転生
本日は内容の都合上、二話連続更新です。続けて読みたい場合はすみません、ひとつ戻ってください。
そこは死の入り口。少なくとも彼はそう考えていた。
夕映えの鈍い赤と、そして黒。黄昏が世界を覆い尽くしていた。そしてその中で、ただ彼はゆっくりと、どこかに向かって流されていた。
伝説にある黄泉の国などというものが本当にあるのかは知らない。だがもしあるとしたら、おそらくその入り口はこういうものなんじゃないかと彼は考えていた。ただ不思議なのは、おそらく死んだであろう自分がその事を認識できるという、なんとも不思議な事実だった。
もしかして、これが臨死体験というものだろうか?
行き先は寂しげで、あまり温かみがない。だけど恐ろしいとは思わなかった。彼は来世だの生まれ変わりだのという事を信じてはいなかったから、その向こうにあるのは消滅なのだろうと思っていた。
だけど。
なぜだろう。その入り口には今、ひとりの見知らぬ女の子が立ち塞がっていた。
見知らぬ?
いや、そんなわけはない。彼は彼女をよく知っていた。知らないわけがなかった。
「待っていたよ」
知らない声。いや、よく知っているが知らない声。
なぜなら彼は彼女の声を「自分の発した声」として聞いた事しかないからだ。
ラビ。
そう、彼が演じていた偽者のヒーローの姿。
「違うでしょ」
しかし、彼がそんな事を考えた途端、女の子は頬をふくらませた。
女の子っぽい口調とあいまって本当にかわいらしかった。思わず彼は、ほっこりしてしまった。
同じ容姿のはずなのに、彼女はまるで別人だった。
赤毛の短髪もぼろぼろの軍服姿も全く変わりがないというのに、ちょっとした仕草や言葉遣いが違うだけだというのに、角のとれた柔和な雰囲気をまとっている。
中の人格が違えば、ひとの印象とはこうも変わるものなのか。
もっともラビの方はそんな彼の目線など、どうでもいいようだった。
「生まれがどうあれ、わたしたちはあなたの言うヒーローってやつなんだと思うよ?だってみんなそう言ってたじゃない」
それは実態を知らないからではないだろうか?
中身が老人とわかれば、おそらく返ってくる印象は全然違うはず。
だけど彼がそう思うと、
「あっははは、それ言うならベルナ級ってバレてるわたしだってそうじゃん」
女の子はそう言って、ケラケラと笑った。
「ベルナ級が女の子の姿をしているのは相手をあざむいて効率よく敵を殺すためでしょう?兵士は男が圧倒的に多いから特に『女の子』は殺しにくいわけだしね。
それに女の子として設計されている理由にはもちろん、そういう意味もある。知ってるでしょ?」
それはまあ、確かにその通りだった。
ベルナとは古語で小娘とか女学生という意味だし、軍の女性型ドロイドに対する偏見たっぷりの世評は彼もよく知っている。いわゆるラブドールと区別のつかない愚か者さえいる始末だ。
「わたしたちはね、個々のパーツだけ見れば、薄汚いまがい物にすぎないのかもしれない。だけど手をとりあう事でヒーローになれたと思うんだよ。違うかな?」
さあね。
そろそろ彼もこの邂逅の意味に気づいてきた。
そもそもラビ自体には人格はない。ラビのハードウェアは確かに一個の人格を持てるが、人格を育てるという行為を軍も、そして彼も一度も行わなかったからだ。ラビの脳細胞は程よく発達していたが、それは彼の人格を読み込み実行させるための土台にすぎなかった。だから固有の人格を発現する事も最後までなかったはず。
だから目の前にいるラビの幻影の正体とはつまり、死に瀕して彼自身の生み出した幻影なのだろうと。
だが。
「違うよー」
うふふとラビは笑った。
「まぁ起きたら、起こしてくれた人に話をきくといいよ」
起きる?
彼が倒れたのは誰もいない場所。あの場所は誰も知らず、知られるようなへまをした覚えもない。つまり助けはありえない。
だが。
「甘いなぁ。ほんっとに甘い。やっぱりサポートが必要だね」
うんうんと頷くラビ。
その笑いに彼は、どう反応したもんかとためいきをついた。
目覚めはあまりにも唐突だった。
彼は最初、全く動く事もなかった。自分が生きているという感覚もなく、ただそこに存在するだけだった。生と死の境界がどことなく曖昧で、それは自分の目の前に見える光景が、死後のどこかで見る幻影か何かのようにしか感じられなかった。
だが。
「おはよー」
それをのぞき込む女の子。どういうわけかそれは、あの警察の娘にして家事手伝いというあの女の子だった。
かわいらしい顔で、しかしこれ以上なく不気味に「にやぁ」と笑う。その顔にはじめて彼はピクッと反応した。
「……変なの出た」
「えええ、最初のひとことがそれ?ひどいなもう」
ひどいと言いつつも笑っている。その笑いも不気味でドン引きしそうになったのだが、次の瞬間、全く動けない事に彼は気づいた。
「あ、まだ動けないよ。意識とボディがうまく同期してないから拘束具つけてるんだって。暴走しちゃったら大変だからねー」
「ここ、どこだ?」
自分の声に違和感を覚えつつ問いかける。
「もちろん警察、サイボーグ用ドックの中だよ。ほんっと、あぶなかったんだからね?」
「……何だって?」
その言葉でソレは自分の立場を理解した。意識を沈め、いつものように通信ステータスチェックをしようとする。
だが、
「通信不能?」
「そりゃそうでしょ、今のラビちゃんってリモコンじゃないよ?」
「なんだって?バカな、だってこの身体は」
彼は目を剥いた。なぜなら、自分の身体が老人でなく『ラビ』だからだ。
確かに『ラビ』は彼のもうひとつの身体と言えた。だが現実には体感ゲームと同じだったわけで、通信システムの助けなしには彼は『ラビ』たりえないはずだった。
なのに、通信なしでリアルに『ラビ』になっている。
……という事は?
その刹那、夢の中で困ったように微笑んだ『ラビ』を思い出した。死に向かっていた彼の目の前に立ち塞がった『ラビ』。その笑顔。
あれはまさか……『ラビ』に自分の意識が取り込まれたって事なのだろうか?
「……うそだろ」
さすがに目が点になった。可能性がゼロだったとは言わないが、あまりにも低すぎて想定すらしていない事態だった。
おそらく今、彼、いやラビの顔は盛大にひきつっている事だろう。
「ちょっと待て。いったい何がどうなってるんだ?そんなバカな」
ラビはとにかく状況を知ろうと考えた。まぁ無理もないだろう。
「それについては私に説明させて貰えるかしら?」
女の子の顔の横に、まだ記憶に新しい女警察署長の顔が現われた。
ちなみに今の状況を解説すると、ラビは巨大な重機の中に閉じ込められている。
それは重サイボーグの暴走を食い止めるためのものだが、そのせいでラビはピクリとも動く事ができない。で、女の子と女署長は、わざわざ身体を乗り出してラビに見えるよう顔を覗かせているのである。
「あのねラビさん、あんまり私たちの捜査力をナメないで欲しいのだけど?あなたが出動している時間に限って旧軍用ネットワークの使用率が跳ね上がる現象はとっくの昔に把握してたわけで、何らかの支援システムが地下にある事は推測されていたの。当たり前でしょう?」
「それは」
なるほど、確かに警察の力を舐めすぎていたかもしれない。
「もっとも私たち警察としては、この先に踏み込むにはもう一段階踏む必要があって、そのためにあなたにコンタクトをとったんだけどね。
ルーク団の方でも近いところまで推測してたけど、地下ネットの情報は私たち警察の管轄だから把握できなかったらしいのよ。で、彼らと情報交換して、おそらくあなたの身体がリモコンだろう事までは推測した。それが白兵戦のためなのか、他の理由があるのかはわからなかったけどね。
で、最後のあの言動でしょう?妹の進言もあって、私たちは想定される本拠地と思われるエリアに突入を試みたというわけ。中のひとが何らかの形で疲弊している可能性も指摘されていたし、こうなったら強制保護もありうるという事でね」
「……」
ふう、とラビはためいきをついた。
「じゃあ、わた…もといオレがこの身体なのは何故?法的にこれはまずいんじゃないのか?警察が違法行為をしてどうする?」
中のひと、つまり倒れている老人を彼らは見たのだろう。なのになぜ、異性であるラビの身体に自分を入れたのか。警察としては情報入手のために緊急回避としてそうしたのかもしれないが、明らかにこれは違法行為ではないのか。
ところが。
「あなたの元の身体?んー、よくわからないけど、私たちは違法行為なんて何もしてないわよ?」
「は?」
困ったような女署長の反応に、ラビは眉をしかめた。
「何を隠してる?全部話せ」
「……あのねラビさん、その口調どうにかならない?バーでお話した時はそこまで堂々の男言葉じゃなかったわよね?一人称は確かにオレだったけど、言葉遣い自体はもう少し丁寧だったと思うんだけど?
それに今、私と言おうとしてわざわざオレって訂正したのもどうして?私なら私でいいじゃないの」
「いや、正体わかったんなら隠しても仕方ないだろうし。それに『私』を『オレ』にしてるのは性別でなく年齢対策っていうかキャラづけなんで」
その言い方は間違いではないが、実は言い訳でもあった。実はこの時、ラビは無意識に男言葉を使おう、使おうとしていた。
だがまぁ、それは今はいいだろう。
「キャラづけ??」
むむ、と女署長はしばし考え込み、そして恐る恐る言った。
「んー、もし違ってたらごめんね。もしかしてラビさんて……男性だったの?」
「いや、もしかしても何も見たんだろ?」
「あーそれがね」
ぼりぼりと頭をかく女署長。警察の面目丸つぶれなんだけどねー、などと少し情けなさそうに嘆く。
「あなたに中のひとがいた、というのはわかってるんだけど、何者なのかはわかってないのよね。私たちが乗り込んだ時には処分された後だったし」
「……なんだそりゃ?どういう事だよ?」
「いやぁそれがねー」
「いいから話して」
「……」
女署長はしばらく悩んでいたが、わかったと言わんばかりに頷いた。
「私たちが踏み込む前に踏み込んでる奴がいたのよ。本人いわく『ラビファンクラブ会長』だったかしら」
「……はぁ?」
なんですかそれ、という顔でラビは、まじまじと女署長の顔を見上げた。