新たな日常風景
その感情をわざわざ定義づけてやる必要は無い。
よく言う男と女としての好きとか何だとかってのはよく分からない。だけど俺は…俺達は
「バカ兄貴~」
「う~ん…」
「…たく、何変な顔してんのよ………ばーか」
誰かが手を伸ばしてくる。なら、俺はその手を握ればいい。
「ぅえ!? ちょ…な、な、なななな!!!」
そうだ。俺は…
「う、ん…大丈夫だから…な」
「い…い…い……いい加減にしろバカ兄貴ぃいいいいい!!!」
***
「妹よ。いったい俺に何があったというのだ」
「ふんだ。知らないわよばーか」
平時の如く愛希に叩き起こされた朝。不機嫌そうな顔は俺が目を覚ました時から変わらず、満を持してその理由を尋ねる。
いや朝食の時にも何回か尋ねてはいたのだがようやく返答らしきものが返ってきたのが四人揃っての通学路を歩いているこの時なのである。
「真一さん…だい、じょうぶ…ですか?」
すっ…といつの間にか隣に立っていた霞さんは俺の頬に手を添える。
「近い! 近いから! 霞さんはそのバカにそんな構わなくていいって」
「そういうわけには参りません」
どうやら俺は起床の際、クロスチョップ的な攻撃を食らったようで、その主はどうやら愛希らしいということが分かっている。誰がいつどこで何をどのようにというところまでは分かってはいるのだが…何故だろうか、というのが分からないのは兄として何とも心苦しいのだ。
「うーむ…」
「どうかしたのか明日香」
帝崎明日香。制服の上着をたなびかせながら堂々と俺達の前を歩む彼女は、そんな俺達を見ながら唸る。
「いや何…嫁としてはそうやって労わってやるべきなのだとは思うのだが…」
「の、だが?」
「……お主に出来た傷を上書きしてやりたい、とそんな思いが沸々と…」
「なるほど」
「いやいやいやいや!」
愛希が首を振っている。そして、何かを言おうとしたそんな時である。
「おーにーいちゃあん!」
この声は、と俺は両手を広げ、待ち構える。待ち構える。待ち構える。あれ? エラー?
「何だこの娘は」
「むふ! ふぅう!」
声の主、華凜ちゃんは闘牛士さながら明日香の操る俺の上着に突っ込み…囚われていた。
「いや闘牛士というのはそういうのではないと思うぞ」
そしてその後ろから俺の親友である友助が姿を現す。
「…と、そうだ助けないと」
「助ける、とは?」
駆け寄ろうとした友助が疑問の声を上げる。いや、何を言っているのか。
「ぁ…これ、おにいちゃんのにおい…はぁ…」
と、友助の態度に疑問を抱えていると、声が漏れる。それは、どこなく熱を持っていて、湿度を伴うようなそんな声だった。
「む…?」
明日香は眉を寄せ、再び自らの元に上着を寄せた。
「あぁ…!」
どこか名残を惜しむように、華凜ちゃんは声を上げた。
「それで真一。一体誰なのだ? この娘は」
「俺の親友の妹、士道華凜ちゃんだ」
「ふむ…そうか」
「それで華凜ちゃん。紹介しよう。俺の婚約者だという帝崎明日香だ」
「へえ…こんにゃく…こんや……えぇ!?」
「そしてこちらが同じく婚約者だという橘霞さんだ」
「……」
華凜ちゃんはあんぐりと口を開けたままである。
「ごらぁ! バカ兄貴! ちったあ華凜ちゃんのこと考えた言動しろバーカ!」
「誤魔化しても仕方がないだろう。正直な所、俺としても持て余しているしな」
「それは…そうだけど、さ…」
まあかく言う愛希も自分のことは口に出そうとしない辺り、色々と悩んでしまっているのだろう。そして、それはきっとどうするとしても、正しいことだと胸を張れはしないことだ。
「ところで友助。お前の見解を聞いてみたいのだが」
「ぬ、何だ」
誤魔化しというわけでもないが、そういえばと俺は友助に話題を振る。そして、先程の明日香の考えについて
「ふむ…なるほど。それはあれだろう。やはり配偶者…人生における大部分を共に過ごす者として、一番深く繋がる者としての矜持、とでも言えばいいのか。その者を最も傷付けていいのは自分である、とそういう動物のマーキングのような本能的なものだろう」
「何じゃいそりゃ」
愛希が呆れた(ギャグのつもりはない)声を出すが、それをそうであろうなと苦笑しながら、友助は続ける。
「これは情念の問題だ。で、あればそう割り切れるものばかりでもあるまい。そういうものがあるらしい、と付き合っていくしかないのであろう」
やれやれだな、と明日香は深く頷き、大きく溜息を吐いた。
「バッカじゃないの」
「はっはっは! そう気にすることはないぞ。感情などというものはわけのわからぬものだ。であれば抱く者は千差万別ということもあろう。そのような情念を抱かぬとて、薄情であるとかそういうわけでは決してないだろう。慈しみ、祈り、育む愛…そういうものも確かに尊く存在するのだ」
「……ばっかじゃにゃあの!!!」
かーわいいなぁと俺は愛希の頭を撫でると、顔を赤くした愛希は俺に向かってハイキックをかまそうとしてきた。ただ…この時、俺はそのパンツが見えそうな愛希よりも
「…そう…です…か…そういう、もの…なのでしょうか」
どこか俯く霞さんに心を配っていた。