着替え(3)
この星の地理を大きく分けると五つに分かれているが、ひとが多く住むいわゆる経済圏は三つである。
その中でも『南方』は最も広大であり、赤道を挟んだ灼熱の砂漠と海、そしてその間に挟まれた暑いエリアという趣きになっている。もう少し簡単にいうならば、もっとも巨大で最も未開発のレシナンテ大陸、そのほとんどがロディアーヌに属すると言い換えてもいい。
これらの地域は広く、そして高山などの寒冷地域も含まれるので、暑いイメージだけで語る事はできないが。
まぁその意味で、この星で最も気候のバラエティに富んでいると言えるだろう。
なお余談あるけれど、もっと南に立派な文明圏があるのに南方と呼ぶのはもちろん歴史的経緯によるものだ。どこかの青い地球でも似たような言い方がたくさんあるので、この機会にいろいろと調べてみると面白いかもしれない。
さて。
そんなロディアーヌなのだけど、その多様性に比べて生活レベルは決して高くない。この星でロディアーヌといえば貧乏の代名詞でもあるのも事実だ。
まあ地下資源は豊富である事、広大な土地がある事から、極地などから輸送された原材料を加工する全自動の工場プラントがあちこちにある。あと、戦争の際に戦場になりやすいのもロディアーヌなのもやはり、その広さのためでもある。
こういう事実があるからこそ、ルーク団のような独自の業者も大きな力をもつわけだし、さらに人種なども非常に多様でありながら差別も少ない。ここで生きる以上みんな同胞という意識が強く、それが民度の高さを支えているとも言われる。結果的に住民の満足度は生活レベルに比べて高いし、実際ロディアーヌはその意味では大変豊かな土地柄でもある。貧乏だから不幸という言葉はロディアーヌでは当てはまらないのだ。
たとえばラビの中の人だった老人にしても、もし最悪、どうしようもなく飢えるありさまになったら間違いなく町に出ただろう。
確かに、ロディアーヌに上げ膳据え膳の福祉政策はない。
だが、食い扶持くらいなら何とか働く気がある者に軽作業を世話するレベルの事ならやっているし、そういうのはむしろ逆に手厚い。一人暮らしの貧乏老人といえばロディアーヌではこの手の軽作業に従事する事がよくあり、早朝などに道端で火を炊き世間話をしている年寄りたちの多くがそうした者だったりもする。彼らには確かにお金も若さも立派な家屋敷もないが、それでも屈託なく笑っている姿をみると、それもまた一つの生であろうと思わせる。
もしラビと出会ってなかったら、おそらく老人の最終的な未来もそうなったのだろう。
砂漠の上をまる一日走り続けた。
さて、そろそろ太陽も傾きはじめた頃、ポッドは小さなオアシスに到着した。
砂漠の中でもこの地域だけは大深度地下の岩盤が上に現れており、地下から膨大な水脈の一部が湧き出している。ゆえにこのあたりだけは緑が豊富で動物も多い。むしろ文明圏から離れすぎているため、人間の住人の方が肩身が狭いほどである。
「到着だ。今日はここで宿泊になる」
ミクトがそういって何かのボタンを押すと、ローダーは小さく足を畳み、その場にゆっくりと座り込んだ。中央から傘のようなものがにょっきりと張り出すと、それはスルスルと広がり、やがてポッド自体をすっぽり飲み込み余裕で余りある大きな天幕になった。
「へー、簡易天幕になるんだ」
「宿泊用でなくエネルギー吸収用だけどな。日没までの時間でエネルギーを稼いでおく」
「なに?足りないの?」
予定にない話にミミが少し眉をしかめたが、ミクトは首をふって笑った。
「燃料なら余裕で足りるさ。だが何があるかわからないだろ?」
「なるほど、それもそうね」
ふむふむと頷いているミミたちのコックピットに、下の換気口からにょっきりと手がのびてきた。
ラビの姿は見えない。足を畳んでしまっているので、アームのある足元も暗く狭くなってしまっているせいだ。
「なに?ラビちゃん」
「服ちょうだい。シャワーあびてくる」
「シャワーなんかないぞ。動物と一緒に水浴びしてこい」
「げ。……まぁいいや。服」
「あいよ」
ミクトが傍らの国防色のザックを渡すと、ひったくるようにラビの手はそれを受けとった。
「降りてくるなよ。モニターもするなよ」
「あら、わたしもダメ?」
「ミミも」
「いざという時に困るかもよ?」
「……じゃあミミは除外」
「いってらっしゃい」
クスッと小さく笑うミミに気づいたのか気づかないのか。とにかくラビの手と荷物はコックピットから消えて、すたすたと足音がさっていく。
「……やれやれ」
コックピットのモニターは固定なわけで、ミミだけが見るなんて不可能である。はたしてそこには、出口でベトベトのパンツまで脱ぎ捨てるラビの姿が写っている。
「もう少し恥じらいがないもんかね」
「あら、ものすごく恥じらってるじゃない」
「そうか?」
「うん」
ミクトがミミの方を見ると、ミミは笑った。
「あなたに裸を見られたくないのよ。でもモニターに映ればあなたにも見えるから、だからわたしにも見るなって言ったのよね。よかったね、けっこう意識されてるわよ」
「なぁ」
「なに?」
ミミの微笑みにミクトは眉をしかめた。
「やっぱり女性化が早すぎないか?おまえ何をした?」
その質問にミミは「何も?」とニコニコ笑って答えたが、
「まぁ強いて言うなら魔導コアのせいかもね」
「魔導コア?ああ、スティカ・ドライヴの事か」
ふむ、とミクトは思案のポーズをとった。どうやら考え込む時の癖らしい。
「確かアレは所有者の精神状態に大きく左右されるものだろ?リモコンから生身に変わったばかりのあいつには危険すぎないか?威力を弱めるとか調整は無理なのか?」
「逆よ。むしろ、よりしっかりと根付くためには一番不安定な今がもっとも好都合なの。
これは聞いた話でなくちゃんと実績があるのよ?何しろ、一時期のバージョンアップにはわたしもスタッフとして参加してたんだから」
「……ほう。おまえ自ら?」
「変かしら?まぁ旦那様の助手だけどね」
うふふとミミは楽しげに笑った。少女めいた外見とは少しちぐはぐな、遠い昔を懐かしむ顔。
だがその笑みにはどこか、箱庭を眺める超越者のような不穏さも混じっている。
「……」
ミクトはそんなミミを少し厳しい目で見ていたが、ふと感じた疑問を口に出した。
「しっかり根付かせてどうする気だ?あれの前身はただのエンジニアだし、ドライバーの心得なんかないだろ?」
ドライバーというのはスティカ・ドライヴの使い手という意味で、ルーク側で使っている呼称だ。
本来この言い方をルーク以外の者にするのは適切ではないかもしれない。だが魔導コアという名称からつながる利用者の言い方だと『魔導士』になってしまう。
さすがに、そんなファンタジーな言い方をするには抵抗のあるミクトだった。
はたして。
「あら、魔導コアっていうのはそういうものじゃないのよ?」」
ふるふるとミミは首をふった。
「どういうことだ?」
「魔力を持つ者が特定の手続きに従い力をふるう。これがいわゆるボルダやキマルケにおける魔道の基本的な考えなのだけど、これだと特別な人しか使えないのは自明の理でしょう?古くから、魔導器官をもつ者なら誰にでも使える魔導器や方式の開発が行われてきた。
魔導コアはその成果のひとつと言うべきものよ。これがあれば、特別な方程式も魔力もなくても意志だけで事を起こせるんだからね。
反面魔導士としての複雑な魔法は使えないんだけど、ラビちゃんにそんなもの不要でしょう?回復力を大幅アップしたり攻撃時のインパクトを増大させたり。つまり彼女の戦闘や防御の補助に使うというのが導入の目的よ」
「……なるほど。色々と言いたいところはあるが、徒手空拳で戦うアレには確かに役立ちそうだな」
「そういう事。おわかり?ルークさん?」
ミミのにこにこ笑いが少し強まった。
「ラビちゃんの女性化が早まっているのは、まぁわたしとしては想定の内よ。ただでさえ肉体の劇的変化で不安定な、しかも完全な素人のラビちゃんじゃ副作用を止める事なんてできるわけがない。ほっとけばそのうち精神を損なう可能性もあるわね」
「おいおい」
呆れたようにミクトはミミを見た。
「そこまでわかってて、それでも導入したのか?何考えるんだおまえ」
「もちろん心配ないと踏んだからよ。違うの?」
ムッと眉を寄せ、じろりとミクトを見上げるミミ。
「コアを安定させるのはわたしがやるわ。サポートはあなたも手伝ってくれるんでしょう?それとも、できないと言うつもり?」
「いや、それは全然かまわないが……具体的には、俺は何をすればいいんだ?」
困った顔をするミクトに、ミミはクスッと笑う。
「色々と仲良しすればいいのよ、決まってるじゃない」
「おい」
「冗談で言ってるんじゃないのよ?自分のアイデンティティすら喪失しかねないほど揺れてる今のラビちゃんには、支えてくれる仲間とか、お相手とかが必要って事。わかるでしょう?
わたしももちろん手伝うけどね、どうせなら『男』がいたほうがいいでしょう?」
「あいつは元男だぞ。元々その気があるわけでもないだろうに、男相手で喜ぶわけがないだろう?」
だがミクトのその言葉を、ミミはけらけらと笑い飛ばした。
「なーにいってんだか。そこまでラビちゃんを元男と規定するならさ、あんただって元女じゃないの」
「……」
ミクトは今度こそ、ぎょっとしたようにミミの顔を見た。
「なんの話だ?」
「まだ、しらをきるつもりなのね。ちょっと時間を稼いだくらいでごまかせると思ったの?」
「ちょっと、ね」
ちなみに、ミミが言っている「ちょっと時間を稼ぐ」のちょっととは、この星の時間で百二十年の事である。
やれやれとミクトはためいきをついた。
「昔の事なんか今さら蒸し返されてもな。当時を知る者はもうほとんどいないし」
「ああなるほど。それで別人になったというわけね」
ふむふむとミミは頷く。
「まぁ、ラビちゃんの気持ちの問題もあるからね、早急に進むわけがないってあなたの言い分もわかる。
でも、たぶん心配ないと思うよ。
少なくともあなたたち、精神だけを別の肉体に移してしまった人間の場合、性別とかそういうものはいわば衣装にすぎない。社会性と同じで後天的にまとうものなのよね。
そういう人間の場合、愛情は基本的に精神愛になる。ま、そうよね?普通の人間なら不変のはずの男と女の原則まで破れてるんだから、あとはもう精神と精神の共鳴しかないんだもの」
「……」
「まぁ、まずはお友達からいくのね。時間はあるし、わたしも応援するから」
困ったように自分を見るミクトに、ミミはにっこりとやさしく笑ったのだが、
「!」
「なに?暴動?」
地響き。そして盛大な水音やら何やら。外で何かが起きたようだ。
すぐに雑談を切り上げたふたりはセンサーに注目した。
「コンピュータ!音源方向を映せ!」
地響き。盛大な水音。
反射的に外部モニターに目をやったふたりだが、
「何だと!?」
「……あら」
ふたりは一様に目を剥き、その光景をみつめた。




