、本当は恋愛に憧れつつも、恋愛が理解できず、苦しんでいるのだ。
「あたしの旦那か~。そんな人、この世界のどこかにいるのかな~」
「いっぱいいるくせに~!」
リリィとハルは笑いあった。リリィは大人だった。僕は、ホッとしたのだった。