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 18:30。



「へ~なるほどね~」


 夢中になって楽しそうに、そして手際良く事務所の掃除をするハルを眺めて、源介が関心したように言った。ハルは、ああ見えてよく家事をしているらしい。あれから、事務所に着くまでの間、少しだけ眠ったようだが、今はまたこうして元気を取り戻している。安心した。


「しかし、すげえな。強制的に男を射精させる超能力とはね」


「本当ですよ。一体いつどこで、そんな力を身に付けたのか。それとも、生まれつきのものなのか。これまでも、僕と源介さんの体が入れ替わってしまったりとか、火事場のバカ力を自在に操れる殺人鬼とか色々体験しましたけど、それらとはまた違ったオカルトですね」


「オト。おまえさ、テクノブレイクって知ってる?」


 源介は、ボンベイサファイアのロックを一口飲んで唐突にそう言った。


「テクノ……何です?」


「テクノブレイク。俺も詳しくは知らねえけど、オナニーしまくって射精のし過ぎで、ショック死みたいになるヤツな」


「何ですかそれ?そんなことありえるんですか?」


 とても恥ずかしい死に方なのに、何だかゲームの必殺技みたいな名前だ。


「ハルお嬢様は……テクノブレイカーだな」


 源介が発したその言葉が妙におかしくて、僕は吹き出してしまった。源介も笑う。テクノブレイカー。中学生が好みそうな通り名だ。

 ハルは、応接スペースの隅にある古いイームズの黄緑色の椅子が気に入ったらしい。掃除を終えて、しきりに「かわいい!」を連呼しながらスマートフォンで写真を撮っている。源介がデスクから立ち上がり、ゆっくりとハルの方へと近付いて行く。


「ハルちゃん、ご苦労様。助かったよ。これ、少ないんだけど。所長の俺から」


 キョトンとするハルに向かって、源介は白い封筒を差し出した。掃除のバイト代のつもりなのだろうか。


「えっ……あの、もしかして?あたしは、勝手にお邪魔して……」


「いいのいいの!ほら!」


 源介が、強引にハルの両手を掴んで封筒を握らせた。


「たった小一時間掃除しただけで、受け取れませんよ……」


 ハルは、困った顔をしている。


「いや、違うんだ。ビジネスなんだよ。中、見てごらん」


 源介は、ニヤリと笑った。何を企んでいるのだろうか。ハルは、言われるがままに封筒の口を指で広げ覗き込む。


「えっ!?ちょっと、こんな大金は……」


 いくら渡したんだ。ウチには、そんな余裕はないはずだぞ。僕は心配になって二人の方へ駆け寄った。



「ハルちゃん。それはギャラの前払いだ。その額で、浜田探偵事務所の臨時調査員になってくれないか?これから始まる冬休みの間だけでいい」



 僕は耳を疑った。


「ちょっと!源介さん!勝手に!リリィさんには相談したんですか!?」


 リリィは今はシャワーを浴びている。


「臨時……調査員?」


 ハルの瞳が好奇心を宿して輝くのがわかった。まずい。


「いやいや、源介さん!彼女はまだ高校生ですよ!せっかくマジメに学校に通いだしたのに!」


 それに、京子には何て説明するんだ。いやもしかして、すでに説明し、承認を得ているのか?

 源介は、僕を無視して続けた。



「ハルちゃん。その不思議な能力で、俺達に力を貸して欲しい」



「あたしの、能力……」


「だだだダメですってば!」


 誰かこの男を止めてくれ。



「ハルちゃんは、おばあちゃんと暮らしているって言っていたよね。その能力は、おばあちゃんは知っているのかな?」


「おばあちゃんは、どうなんだろ。知ってるのかも知れないですけど、あたしからは言ったことないです」


「知ってるかも知れない?って言うのは、どういうこと?」



「えーと、あたしも詳しくは知らないんですけどね。うちの家系は、代々そういう力を持ってるからって、おばあちゃん昔から言ってました。決して使っちゃいけないよって。あたしがこの力を使えることに気付いたのは、中学一年の時で、あ~あたしもやっぱり……って。面倒だから、おばあちゃんには言ってないんですけどね。なので、あたしがこの力を使えることを、おばあちゃんは知っててもおかしくないかなって、そう言う意味です」


 ハルの話に驚いた僕と源介は、思わず顔を見合わせた。


「家系?すげえな。えっ、じゃあ、おばあちゃんもそうなのか!?能力者なのか!?」


 興味津々の源介がハルに詰め寄り、ハルは驚いてやや引いている。まさかあの京子まで、このとんでもない能力が使えると言うのか。


「おばあちゃんは、あんまり素質がなかったって言ってました。あたしが小さい頃に死んじゃったママは……どうだったんだろ~。よくわかんないです」


「なるほどな~。一族の能力。ハルちゃん、すごいね。その才能。是非ウチで存分に発揮してもらいたいね」


 源介の賞賛を受けて、ハルはまだ半信半疑でありつつも、確かに嬉しそうな表情を見せた。ずっと周囲に言い出せなかった不思議な自分の力を、こうまで認めてもらえたのは、きっと生まれて初めてなのだろう。



「そして、その最高にクールな髪と瞳。それも、ご先祖様譲りなのかな?」



 源介が、遠慮の欠片も見せずに、唐突にそう質問した。僕はハッとした。まずい。ハルにとって、容姿の話は地雷なのだ。ハルの笑顔が一気に消える。


「源介さん、ハルちゃんの髪と目は、お洒落なんですよ!まさか天然なわけないじゃないですか……」


 僕は咄嗟に取り繕おうとした。もちろん、彼女の髪と瞳の色が天然であることを僕達は皆知っている。そして事前に、ハルが容姿について強いコンプレックスを抱いていることを、僕は源介に報告してある。それでもあえて、源介は彼女のコンプレックスに触れるような発言をしたのだ。


「ん?違うだろ。俺は見たらわかるよ。これはお洒落なんかじゃなくて、ハルちゃんの持って生まれたもんだ。そうだろ?」


 源介は、堂々とハルの目を見てそう言った。一体何を考えているのだ。


「……普通だったらこんな色、ありえないって思いますか?」


「逆に聞くけど、普通って何だ?」


 ハルの卑屈な問いに対し、源介はやや強めに素早く切り返す。ハルは、ハッとして目を大きく見開いた。源介は、ニヤリとして首を傾げた。


「自分の美しさに自信がないのか?もしハルちゃんが二十歳だったら、俺はこの場で結婚を申し込むけどな」


 それを聞いたハルが、プッと吹き出した。僕はホッと胸をなでおろした。


「ご先祖様か……。あたしも詳しくはわからないですけど。あたしのひいおじいちゃんが、ポーランド人だったらしくて。そのせいなのかな〜って。覚醒遺伝ってヤツ?」


「ポーランド!?しかもひいおじいさんって言ったら、かなり昔の人だな。明治生まれだろ!?」


「何でそんな遠い国の人が、そんな時代に、日本の、しかも北海道にいたんでしょうね。興味深いなぁ」


 僕も、つい面白がって話に入ってしまった。


「何でなんでしょうね。あたしも知りたいですよ」


「そうだな。考えられるのは。大正時代に、ロシア革命のせいで行き場をなくしたたくさんのポーランド孤児を、日本が保護して連れ帰ったことがあるんだ。その時に日本に残留した孤児もいると聞く。ハルちゃんの年齢と、そのひいおじいさんという関係から、明治後期生まれの人だろう。大正時代なら子供だ。年代がぴったり合う」


「へぇ〜……」


 僕とハルは、源介の博識さに驚き関心した。見た目はこうなのに、それに反して頭が良い。さすが地元の進学高校を主席で卒業し、北海道大学法学部に進学した後、麻雀とパチスロと酒とキャバクラと大麻に夢中になって二年で中退しただけのことはある。


「後は、そうだな。北海道ってことに着目するなら、サハリン……樺太(からふと)から流れて来た人ってことも考えられるな。当時の樺太には、ポーランド系ロシア人も多数居たらしいからな」


「源介さん、すごい物知りですね!」


 ハルが、羨望の眼差しで源介に言った。


「いやこんなことはネットで検索すりゃあ誰でもわかることさ。それより、話がそれたが……ハルちゃん。自分の能力、それから容姿。それはハルちゃんにしかないものなんだ。だから良いんだよ。他人と比べるな。何が普通とか、変わっているとか、そういうことをいつも考えていたなら、今日からその考えを捨てろ」


 なるほど。源介は、ハルの能力を買ってスカウトした。そして、その上で厄介な彼女のコンプレックスを叩き壊したかったのだ。


 ハルは、源介の言葉を噛み締めるように目を閉じた。そして深呼吸し、目を見開いて言った。


「あたし、やります。やらせてください。あたしにしかできないことを。やりたい」



「浜田探偵事務所にようこそ!」



 源介が差し伸べた手を、ハルは力強く握った。

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