プラント入り口?
コン、という少々間抜けなくぐもった打撃音に続いて、カチッと小さな解錠音がした。
その音を確認したラビが、にやりと笑った。
音をあまり立てないよう布までかませ、ルーカイザーナイフとミニハンマーを使った小さなインパクト。しかし、それにドアロックが反応したのにラビは自分の予想の正しさを知った。乾いた音は機構が完璧である事を示していた。ここの施設がぼろい外見に似合わず中身自体はびくともしていないのを伺わせる。
とはいえ、別にそんな古典的な勝手口でなくとも、電子ロックのメインドアも存在したのである。そっちなら、こんなわざわざ神経尖らせつつ音を出さずとも無音で開けるはずだった。
でも、それでもラビはこちらを選んだ。
その勝手口のドアは大きかった。おそらくは機械の搬入や搬出用のもので、普段は使われていない。
だけど、きちんと保守だけはされているようだった。
まともに考えたら、こんな古式ゆかしい機械式ロックの大型扉なんて場所からわざわざ侵入するバカはいないだろう。警備もゆるいはずだ。
ほとんどヤマカンに近い選択だが、今の音でも周囲に動いた気配はない。
それにラビはこのタイプのロックの弱点を知っていた。だからこそ選んだのだ。
しかし、事情のわからないミミは不思議そうな顔。
「なに?合鍵ないのにどうやって開けたの?」
「ちょっと裏ワザ」
「裏ワザって?」
「コツンってインパクトかけたでしょう?あれがオマジナイってヤツなんだ。角度とタイミング、あとはインパクトの付け方がキモなんだけどね」
「どういうこと?」
首をかしげるミミに、ニヤリと笑ってラビは説明した。
「このタイプの鍵はね、中のシリンダー構造に欠陥があるんだよ。シリンダーに対して、ある角度でインパクトを与えると、その衝撃で中のロックがはずれちまうんだ。
だけど、何しろ構造が単純だからね。大型荷物の搬入扉なんかには、今でも使われるんだよね」
「……要するに叩けば開くって事?ダメじゃん」
ミミが呆れたような顔をした。
「そうでもないよ。いくら欠陥があるっていっても、このサイズじゃ人間の手じゃ解除できない。ひとの手でハンマーふるってもさすがに無理なんだ」
「なるほど。で、ラビちゃんの小さな手と、そのごっつい作業ナイフで打ち込めば可能ってわけかぁ」
「そういうこと」
にやっとラビは笑った。
「それとまぁ、あとは知識だね。こんな古臭いシリンダーロックの弱点なんて、プロの鍵屋でもないと知らない情報だろ?今は機械式のロックなんてほとんど使わないしね」
「で、それをラビちゃんは知ってると。んー、結構悪者だよねラビちゃんて」
「年の功ってやつだね」
「なーにが年の功よまったく」
クスクスと笑い合う、見た目と中身の歳が違いすぎるふたり。
ラビは右手が無骨なナイフをくるっと回すと、腰の革製ホルスターに戻した。
「それが例のルーカイザーってナイフなのね?」
「ああ」
そのナイフはゴツゴツした作りだった。いかにも実用一点張りという感じで、優美さに欠けた代物だった。
優雅さとは無縁の特殊鋼材と付帯工具満載のそれは、どう見ても戦いのためのそれではない。むしろ想像するのは機械保守事業者などが愛用するツールナイフの類。
このナイフ『廃品回収業者』は、いわゆるエンジニアナイフの類である。
ロディアーヌの職人組合により作られている特別製で一般売りされておらず、当地の職人とエンジニアたちが口コミで注文、一生ものとして愛用している事が多い代物でもある。
ブレードの超高硬度鋼材は宇宙船の外壁に楽々穴を開けるほどに硬い。またツール群も信じがたい超高精度で固められているうえ、重ドロイドの腕力にすら短時間なら耐える。
ロディアーヌの組合職人の技術を結集して作られているそれは、特にロディアーヌ市近辺のエンジニアや職人には絶対的に信頼されており、またトレード・マークである手元の妙に可愛い魚のマークともども、様々な都市伝説も生み出している。
しかしこのナイフ、性能はこれ以上なく素晴らしいのにデザインの事はまるで考えられていない。
そもそも職人の職人による職人のためのナイフであり、一般人の目線なんかどうでもいいという感じだった。どこまでも性能と使い勝手のみを追求して作られており、その価値がわかるのは結局、このルーカイザーを愛用する者たちだけとも言えた。
だから一般には「ひとの手で鉄板すら切り裂く怪物ナイフ」などと都市伝説で語られる以外にはほとんど知られていない。警察ですら知っているのはほとんど名前だけで、きちんと把握しているのは鑑識と捜査課の者くらいだという。
ちなみに余談になるが、警察はラビがルーカイザーを使っている事を知らなかった。ラビを保護した時にこのナイフを管理していたのはミミなのだが、外国人であるミミは、ルーカイザーが職人ギルドで完全管理されているような代物だとは知らなかった。
そして知った後はむしろそれを隠した。本来それはよろしくないのだけど、彼女の目的のためにはその方がよかったからだ。
さて。
もし警察の鑑識がラビのルーカイザーを見ていれば、そこから気づいたはずだった。通し番号を見て職人組合に問い合わせをかければ、少なくともこのナイフを過去にメンテに持ってきた人物についての情報が得られたはずであった。組合には名前や住所などの正式記録はないが、持ち主識別のため、性別や人相はきちんと把握しているはずだから。あと連絡先も。
だがそれこそ今更だろう。
さて、そんなミミだがナイフの武骨さが気に入らないようだ。まぁデザインなぞ三の次のプロ用だから仕方ないのだが、当然ミミの知った事ではない。本来は持たせたくはなかった。
でも、ラビがそのナイフを実に巧みにつかいこなすのを見て考えを変えた。
ある種の人々は、自分の人生のそばに、これだけは絶対という道具を常に侍らすものだ。常にウェアラブルコンピュータを手放さない者、車がないと落ち着かない者。
そして、医者と診察器具、音楽家と楽器のように、その人の本領を発揮するのに必要なもの。
そのナイフがラビにとってのそういう道具だと判断したからこそ、ミミはあえてそれを持たせたわけだ。
とはいえ、一応だが一言添えておく。
「ラビちゃんはもうエンジニアじゃないでしょ?正義の味方じゃないの?捨てちゃいなさいよそんなの」
「ん、やだ」
ラビは一瞬口ぐもったが、結局きっぱりと拒否した。
「ナイフも端末も持ってないなんて不安だよ。このくらい大目に見て欲しいな」
ミミは文句言いたげだったが、ラビが本気で困っているようなのを見て小さくためいきをついた。
「呆れた、本当に根っから技術屋さんなのね」
「まぁね。『ラビ』をはじめてからもよく使ってたしね」
「そうなの?」
「うん。だって習熟訓練に使ったのって戦場跡がおおかったからね。訓練にもってこいなんだけど、当然ジャンクも多いんだよねこれが。それに携帯食料の節約で獲物狩ったこともあるし」
「……なるほど、そりゃ治んないわけよね」
「ひとを中毒患者みたいに言わないように」
「あはは」
大きな声を出すのは危険。だがふたりは小さく苦笑いしあった。
「それで開きそう?重いんでしょう?」
鍵が外れたといっても大型扉だ。本来大型ポッド用の扉であるのがありありとわかる設計である。自動化もされていないようだし、どう見ても人間の手で開くようには見えない。
だが、
「……さて、どうかな」
左手を扉にあてた。そして両足と全身で踏ん張る姿勢を作る。
「やっぱり重いんじゃないの?」
「違う。靴が壊れるの」
「え?……あー、なるほどね」
そういえば、履いているブーツは軍用とはいえ一般的な人間用のものだ。
人間用の靴はあくまで人間の重さに耐えるようにしか作られていない。重機なみの荷重をかけてしまえばひとたまりもないだろう。
この手のブーツは大抵、消耗品扱いだ。特にロディアーヌ警察は中央とのパイプがほとんどない事もあり、靴なんかは旧軍と同じものが使われている。理由はもちろん、警察の制服とも違和感がなく、しかも安いからだ。
そんな状況なのだ。警察にもドロイド用バトルブーツはあるので、一言いえばもらえたはず。
なのに警察でそっちを貰わなかったという事は、相当にこの靴がお気に入りなのだろう。
まぁだけど、靴を壊しそうなら脱げばいいのにとミミは言わない。そういう矛盾思考は人間的で可愛いと感じるタイプの人のようで、単に微笑んだだけだった。
ミミの目が妙に優しくなったのに一瞬困ったラビは、顔を扉に戻してゆっくりと力をかけた。
「お」
ミシ、と一瞬だけ全体が音をたてた。だがその一瞬だけだった。
扉は音もなくゆっくりと開いていく。急に動かして音をたてないようにラビは気を使っているようだが、その事を見越してもスムーズで危なげな感じのない開き方だった。
「……ふーん、このへんには警備がないみたいね」
開いていく隙間から注意深く覗き込みつつミミが言う。
「ここまでは狙い通りかな」
うむ、とラビがうなずいた。
「だけど、ここがゆるい、イコール出口はしっかり守ってるって事でもある。油断は禁物だよ」
「慎重派ね。でもこんなところから入れるのはラビちゃんくらいだと思うけど?」
ポッドや重機を持ち込めば当然見つかる、人間の力では開けられない。こんな扉は使おうにも使えないわけで。
警戒し過ぎではないかとミミは思った。
だがラビは自分を指さして言う。
「私が開けられたって事は、ベルナ級なみの子を連れてくれば開けられるって事だよね?この星は混血系住民の比率が年々上がりまくってるんだし、私なら罠を張ると思うよ?」
「あのねえ。一般のドロイドはほとんど三型相当なのよ?」
「え?そうなの?」
「そうだよ」
やれやれとミミはためいきをついた。
「そもそも、ドロイドの血によって獲得するのは一般的に『生命体としての強さ』なんだよ?つまり今までなら即死するような環境でも短時間なら耐えられて、乾燥にも猛暑にも極寒にも耐えられるって事。
高機能級が発現するのは、親が五型以上の超高性能級の時だけなんだよ」
「……そうなんか」
「うん」
「なるほどな」
ラビは元々、そっち方面の知識は専門外だった。
だが今の自分とも関係するとなれば、俄然興味が湧いたようだった。
「ちなみに今、この星にどのくらい高機能型がいるかは把握できてるのか?」
「今のところ、人口比率としてはゼロも同然だって。ロディアーヌには少しいるけど、その人たちの動向もきちんと把握されてるらしいよ」
「そうか」
意外そうにラビが言い、ミミが微笑んだ。
「さ、それより今は行きましょ?ここからいよいよ本番でしょう?」
「うん」
ひと一人ぶんの空間が開いたところで二人は扉の中に入った。すり抜けるように少し斜めになりながら、ひとの気配に注意しながら。
そして扉を閉めにかかるのだが、
「何してるの?」
ラビが扉のどこかをいじると「コン」と小さな音がした。中の何かを動かしたらしい。
「このまま閉めると勝手にロックされるからね。外しておいた」
そういうと元通りに扉を閉じる。今度は音もなく元の位置に収まった。
「……そ」
もはや突っ込む気もないのだろう。ミミは苦笑いするだけだった。
扉を開く時点で灯火の魔法は落としたので今は真っ暗だ。しかしラビの視覚には明かりの存在が感じられる。
「真っ暗ね」
「赤外線の灯火がついてる」
「へぇ」
ぼそぼそ、と小声で会話。
中は暗い廊下が左右、そして前に伸びている。どの道も暗かったが、改めて正面を見たミミとラビはほとんど同時に顔をしかめ、そして角に隠れた。
「……」
警備員らしい者が遠くを通りすぎた。だがそいつも明かりはつけていない。
「あいつも赤外線の光使ってるぞ。スタッフに人間はいないという事かな」
「警備対策でしょ?」
「……ああ、そういうことか」
「うん」
暗ければ侵入者は明かりを使うしかない。
赤外線の灯火はあるが生身の人間はそれを見る事ができないし、夜でも使える特殊なカメラをもってしても、可視光線の全くない闇では明るく見られないからだ。最初から赤外線カメラを持ち込むか、いっそ赤外線視力をもつドロイドでも連れてきたほうがいい。
逆にいえば、ここで半端な侵入者はまとめて排除できるという事なのだろう。
「?」
そこでラビはふと考えた。
ミミは生身だ。当然もう何も見えないはずだ。なのに不便を感じている気配がないのはどうしてだ?
そんな時、ふとミミの声がラビの頭の中に響いた。
『わたしは別に視覚に頼らなくても大丈夫よ。見えないけど見えてるから気にしないで』
「!?」
一瞬ぎょっとしたラビだったが、すぐその声の意味に気づいた。
耳に音として聞こえている感じがしない。おそらく例の能力を使い、直接頭に語りかけているのだと思われる。
だがどうしてだろう。なんとなくラビは、それに対して返答できるような気がした。
面白そうなので、見よう見まねで切り返してみる事にした。
『なんでもありか……本当に私の手なんか必要だったわけ?』
『!』
どういうわけかミミはズッコケそうになった。
『ちょ、ちょっと!』
『ん?』
『なんでたった一回聞いただけできっちり打ち返してくるのよ!』
『?』
『いい、わかった……はぁ。確かに魔導コアってそういうものだけど、なんでそう異様に相性がいいわけ?何か呪われてるとか運命とか、そういうもんに取り憑かれてんじゃない?』
『知らないよそんなの。まぁいいじゃん通じるんだから。その話はあとあと』
ミミは不本意そうに眉をしかめていたが「脳天気なんだからもう」と小さくためいきをついた。
『ま、わかったわ。でも戻ってからお勉強は確定ね』
『なんの?』
『コアの使い方講座に決まってるでしょ?訓練なしでここまで使えるのはすごい事だけど、逆にいうと、ここまで使えるんなら、ちゃんと訓練しないと危ないって事だよ』
『なるほど。わかった、よろしく』
『うん、任されたよ』
この間、音声の会話はまったくのゼロ。単にふたりとも思考しているだけである。
『ひとつ質問なんだけどさ』
『なぁに?』
『今回私を巻き込んだ本当の理由を教えて欲しいんだけど』
『ん?ぶっちゃけ言えばわたしひとりじゃ心細かったからって事になるけど……』
『嘘でしょそれ。少なくとも半分は』
『……なんでそう思うの?』
『根拠はない。でも見てればわかる。たぶんだけど、ミミはここにひとりで潜入して調査もできるんじゃないかなと思う。なのに私を巻き込んだわけでしょう?』
『……そうね』
ミミは否定しなかった。
この『ラビ』は非常に感覚的に物事を判断するようだ。その感覚は正しく「正義の味方が味方を嗅ぎ分ける感覚」であろうとミミは踏んでいる。
他意は全くない。おかしな発言というわけでもないが、こんな敵地のど真ん中でも疑問に思えば子供のように素直に尋ねてきたり、どこか危うげな印象をミミは受けていた。
生身だった以前の人格とは全く異質の人物への急激すぎる変化。おそらくラビ当人は気づいていないだろうが、ここ数日ラビを見ていたミミにとってはまさに時間単位でのおそるべき急変貌だ。
その理由をミミは知っている。たぶん、他ならぬ彼女が調整した魔導コアのせいだ。
戦力強化、それにラビに好意を示すためにミミはそれを行ったわけだが、まさかこれほどまでに強烈に人格の変貌が起きるとはミミだって想定してなかった。いやむしろ、ここまでの事態が起こると最初からわかっていたならばミミは投入をためらったろう。超越者の魂をもつ女と言えどミミは決して冷血ではない。
だがもう遅い。
人造の魔導コアは使用者の願いに応える。だから腕力を壊しそう強化したり、重機にインパクトを与える時に足場を与える。それは「ここで腕力がもう少し欲しい」とか「足場があればこんな重機なんて」というラビの無意識の願いをかなえているにすぎない。
でも。
ならばラビの体内のコアは当然、ラビの一番大きな『願い』にも応えているはずだ。
つまり、
『ヒーローになりたい』
子供の頃の願い事というのは、その人の根源を強く決定する。
残り少ない人生を捨てた程度には強いラビの「ヒーローでありたい」願望。おそらく彼女が急速に『少女戦士』らしき体裁を整えているのも同じ理由なのだ。その変化は非情なまでに徹底されていて、元のラビが理想と考えている究極の『少女戦士ラビ』そのものに彼女を作り替えていこうとしている。
それは確かに、当人の望みだったのかもしれない。
だが、いくらなんでもこれは早すぎる。
急激すぎる変貌は元の人格を歪める可能性がある。見た目にはわからず本人も自覚はないだろうが、元の老人を構成していた要素が果たしてどれだけ残されているのやら。
自身の浅慮の結末をミミは今こそ思い知った。だがもうどうしようもなく手遅れだった。
(ごめんラビちゃん、わたし軽率だったかも)
『……ミミ?』
沈黙してしまったミミに怪訝そうなラビ。ああごめんとミミは微笑んだ。
『一番の理由って言われたら、そりゃあラビちゃんがほしいからに決まってるよ。ラビちゃんと自分の価値を小さく見積もり過ぎだと思う。
それに今回のケースはね、ラビちゃんを中心にして警察とルークに手を結ばせる目的もあったの。侵入するだけならともかく後の事を考えると、わたしだけでやるのは無理があったしね』
『ははぁ。証拠固めとか報道どうすんのとか、根回しとかそういう世界の話か』
『そそ』
大きくミミはうなずいた。
『こんな事する黒幕が小物のわけないでしょう?ロディアーヌ自治州の公式見解つき、しかもルークの同意まで取り付けて政府に叩きつける必要があるわけ』
『なるほどね。……さていくか。警備員が詰所に引っ込んだっぽい』
『うん』
警備員の気配がないのを見計らって、ふたりは歩き始めた。




