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20:30。
ハルを潜古に送り、僕達は事務所近くにある小さな炉端焼き居酒屋『イクタサ』に来ていた。店名はアイヌ語で「酒の席にお呼ばれ」だとかそう言う意味なんだそうだ。薄暗い古民家のような店の高い天井を見上げると、梁にかけられた長い縄に開いたホッケや昆布がたくさん吊るされている。カウンターの向こう側では、60代くらいの二代目女将が額に汗を浮かべながら、この店の名物である巨大な蝦夷松の切り株をくりぬいて作った囲炉裏で、様々な食材を焼いている。
「襲って来たセルシオのガキ共は何だったのかね~」
リリィは、ほぐしたホッケの身に大根おろしを乗せながら言った。
「去年みたいに、また暴走族の類ですかね?」
僕はそう言いながら、焼きたての極太アスパラガスにマヨネーズを付けてほおばり、口の中を火傷しそうになりもがいた。慌てて鍛高譚の水割りを飲む。消火が間に合った。
北海道の暴走族は、冬はバイクに乗ることができないので、車を使うしかない。と言っても、去年僕達がとある事件に巻き込まれた際に、札幌で生き残っていた最後の暴走族は事実上解散してしまったはずだ。
「いや、もう札幌に暴走族はいねえはずだが。どっちにしろ、何でおまえらを襲ったのか。どの辺りから尾行してたのか。そっちが重要だろ」
源介はそう言って一口ししゃもを齧り、相変わらずグラスを使わずに、サッポロクラシックの中瓶をラッパ飲みしている。
「考えたくないけど、ハルちゃんを狙ってるヤツらとか?」
「僕もそれ思いました」
「仮にハルお嬢様を狙ってるとして、何が目的なんだろうな?森本さんが金持ってるから、身代金目的の誘拐とかか?」
確かにさっき格闘した時、ヒゲ面のガキは飛び出して来たハルを捕まえようとしたが、あれは僕とのケンカを有利に進める為の、ただちょうど良い人質を見つけただけという感じもする。
「あ、そうだ。京子さんには、ハルちゃんがウチで働くこと、話してあったんですか?」
「そーだよ、あたしも知らなかったんだけど!」
「悪いな。おまえらが出かけてる間に、森本さんと話し合って決めたんだ」
それを聞いたリリィは、呆れた表情を見せて、ジョッキに半分あったトリスハイボールを飲み干した。源介が勝手に物事をどんどん決めてしまうのは、いつものことだ。しかし、何か考えがあるのだろう。
「いや、だけど何でまた?」
「おまえらの仕事が良かったからだ。着手からわずか二日で夜のバイトも辞めさせて、学校にも通わせた。二度も暴漢から守った。さすがってんで、冬休み終わりまで続行して欲しいってな。ただ、さすがにそんなに長期間素行調査を続けると、いくら女子高生でも怪しまれる危険性がある。バイトとしてウチに置けば、問題なく自然に彼女を観察できるだろう。しかも、彼女も望むところだしな」
「えっ、と言うことは、バイトさせるのもハルちゃんの調査のうちってことですか?」
「そうだ。さらに格安にしたが、ギャラももらう。もちろん、それはそれ、これはこれで、ハルちゃんにも実働分のバイト代は俺から払うよ」
「なるほど。そういうことか。まぁいい考えじゃん」
源介を見直したような表情でリリィが言った。源介は勝手に思い切ったことをするが、やはりいつもよく考えている。だから、リリィも僕もついて行くことができている。
「でも、夜のバイトよりも、探偵業の方が危険なんじゃ……京子さんよく承認しましたね?」
「あ~そこはほら。事務所の雑用とか、簡単で安全なことしかさせないって言った」
「……さっき、ハルちゃんの能力を使いたいみたいなこと言ってスカウトしてましたよね?何を企んでるんです?」
僕がそう言うと、源介は眉と目尻を釣り下げ、そのずる賢い笑顔を隠すようにして中瓶を傾けて口に付けた。そして顔が見えない状態で、僕に向かって片手で親指を立てて見せる。意味がわからない。完全にごまかそうとしている。疲れているので面倒臭い。冷たく見つめるだけにして許してやった。別の話にしよう。
「京子さんは、セルシオのガキ共に心当たりはなさそうでしたか?」
「なさそうではあったが、もしかしたら何かまだ俺達に話していないことはあるんじゃないか、とも思ってる。この依頼の本当の目的とか、背景だとか、色々な」
中瓶を下ろすと、またマジメな顔に戻っていた。さすが源介だ。同じことを考えている。僕もリリィも、京子が初めて事務所にやって来た時から、違和感は感じていた。
「いや、まあよくわからないうちにあれこれ勝手に決め付けるのはよくねぇよ。しばらくの間、出かける時はいつも以上に用心してくれ」
「んだね」
「わかりました」
21:30。
いつの間にか酔いが心地良い程度に回り、僕と源介は少々大きな声で、ふざけたパロディAVタイトルについて語り合っていた。『パイパニック』がツボにはまり、僕と源介は爆笑した。
「ちょっくらトイレ」
リリィは男子高校生のような僕達のノリにうんざりした様子で立ち上がり、店の外へ出て行った。この店は、トイレが店の外にあるのだ。古く小さい物置小屋のようなトイレで、僕はなるべくなら使いたくない。
「あいつってさ、トイレ、どうしてんだろうな」
「どうしてるって、何がですか?」
「ん~。いや、男みたいに立ってするのかさ、女みたいに座ってすんのかさ」
「どうでしょうね。でも、見た目も性格も女性ですし、温泉も女風呂に入ってましたし」
「見てみるか!?」
「いや、殺されますって」
冗談なのはわかっている。この話題はセンシティブなので、リリィがいる所では極力しないようにしている。
その時、外から何かがぶつかるような、大きな音が聞こえた。
「……トイレの方じゃねえか?」
そう呟いて、険しい表情をした源介は立ち上がり、店を飛び出した。慌てて僕も続く。
「女将さん!すぐ戻ります!」
酔っている状態で急に立ち上がると、一気に酔いが回るのがわかった。店を出て、建物の壁伝いに裏に回ると、物置のようなトイレが見えて来た。ドアは閉まっている。
「リリィ!?」
源介が叫ぶ。
「うるせー!こっち来るなよ!絶対!見たら殺すから!!」
「えっ!?」
トイレの中から、リリィの怒号が返って来た。僕達はピタリと足を止めた。
「どうした!?何があった!?」
「ちょっと待って!マジで来ないで!店戻ってて!!」
僕と源介は顔を見合わせた。とにかく、無事なのは間違いなさそうだ。そして、何やらかなり怒っているようだ。
「紙がないのか!?ティッシュならここに」
源介が数歩近付く。
「うるせー!戻れっつってんだろ!!そんなレベルのことじゃねーんだよ!!」
トイレのドアが内側から激しく殴られ、揺れた。源介が「ヒッ」っと小さな情けない声を出して後ずさった。身長が180cm近くありガタイの良い源介が、身長169cmの華奢なリリィに対して怯えている。源介も喧嘩は相当強いが、リリィにはまるで歯が立たないのだ。
「わかった。後で説明してくれよ!戻ってるから!」
何がなんだかわからない。
「紙がないとかのレベルじゃないってことか。漏らしたか、こぼしたのか」
「生理ですかね?」
源介が、僕を睨んだ。自分は言いたい放題なのに、僕がふざけたことを言うと睨むのは理不尽だ。
カウンターに戻り、ダダ下がりしたテンションで無言でまた酒を飲んでいると、リリィが戻って来た。
「……よ、よお。大丈夫だったか?どうしたんだよ?」
源介が恐る恐る声をかける。リリィの様子がおかしい。
「ま、まぁ言いたくないことなら、いいんだけどよ。その……音がしたもんだから。俺らも心配になっちまってさ」
「パンツ盗まれた」
呆然としたリリィが、ポツリと言った。