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15:30。
僕とリリィは、北壟の校門から出て来たハルをカローラⅡの後部座席に乗せた。彼女は約束通り、サボらずにしっかりと最後まで授業を受けてくれたのだ。
「すみません、迎えに来てもらってしまって」
「いいのいいの。さ、これから例の幼馴染みさんと面談しましょ」
「はい!よろしくお願いします!」
リリィとハルは、早くも打ち解けている。
「ハルちゃん、お店の方は大丈夫だった?」
リリィがバックミラー越しにハルに問いかける。
「はい。すごく引き止められましたけど、親に見つかっちゃって、本当は高校生でって事情を話したら、すんなり辞めさせてもらえました。お店に悪いことしちゃったな……」
「仕事自体はやっぱり好きだったの?」
「うん、お酒好きだし、色んな人と話せるし。二十歳過ぎたら、またやってみたいな」
やはりハルは、寂しいのだろうか。
16:10。
僕達は東区潜古の、ハルの幼馴染みである木内和弥の家にやって来た。
ハルと和弥は家が近所だったため、公園デビューの頃からの仲である。二人は幼稚園だけでなく、小中と同じ学校に通ったが、高校からはそれぞれ別の学校に通うことになった。和弥は北海道立拓成高等学校に進学した。拓成は東区内のここから近い場所にあり、北壟とほぼ同じレベルの進学校である。私立である北壟は裕福な家庭の子が多いが、公立である拓成は庶民的な家庭の子が多いと言われている。
木内宅はごく一般的な一戸建てで、森本宅のような豪邸ではない。
インターホンを押すと、すぐに和弥の母親が出迎えてくれた。小柄で細く、長い黒髪を束ねた若い母親だった。40代前半だろうか。
「おばさんこんにちは!和弥いますか?」
「あら〜ハルちゃん!来てくれてありがとね。あ、そちら様が探偵の方々の?」
母親が、僕とリリィに視線を向けそう言った。僕とリリィは会釈し、名刺を渡して挨拶した。
「わざわざいらしてくださって。さ、寒いでしょう?どうぞ中へ」
僕達は体に少しだけ付いた雪を払ってから、暖かい玄関に入った。
「和弥〜!ハルちゃんと、探偵さんいらしたわよ!下りて来なさいよ!」
母親が、二階の和弥の部屋に向かって大きな声で呼びかけたが、返事はない。
「もう……本当に。うちの子は。本当に申し訳ありません」
「いえ、無理にお呼びいただかなくて大丈夫です。勝手に押しかけたのは私達ですから」
僕は、和弥のことを何も知らないが、引きこもっている人の気持ちはある程度わかる。きっと、面倒くさいと思っているに違いない。僕が和弥の立場だったら、絶対にそう思うだろう。
「ごめん、オトさん、リリィさん、待ってて。あたし、行って来る」
僕とリリィ、母親を残して、ハルは一人で二階へ上がって行った。
「あの子、ハルちゃんだけなら何とか話そうとするんです。探偵さんは、どうぞおかけになってて」
「あっ、どうぞお構いなく」
僕達はリビングのソファーに座った。母親が、紅茶をいれてくれた。
「繁盛なさってお忙しいと聞いたんですけど、それなのにうちの子のこと、ご迷惑おかけしてしまって」
母親は、とても恐縮している。
「あっ、いえ、仕事ではなくて、個人的に、ハルちゃんと懇意にさせてもらってまして、それで、和弥くんのことを聞いたものですから。逆に差し出がましくてご迷惑でないかと」
「そんな、とんでもない。母親なのにあの子に何もできなくて……どうかこの度は、よろしくお願いいたします」
母親が、深々と頭を下げた。こちらの方が恐縮してしまった。母親は、やはり真剣に和弥のことを心配しているのだろう。ひとまずは、母親からある程度話を聞くことにした。
「あの、和弥君は、学校をお辞めになったと……?」
「そうなんです。本当に残念。去年の夏頃。入学してからすぐいじめられて、夏休みが終わっても、学校には行かずに、そのまま……」
母親の瞳が潤み、赤くなる。かける言葉が見当たらない。
「親として、引きずってでも学校に行かせようかとも思いました。でも、あの子が本当に辛そうで、見ていられなかった。具体的にどんなことをされたのかも、全然話をしてくれない。学校にも何度もかけあったんですが、頼りなくて。結局、親として、あの子に何もしてやれなかった……」
ついに、母親の頬を涙が伝って落ちた。
「よほど、悔しい思いをしたんでしょうね。親にも話せないような……」
「このままだと、あの子の将来が心配で。せめて、夜学へ通ったり、大検を取って進学するなり、何かしらできることはあると思うんです。けれど、もう一年以上、引きこもってしまって」
ただやみくもに前向きになろうとしてもダメなのだ。和弥が抱えている闇を取り除く必要がありそうだ。一体どんな苦痛を味わって、どうすればそれを乗り越え、先に進むことができるのだろうか。
「あの、私事でお恥ずかしいのですが。実は、私も何年も引きこもっていた過去があるので、少しだけ和弥君の気持ちがわかるような気がするのです」
「えっ、横山さんが?」
「はい。和弥君よりもずっと長くです。しかしこうして立ち直ることができたのは、他人から認められ、頼りにされる機会を与えてもらって、自分に自信が付いたからだと思っています」
リリィは優しい目で僕を一瞥し、フッと短く笑った。それに気付くと、自分の言葉が照れくさくなった。しかし、続けた。
「なので、和弥君も、他人から必要とされることを実感できたら、きっと外に出ることができるんじゃないでしょうか。抽象的なことを言って、申し訳ありませんが……」
「他人から必要とされる……」
母親が、目を大きく見開いて僕を見た。
「学歴や進路のことは当然、親御さんとして最も心配することだと思います。それはそれとして、別に何か一つ、和弥君の生き甲斐と言うか、アイデンティティと言うか……その、申し訳ありません。うまく言えませんが」
「えぇ、仰りたいことはわかります」
母親は首を大きく縦に振りながら相槌を打つ。
「彼の自信に繋がるような何かを、これから彼と一緒になって、探してみてはいかかでしょうか?」
母親は頷き、両目から涙を流して、嗚咽を堪えている。月並みな言葉に取られやしないかと不安だったが、母親は真剣に聞いてくれた。僕は本気で大切なことを伝えたつもりだ。もっと具体的に話せたら良かったが、今はこれが精一杯だった。
「さて、ドア越しにでも、和弥君にご挨拶をしてみて良いでしょうか?」
「あっ、はい是非。あぁ、あたしったら。すみません……」
母親はそう言うと、固く目を閉じて、両手で口を抑えた。僕は、「どうぞそのままで」の仕草をして、リリィと立ち上がって二階へ向かった。
「優しいお母さんね」
リリィが呟く。同感だ。階段を途中まで上り見上げると、ハルが吹き抜け部分からひょっこり顔を出した。両手で「×」を作る。
「ダメか」
ハルは悔しそうに頷いた。予想はしていたが、このまま帰っては和弥に失礼だ。せめて名乗って、挨拶だけはして帰ろう。僕達は和弥の部屋のドアの前に立った。
「木内和弥君。ドア越しで失礼。僕は、浜田探偵事務所の横山と言います。今日は突然押しかけて、申し訳なかったね。また、改めてお邪魔します」
部屋からは何の反応もない。
「和弥ぁ!あたし、諦めないからね!また来るから!」
ハルが怒鳴った。
「あたしだけだったら、中に入れてくれるんだけど……」
ハルが小声で言った。
「ま、焦らずやるさ」
僕も小声で返し、今日のところは退散することにした。
17:00。
母親に見送られ、僕達は車を発進させた。
「ねぇねぇオトさんリリィさん、事務所に帰るなら、あたしもついて行っていいですか?」
ハルが、目を輝かせながらズルい笑顔で言った。
「えっ!お婆ちゃんが心配するよ!」
「そうよ。それにウチに来たって、あたし達まだ仕事あるのよ。ハルちゃんの相手してあげられないよ」
「お婆ちゃんにはちゃんと、オトさん達のこと話してあるから、大丈夫。邪魔しませんから!あ、お手伝いします!お掃除とか、お茶くみとか!お願〜い!」
僕達が本当は京子から頼まれて、ハルの素行調査をしていることは、ハルは知らない。しかし、素行調査の一環としてハルの依頼を受けたことは、京子は知っている。京子は、ハルがひょんなことから仲良くなった探偵にサービスで依頼を受けてもらったことを、驚きながらも容認した、という体でハルに接しているのだ。
「そんなこと言っても、バイト代とかは出せないよ?」
「お金なんてとんでもない!あたしがワガママ言ってるんですから!浜田探偵事務所行ってみたいんです!お願いします!」
「も〜しょうがないわね。遅くなる前に帰るのよ。いい?」
「やったー!!」
きっと、帰りもハルを車で送ることになるだろう。しかし、ハルが目の届く所にいてくれるのは、実は本来の素行調査が捗るので、むしろ歓迎なのだ。京子も望むところだろう。僕とリリィは目を合わせ、ニヤリと笑いあった。
17:30。
国道12号線をちんたらと走っていると、リリィが何やらスマートフォンを操作している。様子がおかしい。すぐに、僕のスマートフォンが短く振動した。
『2だいみぎうしろせるしお」
句読点も変換もない、チャットメッセージ。ハルに気付かれないように、目だけを動かし、バックミラーを覗こうとした。よく見えない。やむを得ず、アクビをしながら大きく伸びをするフリをして、一瞬だけ右後方をリヤウインドウから確認した。
黒い、型落ちのセルシオ。
外はすっかり暗くなっているが、それでも窓はフルスモークであることがわかる。フロントガラスさえも中が見えなくなっている。当然、あれでは車検には通らない。癖のある車両だ。わざわざリリィがメッセージで知らせて来たと言うことは、ずっと僕達をつけて来ていると言うことらしい。いつからだ。なぜ。何者だろうか。
セルシオであれば中には多くても四、五人。あんな古い型式の車両に、筋者が乗っているとは考えにくい。悪くてガキ、良くて下っ端のチンピラ、それなら僕とリリィ二人であれば、まず格闘でも負けはしないだろうが、今はハルを乗せているのだ。手の中にじんわりと汗をかくのがわかった。




