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 得体の知れない怪しい車に尾行されている以上、このまま狸小路の事務所へ帰るわけにはいかない。だからと言って、潜古の森本宅へ逆戻りすることもできない。

 積み上げられた排雪によって片側二車線のうちの外側車線が潰れ、凍結路で速度も出せないこの国道12号線は、自動車に隙間なく埋め尽くされている。これではまくことも無理だ。


 リスクは高いが、この面倒な状況の中で、最も手っ取り早い対策は、アレしかない。


「オト、運転代われる?」


 リリィが言った。ハルを驚かせないように、自然を装っている。


「えぇ、大丈夫ですよ。次停まったらでいいですか?」


 僕とリリィはアイコンタクトを交わした。リリィは、僕と全く同じことを考えたらしい。さすがに行動を共にしている時間が長い先輩だ。肝も座っている。


 気付けば、もうセルシオは僕達のすぐ後ろに迫っている。偽装していたりしてアテにはならないだろうが、一応僕はナンバーを暗記した。実を言うと、僕達のこのカローラⅡのナンバーも、こんな時のために偽装してある。当然犯罪だが、僕達のように仕事を選ばない探偵をやるには、こう言った小賢しい工夫は仕方ないのだ。

 左側に、大きな駐車場のあるドラッグストアが見えてきた。僕達が左折して駐車場に入ると、セルシオも案の定ついて来る。もはや、隠すつもりもないのだろうか。


「あっ、お買い物ですか?」


 ハルが、何も知らずに無邪気に聞いてきた。


「あっ、ちょっとね。オトとハルちゃんは、車で待ってて。すぐ戻るから!」


 道路に近い場所にカローラⅡを停め、リリィが運転席から出て、店舗に向かってゆっくりと歩き出す。幸いにも駐車車両の数は少なく、客もあまりいないようだ。僕はすぐに助手席から運転席に移り、シートベルトを締める。助手席ドアは、半ドアの状態にしておく。


 セルシオは店舗側に停車した。後部座席から二人の男が降りて、リリィのすぐ後ろをつける。坊主頭にスカジャン、ニット帽にダウンジャケット。どちらも大した体はしていない。服装からして、ガキに違いない。セルシオの運転席と助手席にいる奴らは、僕とハルを見張っているのだろう。


「ハルちゃん、シートベルト、しっかり締めておいてね。で、これから何があっても、車から出ないでね」


「えっ、何がです?」


 男二人が、リリィの肩を掴もうとした。



 その時、鈍い大きな衝撃音が、駐車場に鳴り響いた。


 坊主頭は宙を舞い、硬い雪が覆うアスファルトに受け身も取れずに落下し、ドウッと音を立てる。硬くなった雪の表面を覆う新しい粉雪が、煙のように舞い上がる。


 後ろ回し蹴り。

 スキニーパンツに覆われ、一直線に伸びたその美しい脚線美からは、誰もが想像すらできない必殺の蹴りだ。哀れなことに、あの坊主頭は数日間、歩けないだろう。


 リリィは返す動きでさらに、呆気に取られるニット帽のみぞおちに、容赦なく前蹴りを突き刺す。ニット帽ががっくりと膝を付く。あれは肋骨が折れただろう。しばらく飯も食えないに違いない。


 蹴り終えたリリィが、クルッと鮮やかにターンして、店舗入り口から僕達目掛けて全力で駆けて来る。


「えっ!リリィさん!えっ!?」


 ハルが驚いて窓に張り付き、狼狽えた。


「大丈夫。リリィさんは見ての通り、半端じゃなく強いんだ」


「いや、そう言うことじゃなくて!えっ何これ!?ちょっと!リリィさん!?」



 そうだ。この状況で最も手っ取り早い対策とは、こちらから先に面倒の種を潰すことだ。先手必勝。



 セルシオの運転席、助手席が乱暴に開かれ、同じような格好をした若いガキ共が飛び出し、リリィを追いかけて来る。乗っていたのは、合計四人だったと言うことか。


「クソアマ!待ちやがれ!コラァ!!」


 片方のガキが、罵りながらリリィにタックルを仕掛けた。もつれ合って、ガキとリリィが一緒に倒れる。

 しまった。ノーマークのもう片方のガキが、僕達目掛けて突進して来る。リリィは放っておいても全く問題ないだろうが、このままではハルが危ない。


「ハルちゃん!ここに居て!」


 僕は運転席から飛び出し、ガキと対峙した。ヒゲ面の、そこそこガタイの良い奴だ。もし格闘技をかじっていたら、下手はできない。


「うおらッ!」


 ヒゲ面が、大きく振りかぶって殴って来た。僕は左手でそれを捌いたが、予想以上に喧嘩慣れしているようで、すぐ離れられてしまい、右を入れられなかった。


「貴様らは何だ!?何が目的だ!?」


 ヒゲ面は僕の問いかけを無視し、僕の胸ぐらを掴みにかかって来る。胸ぐらを掴みに来ると言うことは、ド素人か、柔術経験者かのどちらかだ。


 ヤバいか!?


 ヒゲ面は、胸ぐらを掴み、もう片腕を大きく後ろに引いた。足も、僕の足を刈ろうとする様子はない。殴ろうとしているのだ。


 しめた。こいつはド素人だ。


 ヒゲ面が僕を引っ張る力を利用し、その顔面に躊躇なしの本気の頭突きを喰らわせてやった。グシャッと言う嫌な感触と音がした。鼻が折れたのだ。


「い!いってぇ!てめぇ〜!」


 ヒゲ面が顔面を抑え悶絶し、目を血走らせて僕を睨む。


「当然だろ。痛くしたんだよ。喧嘩売って来たのはそっちだろ。文句あるのか?」


「クッソ喰らえ!」


「クソはおまえが喰えよ」


 僕は挑発した。僕だけに向かって来てくれればよい。ハルだけには、何があっても指一本触れさせない。

 向こう側では、リリィがタックルして来たガキを激しく転がして、一方的に蹴っている。今日はあいつが一番の重症だろう。



「オトさん!下がって!」



 僕は、目を疑った。

 何と、いつの間にか車外に出て来たハルが、僕の前に躍り出たのだ。


 ヒゲ面が、ハルを見て不気味な笑みを浮かべたのを見逃さなかった。


「何してる!戻れ!」


「こっち来いや!ガキ!!」


 ヒゲ面が、ハルを掴もうと手を伸ばした。



 まさかとは思うが、もしかしてこいつらは、ハルを狙っているのか?



「やめろ!貴様の相手は僕だ!!」



「ぐあっ!うおぉぉ!?」


 その時、ヒゲ面が、震えながら腹を抱えて苦しみだした。


 まさか。



 ハルは、瞳を桃色に光らせながら、金髪を僅かに膨らませ、険しい表情でヒゲ面に手をかざしている。先日この能力を見せた時とは、明らかに雰囲気が違った。


「うぁぁぁ!何だこれ!?はぁぁぁ!!?」


 ヒゲ面が、苦悶の表情を浮かべ、ガクガクとさらに激しく震える。


「ハ、ハルちゃん!何してるんだ!?」


「これでも……喰らえッ!!」


 ハルが、さらに力を込める。バチバチと音を立てて、ハルの体に電気のような光が走る。


「やめろ!もういい!ハルちゃん!」


「うはぁぁぁぁぁ!!」



 ガラスが弾けるような音がした。



「ウッ……!!」


「やった……オ、オトさん、早く車戻って……」


 ヒゲ面の鼻の穴が、一瞬広がったように見えた。頬を紅潮させている。気のせいかその表情には、悲しくも満たされた何かを漂わせていた。

 その隙を見逃さず、僕は普段実践ではまずやらない、渾身のハイキックを繰り出した。ヒゲ面はそれを即頭部にまともに喰らい、白目をむいて崩れ落ちた。危なかった。


「何してんだ君はぁ!?」


 僕は慌てて、倒れそうになりながら肩で息をしているハルの腕を引っ張り、カローラⅡの後部座席へ押し込んだ。

 ヒゲ面は、ピクリとも動かない。死んではいないはずだ。


「ハ、ハルちゃん。まさか、あいつに……」


 ハルが、弱々しく半目を開けて、プッと笑った。


「そう。あいつ、(きった)ないよ。ここでイッたんでしょ」



 イッたとは。



「えっ!ハルちゃん、本当に!?」


「オトさん、やめてよ。それ以上はセクハラ」


 ハルが、クスクスと笑った。


 リリィがガキを片付け終わり、開けておいた助手席に飛び込んで来た。


「少し痛めつけてやったけど、何者なのかは口は割らなかった。通報されたら厄介だし、仕方ないけど、今日はズラかろ」


 少しどころではないだろう。多分、半殺しの手前くらいに蹴っていたと思う。僕は急いでカローラⅡを発進させた。


「ハルちゃんは無事!?」


「無事です。何もされてません。だけど……」


「だけど?」


 リリィは後部座席のハルを見やった。ハルは、グッタリとシートにもたれかかり、目を閉じている。


「えっ、もしかして、例のあれ。やっちゃったの?」


「はい……目を離した隙に。すみません」


「マジか。この子、やっばいね」


「でも、ハルちゃん、危険をかえりみずに、僕を助けようとしてくれたんです」


 ハルは怒りにまかせると、さらに恐ろしい力を発揮するようだ。あのヒゲ面はあの瞬間、確かに射精していた。

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