現実
裏通りとはいえ、明るい光と音楽のあるバーから少し離れた場所。
そこはスラムの最奥部。土地に残る毒素のために破棄されており、スラムの住人ですら若者は決して近寄らない場所。いるとすればせいぜい、そもそも削られる余命を持たないような、老い先短い年寄りだけという場所。
そんなスラムのさらに深奥にある、忘れられた旧時代の廃工場。そのまたさらに奥のはしに、その施設は存在した。
おそらく、それは旧軍の秘密基地。
ドロイドや無人機をそこからコントロールし、戦うための場所だったところ。
そうした設備は戦後、すべて接収されたはずだった。しかし長い戦いは時として、こうした忘れ形見を残してしまうものだ。なんの奇跡か破壊を免れたらしいこの施設は今も生きており、そして、何者かの手でロディアーヌ市を支えるコ・ジェネレータシステムにこっそりと接続されていた。もちろんそれ自体は法的に色々とまずいのだろうけど、それをいうならスラムだって法的にはそうなわけで、ここもそうした、法の隙間をくぐり抜けるようにして生き延びていた。
そんな、闇と死に半分包まれたような世界にあって、その部屋にだけは光があった。
部屋の中には様々な計器や何かのシステム、そしてドロイド用のメンテナンスベッドがあった。さらにその横には人間用のベッドがあり、みすぼらしい老人がまるで死んだように眠り続けている。老人にはいくつかの電極がとりつけられていて、それはコンピュータやいくつかの医療機器に伸びている。
いくつかの機器のメーター値は、たとえ専門家でなくとも異常とわかる値を示している。特に健康関連がひどい。
そう。老人はまさに、ぎりぎり生きているに等しい状態だった。
やがて、タッタッタッと音をたててラビが飛び込んできた。キイッと重い音と共にドアが閉じた。
ちらりと周囲をチェックするように見て、そしてメンテナンスベッドに横たわる。ピッと何かのスイッチが入り、そのままラビは昏睡に入る。
次の瞬間、老人がピクッと動いた。
「……」
老人は起き上がった。壁にあるモニターのいくつかは「安静が必要」「危険」などの値をいくつも示している。
「……ドックでメンテナンス?民間協力者として合法扱い?」
笑っているとも泣いているともつかない、自嘲を秘めた声。
「まさか、私にそんな資格はないさ。皆を騙すような偽者が本物のヒーローのわけがない」
クックク、と悲しげな声。その目線はメンテナンスベッドのラビに注がれている。
「……」
ラビはまるで死んだように眠っていた。そう、たった今まで老人がそうだったように。
老人は引退したエンジニアだった。
年老いて仕事を退いてはいたが、今でもある程度の知識と経験を維持していた。さすがに最新の技術にはついていけないが、世の中、常に何でも最新で成り立つわけではない。特に技術分野はそうで、円熟すればするほどインフラには古いものも共存するのが当たり前で、彼はそうしたものを糧に、ぎりぎり生きているような存在だった。
悪い言葉でいえば、エンジニア崩れの年寄り。
だが、彼はそれでもいいと思っていた。
何もなくてもいい。生を楽しみ、そして時がきたら穏やかに去る。それだけで自分は満足だと考えていたのだ。
そんな彼に転機が訪れたのは、とある暑い日。
ほんの偶然から、彼は忘れられた戦闘ドロイドを見つけてしまった。
少女タイプで、データも書類もない。砂漠に埋もれた輸送カプセルの中で、休眠状態のままだった。あきれた事に通し番号すらもなかった。ただし入っていたカプセルから推測するに、たぶんスティカ……つまり敵側のものだった事だけがわかった。
だがなぜ、未設定の敵のドロイドがこんなところに?
詳細がわかればわかるほど、その「なぜ」は深まっていった。
飛行システムなどの付加装備のない完全な人間タイプで、おそらくは白兵戦用だろう。筋肉システムなどが明らかに大出力むけのものだったから、ベルナ級であろうと彼は推測した。これはサイボーグの交換ボディにするか、あるいは遠隔操作でリモコンするか、運用方法としてはどちらかという事になるのだが。
だが、なぜ未設定で、しかも敵国の砂漠に埋もれていたのか?
わからない。
とはいえ、現物がなんなのかはわかったわけで、とるべき対応も決まっていた。
感覚としては不発弾を掘り出したようなものだ。確かにサイボーグとしても利用できるが、それは戦車を一般人が売るようなものだ。つまり、まっとうな筋には売れない。
これが男の子なら老人自身が若返るのに使えるが、残念ながら女の子。ベルナ級をわざわざ性別適合手術させるなんて大笑いもいいところだし、そもそも性別変更したところでベルナ級は『兵器』だ。一般人が義体として使いたいなんて言った日には、頭の神経を疑われるだろう。
まぁ、不発弾よろしく通報するのが筋だと老人は思った。
だが。
『……』
老人は悩んだ末、これを届けず持ち帰った。
少女の姿と肉体を持つとはいえ、こいつは本物の戦闘ドロイドなのだ。しかも現在、この国では禁止されている大出力の白兵戦タイプ。
空を飛ぶ事こそできない。
だが、力比べでこいつに勝てる生き物なぞこの星には存在しない。とどめに、本来持つべき疑似人格をこれはまだ持っていない。完全な真っ白だった。
それを知ってしまった時、彼は、忘れていた遠い昔のことを思い出してしまった。
平凡だった自分の人生。そして遠い、小さい頃の憧れ。
ヒーローになりたい。
『……』
自分の手を見た。
干からびてボロボロの左手。老化で神経を痛めて以来、自由に動かない右手。
足だって似たようなものだ。
いや、それをいうなら、不純物が増えて濁った眼球だってそうだろう。
ひとの身体には、そのひとの人生が刻まれている。
サイボーグ化するようなお金は持っていない。老人は昔とった杵柄で機械の扱いこそ旨かったが、それがなければ、国に保護されなくてはならないレベルの貧乏人だったから。
そして彼自身も、それを苦笑はしても悔いてはいなかった。
このまま老いて、やがてこの身体が使えなくなったら死ぬ。それが自分の平凡な人生の全てだと思っていた。
思っていたのに。
『……』
目の前には少女。いや、少女の姿をした『空っぽ』の戦闘ドロイド。
『……』
もう一度、じっと両手を見た。
『中に……入らなきゃいいんだろう?』
自分の肉体にするのがダメなら、リモコンすればいいじゃないか。
それはほとんど、パンがダメならお菓子を食べればいいじゃないのノリだったが、あいにく彼を止める者はいなかった。
確かに、自分の肉体をドロイドに変えるわけじゃないから、その方面では罰せられない。リモコンの場合はむしろ道路交通法の問題なのだけど、このボディは有機タイプだった。この星の法律ではこの場合、馬に乗るのと大差ない。要はちゃんと交通ルールを守っていれば、免許すらいらない。
もちろんその理屈は、戦車で道路を走るのは大型特殊でいいよねってくらいの豪快すぎる理屈なのだが。
でも、それでも彼には、それがベストの解決方法に思えたのだ。
それに、彼は別に若返りたいわけではない。 別人になってもう一度人生をやりたいとは思ってなかった。
彼がなりたいのは『ヒーロー』。
一瞬のきらめきでもいい。残り少ない人生を使い、子供のころに憧れた存在になりたい。
『手はある』
もう一度、何か恐れるように老人は言った。
実際、彼にはリモコン制御の知識があった。それどころか、放置されているリモコンシステムの心当たりすらもあった。さすがに自分には必要ないと、見つけた時はスルーしていたものだけど。
ロディアーヌ市のスラムの下。スラムの住人ですらまず近づかない、有害危険区画の底に残っているソレ。
これなら違法ではない。あくまで老人は老人のままで、車に乗るように少女のボディを「運転している」だけなのだから。
なんとも抜け穴臭がするが、それこそ今さらだろう。
あからさまに法を犯しつつヒーローなんて老人の性格では無理だった。いやそもそも、その真面目すぎる性格ゆえに老人は貧乏だったし、冴えない人生を送ってきたとも言える。
この方法なら言い訳が立つ。老人はそう結論づけたわけだ。
もっとも、もちろん問題もある。
この方法は、老人の弱り切った身体を急激に蝕むだろう。体感システムのフィードバック、そして思考加速に耐えうる強さを彼の身体も、頭脳ももう持っていない。
いや、だがしかし。
『かまわん』
どうせ長くない命。
今さら死を恐れてどうなる。ひとは必ず死ぬ。そしてそれはもう遠くない。
ならば。
『どうせ未来がないのなら、思い切りやってから死にたいじゃないか、なぁ?』
細く長く生きるのは、もう疲れた。
あの日の夢が叶えられるというのなら、たとえそれが一瞬の輝きだったとしても悔いはない。
ロディアーヌ市に謎のヒーロー『ラビ』が生まれた瞬間だった。
もっとも、いかに高出力の重ドロイドとはいえ素人操縦である。当初ははっきりいって「どこかのガキがドロイドボディを使っている」に近かったのも事実だ。
だが不器用なりにも活躍するようになり、やがて老人なりに努力を重ねた事もあり、みるみるその評価は上がっていった。無骨なスタイルとはいえ、中身がかわいらしい少女の容姿だったのも味方し、ラビに好意的な者は増えていった。
そして、一度そうなると本来、マイナス要素である彼女の衣装も個性となった。
『可愛い顔と姿なのに無骨で粗末な軍服を着込み、その小さな身体と知恵で戦う赤毛のサイボーグ娘』
それが一般的なラビの評価だった。ラビ本人は嫌がっているが『鉄拳』なる恥ずかしい渾名もそうした中で生まれたものだった。
まぁ、多少の問題はあった。
だが、まがりなりにも素人しかも文民の年寄りが若きヒーローになれたのである。ヒーローでなくヒロインではないのかとか、そういう細かいツッコミはともかくその時点で充分に凄い事であろう。
老人は部屋の奥に入っていくと、携帯食料を手に持ち戻ってきた。
単なる薄茶色のブロックだった。
食べてどうするというものでもなく、ただ単に胃腸を働かせるためのものだった。栄養補給はベッドの方でシステムがやってくれるが、それでは消化器も、筋肉もなんの仕事もできず、それが病気の元となる。こうやって定期的に実際に身体を動かし、ものを食べたりするのは人型を遠隔操作する業務をする者の基本だった。
もそもそと食料を食べる。
それは食事というより単なる補給だった。そして食べる老人にも力がなく、しばし眠るように動きを止めたりしつつ、ゆっくりと老人は食べ続けた。
だが。
「!」
グッ、と何かを吐き出すかのように身体が動いた。そしてそのままバタンと大きな音をたてて床に倒れ込んだ。
「ぅ……」
老人の手がメンテナンスベッドの方に伸びる。そこには『ラビ』が眠ったままだ。
「……」
もがきつつ、そして彼は唐突に理解した。
どうやら終わりが来たようだ。もう長くないどころか、どうやら先刻の会話がもう限界だったらしい。
なんて間抜けな。
「……ふ……ふ……はは……」
もう動かない身体。あきらめたように老人は、そのまま床に伸びた。
「……なんともまぁ。私なんぞには相応しい、なんとも……くだらん終わり方じゃないか」
誰にも看取られず、スラムの奥のまた底の、忘れられたような暗い廃工場。ひっそりと朽ちる汚い年寄り。
おそらく彼は永遠に発見されないか、あるいはスラムの再開発のおりに偶然見つかる程度なのだろう。その頃には彼は完全に白骨になっているし、ラビすらも腐敗で原型をとどめてはいないだろう。今ラビは休眠中でなくスタンバイだから、体内のエネルギーを使い切れば普通の生物のように『餓死』してしまうからだ。さっきのミルクで少しは長持ちするかもしれないが。
いや、それでいい。その頃には『ラビ』を覚えている者などいないだろうが、それでも『ラビ』であるとわからない方がいいに違いない。
「……」
もう一度、寝台の上に眠る「仮の自分だったもの」を見る。
「……せめて最後くらい……」
それが少女のボディなのは成り行きにすぎなかった。それに老人は男だったから、女装するなんてそもそも考えもしなかった。
「……」
だがこうして届かなくなって改めて見ると、ラビがなかなか美少女である事に改めて老人は気づいた。まったくもって「今さら」であったが。
外見だけとはいえ、こんなかわいらしい娘にまともな服のひとつも着せる事のなかった自分。
なるほど、一生涯野暮天で暮らしただけの事はあると老人は自嘲した。
「……悪かったな」
その小さな謝罪は誰に向けたものだったのか。
意識がゆっくりと遠くなる。景色が暗くなっていく。
老人はそのまま意識を手放し、
そして、それで全てが終わった。