エピローグ[1]
第一章の終わりにとりかかります。
ここしばらくでラビの生活は本当に大きく変わった。
まぁそもそも、ラビが今のラビになったのが最大の変化と言ってしまえば身も蓋もないわけだが、そういう問題を抜きにしても変化はたくさんあり、中でも最大のものがラビの社会的な立ち位置だった。
以前のラビを一言でいえば、正体不明のヒーロー。
現在のラビを一言でいえば、ロディーアヌの名誉市民であり治安維持協力者。
つまり、法的なバックエンドがきちんと整備された事で、ラビのソーシャルな立ち位置も大きく変化した。
事件の関係でうやむやになっていた事だけど、この点はミミたちモルガン姉妹、それとミクトの手によって正式に、そして問答無用に進められた。
まず、ミクトが持ってきたルークのサポート船を、ラビ用施設とする事。
さらにラビの所属を正式に警察の民間協力者とする事。
私宅はルーク本部の宿舎に設け、代わりにサポート船の普段の定位置はロディアーヌ警察署の敷地内とする事。
ラビは本来、警察にもルークにもどちらにも属さないわけだが、個人であるしその体と職務上、全くのノーメンテはよくない。そして安全を確保しつつ、さらに警察・ルークどちらにも偏りなるべく双方でバランスを崩さないよう、色々と知恵が絞られた。
これらの事は警察とルークの協力体制の確立にも貢献を果たし、ロディアーヌの治安などの強化にもつながっていくのだが、まぁそれは後の時代の事。今、これらの事でもっとも喜んだのは、最新鋭のサポートが警察、ルークのどちらにも偏りすぎずに受けられる事に安堵したラビと、そして、ラビが警察の食堂で昼食をとる事をなぜか歓迎した警察の若い職員たちだった。
そんなラビだったが。
「こんにちは」
「やぁラビくん、例の結果でてるよ!」
「そうですか」
「ま、どうぞ。そこのやつ、いま外回りだから」
「はい」
人のよさそうな中年職員にいわれるまま、灰色の職員用椅子に座るラビ。その顔は少し緊張していた。
ちなみに彼らがいるブースには『サイボーグ・ドロイドメンタルヘルス相談口』の看板が出ていた。
その現象にラビが気づいたのは、ちょっとした事だった。
ラビには日記の習慣があった。といっても別に紙の日記帳に書き込んでいたのではなく『書記官』の愛用者だったのだ。
このミラークというのは一種のライフログシステムで、ラビの中の人が若かった頃に技術者の間で流行したものだ。リアルな行動や言動、出くわした事象やなんかをサポートシステムに記録させるというもので、特にサイボーグやドロイドボディと相性がよい。何しろ、データを受け取ったサポートシステムの人工知能がこれを勝手に要約する事で膨大な年月も記録できるようになっているのだが、実は、このミラークが流行したのは二つの理由があった。
ひとつは、口頭の会話まですべて記録されるという究極ロギングシステムとしての側面。
そしてもうひとつは……「まる月ぺけ日なに曜日、はれ、ミミちゃんがあそびにきたのでマスターのおみせにいきました」みたいな超絶レベルの要約を行って『絵日記』を作成するとしう通称『えにっきミラちゃん』モード。
実用性ではもちろん、前者がたいへん重宝された。
だが、巷のエンジニアたちに大流行だったのはむしろ後者のミラちゃんモードだった。
これは当時のエンジニアに変人が多かったのではない。まぁ一言でいえば、ミラちゃんモードはそのふざけた名前とは裏腹に技術的には非常に高度なものであり、当時最新の要約理論を、かなり高性能のサポートシステムを占有して動かす必要があったからである。
なんでもそうなのだが、複雑な事象をわかりやすく要約するには高度な思考が欠かせない。
つまり、機械的に処理するだけの低性能な人工知能では「一日の生活記録を本人の代わりに簡潔に日記にまとめる」なんて事は無理で、むしろ人間の頭に直接組み込めてしまうような高度な頭脳でないと無理、というわけだった。
ところが、エンジニアという人種はなぜか昔から、こういう「とんでもないリソースをつぎ込んで、くだらないものを作り出す」というものが大好きなおバカさんが多いのである。
彼らはミラちゃんモードを試し、そのくだらない超絶高性能に大笑いし、そして大いに気に入ってしまった。
そんなわけで当時、この「超高性能とリソースを限界まで駆使して子供向けみたいな日記を作成する」ミラちゃんモードを面白がったエンジニアたちが群がり、色々な側面からこれをテストしまくり、遊びまくったのである。
いわく、いかに低性能なシステムでミラちゃんモードを動かすかに奔走してみたり。
いわく、いかに並列システムで大量のミラちゃんを同時実行するかにハマってみたり。
いわく、ミラちゃんをハックして手を加え、挙動が異なる姉妹の『ラミちゃん』『ララちゃん』を作り出してみたり。
いわく、ミラちゃんによく似たイトコの『ユッピー』をまったくのゼロから設計、作成してみたり。
とにかく、若さと才能と時間と情熱を果てしなく無駄遣いして、様々な挑戦が行われたのである。
話を戻そう。
ラビの中の人はそういう流行とは無縁だったが、ミラークがなかなか面白いツールである事はよく記憶していた。だから『ラビ』を使うようになってからライフログの必要を感じた時、迷わずミラークを導入した。
理由は簡単で、自分ひとりで活動していたからだ。
つまり。
たったひとりで活動しているという事は、誰も助けてくれないという事。
つまり、もしその自分の意識や記憶がおかしくなった場合、おかしい事に自分自身も気づけない事を意味する。
だからラビはミラークを動かし、サポートシステムに自分の行動を記録させていた。そして何かをする時、考える時、あるいは誰かと会話する時はサポートシステムに自分の過去の会話などを検索させ、確認をとっていたわけだ。
そんなラビの『日記』なのだけど。
実はつい先日、地下の旧サポートシステムに過去のミラークデータが一部残っているのが発見された。で、もちろんそこにはラビの『以前』の会話記録があったわけだが。
その会話と自分の記憶の間に、奇妙どころではすまない情報の食い違いを見つけてしまったのだ。
まぁ、そんなわけで鑑識に相談したところ、メンタルヘルス窓口の方で詳しく調べてくれる事になったというわけだ。
「記憶の食い違いの直接原因自体はハッキリしてるね。大本の元凶がちょっと不明なんだけどね」
「ハッキリしてる?」
「そりゃもちろん、キミが女の子に変わったからですよ」
中年職員は、おだやかな笑みでラビに語りかけた。
「いいですかラビくん。
君は男から女に変わった。
これ自体は別に珍しくはない。何しろドロイド技術が銀河で確立されてからでも何十万年とたっているわけで、当然、性別の違うボディに入れるようなケースも今まで数えきれないほどあったわけだからね。この星ではタブーに近い扱いだけど、それ自体は別におかしくはない。
ただ君の場合、ちょっと珍しい技術を使って、いわば強制的に新しい肉体に適合させてる。言わなくてもわかると思うけど、厄介なのがここなんだな」
「はい。わかります」
「僕の推測が正しいならね……このデータの食い違いが意味するところは明白だと思うよ」
そういうと、彼は目の前の小型端末の画面を大きく広げ、そこに何かを映した。
「なんですかこれ?」
「君のくれたデータを視覚的なグラフに変換してみた。赤が過去の君、そして青が今の君だよ」
ふたりの目前には、立体的な図面に描かれた大量の折れ線グラフのようなものが表示されている。そして彼の説明通り、それらは赤と青の二色に分かれていた。
「……横軸は何ですか?右にいけばいくほど赤と青の乖離がひどいみたいですけど」
「もちろん時間軸だね。グラフの左端の方はウチのシステムの推測も入ってるけど、ラビくんの思考パターンの変化をうまく追いかけていると思うよ。
いいかい、ラビくん。
まずキミの女性化なんだが、実はリモコン時代から始まっていたみたいだね」
「え、そうなんですか?」
「ああ」
彼は大きくうなずいた。
「だけど言っとくけど、これ自体は珍しくない。理由は……言わなくてもわかってるよねラビくん?」
「……リモコン中毒ですか」
「そ。俗にいうリモコン中毒、技術的にいえば仮想現実システムの連続使用による弊害だね」
ちょっと困ったように彼は眉をしかめた。
「知ってると思うけど、仮想現実システムを使いすぎたからって体に害があるわけではない。現実には問題がないわけじゃないけど、今はしっかりとフィードバックされているからね。それ自体は問題ない。
ただし、あまりにもリアルとリモコン先の肉体が異なる場合を除けば、だが」
「……あーそれは」
バツが悪そうにラビは頭をかいた。
「異性のボディを長時間、どころか何週間にもわたって連続使用。その結果、違いすぎる肉体の『ズレ』のストレスで一年のうちに二度も死に掛け、最後は……今のボディに移されなきゃこれ死んじゃってるよね?
ねえラビくん。これほども無茶をした理由って、なんだい?
まさかと思うけど……どうせ長生きできないんだから気にしないとか、そんな事を考えていたのかい?」
「……」
「ラビくん?」
「……すみません考えてました。あいたっ!」
「まったくもう」
彼はラビの頭にげんこつを落とすと、やれやれとためいきをついた。
「さて、話を続けよう。
そんなわけで、キミはそのボディの使い過ぎで女性化が進んでいたのは事実だ。おそらくその事は、今のボディに入る時にも有利に働いたのは想像にがたくないね。だけど、それでも疑問が残る点がある」
「疑問?」
「変化が早すぎるんだよ」
腕組みをして、彼はためいきをついた。
「キミの記憶に欠落や歪みが生じてしまっているのはね、急速に君の精神が女性化したせいだと思う。
だってほら、考えてみなよ。
昔の人が、女は子宮で考えるなんて言い方をしたのは、別に男女差別で言っていたわけじゃないんだよね。つまりそれだけ、女性の発想というものが男にとって奇異なるものだって事さ」
「なるほど」
「で、だ」
ぽん、と彼は手を叩き、そして言った。
「あのねラビくん。
人間の記憶というものは、昔のコンピュータみたいに思考回路とは別にデータバンクがあって、そこに順列に情報が記録されているものではないんだ。むしろ当人の思考や経験といったキーワードを元に、有機的かつ連想ゲーム的につながるものなんだよね。
ほら、昔の事で、全然思い出せないのに、何かをきっかけに急に思い出す事ってあるだろう?あれがそうだよ」
「あー……はい、確かに」
うんうん、と彼はうなずいた。
「第三者が記憶にアクセスする事自体は別に難しくはない。
だけど、思考の基盤が異なる第三者がその人の記憶をすべて引き継ぐ事はできない。なぜなら、当人の思考や連想という主観的なキーワードで記憶はつながっているからだ。他人では、そのつながりを追いきれなくて、途中で欠落したり歪んでしまったりするんだ。
……僕のいいたい事がわかるかい?」
「もしかして、ですけど」
ラビは少し考え、そして言った。
「つまり、あまりにも急激に女になってしまったから、記憶が置いてけぼりを食っているって事?」
「正しくは記憶につながるキーワードが、だね」
彼は、ぽりぽりと頭をかいた。
「ボディ変更による記憶の欠落って、通常の場合でも起きるんだよね。まぁ同一体の場合は限りなく少なくて、そして若返りみたいに肉体が変われば変わるほど大きくなっていくわけなんだけど。
で、その究極系のひとつが『性別変更』と『種族変更』なんだなこれが」
「……」
彼の言葉に、ラビは深刻な顔で考え込んだ。
「ただ一応言っておくと、ラビくんの記憶の歪みや欠落は大きすぎる。普通はそこまでにはならないもんだよ。少なくとも性別が変わった、というくらいではね。
それは、キミの異常な速さの精神面の変化が原因だと思われる。これは間違いないね。
まぁその……推測の上の推測で申し訳ないんだけどね」
「いえ、問題ないです」
ラビはデータを見て少し考え、そして言った。
「なんとなくだけど理由はわかりました。ちょっと確認とってみます、ありがとうございます」
「そうか」
ふむ、と彼はうなずいた。
「もし確定したら、わかる範囲、言える範囲でいいから教えてくれるかい?同様の事が起きた時のために」
「そうですね、わかりました」
ラビは立ち上がった。
警察の人たちには魔導コアの話はしていない。これはミミが警察側の担当となっていて、一応は機密扱いになっているからだ。
だから、その魔導コアが原因の可能性がある以上、これ以上はミミか、もしくはルークの方で調べてもらう必要がある。
とにかく今は、難解な事を調べてくれた警察担当に感謝を。
「ありがとうございました」
「いやいや、いいよそんな改まって。またいつでも聞いてきてくれよ?」
「はい、ぜひ」
そういって、ラビは頭をさげたのだった。




