12
得体の知れない怪しい車に尾行されている以上、このまま狸小路の事務所へ帰るわけにはいかない。だからと言って、潜古の森本宅へ逆戻りすることもできない。
積み上げられた排雪によって片側二車線のうちの外側車線が潰れ、凍結路で速度も出せないこの国道12号線は、自動車に隙間なく埋め尽くされている。これではまくことも無理だ。
リスクは高いが、この面倒な状況の中で、最も手っ取り早い対策は、アレしかない。
「オト、運転代われる?」
リリィが言った。ハルを驚かせないように、自然を装っている。
「えぇ、大丈夫ですよ。次停まったらでいいですか?」
僕とリリィはアイコンタクトを交わした。リリィは、僕と全く同じことを考えたらしい。さすがに行動を共にしている時間が長い先輩だ。肝も座っている。
気付けば、もうセルシオは僕達のすぐ後ろに迫っている。偽装していたりしてアテにはならないだろうが、一応僕はナンバーを暗記した。実を言うと、僕達のこのカローラⅡのナンバーも、こんな時のために偽装してある。当然犯罪だが、僕達のように仕事を選ばない探偵をやるには、こう言った小賢しい工夫は仕方ないのだ。
左側に、大きな駐車場のあるドラッグストアが見えてきた。僕達が左折して駐車場に入ると、セルシオも案の定ついて来る。もはや、隠すつもりもないのだろうか。
「あっ、お買い物ですか?」
ハルが、何も知らずに無邪気に聞いてきた。
「あっ、ちょっとね。オトとハルちゃんは、車で待ってて。すぐ戻るから!」
道路に近い場所にカローラⅡを停め、リリィが運転席から出て、店舗に向かってゆっくりと歩き出す。幸いにも駐車車両の数は少なく、客もあまりいないようだ。僕はすぐに助手席から運転席に移り、シートベルトを締める。助手席ドアは、半ドアの状態にしておく。
セルシオは店舗側に停車した。後部座席から二人の男が降りて、リリィのすぐ後ろをつける。坊主頭にスカジャン、ニット帽にダウンジャケット。どちらも大した体はしていない。服装からして、ガキに違いない。セルシオの運転席と助手席にいる奴らは、僕とハルを見張っているのだろう。
「ハルちゃん、シートベルト、しっかり締めておいてね。で、これから何があっても、車から出ないでね」
「えっ、何がです?」
男二人が、リリィの肩を掴もうとした。
その時、鈍い大きな衝撃音が、駐車場に鳴り響いた。
坊主頭は宙を舞い、硬い雪が覆うアスファルトに受け身も取れずに落下し、ドウッと音を立てる。硬くなった雪の表面を覆う新しい粉雪が、煙のように舞い上がる。
後ろ回し蹴り。
スキニーパンツに覆われ、一直線に伸びたその美しい脚線美からは、誰もが想像すらできない必殺の蹴りだ。哀れなことに、あの坊主頭は数日間、歩けないだろう。
リリィは返す動きでさらに、呆気に取られるニット帽のみぞおちに、容赦なく前蹴りを突き刺す。ニット帽ががっくりと膝を付く。あれは肋骨が折れただろう。しばらく飯も食えないに違いない。
蹴り終えたリリィが、クルッと鮮やかにターンして、店舗入り口から僕達目掛けて全力で駆けて来る。
「えっ!リリィさん!えっ!?」
ハルが驚いて窓に張り付き、狼狽えた。
「大丈夫。リリィさんは見ての通り、半端じゃなく強いんだ」
「いや、そう言うことじゃなくて!えっ何これ!?ちょっと!リリィさん!?」
そうだ。この状況で最も手っ取り早い対策とは、こちらから先に面倒の種を潰すことだ。先手必勝。
セルシオの運転席、助手席が乱暴に開かれ、同じような格好をした若いガキ共が飛び出し、リリィを追いかけて来る。乗っていたのは、合計四人だったと言うことか。
「クソアマ!待ちやがれ!コラァ!!」
片方のガキが、罵りながらリリィにタックルを仕掛けた。もつれ合って、ガキとリリィが一緒に倒れる。
しまった。ノーマークのもう片方のガキが、僕達目掛けて突進して来る。リリィは放っておいても全く問題ないだろうが、このままではハルが危ない。
「ハルちゃん!ここに居て!」
僕は運転席から飛び出し、ガキと対峙した。ヒゲ面の、そこそこガタイの良い奴だ。もし格闘技をかじっていたら、下手はできない。
「うおらッ!」
ヒゲ面が、大きく振りかぶって殴って来た。僕は左手でそれを捌いたが、予想以上に喧嘩慣れしているようで、すぐ離れられてしまい、右を入れられなかった。
「貴様らは何だ!?何が目的だ!?」
ヒゲ面は僕の問いかけを無視し、僕の胸ぐらを掴みにかかって来る。胸ぐらを掴みに来ると言うことは、ド素人か、柔術経験者かのどちらかだ。
ヤバいか!?
ヒゲ面は、胸ぐらを掴み、もう片腕を大きく後ろに引いた。足も、僕の足を刈ろうとする様子はない。殴ろうとしているのだ。
しめた。こいつはド素人だ。
ヒゲ面が僕を引っ張る力を利用し、その顔面に躊躇なしの本気の頭突きを喰らわせてやった。グシャッと言う嫌な感触と音がした。鼻が折れたのだ。
「い!いってぇ!てめぇ〜!」
ヒゲ面が顔面を抑え悶絶し、目を血走らせて僕を睨む。
「当然だろ。痛くしたんだよ。喧嘩売って来たのはそっちだろ。文句あるのか?」
「クッソ喰らえ!」
「クソはおまえが喰えよ」
僕は挑発した。僕だけに向かって来てくれればよい。ハルだけには、何があっても指一本触れさせない。
向こう側では、リリィがタックルして来たガキを激しく転がして、一方的に蹴っている。今日はあいつが一番の重症だろう。
「オトさん!下がって!」
僕は、目を疑った。
何と、いつの間にか車外に出て来たハルが、僕の前に躍り出たのだ。
ヒゲ面が、ハルを見て不気味な笑みを浮かべたのを見逃さなかった。
「何してる!戻れ!」
「こっち来いや!ガキ!!」
ヒゲ面が、ハルを掴もうと手を伸ばした。
まさかとは思うが、もしかしてこいつらは、ハルを狙っているのか?
「やめろ!貴様の相手は僕だ!!」
「ぐあっ!うおぉぉ!?」
その時、ヒゲ面が、震えながら腹を抱えて苦しみだした。
まさか。
ハルは、瞳を桃色に光らせながら、金髪を僅かに膨らませ、険しい表情でヒゲ面に手をかざしている。先日この能力を見せた時とは、明らかに雰囲気が違った。
「うぁぁぁ!何だこれ!?はぁぁぁ!!?」
ヒゲ面が、苦悶の表情を浮かべ、ガクガクとさらに激しく震える。
「ハ、ハルちゃん!何してるんだ!?」
「これでも……喰らえッ!!」
ハルが、さらに力を込める。バチバチと音を立てて、ハルの体に電気のような光が走る。
「やめろ!もういい!ハルちゃん!」
「うはぁぁぁぁぁ!!」
ガラスが弾けるような音がした。
「ウッ……!!」
「やった……オ、オトさん、早く車戻って……」
ヒゲ面の鼻の穴が、一瞬広がったように見えた。頬を紅潮させている。気のせいかその表情には、悲しくも満たされた何かを漂わせていた。
その隙を見逃さず、僕は普段実践ではまずやらない、渾身のハイキックを繰り出した。ヒゲ面はそれを即頭部にまともに喰らい、白目をむいて崩れ落ちた。危なかった。
「何してんだ君はぁ!?」
僕は慌てて、倒れそうになりながら肩で息をしているハルの腕を引っ張り、カローラⅡの後部座席へ押し込んだ。
ヒゲ面は、ピクリとも動かない。死んではいないはずだ。
「ハ、ハルちゃん。まさか、あいつに……」
ハルが、弱々しく半目を開けて、プッと笑った。
「そう。あいつ、汚ないよ。ここでイッたんでしょ」
イッたとは。
「えっ!ハルちゃん、本当に!?」
「オトさん、やめてよ。それ以上はセクハラ」
ハルが、クスクスと笑った。
リリィがガキを片付け終わり、開けておいた助手席に飛び込んで来た。
「少し痛めつけてやったけど、何者なのかは口は割らなかった。通報されたら厄介だし、仕方ないけど、今日はズラかろ」
少しどころではないだろう。多分、半殺しの手前くらいに蹴っていたと思う。僕は急いでカローラⅡを発進させた。
「ハルちゃんは無事!?」
「無事です。何もされてません。だけど……」
「だけど?」
リリィは後部座席のハルを見やった。ハルは、グッタリとシートにもたれかかり、目を閉じている。
「えっ、もしかして、例のあれ。やっちゃったの?」
「はい……目を離した隙に。すみません」
「マジか。この子、やっばいね」
「でも、ハルちゃん、危険をかえりみずに、僕を助けようとしてくれたんです」
ハルは怒りにまかせると、さらに恐ろしい力を発揮するようだ。あのヒゲ面はあの瞬間、確かに射精していた。




