開眼
夢の中にいる、と気づく夢はいつだって特別な意味を持っている。
今回もそうだった。ふわふわと宙に浮きながらラビはその場所を覚えている事に気づいた。
「……ここは」
そう。ここはあの時、一度死んだ時に見た夢。
だが、あの時自分を引き止めた少女『ラビ』はもういない。おそらく自分は今度こそこのまま死ぬのだ。そうラビは思った。
暑くもなく寒くもなかった。静寂のやすらぎがラビを包んでいた。まもなく永遠に飲み込まれて闇に消えてしまうのだろうと思ったが、別にラビは恐ろしいとは思わなかった。ただ流れに乗っかり、ゆったりとくつろぐだけだった。
死神を待たせたのはほんの数日だったらしい。結局これが自分の命運だったのだ。
そう思うと気持ちがさらに楽になった。男とか女とか細かい事にこだわり、ひとの目を気にして肩肘はっていた自分がおかしかった。バカにするというより、むしろその愚かさが可愛いと思えた。
「なんだかな」
こうして死に瀕してみてはじめて気づく。自分は、自身が思っていたより楽しい人生を送ったのではないかと。
たしかに能力的には平凡だった。見るべきところがあったとも思わない。だがそれでも、そんな捨てたもんじゃない人生だった気がしたのだ。
家庭をもつどころか女すら抱かない人生だった。何も残す事のない人生だった。
だけど、最後に強烈無比に痛快なイベントがあったじゃないか。物凄い人たちに出会い、偽者かもしれないがヒーローとまで呼ばれて恥ずかしいアダ名までつけられたじゃないか。
そして、なんと自分が少女になってしまうという普通ありえない経験までした。
おそらくこのまま自分は消えてしまうのだろう。
だがもし、見知らぬ誰かが自分を捕まえておまえの人生はどうだったかと言われたら、きっとラビはくすくす笑いながら答えたろう。「ああ。色々あった。楽しませてもらったよ」と。
ちなみにそんなラビ自身、自分の心境の変化には驚くところもあった。
ふと、ミミの事。それから、あのミクトという青年を思い出した。
ぼっち人生だったかつての自分が、本当に何年ぶりかに得た親しき者。得体のしれない存在のミミや、どうやら元女、つまり自分とは逆の意味だがご同輩らしいミクト。どっちも驚くほど魅力的な存在である事にも、今さらながらに気づいた。
もし生きてまた会えたら、抱きしめて、好きだよって言いたいと思うほどに。
正体?性別?そんなものは知らない。
人と人とが結びつくのに理由なんかいらないだろう。
そこにはただ、心と心の共鳴があるだけなのだから。
……まぁ、残念ながら両思いというのは少なく、だからきっと実際にはうまくいかないのだろうけども。
(フフ)
思わず笑いがこぼれた。
性別とは衣装のようなもの。なるほどその通りだとラビは改めて思った。
人と人との結びつき、それは、実際にはとても曖昧で雲のように揺れ動くものらしい。誰かと誰かを結びつけるきっかけもそう。それはつまり縁があったという事で、二度、三度あるとは限らない。
だからこそ、それは大切にしなくてはならない。
「……」
一応の結論を得て、ラビはもう心残りなど何もなくなってしまった気がした。
生きよう、生き抜こうという気力ももう、ない。
そしてこのまま、ゆっくりと消えていこうとした。
だが。
──たすけて。おねがい。
どこかから、助けを求める声が聞こえた。
それは物理的な声ではなかった。だが声にならないその声は、今まさに永劫のやすらぎに沈もうとしていたラビの魂に細く、しかし鋭く突き刺さった。流されていくだけだったはずのラビの心を、その場につなぎとめてしまったのだ。
ラビにはもう、その小さな鋭い刺を抜く力すらもないのに。
──たすけて。たすけて……だれか。
聞いてはいけない。そうラビは思った。
全身を打ち抜かれた。
手足もほとんどちぎれてしまった。
心臓すらも破壊されてしまっている。
脳はもしかしたら生きているのかもしれないが、単にドロイドの生命力で命をつないでいるにすぎない。
今、仮に仮死状態でぎりぎり生きていたとしても、蘇生したところで動くどころか意識すら戻るまい。そして今度こそ、二度と目覚めぬ完全な死が訪れる。
もう自分にできる事は何もないのだ。
なのに。
──だれかぁ……。
なのにどうして、聞こえ続けるのか。
『やめろ』
声に向かってラビは返事してしまった。ラビにももう声が出せず、それは心の叫びとなった。
だが。
(!)
(!)
(!)
瞬間、無数の声が闇のあちこちでざわめいた。
そしてラビはなかば本能的に、その無数の声のすべてが自分に助けを求めているのだと理解してしまった。
ラビは心の中でたじろいだ。
無理だ。
自分はもう破壊されてしまった。死者なのだ。できるわけがないじゃないか!
なのに無数の声は、どんどん迫ってくる。
(何が足りないの?何があればキミはもう一度戦えるの?)
『無理いうな。まもなく死ぬんだぞ?使える手も足も、動く心臓すらもないのにどうしろってんだ!』
だがそんなラビの声もむなしく、無数の声と気配がみるみるラビに近寄ってきた。
『だから無理だって、くるな、くるなっての!』
だが動けないラビにはどうする事もできず、ついに最初のひとりがラビにしがみついた。
(!?)
刹那、ラビの中で何か見知らぬ風景がフラッシュバックしはじめた。
それはラビの知らない人々。知らない人生だった。
多くが貧しい住人だったが平和な人生を送っていた。だが、かつてのラビと決定的に違うのはそのすべてが女だという事だった。違う価値観や人生観をもち、違う目線で物事を見る人々。それらがラビにはまるで、自分の経験のように見えているのだった。
おこづかいの額と相談しながら、お店で選ぶアクセサリー。彼は見てくれるかしら、なんて楽しい想像をしながらの買い物。若き娘の心。
結婚してしまった友達と自分を見比べ、危機感と寂寥感に浸る。だけど次の瞬間には商談のための準備に向かっていたキャリア組。
半ば親の仕送りに頼りつつも芸術に没頭する学生。
ちょっとばかり自閉症ぎみでいつまでも子供っぽく、しかしマイペースで平和な人生を歩いていた地味めの女性。
ひとりひとり違う無数の女たちの人生がラビの中を駆け抜けていく。時に楽しく、時に切なく。
そして、その最後には必ず……やってくる闇。
(いったいどうなったの、ここどこ、わたしどうなるの?)
(たすけておかあさん、こわい、いたい、いやぁっ!)
(……)
生きたまま手足を切り取られ、培養液に満たされた水槽に沈められる。
人として生きる事でなく、部品として生命活動をする事だけを求められ、そして強制的に妊娠させられる。
毎日大きくなっていく腹部に怯えつつ、だが生まれてくる小さな命に次第に意識が傾いていく。そして情が移り始めた頃に生まれる赤子。
だがその赤子はすぐに別のラインに連れ去られ、自分はそのまま産後の処置を施され、次の種を否応がなく植え付けられる。声にならない声でわめけば精神安定剤を投入され、それでもダメなら不良品として記憶消去、場合によっては人格の破壊という形で『修理』される。
そしていよいよ使い物にならなくなれば……取り出されて処分。
(……やめてくれぇっ!)
ラビの意識は悲鳴をあげた。無理もなかった。
ひとりの経験でも発狂ものの悲惨さだというのに、それが幾人と知れず押し寄せてきたのだ。もしラビの精神がそれらのすべてを処理し受け止めてしまっていたら、それこそあっというまに発狂してしまっていただろう。ラビの精神にはそこまでの許容量も処理能力もなかったから、何とかラビは壊れずに精神を維持する事ができたと言える。
だが、そんなラビの意識もみるみる臨界に達していく。
狂気と暗黒のギリギリの淵に追い詰められ、そのまま永劫の闇に落ちていきそうになった。
と、その時だった。
『……ざけんな』
押し寄せる声の洪水の中、ぽつりとその声は響いた。
それはラビ自身の声か、それとも他の誰かのものか。それすらもわからない。
義憤?同情?悲哀?
違う、それはそんな複雑な感情ではない。
それは──怒り。
自分の死すらも否定してしまうほどの、強烈無比で純粋な『怒り』。
『ふざけんな……このやろう!』
一度カタチになると、そのたったひとつの感情は急激にラビの中でふくれあがった。そのまま死に落ちていこうとしていたラビの意識は一気にその強い感情に飲み込まれてしまった。
ラビの中のどこかで、何かが強烈に唸りはじめた。
それがここ数日ですっかりおなじみになったアレ、つまり魔導コアの唸りである事にラビはすぐに気づいた。どうやら物理デバイスでない魔導コアは破壊されなかったのだろう。
それは、もはや死ぬだけだったはずのラビの放った強烈な『怒り』にまともに反応、かつてない勢いでフル回転をはじめたのだ。
いける。なぜかそんな気がした。
体内で何かが次々に励起していくのを感じる。壊れた心臓が何かで補われ、くだけた骨やちぎれた手足もつながり補強されていく。『死』から急激に遠ざかっていくのを感じる。
目を開けた。
「……」
そこはさっきの『工場』の中だった。
時間がどのくらい過ぎたものかラビには全くわからなかった。だが床に流れたドロイド血液は乾かないまでも固まっており、さすがに一瞬ではすまない時間が流れたのは間違いなかった。
起き上がる。立とうとしたが目が回り、少しだけ目をとじた。
そして再び目をあけて、ゆっくりと立ち上がった。
砕かれたはずの手も、足も完全に元に戻っていた。服だけが穴だらけのボロボロだったのだが、ラビの思考はまるで凍りついたかのようにそういう現状を完全に無視していた。
グッと両手を握り、肘を横っ腹に引く。
そして声に出して叫ぶ。
「あのーごめん、元気なひと、他のひとの面倒みてあげてね!」
そう大声で言うと、両手を一気に上に突き出し、ぱっと手のひらを開いた。
その瞬間、ビシッとガラスのようなものにヒビの入る物凄い音がフロア中に響いた。もちろんすべての水槽が割れた音だった。
一気に粉々にはならなかった。意図的に威力をセーブしたためで、比較的無事な者に後を託すためでもあった。
ラビ自身に後のフォローはできない。なぜなら、
「……ふん」
体内センサーが回復した瞬間、危険度最大級の反応。大型の重力制御反応だった。
確認するまでもない。こんな大きな重力制御反応なんて宇宙船か軍しかありえない。
そして、ラビの直感は『今戦うべき相手はこれだ』と言っている。
だが、どうやって出る?
ここは大深度地下だ。いくらなんでも天井をぶち破って出るなんてわけにはいかないわけだが、
「!」
突如、施設全体がグラグラと大きく揺れた。地下施設としてはありえないほどの強烈な揺れだった。
ぼろぼろ、と一部の天井から砂状の何かがこぼれた。上が大きく歪んだので隙間剤がこぼれたのだろう。
「……?」
『緊急事態です』
唐突にコンピュータの声が聞こえた。
『軍のただいまの攻撃により、この真上二十メルメまでのすべての構造体が吹き飛ばされました。このフロアをまっすぐ狙った地中貫通爆弾による攻撃だと思われます。もう一撃喰らえば本階層には大規模崩落が発生、壊滅的被害をうけます』
「問答無用で証拠隠滅かよ……なるほど」
どのくらい倒れていたか知らないが、死んでなかったのに誰も自分にとどめをさしていない。
ようするにミミが何か関係しているのだろう。ミミがひとりひとり殺して回るとは思えないから、ここの責任者か何かを直接潰すか退去させたに違いない。撃たれて倒れていた自分が放置されていたのはおそらくそのせいだ。警備だの作業担当だのも逃げてしまったわけだ。
問題はその後だろう。
つまり、そのさらに上の上層部が施設ごと証拠隠滅する事にしたのではないか。おそらく今もいるだろう生存者も死人に口無しとまとめて。
「ふざけやがって!」
高い天井をみあげてラビは叫びをあげた。
そして魔導コアに意識を集中した。
両手にエネルギーを集める。燃え上がるような、凍るような凄まじい力が両手に満ちる。
そして両足に力を込め、全力で床を蹴った。
白兵戦用ドロイドの足が全力で蹴りこんだ床は一瞬たわみ、そして強烈にラビを上空に向けて吹き飛ばした。弾丸と化したラビは両手を前に突き出し、一気にエネルギーを集めた。
次の瞬間、世界が凄まじい光に満たされた。




