オアシスにて
「今日はここで宿泊だな」
ミクトがそう言うのをラビは聞いていた。
とりあえずここまでは予定通りだった。余裕はあるが、さすがに現地に直接行ってしまうほどではない。現地で何があるかわからないのだから、無理して早く行くのはよくないだろう。
ポッドが脚を畳み座り込むと、ラビの乗っかっていたアームは狭い場所に押し込められる。即座に飛び降りてアームがきちんと仕舞い込まれるのを確認した。
ポッドの上にソーラーセルが開いた。どうやら夕刻までの時間で補充電を試みるようだ。
ふむふむとラビは腕組みをしつつ思ったが、やがてソーラーセルが灼熱の太陽光を隠すばかりか輻射熱まで強欲に吸い上げにかかるや否や、驚くほど一気に空間が涼しくなった。それだけ太陽の力が強かったわけだが、開放された途端に今度は全身気持ち悪くなってきた。一日中汗をかきまくり砂埃浴びまくりだったのだから無理もないのだが、それにしても不快なことおびただしい。
ついでに言うと、パンツ一丁という自分の姿が急に恥ずかしく思えたのもこの瞬間だった。ミミに見られるのも恥ずかしいが、ミクトがコックピットにいるのがもう致命的だった。今この瞬間もモニターされているかも、と思うと、いてもたってもいられなくなる。
本体の影に身をひそめるようにしつつ、開いたままの換気口から手を突っ込んだ。
「どうしたの?」
「着替えとって。シャワー浴びる」
ミミのといかけにそう答えたラビだったが、
「シャワーなんてここにはないぞ。動物といっしょに湖畔で水浴びするんだな」
「げげ……わかった」
わざわざ宿泊地に選んだだけあって、ここには人間はいないのだろう。
辺境にしばしばある事だが、ルークの先遣隊が確保はしてあるが今のところは放置というパターンがある。近郊に人がいないからだが、おそらくこのオアシスもそうなんだろうなとラビは思った。
「見るなよ。出てくるなよ。モニターすんじゃないぞ」
着替えの入ったザックを受けとると、出口に向かって歩いた。しかしソーラーセルの下端のベールをめくろうとかがんだところで、股間にぺったりと張り付いたパンツの気持ち悪さが最高潮に達してしまった。
「うげ……」
思わず、かがみこんだ姿勢のまま固まった。
見られてるだろうなと思いつつもラビはとうとう不快に負けた。申し訳のように天幕の脇に寄ると、もぞもぞとパンツを脱ぎ捨てた。後で手洗いでもするつもりで、ザックの小物入れのひとつに押し込んだ。
「……んっ」
その時、無意識に声が出た。後で自身も驚いたほどの艶かしい声だった。股間を風が直接すり抜けた瞬間で、ピクッと身体が微妙にハネた。
薄い生地であった事、股間に昔なじみの出っ張りがないせいもあり、パンツはまるで接着したかのようにべったりとはりついていた。それをひっぺがしたわけでその解放感っぷりはラビの想像を絶していた。で、とどめにそこに吹きつけた一陣の風は、もう恍惚といってもいいくらいに快感だった。思わず声が出たのも無理もない。
当然だが次の瞬間、自分の妙に艶っぽい声に思わずギョッとしてしまった。
「……問題山積みだな」
ラビは眉を抑えて小さく首をふると、気を取り直してザックを手に水辺に向かった。
大きなポッドが来た事で一時は湖畔から撤退したようだったが、それきり特に動かない事で緊張を解いたのか、またぞろ水場に色々な動物が戻っていた。
もっとも多いのは、仲間と共に水場で戯れるヌーのような草食動物たち。この地方ではパープと呼ばれている。
それをちらちらと伺いつつもやはり水を飲む大小の肉食獣たち。我関せずとまったりと水と戯れる超大型動物の親子。そしてその周囲には、たくさんの水鳥。
「おー」
なんて素晴らしいんだろうとラビは思った。
元の彼女はエンジニアだし、文明世界の住人だ。人生の間には不思議なもの、すごい映像などもずいぶんと見ていたのだけど。
でも、どんな迫力あるすごい映像にも、目の前の光景は全然負けていなかった。
思い思いの動物たちが水辺で過ごすこの姿が、ラビには本当に素晴らしく思えたのだった。
敵意がない事がわかるのか、動物たちはラビが近寄っても逃げようともしなかった。それどころか大胆にもすぐ横を抜けていく者までいる始末。
皮肉な事だが、それはラビの精神状態も大きく寄与していた。
まったく武器を持たず、瞳をきらきら輝かせているだけの少女にどれだけの危険があるだろうか?
大型の肉食獣が同じ空間におり、しかも自分は全裸であるにも関わらず、ラビは全くといっていいほど緊張していなかった。油断すれば別とはいえ、まともに激突したくらいでは喰われたり殺される事はないという気持ちがラビを安心させていた。
動物は言葉を持たぬ代わりにそういう気配には敏感だった。ラビを見る動物たちの方もまた「とりあえず無害らしい」と判断したようで、あとは特に気にしなくなった。
こういう場合、真っ正面から睨み合わず可能な限り「しらんぷり」するのが野生動物の基本である。これを徹底する事により普段は食い食われる間柄の動物同士が仲良く嵐を避けたり、同じ場所で水を飲む事も可能。
ラビはそこまで意識したわけではなかった。しかし現在のラビは水浴びの事しか頭にないわけで、その「何も考えてなさ」が結果としてうまくいっていたと言える。
ぼふっと荷物を岸に置くと、じゃぶじゃぶと湖の中に入っていった。
まわりの動物たちにぶつかったりしないように注意していたし目を合わせる事もしなかったので、ざばっと水に頭を突っ込み「ぷはぁ」などと気持ちよく水をはねあげても、いたずらな光と水がラビの柔肌をキラキラと輝かせる他には彼女にまといつくものもない。水音に反応した近くの動物たちがちょっぴり目を向けたが、水しか見ていない彼女をやはり無問題と判断したのか、特につっかかってもこない。
「……はー……気持ちいい」
水からぽっかりと頭だけ出し、心地よさげにつぶやく。
「……」
水面でぐるりと見渡すと、一頭のパープらしい仔がラビをじっと見ていた。
だがラビ自身は野生動物と触れ合おうみたいな意志がそもそもなかったし、水浴びの方にむしろ夢中だった。だからちょっぴり微笑んだだけで、再び限界まで水に浸っては頭を出す、というのを繰り返した。
そして再び視線を感じて目を向けると、今度は触れるほど目の前に擦り寄っていた。すんすんと小さく鼻を鳴らしているのは匂いをかいでいるのだろう。
さすがに少し迷った。パープは草食動物だが結構好戦的な生き物で、子供に何かあれば激怒した親に殺される事も珍しくない。
思わず首をかしげる。すると仔も首をかしげた。
すんすんと鼻を鳴らしてみたら、いきなり乗り出してきて鼻先ですりすりされた。
「ふふ」
そのまま親らしいパープが迎えにくるまで、ひとりと一頭で擦り寄って遊んでいた。
まったりとした時間。
オアシスとはいえ日差しの強さは変わらない。ゆっくりと太陽は傾きを強めていたが穏やかというには程遠い。水面のキラキラすらもまぶしくて、ラビは思わず目を閉じた。
「……」
ゆるやかな風。
首まで浸かる冷たい水。
上からは、目を閉じてもなお押さえつけるかの如き日差し。
「……?」
ラビは自分の体内で、どうしてか胸が高鳴るのにふと気づいた。
どくん、どく、どくん。いかにも不安定だが力強く、どこか不安をそそるものだった。
それは、ミミに言わせれば「体内で無制御に溢れる魔力のせい」と答えるだろうが、そもそもこの星の科学体系しか知らないラビにはそんな知識も感覚もない。ただ自分の身体が何かを欲していて、それが何なのかがわからない。なんなんだろうと首をかしげた。
「!」
その瞬間、どういうわけかミクトの顔を思い出したラビは思わずビクッと反応してしまった。それはかなり劇的で、周囲でまったりしていた先刻の仔が驚いて飛び下がったほどだった。
「……い、いやいやありえないから。そんなバカな」
そう言いつつ、ずぶずぶと鼻のあたりまで水の中にはまりこんだ。顔は困惑でいっぱいである。
それはそうだろう。
ほんの数日前まで老人、しかも男だったラビ。もちろんそういう趣味などあるわけもなかった。なのにどうして少女の身体になった途端、男を求めなくてはならないのか。
まぁもちろん、それは勘違いである。
恋愛のドキドキと恐怖のドキドキは似ているという言葉がある。
だが、今感じた謎のドキドキもまた、困った事に恋のドキドキによく似ていたのである。
いったい、どうなってるのかとラビは眉をしかめ、首をかしげた。
と、そんな瞬間だった。
「む?」
ざわざわ、と動物たちが一斉に動きはじめたのである。
それは湖からの退避だった。最初ラビは自分から逃げ出しているんじゃないかと思ったが、すぐに違うと気づいた。なぜならさっき遊んだ仔が「きみもおいでよ」と言わんばかりにこっちを見て、そして親を追いかけて岸に上がっていったからだ。
なにか来る。少なくともここにいる動物たちにとっては厄介な、何か。
ラビもとりあえず岸にあがろうとした。何がくるのかは知らないが今のラビは一糸とまとわぬすっぽんぽんなのだ。そんな姿で正体のよくわからないものと相対したいわけがない。
だがその時、逃げ遅れた小さなパープが泳いでいるのにラビは気づいた。しかもよりによって中央付近の深い部分。おそらく湖水が沸いてくる元であり、さすがの動物たちも普通は警戒して近寄らないあたり。子供ゆえに無邪気さで入り込んでしまったのだろう。
まずい。
その場所はまずいとラビは確信した。
「……いかん、くるぞ」
格闘型ドロイドといっても軍用である。ラビはレーダーに近い感覚も持ち合わせているが水中や地中に対しては人間と変わらない。
しかし、そのラビすら気づいた。
それは水中、正確にはこの湖のおそらく水源である大深度地下に続く大穴。その中にいる大きな何かが、今まさにゆるりと動いた。
そしてその真上には、よりによってパープの子供一匹。
おそらく、それはここ本来の住人なのだろう。何か大型の水棲の生き物で、真上で泳いでいる動物に反応して襲いかかるものなのだろう。浅瀬の動物を狙わないのは単にリスクヘッジなのか、あるいは中央に迷い込む個体程度で足りるからなのか。
対岸で鳴き声がした。
大人のパープだ。おそらく親だろう。他にも子供がいるようで、一頭だけはぐれてしまったのだろう。だが間に合うわけもないしおそらく来ない。野性に生きる動物たちにはそういうリスクは犯せない。ここで一頭を助けるために、自分や他の子供たちを犠牲にはできないからだ。
「ちっ」
ラビは迷わず、パープの仔に向かって泳ぎだした。
いくらも進まないうちに、水中で大きな何かが近づくのがラビにもはっきりとわかった。それは猛獣たちに肌をさらしていた時すら感じなかった強い危機感で、ラビはただ無心に仔に向かって泳いだ。
「まずい、くるぞ!」
迫るラビに驚いたのか仔パープの泳ぎが急に変わったその瞬間、大きく水面が持ち上がった。水の中に黒い巨大な牙のようなものが見える。
「っ!」
咄嗟にラビは仔でなく、その巨大なものに進路を変えた。明らかに向こうの方が速いのだから、仔を直接助けるよりも黒いものを攻撃するほうがマシだとラビの頭は一瞬にして計算していた。
だがどうやって?
ラビはそのあたりを全く考えていなかった。だがラビが考えるよりも早く、巨体がパープの仔を飲み込もう口を開いた。
(でかっ!)
認識されたサイズの途方もなさにラビは正直驚き、同時に自分の行動の無謀さにも気づいた。徒手空拳で武器もない今のラビがこんなものと戦えるわけがない。そもそも水中ではその手足すらもろくに使えないのに!
ええいままよ!
無駄と知りつつラビはそいつのヒレらしい部分にしがみついた。こいつどうしてやろうかと思いつつ、無意識にぎゅっとその弾力性のある身体を力をこめて握り締めた。
その瞬間だった。
「?」
突如として、その巨大な「何か」が、何か銛にでも刺されたかのようにビクッと反応した。瞬時にラビは振り払われた。
それは大暴れするというほどのものではなかった。だが今にもぱっくりと食べるはずだったパープの仔よりも優先度が上になったようで、ゆるりと姿勢を調整しつつ、今度は明らかにラビの方に回頭しはじめた。そして限りなく澄んだ冷たい水質のおかげで、ラビにもその生物の全貌が見えた。
(こいつ……まさか龍魚かよ?で、でも)
龍魚というのは古代魚の一種である。本来は大河や海に住む生き物。魚好きと言われるが実際は雑食性で、海草でも、水に落ちた大型生物でも食べられるものなら構わず食べる。
だが。
(なんてサイズだよ!まるで化け物じゃないか!)
目の前にいる龍魚ときたら、クジラもかくやという途方も無いサイズだった。一般に知られるそれの大きさなぞ完全に逸脱している。途方も無い大物だった。
ラビはこの魚がしばしば巨大化する事を知ってはいたものの、まさかこんな怪物じみたサイズになるなんて考えてもいなかった。もしも普通に遭遇していたら即座に逃げ出したろう。
だが今のラビはそれどころではない。いかにしてこの厄介な相手からパープの仔を守り逃げるか、それしか考えていなかった。
(なんで今こいつ動いたんだ?)
相手を食う直前までいったのに、どうしてやめた?龍魚の性質からして、生命に危険でも及ばない限りそれはありえないはずなのに?
ふとラビの脳裏に、警察署前で弾丸を受け止めた時の光景が蘇った。
受け止めたはずの弾丸は何故か冷え切っていた。ありえない事だ。うやむやになってしまっていたが、あれは何なのか未だに理解できていなかった。
わかっている事は、あの現象がスティカ・ドライブ、ミミの言う魔導コアってやつのせいだろうという事くらい。
(あ、もしかして)
考えている暇はない。
それどころか、今こうして考えた一瞬の間に龍魚は展開を終えたようだ。どうやらラビをまず食べるつもりらしく、ぐわっと口を開いた。
本当にでかい。ラビをそのまま飲み込めそうな口である。
ラビは身を傾けてそのまま素直に飲み込まれる体勢になると、弾丸を掴む時の一瞬の力み方を思い出した。猛烈な勢いで迫ってくる龍魚に向けて手を突き出すと、そのワニのように長いノーズを弾丸掴むイメージよろしく、むぎゅっと力強く掴んだ。
刹那、ラビの手を中心にした周囲の水が一瞬でシャーベット状になった。それはかなり広範囲で、ラビ自身ですらも一瞬まわりが全く見えなくなった。
(うおっ!)
あわてて水をかこうとしたが、その前に龍魚の方が気が狂ったように暴れだした。
(これは……!)
鼻先を握った状態だったラビは、いきなりぽーんと空中に放り上げられる格好となった。だがその直前、龍魚の身体の一部が、まるで魚市場の大型魚のように完全凍結しているのがハッキリと見えた。
いったい、それは何を意味するのか?
とはいえ、今はそんなこと考えている場合でもなかった。こうやって投げ上げたり何かに叩きつけてから喰うというのは成熟した龍魚の習性だからだ。つまり何とかしなくてはならない。
しかし飛べないラビに何ができるのか。たちまちなすすべもなく再び水に落ちていく。
そして龍魚も負けていない。今度こそラビを食べようと口をがばっと開いた。今度こそ逃げ場はない。
だめだ、万事休すかとラビが青くなった瞬間だった。
「!」
突如として「ばん」と大きな銃声が響いた。小さいとはいえ質量を持つ実体弾を発射する音だった。
そしてその瞬間、龍魚の身体が揺れ、胴の一部から血が吹き出した。
龍魚はたちまち身を翻した。落ちてきたラビは龍魚の転進に少し巻き込まれたが特に怪我もする事なく、どぼーんと巨大な水柱だけ残して再び底深くに消えていく龍魚をあっけにとられた顔で見るだけだった。
「……なるほど」
水から顔を出したラビが視線を巡らせると、天幕の隙間から機械の腕がこっちを向いていた。作業用のものでなく、銃座になっている攻撃用のサブアームだ。
どうやら撃ったらしい。もちろん撃ち手はミクトだろう。
ためいきをつき、そして周囲を見渡す。
パープの仔はと思えばどうやら無事だったようで、母親の待ち構える湖畔に一心不乱に向かっている。うんうんと頷いたラビだったが、
そこで、見過ごせない事実に気づいた。
「……速攻で対応したって事は……まさか見てた?」
とりあえずお礼を言って殴ろう。ありがとうポカリ。うん、そうしよう。
ポッドに向かってそう悪態をつき、そして自分も岸に向かって泳ぎはじめた。




