夜
いわゆる尾籠な話、ご不浄な話が出るかも。お食事中の方は申し訳ありません。
残酷な表現も登場します。
あと、切れが悪かったので少し長めになりました。
ラビがしばらく眠り、そして再び目を開けた時も景色はそのままだった。窓がないので当然なのだが、壁にかかっている時計だけが、今が深夜、それも夜明けに一番遠い時間帯である事を継げていた。
眠気を手繰りつつゆっくりと視線を巡らせ、身体を動かす。
多少ぎごちないが動きが戻ってきたようで、手のひらを広げ、また開いてみたりして微妙なずれを確認した。そしてゆっくりと周囲を見渡した。
巨大な拘束システムが目に入った。もちろん数時間前にラビ自身が囚われていたものだ。現在は停止していて、半開きになった巨大な腕の中には何も入っていない。
そこまで見て、ふとベッドサイドを見るとミミが寝ている。すやすやと幸せそうに仮眠ベッドで寝息をたてていた。
「……」
改めて見ると、ミミは相当な美少女だった。態度や言動が変でどうしても警戒してしまうが。
流れるような銀髪。人形のように均整のとれた美しい身体と顔。シーツからこぼれて見えている、シミひとつない素肌。
その美しさにラビはしばし見とれた。
以前のラビは結局、家族以外の女性と夜を過ごすなんて一生なかった。それを悔いた事だってそりゃ当然あるだけに、こんな風に『生まれ変わった』途端にこんな美少女が向こうから関わってきたという現実に、まぁ少々とまどうものがあるのも事実だった。
(まぁその……逆の意味で洒落にならない状況なんだが)
自分にかけられているシーツをまくり、何も身にまとっていない自分の身体を見る。
胸の上にうっすらともりあがった、明らかに男のそれとは違う、かわいらしい自己主張。
そしてそれとは逆に、あるべきものが喪失し、別のものが存在する股間のあたり。
かつてのラビの目線でも、まだセクシーというよりプリティという感じであろう……そして今の目線ではその状況がさらに深刻化し、自分でも驚くほどせいぜい「可愛い」としか見えない身体。
それは無理もない事だった。
ラビの今の状況をひとことで表現すると「かつて老人だった記憶を持つ少女」に近い。実際の少女としての人生を全く歩いていないので変化は露骨ではないが、こういう実際の肉体に関わる部分は別で、明らかに大きく変化してしまっていた。
たとえば、自分の身体でいわゆる用を足した事。
たとえば、風呂の中などで自分の身体をまじまじと見た事。
さらには、鬱積する不満を吐き出した事。
こういう記憶は薄められ、まるで映画のいちシーンでも見たかのように印象が書き換えられている。そういう調整がラビのもつ、かつての記憶全体に対して行われているわけだ。今の、ラビとしての新しい肉体に馴染むために。
ちなみに現在、この技術は一般化していない。少なくともこの星では採用される事がなかった。
それはそうだろう。
自分自身の心を書き換えてまで、無理やり異性の肉体を使う必要性がどこにあるというのか?
一部に「それでも」という層も存在したろう。でも声がそれほど大きくなかったため、技術で心を書き換えるという事を本能的に恐れる人々の気持ちの方が勝利を収めてしまった。
だからこの技術は一般化する事がなかった。
では、その遺棄技術がラビの身体に搭載されていたのはなぜか?
ラビは不思議に思うが、今さらそれを探る事は不可能に近い。
まぁ、この肉体が収容されていたポッドをもう一度調べたら何か出るかもしれないが、あれはもう一年以上前のこと。回収後は訓練に使ったくらいで以降、放置状態なので、今ごろは間違いなくルークの巡回に回収されているだろうし。
つまり現在、打てる手は何もない。
(しかし、なぁ。昔の私がこれ想像したら、何思っただろうな)
益体もない事を想像してしまうと、ラビの苦笑はひどくなる。
まがいものかもしれないが、ヒーローになれた。それはいい。
しかし同時にまさか、本物の女の子に変えられてしまうとは。
(ハハハ……どこの三文小説かって、なぁ)
何かの力を得た代償に、何かを失う。それはヒーロー誕生には定番の「はじまり」ではある。
たとえば、秘密組織に改造されてしまった男。
たとえば、なんとか生き延びたものの人間ではなくなってしまった者。
古い話までいえば、龍になった代わりに人としての生涯を失った男なんかもそれにあたるか。
なんにしろ「不自然に何かを得るのだから、何かを代償に失う」というのはまさに定番だ。
その意味でいうと、何年生きられるか知らないが延命し、しかも力まで得たラビは非常に恵まれているといえるだろう。
まぁ若者から、しかも女の子として人生をやり直すというのは、ひとつの人生を老齢まで生きてきた人間にとり、必ずしも恩恵とは言えないのだけど、その点をラビが自覚するのはずっと未来の事。
今のラビの中には「これでまた、もうしばらくはヒーロー活動を続けられる」という喜びが大きかった。そしてその感情が、かつての社会的立場を完全無欠に失い、真っ白な別人としてもう一度生きなくちゃならないという『人生』の重さを頭の外に追い出してしまっていた。
生粋の若者には理解しがたい感情だろうが、若いというのはそれ自体がひとつの財産なのだから。
とはいえ。
いい事ばかりではない。物語の主人公のようなわけにはいかない部分もあったのは事実だ。
特に、男性のシンボルを喪失したという衝撃は予想以上のものだった。そういう印象も薄められているはずなのだけど、その調整をもってもなお衝撃的で、ラビは昨夜、いちど錯乱しかけたのだ。
それに対応してくれたのがミミだった。
まるで彼女は、ラビのように性別の変わった人間に慣れきっているかのようだった。ラビに起きている混乱もしっかりと理解できているようで、暴走しかけたラビを巧みに誘導し、慰め、落ち着かせてくれた。とても女署長の義妹で家事手伝いという立場からはとても想像できない熟練者の行動だった。
おかげさまで、今朝もこうしてラビは落ち着いていられる。まぁ、ちょっと昨夜の余韻か、全身にまだムズムズ感が残っているけど。
本当に、この女の子は何者なのだろうか?
少なくとも、見た目よりはずっと歳をとっていそうなのだけど……もしかして女署長よりずっと年上なのではないか?そんな気もする。
だが、誰かが側にいるというのも悪くはない。
「ん。おはよ」
思考の海におぼれていたラビは、その声に反応するのが遅れた。
すやすや寝ていたミミが突然にむくっと起きてきた。まるでラビの葛藤に呼応するかのような微妙なタイミングだった。
そのまま起き上がり、ふわぁぁぁっとあくびのひとつもしていたミミだったが、ふとラビの顔を見て「ん?」と少し覗き込むような顔をして、
「あ、もう神経うまく働きだしたんだ。ほらちゃんと効果あったでしょう?」
そういって、ラビの顔を見てニッコリ笑った。
「……絶対関係ないと思う」
「あはは、現実認めないとダメだよー」
簡単に手探りで髪を整えつつ、ミミはそんなことを言った。
「あー、もしかして女の子に身体触らせた事とかなかった?子供の頃とか、誰かとお風呂に入った事はないの?」
「オフロって何だ?」
「そっか、このへんは温水のシャワーだったっけ。それじゃ誰かと入る習慣がそもそもないのかな」
「えっと?」
何か文化間の相違があったようだ。ミミは「むむ」と少し悩むような顔をしていたが、
「ボディ移動直後の神経接続はデリケートだらね。マッサージしたり刺激的なものを見たり、とにかく神経に刺激を与えてあげるのがスムーズな接続の近道なんだよ?昨夜、身体中さわりまくったのはつまりそういう事なわけで」
「ふうん。変なとこに指突っ込んだりしてたのも?」
「もちろんそうだよ?ちゃんと気持ちよかったでしょ?」
「……あのな」
突っ込んだつもりだったが、真顔で速攻で切り替えされたラビは思わず眉をしかめた。
「医学処置でいちいち恥ずかしがらないの。元男の子なら堂々と構えてなさいって。ま、あんまり慎みがないのも可愛くないけど」
「おまえに言われる覚えはない」
今度はラビの方が速攻切り返した。自覚があるらしいミミはケラケラと笑った。
「話戻すけど、今日はまだあまり無理できないよ?身体が馴染み切るのにもう一日は欲しいところだしね。
お姉ちゃんの尋問とか住民登録とかあるだろうし、今日は一日のんびりする事をオススメするよ?」
「尋問ねえ……?」
ふう、とラビはためいきをついたが、それはすぐに疑問符に変わった。言うまでもないのだが、
「住民登録って何?」
「元の人の証明ができないからね。ラビっていう女の子として再登録するしかないと思うよ?ま、性別変更手続きがいらないから楽とも言えるけどさ」
「はぁ?ちょっと待て」
ラビは「そんなの聞いてないぞ」と言わんばかりにミミの顔を見た。
「だって証明手段が自己申告しかないんでしょう?一般人の登録ならともかく、高機動ボディの登録はそれじゃ無理だよ?」
「いや、それはそうかもしれないけど、でも新たに登録って、そんな簡単に住民手続きなんかできるのかよ」
しかし今度はミミの方が眉をしかめた。
「普通は簡単じゃないよ。ラビちゃんの場合は簡単だけどね」
「どういう事だ?」
ラビの困惑顔にうふっとミミは微笑んだ。
「ラビちゃんって、一年は少なくとも戦ってきたよね?」
「ああ、そんなもんだな」
「その間に感謝状やらなにやら何件出たと思うの?」
そういうと、呆れたように笑い出した。
「ラビちゃんにはそれだけの実績があるって事だよ。で、そんなラビちゃんが正式に市民になりたいって言ったとして、それを拒むと思う?」
「……拒まないだろうな」
本当に想像もしてなかったのだろう。ラビは驚き、そして納得の顔になった。
「あきれた。本っっっ当にそういう事考えてなかったの?まったく?」
「ああ、今はじめて思い当たった」
「……」
はぁ、と半笑いでミミはためいきをついた。
「なんとなくお姉ちゃんの気持ちがわかった気がする」
「あ?」
「かわいい♪」
「ざけんな」
ひねくれたようなラビの返答にまたまたミミはクスクス笑った。
「公には、過激派の襲撃でラビちゃんの秘密アジトが破壊されたって公表されると思うよ。休眠にはいったところを狙われてラビちゃんも怪我しちゃったんだけど、そこを警察で保護して現在本署のサイボーグドックで緊急治療中ってね。
実際、警察としては本人の自己申告だけじゃ市民手続きできないけど、名誉市民については議会承認も通過済みなんだよね。もちろん決定時点では本人の身許が明らかになり次第っていう条件つきだったんだけど「証明のしようがない」だって、明らかになったという意味では同じ事だからね。
まぁ『名誉市民』が称号でなく本当の身分になっちゃうんだけど、似たような立場の人は普通の市民でも時々いるからね。問題ないでしょ」
「なるほど」
とりあえずラビは納得する事にした。色々と疑問がないでもなかったが、とりあえず今は棚上げする事にしたようだ。
ミミが起きる前の憂鬱な気分ももうバラけてしまっていたし、とりあえず起きようかと思ったのだが、
「……」
「どうしたの?」
「いや、服がないと思って」
シーツの下は全裸である。そして、着ていたはずの軍服も、下着すらもどこにもない。
「オレの服はどこ?」
「ん?あのボロボロの男物?処分しちゃったよーもちろ……」
「ほほぅ」
「……」
説明しようとしたミミだったが、ラビが少しジト目で見ているので声を止めた。
「なに?ラビちゃん」
「処分したって?いつ?オレの元の身体を処理した時か?」
「え?えええ?ラビちゃんの身体を処理ってどういうこと?それわたしじゃないよぉ、それやったのはあの男で」
「ほう、それは断定なのか?男がやったっていうのは状況からの推定じゃなかったのか?」
「……」
「あのな」
やれやれとラビは大きくためいきをついた。
「怒らないから疑問には正直に答えてくれないか?」
ラビは、ぽろりと胸がはだけるのを構わず起き上がった。
そして、ぽんとミミの肩に手を置いた。
「オレの事さんざ調べたんだろ?だったらせめてオレの性格くらいは把握してくれよ。
オレは悪い奴大嫌いだけどさ、それ以上に善人面して本当の善人を食い物にする偽善者は反吐が出るほど大嫌いなんだよ。
おまえらが何の思惑もなくオレを保護したなんて、そりゃあオレだって思っちゃいない。なんか理由がある、それはわかる。
だけど今はそれを問わない。理由があったって助けてくれた事には変わりないもんな。
だがせめて、オレに変な疑いばかり抱かせないでくれないか?
いい加減にしないと、オレはおまえらを危険な存在だと認識する事になるぞ。つまり、何か理由があれば法だの個人の尊厳だのは二の次って存在だと」
「もう単細胞なんだから。わかったわよ」
はぁ、とミミはためいきをついた。
「まず、お姉ちゃんも含めて警察は何もしてないわ。これは本当よ」
「……」
「ちょっと待ってね」
そう言うとミミは右手を掲げ、そして小さな声で『施錠』とつぶやき、そして手を戻した。
「今のは何だ?」
「この部屋を隔離したの。お話すんだら解除するから覚えててね。忘れると大変だから」
話を戻すわよ、とミミは言った。その態度はどこか、怪しげでふにゃふにゃであるいつものミミとは違っていた。
なんとなくラビもそんなミミに引きずられるように居住まいを正した。
「まぁ簡単に言えばラビ、あなたが欲しかったのよ。わたしでも動けないわけじゃないけどお姉ちゃんの立場があるし、何より重ドロイドの戦闘力なんてわたしは持ってないもの」
「犠牲にした男は?まさか?」
「ファンクラブの男?あれは本物。あいつ、あなたの本体が男だと知らなかったみたいで、意識のないあなたを射殺しようとしたのよ、ていうか実際に射殺したんだけどね。もうほとんど仮死状態だったとはいえ、そのあなたに二発ほどぶちこんで」
「……うわ」
「当人としては笑えない話よね、まったく」
渋い顔をしたラビにミミも苦笑した。
「簡単に要約するとね、警察側の記録と事実の差異は二つだけ。つまり男はあなたを殺したわけ。当人確認なき人格転送罪でなく彼は殺人犯ね。これは未遂でなく実際に殺してる、医学的にはあなたは死者よ。
だけど頭は無事だった。
身体が壊れていても人格転送はできるから、わたしはパラライザーで男を撃ってから装置を動かした。一秒でも無駄にすれば脳まで死亡してたからね、本当にぎりぎりだったのよ?装置の動作を確認してから、お姉ちゃんたちが到着する前に殺された元の身体をダストシュートに入れて、さらに作業ロボットに環境浄化を指令した。あの工場は都市用リサイクル式ジェネレータの真上にあって、ダストシュートが直結改造されている事は警察の調べでわかってたんだけど。
で、後は知っての通りよ」
「……」
ラビは大きくためいきをついた。
「そこまでしてオレの過去を処分した理由は?」
「ひとことで言うなら、あなたを逃したくなかった。それだけよ。どのみち、ボディ転送を行ったら過去は薄れるって知ってたからね。だったらそのほうがいいと思ったし」
「知ってた?」
「わたし戦争中スティカにいたの。いろいろあって仕様だけはね」
「……元軍人だったって事か?」
「違うわ。ま、そこのところは聞かないでもらえると助かるかな?」
「そうか……わかった」
別にミミの過去をほじくりたいわけではない。だからラビはそれ以上追求しなかった。
「しかし、それってかなり危険を犯してるだろ。なんでそこまで?」
「あなたという人材を買いたかったのよね。
どうしてもお手伝いしてほしい事があって。でも、それにはどうしても戦闘力が高く、頑強な肉体の持ち主が必要だった。
で、そんなとこにイシューラの使い手がいるんだもの。まさに運命の導きってやつでしょう?」
「イシューラ?」
「スティカ語で『姫戦士』って意味よ」
「ほう?女戦士じゃなくて姫戦士?」
「処女と護衛戦士から生まれた言葉だからね。あと、イシュールは同時に高貴ってニュアンスを含むんだよ?」
「高貴?」
「エロい小娘よりいいでしょ?」
「まぁね……確かに」
ドロイドに高貴という意味を持ち込むのは、この星では考えられないセンスだった。ラビは目をぱちくりとさせた。
だが、確かに悪くない。
「しかし、そうまでしてオレを買ってくれたのか。
そいつは光栄だけど、なんでお姉さんに言わないんだ?そういう案件ではないって事か?」
「うん、お姉ちゃんを巻き込みたくないっていうのがあったの。内容的に警察だと難しい立場になりかねなくてね」
「……おまえがそこまで言うって事は、本気でやばい案件って事か」
「うん」
大きくミミは頷いた。
「もっとも、あなたがご健在ならわたしも手を汚す必要はなかったんだよ、そのへんは考慮してよね?」
「あーうん、わかってる」
「どのみちお姉ちゃんも認めた正義漢のあなただもの、きちんと理を尽くせば協力してくれるとは踏んでたわけだけど……正直ほんと大変だったんだからね」
「そうか。悪かったな」
ラビは少し考え込み、そして頷いた。
「オレの人格転送についての結論はとりあえず先送りする。どうしておまえがそこまでしてオレを引きずり出したかったのか気になるからな。ま、この件が終わったらきっちり結論づけるが」
「それでいいわ。考慮ありがとう、本当に感謝するわ」
ミミも大きく頷いた。そのさまは全く嫌みがなく、それどころか貴婦人の優雅ささえも感じられるものだった。
一瞬目をパチクリしたラビだったが、その瞬間の自分の直感にそのまま従った。
つまり、いささか古臭い書式だったが、冒険者や戦士が契約する時のフォーマットに従ったのだ。
座ったままだが姿勢を正し、そして左手を左胸に起き、宣誓をした。
「オレの信ずる正義と君の望みの向かう先が同じである限り、オレは君に手を貸そう。死からも蘇る砂漠の死生虫より賜りしこの名、ラビをもって誓おう」
その声は、無機質な作業室兼仮眠室の中に、静かに、しかし確かに響き渡った。
「……」
その反応にはさすがのミミも一瞬だけ息を飲んだが、やがて彼女も動き出した。
これまた小さく微笑むと自分の胸を抱くように前で両手をクロスさせて小さくおじぎをしたのだ。
「ありがとうございます、では私も。
戦士ラビに命を預けし者として、自分の望みに反しない限り決してあなたの道を妨げない事、そして万が一それに反した時はそれを告げ、穏やかに去る事を誓いましょう。ミ・モルガン・マウの名にかけて」
「感謝を」
「感謝を」
お互いにベッドの上、しかもラビは裸、とどめに外見は少女同士というありさまだったが、その瞬間だけはどこかの王侯貴族と騎士といった風情になった。
刹那、この芝居がかったポーズをどちらともなく崩すとクスクスとふたり笑い出す。
「まさか正式に返礼されるとは思わなかったな。外国人なのによくこんな古い風習知ってたな」
「お互いさまじゃないかしら、これ第四紀の風習でしょう?」
ふたりは声もなく笑いあった。
この瞬間、ラビの抱いていたミミへの警戒感は大きく減少した。正体や思惑については要注意だが、人間としては危険ではないと。その考えはある意味とても甘いのだが、この先の事を思えば二人が手を組むのは確かに正解だった。
「ん?マウ?」
ふと、ミミが宣誓に使った名前の最後がラビは気になった。
「ああそれ旦那様の名字。ずっと昔だけどわたし結婚してたのよ。死別しちゃったんだけどね」
「へぇ」
旦那と分かれても名を残しているのは珍しいと思ったが、文化の差だろうとラビは考えた。
「お姉ちゃんには内緒だよ?ラビちゃんの誠意に答えて名乗ったんだからね?」
「承知した」
まぁ、見た目からして完全に年齢不詳だし異星人でもある。結婚歴があっても不思議はないだろう。
「じゃあ、そろそろ本題に入るわね。いいかしら?」
「ああ」
ミミは目覚めのあられもない恰好のままだが、きちんと居住まいをただした。するとその途端、先刻にも感じたまるで貴婦人のような落ち着いた艶やかさがミミを包んだ。
「……」
ラビはそんなミミを見て、おそらくこっちが彼女本来の姿なんだろうなとぼんやりと考えていた。
「これは」
数枚のデジタル写真を前にしてラビは絶句していた。
投影システムで二人の眼前に結ばれたスクリーン映像に、数枚の写真が写されていた。その中には「あってはならない」光景が展開されていて、ラビは思わずグッと叫びだしそうになるのをこらえなくてはならなかった。
広くて暗い空間に並ぶ、無数の大きな円筒形のガラス水槽。
その中にぽっかりと浮かぶ女の影、影、影。
液体の中に浮かび、養分などをおそらく供給されている。
手足は鎖のようなもので繋がれているのが多いが、根元からばっさり切り取られているものもいる。どう見ても同意の上でそこにいるとは思えない姿。
そして膨れた腹。おそらく妊娠末期。
「ドロイド体用の加速出産施設よ。それなりの条件を揃えれば、出産可能な有機ドロイドは増産プラントとしても転用できるからね。ま、有機ドロイドの量産って合法の卵タイプだって結局は同じ原理だし」
「そんな事は知ってる」
じろりとラビの目がミミに向いた。
「でもなぜそれをこの国でやる?この星の上にこれを合法とする地域はないはずだぞ」
有機ドロイドに仮とはいえ人権が認められて百年も過ぎている。世代も代わり、混血も進んでおり、この国ではドロイド由来の人間も普通の人間も、区別の必要もないほど普通に混在しきっている。
未だに一部差別が問題となっているが、さすがに素で道具扱いする者はほとんどいない。
なのに、工場プラントに組み込んでしまうなんて。
「へぇ、これがこの星にあるっていうのはわかるんだ?どうして?」
ラビと違い、ミミは別のことに興味がわいたようだった。ふうんと目をラビの方に向けた。
「オレを試してるのか?まぁいいけどな。これだよ」
ラビは一枚の写真の一角を指差した。
「赤字の張り紙があるが、リュートスの飾り文字じゃないかこれ。古い書き方だが『安全第一』とあるぞ」
「理由はそれだけ?そっくりな異星の言葉かもしれないわよ?」
「合理的にはな、だがオレは間違いないと思う」
「根拠は?」
「なんとなく。あくまで勘だな」
ラビは大きく頷いた。
「この場所はこの国、そしてこのロディアーヌから遠くない……そうだな、これだけの規模の工場を問題なく隠せるとこだから、イドコ山脈の袂か、隣のメリウム平原の地下じゃないか?
あのへんには、地下水を集めてよこに流すための巨大な大深度地下ポンプ設備がある。その規模をちょっと水増しすれば、この程度の設備を作るには充分すぎる。都市から遠すぎて好事家もまず来ないだろうしな」
「……」
ミミは唖然としてラビの顔を見ていたが、やがて「うふ、うふふふふ」とクスクス笑い出した。
「なんだよ、気持ち悪いな」
「あはははは、ううんごめんなさい。でも、おかし……あははは!」
そうしてしばらく笑っていたミミだったが、やがてうんうんと頷いた。
「その予想はほぼ正しいわ。こちらで突き止めた場所はメリウム中央市の大深度地下。ご指摘の通り、地下ポンプ施設と並んで作られているわ。あそこは超のつく巨大空間なのに一般人は基本的に入ってこないものね」
そして、クスクスとまた笑った。
「わたしがあなたに頼みたいのは、護衛。この写真を撮った者はこれが限界で、そして帰ってこなかった。わたしは座標データ入りの写真と映像記録をとってこれを告発したいの」
「なるほど」
どう見ても個人の組織ではないだろう。場所からして政府関連の人間がからんでおり、そのため警察では手を出しづらいのだろう。
なるほどとラビは思った。これなら、ここまでしてラビを巻き込んだ理由もわかる。
「うん、わかった」
ラビは大きく頷いた。
「といってもオレだってこういうのは素人だ。どこまで役にたてるかはわからないぞ」
「わたし格闘戦って全然ダメだもの。そりゃわたしだって防御だけなら大抵の自信はあるけど、それじゃ奥深くに侵入した挙句任務を果たして帰還なんてできやしない。攻撃して活路を開く者がいないとね。
だからあなたに目をつけたわけ。わかった?」
そう言うと、ミミはにっこりと子供のように笑って見せたのだった。