橘霞はデレを知らない
私は、橘家の次女として生まれました。橘の家は、私欲に走ることを嫌悪し、自らを律することを最上とする家です。権力争いにかまけ荒廃させることなどあってはならないし、そうするくらいであれば己を捨て、安寧に尽くすべきであると。
私には妹がいました。妹は、寂しがり屋な面があり、多忙により家を留守にする両親の代わりに、家の者に当たりちらし迷惑をかけてしまいました。
私ももちろん妹の面倒を見ようと努めました。そして、その度に橘の家訓を聞かされたものです。
あぁせめて霞さまのように聡明な方になってくだされば―――
しかし、子供である私一人ではやはりたかが知れています。だから、すでに嫁入りした姉が度々面倒を見てくださいました。私は、それをせめて邪魔にならぬように、と。陰から支える様になりました。
『霞…あなたも我がままを言ってしまってもいいのよ』
お姉様は、ある日、私にそう言いました。しかし、私は気付いてしまいました。私は、その言葉に対して、返す心を持っていないことに。
もちろん、橘の家訓とは言っても最初から私が知っているわけも分かっているわけもありませんでした。しかし、私にはどうしようもなくしっくりして、陰のように空気のように生きることに、すっかりと慣れてしまっていたのです。
そんな折、です。私に婚約者がいる、と聞かされたのは。
私の心には、やはりなにもありませんでした。あぁ…そうなのですか、と。ただ霧散するように私の心に消えました。
※※※
「それでいいのだと思っていました。ただ受け入れていればいいのだろうと。けれど…」
それではいけないのだと、そう考えるようになった。
「…愛希の呼びかけか?」
「それもあります。けれどそれだけではありません。明日香さんも、華凜さんも…真一さんも自分の中で生じた想いがあります。私は…違う」
さらに、遠ざかるように霞さんは体を縮ませ、震わせる。
「皆様に比べたら、私の想いは想いですらありません」




