狂いたいほどに
霞さん編…?になるようなならないような(愛希編も大概ですが)整理するかも
「なっ!? 家屋に侵入し話をしただと!?」
事の顛末を話すとさすがに明日香さえも驚いた。
「そうですか。静香さんが…」
しかし、霞さんは驚くことも無く静かに考え込んでいた。いや、内心では動揺しているのだろう、手が震えていた。
「…何かあったの? 霞さん」
「い、いえ!」
愛希が心配そうに尋ねる声を必死な様子で留める。それはなにかあったのだと明白なのだが
「霞さん。甲斐性が無いのは重々承知だが、それでも霞さんと共有したいんだ。言葉で伝えなくても八つ当たりとかでいいから」
伝える。伝えてほしいと。
「真一さん…」
「そうよ霞さん。バカ兄貴じゃ頼りになんないかもしんないけど私もいるし」
「そう、ですね……ありがとうございます…皆さん」
絞り出すように、しかし最後には笑みを浮かべながら霞さんは答えた。
「うん?」
その様子に、明日香は不審そうに首を傾げていた。
その後、解散して別れた俺たちだったが、個別に明日香を呼んで話をすることにした。
「何だ? 今は霞を気に懸けてやるべきだと思うのだが」
「…そのことについてだ。明日香、お前、何か気付いているのか?」
明日香は考え込む。あくまで首を傾げる程度で、気付き程度なのは俺にも分かるのだがそんなものでも知りたいと思う。
「そうだな。確かに明確な言葉で以て語れることではないのだが…」
断り、続ける。
「真一の言を聞いた時には特に何もなかったが、愛希の言葉を聞いた時、霞の声に何か、濁りのような感情が乗った。そんな気がしたのだ」
「…愛希に?」
濁りのような感情とは何だろう。そして、何故、明日香はそれと気付いたのだろうか。
「その辺りだが理解は出来ぬが直感は出来た。ふむ、そうさな。お主には分からぬものでもあるのやも知れんな」
どういうことだ、と問い返す間もなく…俺は押し倒されていた。
「えーっと…明日香?」
「そう言えば、この前、華凜と口づけを交わしたのだったか?」
交わしたと言うと語弊があるが言い訳できることでもないだろう。俺は華凜ちゃんを信用していたつもりだが、そんなものを望んでいないと友助や華凜ちゃんが幾度となく合図を出していただろうに、それを見逃していたのだ。
「潔いことだ」
馬乗りのまま、すぅっと唇をなぞる。
「なら、今、我がこうしていることに対して文句を言う筋合いはあるまいな?」
ぺろり、と。捕食するように、唇をなぞった指を舐める。
「いや、明日香の場合は止めても聞かないだろう?」
「ははは。そうだな。平時であればさすがに分別を弁えていただろうが…うむ。そうだな端的に言ってしまえば、そう…昂ぶっている」
明日香の長い髪が、俺の顔に覆い被さり少しくすぐったい。それをもどかしそうにどかし、明日香は俺の頬に手を添える。
「ん」
強く押し付けてくる。人工呼吸でもするように、唇を覆うくらいの勢いで、俺の意識を支配しようとしてきた。強いけれどどこか細いようでいて、しがみついてくるようである明日香のキスはかえって俺の頭を冷静にさせた…いや、実際のところはいっぱいいっぱいなのだが。
「ん…ふふ」
そして、暫くした後、何か面白いものでも見つけたように、ゆっくりと離す。
「なるほど。あれは存外、隙が多いというか未熟なのだな」
一人、納得するようにしてゆっくりと明日香は俺の身体から離れる。
「えーっと…」
一転してまるで賢者のように振る舞う明日香に対し、困惑する。
「…真一。確かにお前の考えはそこまで的を外してはいない」
俺がいて、愛希がいて、明日香がいて、霞さんがいて華凜ちゃんがいて友助がいる。
それを喜んで、守りたいと思うのが俺だけではないと、明日香はそう言った。
「だが当たり前の話、それは絶対ではない。我らをけして許さぬし相容れぬという者もいるであろうさ。が、問題なのは、それだけではなく…」
言いかけたが、言葉を切る。
「まあ精々、気を付けるといい」
そして、曖昧な忠告だけを残していくのだった。
その夜は中々寝付けなかった。夜目で天井を眺めながらゆっくりと考える。
霞さんの実家にはきっと俺のことが伝わっているのだろう。三…いや四股か。傍から見れば不誠実極まりないだろう。
そもそも始まりからしておかしいと言えばそうだ。そもそも三人も婚約者がいるというのがおかし…くはないのか? 分からんが、突然、押しかけて来られたのはこっちだと言えば、主張すれば通るのかもしれない。
しかし、それは嫌だ。どういう始まりであったとしても、俺たちはもう出会った。話をした。飯を食べた。同じ屋根の下で寝た。ぶつかり合った。
そして、好きになった。それはもしかしたら恋と言うやつではないかもしれない。けれど一緒にいたいと思う。触れ合いたいと思う。もし、俺だけでなくそう願うのならば、願ってくれるのなら、俺はどうすればいいのだろう?
そんなことを考えていた時、がちゃりとドアが開いた音がした…様な気がした。
目を向けると、ドアは閉まっている。気のせいか、と俺は目を閉じ、いい加減無理にでも眠ろうとした。その時、気付いた。
「…――」
気配だ。努めて、微弱ながらもどこか、想いのようなものが漏れているような。分からないけれど、見過ごしてはいけないと心のどこかが訴えかけるようなそんな幽かなものだ。
(霞さん…?)
薄目を開けて、様子を見る。そこにいたのは、確かに霞さんだった。けれど、俺を起こさないように慎重に動いている様子を見て、俺も寝ている振りをすることにした。
霞さんは、きっと俺が起きていると分かればいなくなる。そして、また見えなくなってしまう。
「…」
明日香がしたように、俺の腹の上に馬乗りになり、唇をなぞる。
「明日香さんと…明日香さんは…いつも真っ直ぐで…」
羨ましい。言葉を漏らしていく。本来なら、この場で言葉を発することは望ましくないことくらい霞さんにも分かるはずだが、それでも、漏れる声は止まらなかったのだろう。
「明日香さんは…お気付きだったのでしょうね。それで、あえてなお…」
細い指が首にかかるようで、悲鳴が喉元まで出かかった。
「ん」
そして、口を塞ぐ。どくどくと早める鼓動を、怪しまれないように収まれと願いながらも、しなだれかかってくる霞さんのふくよかな胸は俺の心臓を押し潰す。
「明日香さんの匂いがするような、気がします」
何かがぽたりと垂れた。涙か、汗か、はたまた涎か。確認することがままならないまま、霞さんを見守るしかなかった。
「真一さん…大好きです」
その声は、俺の心にじんわりと沁み渡った。
「だから私を…
ダメにしてください。
その声は、俺の心に突き刺さる。
意味が分からなかった。俺は、霞さんが好きで、それは同じだと思っていたが、分かり合えぬほど、異質なものであったのかと。焦燥が身を焦がす。
「私は、きっと真一さんしか愛することが出来ません…ですがこれはワガママになってしまうのでしょうね」
しゅるしゅると、衣擦れの音がする。
「真一さん…」
手を取られる。そしてゆっくりと…とてつもなく柔らかいものを掴まされた。手のひら辺りに何か押し出すような感触が…て!?
「!」
飛び起きる。見開いた眼には、驚いた眼をした霞さんと…暗い中でも分かる、その姿を焼きつける為に本能的に目が進化してしまいそうなほどに綺麗な肢体があった。
これ以上はダメだと思った。
「しん、いちさ…起きて…ぁ…そう、ですよね。私が迫っても、きっと受け入れては…」
「いや違う。ちょっと待って…!」
絶望するような霞さんの言葉を止めようとする。
けれど違う。今の霞さんを受け入れてはダメだと思ったけれど…と考えている中で気付いた。
以前の霞さんは、確かに借りものの意思でしかなくて、そこに霞さん自身が無いと思ったから止めた。だが、今は紛れもなく霞さんの真情だと改めて考えるとそう感じた。
ならば、何故止めるのか。それは、霞さんを拒否するということか。それなら、かける言葉なんて…
「っ! 申し訳…ありませんでした」
躊躇ってしまった。その隙はどうしようもなく俺たちの距離を開け、伸ばそうとした手は宙を切った。
疲れ果てた俺は、泥のように寝入って、しかし、明日があるだろうと考えていた。
そして、それは容易く裏切られた。
「バカ兄貴…霞さん、知らない…?」
翌朝、ひどく寝つきが悪かったまま、居間に降りると、愛希が心配そうに聞いてきた。
顔を合わせづらい、と考えながらも、霞さんの部屋に向かおうとしたところで、
「霞ならおらぬぞ。どうやら…実家に帰ったらしい」
霞さんの部屋から出て来た明日香の言葉に、頭が真っ白になった。




