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22:00。
島崎を出て源介は事務所へ帰り、僕とリリィはススキノのほぼ中心、南五条西三丁目のビルにある、ニュークラ『セシル』の入り口前に来ていた。このセシルでハルは年齢を偽り、キャストとして働いているのだ。
「ちゃんと名刺も作ってるのね。こうしてまじまじ見ると、ハルちゃんてばやっぱり相当かわいいよね」
リリィがハルの名刺を見て言った。名刺には、ハルが青いビキニ姿でソファに横になっているグラビアがプリントされている。本当はヤンチャな17歳の女子高生のはずなのに、こうしてプロがメイクをし撮影した写真だと、非常に大人びて見える。ポーズも表情も挑発的で、大人の男をドキドキさせる色気を持っている。
昼間、何も知らないハルは、得意気に僕に名刺を渡して来たのだ。店も出勤時間も把握できた。本名の下の名前をカタカナで表記し、源氏名として名乗っている。
インカムと蝶タイを付けた若い黒服に案内され、僕とリリィはニュークラには珍しい窓際のボックス席に座った。最近オープンしたばかりの新しい店だ。フロアはかなり広い。あえて一昔前の、僕達が生まれる前の時代のキャバレーを意識しているようだ。シャンデリア、通路の赤い絨毯、大理石のテーブル、白い革張りのソファー。卓には居酒屋やカラオケで使うようなオーダー用のタブレットが設置されており、滞在時間や現在の会計などがわかるようになっている。
「いらっしゃいませ、本日ご指名はございますか?」
黒服が片膝をついてオーダーを取りに来た。
「ハルさんをお願いします。とりあえず、ビールを二つ。後、連れはセットは無料でいいのかな?」
セットとは、一時間あたりの席料であるテーブルチャージと、安いハウスボトルのウイスキーと焼酎、ビール飲み放題料金をまとめた料金のことだ。ニュークラやキャバクラは、一般的に女性客はセットを取られないことが多い。もちろん、女性客が一人で入店してこの制度を利用すると利益が出ないので、男性客と一緒であることが条件だ。
「はい、女性のお客様はセットはいただきません」
「ありがと~!」
リリィが満面の笑顔を見せて言う。黒服がやや照れた表情を見せた。本当はチンチン付いてるけどな。
「オトさ~ん!いらっしゃいませ!お待たせしました~!あれっ!?」
黒とグレーのロングスカートワンピース姿で現れたハルが、リリィを見て驚いた。そのハルの美しさに、僕とリリィも息を呑んだ。
「こんにちは。リリィと申します。オト坊がお世話になっております」
リリィがそう言って笑顔で会釈した。
「えっ!オトさん彼女いたの!?」
「いや彼女じゃ」
「彼女じゃないです!」
僕よりも強くリリィが否定した。
「すぐ来てくれて嬉しいです。昼間はありがとうございました!飲み物もらっていいですか?」
「いただいていいですか?だろう。好きなものを頼みなよ」
「あ~失礼しました!ありがとうございます!」
ハルは、手を上げてライターを着火し、黒服を呼んでオーダーした。何と、芋焼酎である『黒霧島』のオンザロックを頼むと言うのだ。この若さで相当な酒好きらしい。本当は京子のことを考えると、酒を飲ませるなど言語道断なのだが、どうせ僕達以外の客と絶対に飲むし、こうして酒場にやって来た僕達には酒を止める説得力がない。今、目の前で飲むことは許すことにした。この後、やめてくれればいいのだ。僕達三人は乾杯した。
「え〜と、その。昼間、僕はハルちゃんに秘密にしてたことがあるんだ。それを言わなくちゃならないと思ってさ」
正直に打ち明けなくてはならない。
「えっ、何ですか?」
僕とリリィは、浜田探偵事務所の名刺を差し出してハルに渡した。
「えっ、オトさん、あそこの探偵だったの!?」
「あ、うん……」
「何であたしが探偵の話した時、知らないフリしたの!?」
「えっ、いや、その」
ハルの表情が、驚きから小さな憤りと疑いに変わっていく。
「やっ、あのね。ごめん。わかるだろ?探偵ってのはさ、簡単に正体を明かせないんだ。だから、悪いとは思ったんだけど、言い出せなくて」
よくわからない苦しい言い訳が飛び出したが、ハルは「あ、それもそうか」と言いたそうな顔をした。しめた。
「だから、スーツ着てたの?休みってのは嘘で、本当は探偵のお仕事中だったわけです?」
「まぁ、そういうことだ」
そう答えた瞬間、しまったと思った。それとほぼ同時に、テーブルの下で、リリィが僕の足を強く踏んだ。痛い!
「何の調査してたの!?」
やはりこうなった。ハルは好奇心と疑い、半分半分の目でそう聞いてきた。まずい。ハルを尾行していたことがバレることだけは、絶対に避けなくてはならない。そして何よりも、このままヘマを続けて僕の足が砕けてしまうのも嫌だ。
「ちょ、調査じゃないんだ。営業に行く所だったんだ。探偵ってのはさ、地味な苦労をして、あっちこっちの会社に頭を下げてさ、仕事を取って来なくちゃいけないんだ。だからスーツも着るさ」
「ふーん……じゃあ、付き合ってもらったの、お邪魔だったんですね」
ハルは、疑わずに素直に申し訳なさそうな顔をして言った。
「いやいや、外回りなんて結構、気分なんだ。たまにはサボッたりするさ。気分転換ができて、僕の方が礼を言いたいくらいなんだ」
僕はそう言ってから、リリィにそっとアイコンタクトした。
──違います!これはハルちゃんへの言い訳の作り話で、僕は普段営業サボッたりなんてしてないんです!信じてください!──
リリィはニコニコしている。僕の頭皮からじわりと脂汗が浮くのがわかった。頼む。伝わってくれ。後でキックしないでください。
「え、じゃあ、何で正体を明かしてくれたんです?」
「そう、それだ。昼間の話。気になってしまってね。ハルちゃんの依頼、僕達が受けようと思ってさ」
「えっ!あたしの言ってた、幼馴染みの話ですか?」
「そうだ。あの時は知らないフリをしてしまったけど、あれからよくよく考えてみてさ。もう知らない仲じゃないんだし、力になりたいと思ってね」
かなり無理矢理だが、大丈夫だろうか。
「でも、報酬が高いって聞いて……あたし、まだバイト代全然貯まってないし」
「お金、受け取らないよ。無料でやるよ」
何とかここまでたどり着いた。後は、僕達の出す条件をハルが飲むかどうかだ。
「ん!?無料って、どういうことですか!?」
ハルが身を乗り出した。よし。
「僕はハルちゃんと友達になった。だから、ハルちゃんが困っているなら助けたい。無料でハルちゃんの依頼を受けたい。ただ、条件がある」
「……条件?」
「そうだ。僕がハルちゃんの依頼を受ける代わりに、僕もハルちゃんにお願いがある。聞いてくれるかな?」
この、「お願い」という言い方がポイントだ。あくまで、僕がハルを対等に見ているという姿勢を大事にしたい。かかってくれるか。
「お願い?何?」
ハルは真剣な表情で、僕達を見詰めている。
「ここのバイトを辞めて、しっかりと学校にサボらず通うことだ。ハルちゃんは、浜田探偵事務所に依頼をする為に、ここで働いてるんだろ?だったら、浜田探偵事務所が依頼を受けるんだから、もう働く理由はなくなる。女子高生が水商売をしているなんて、友達になれた今、僕は看過できない」
思いつくもっともらしい理屈を並べてやった。ハルは、僕の目を見て、黙って考えている。
「僕達は、こう見えてもプロだ。依頼はキッチリこなす。だから、ハルちゃんも、僕の出した条件を、キッチリこなしてくれないかな?お互いに約束を守る。悪い話じゃないだろ?」
「何で、そこまでしてくれるんですか?今日、たった半日遊んだだけのあたしみたいな子供相手に。本当に、信じていいんですか?」
ハルの青い瞳が、少しだけ潤んで揺れた。僕から視線を逸らそうとはしない。その強い眼差しから、彼女を裏切るようなことは絶対にできないと感じた。別に僕は彼女を騙そうとしているわけではないのだが、何故か中途半端な気持ちではいけない、覚悟を決めなくてはならないと思わされた。
「僕達は浜田探偵事務所の調査員だ。噂で知ってるんだろ?やると言ったらやるよ。例え、子供相手でもね。だから、真っ当な女子高生に戻ってくれ。ハルちゃんの為を思ってお願いしてる」
「……わかりました」
ハルは、黒霧島の入ったグラスを静かに置いた。