着替え(1)
また夢か。
自分が夢の中にいると気づいた瞬間、ラビが思ったのはそれだった。
夢の中でそれと気づく夢というのは特別な意味を持っている場合が多い。ラビの見ている夢もおそらくその象徴のようなものだった。なぜならラビの目の前には髪を伸ばし、キラキラ光るアクセサリーをまとった美しい少女がいるのだが、よくよく見ればそれもまたラビだったからだ。
しかし、同じはずなのに受ける印象は全く異なっている。
少女は可憐で、いや優美ですらあった。基本的な服装はほとんど変わらないのに、輝くアクセサリーとその立ち振舞が、彼女をまるで異国からきた不思議な乙女のように魅せる。
思わずラビは感嘆した。
もしラビが生粋の女の子として生きていたら、こんな未来もありえたろうかと。
それは裏返せば、男性である自分の精神を飲み込んだ時点で「もうありえない未来」という事なのだが、
だが。
「あはは、それは違うよ」
クスクスと目の前の「女の子ラビ」は笑った。
「男とか女とか、それは衣装のようなものだよ。心配しなくてもアッというまにこんなになっちゃうんだからね?」
あっけらかんとしたその言葉に、思わずラビは苦笑した。
男とは、女とは、もっと湿気を帯びて重たいものだ。どんなに科学が進もうとその点だけは変わらず、だから原始時代から今に至るまで、男女差の問題は常に人の話題にのぼるのだと。良くも悪くも。
確かにラビは今の身体に適応した。警察ですらラビが元男とわからなかったというのだから、それは本当にすごいことだ。
しかし男として重ねた数十年がある限り『元男』としての精神的な属性が消えるとはとても思えないと、そうラビは考えていた。だから自分はどこまでいっても『女の子タイプの戦闘ドロイド・ボディをもつ男性』であり、それは変わる事がないのだと。
だが「女の子ラビ」は、そんなラビの心を見透かしたように笑った。
「『人格を転送する』ことの意味を正しくわかってないみたいだね?それとも、わかんないふり?」
何を言いたいのだろう?
首をかしげるラビに、女の子ラビはまたしてもクスクス笑う。
「もう知ってるよね、元の身体の時の記憶っていうのは別の身体に移すと具体性を失うって事」
「知ってるよ。だからこそ、この身体に順応できたんだから」
そこが夢の中である事も気にせず、ラビも反論した。
「でも、それと男と女という本質は関係ないだろ?」
男と女の間には、どんな超文明でも乗り越えられない壁があるとラビは思っている。
ひとの心は理屈どおりに動かず、複雑でややこしい。
だからこそ人間は面白く、そして厄介なのだと。
「ふふ」
しかし女の子ラビは、そんなラビの考えになど頓着しない。まるでそんな事はどうでもいいと言いたげだった。
そして、ふんわりと笑うと告げた。
「きみが言いたい事もわかるよ。人の性別はその人の歴史で生まれたもの。どんなカタチであれ、簡単に変えられるものではないって事だよね。
でもね、きみの考えには大きな穴があるのわかってる?」
「穴?」
予想外の言葉にラビが首をかしげると、女の子ラビは大きくうなずいた。
「きみが言っているのは生身の人間の話であって、きみみたいな全身サイボーグの事情が反映されてないんだよ」
「……それは」
確かにその通りだった。ラビは言葉をなくした。
「きみは細胞の一個に至るまで完全に女の子なんだよ?脳細胞、肉体、そこから生成されるあらゆるもの、そのすべてが別人に成り果てた存在なんだよ?
それでも、きみは自分が男の子のままでいられると……本当にそう思ってる?」
「……」
反論する言葉をラビは持たなかった。
そんなラビを、女の子ラビはゆっくりと包み込む。まるで逃げられない獲物に頬ずりするかのように。
「だいじょうぶ、こわくないよ……私たちは、もともとひとりなんだから」
そんな声がただ、最後には響きわたっていた。
先の襲撃犯をとらえた事により、一行はそれを警察に運んだ。
ただし運ばれたのはラビも一緒だった。
当人は深く考えていなかったのだが、目覚めたばかりで全力運転してしまったのは事実。駆けつけたミミのみならず、なぜかミクトまでもがそれを後押しした。そしてミクトのローダーによってロディアーヌ警察まで運ばれたラビは、再びメンテナンスベッドで検査させられる羽目になった。
内容からしてルーク側が引き取る可能性もあったが、ミクトは迷わずラビを警察に運んだ。その理由にしても、今ラビは警察にお世話になっているのだから警察に任せるとの事。つまり、どこまでもラビの意向を尊重したものだった。
この一件は、実は歴史的な意味でも大きな出来事だった。
もともとロディアーヌ警察は、中央政府がルークを潰すために作ったもの。つまりルークにとっては敵対組織だった経緯がある。
もっとも中央の犬そのものだった当初のロディアーヌ警察の面影は、今の警察にはない。
鳴り物入りで作られた警察署は、わずかな年月のうちに地元にからめとられ、実態を変化させていった。馴染めない者は中央に逃げ帰るしかなくなり、中央の出先機関としての機能を失っていった。
そして、とどめに地元出身の署長に頭がすげ替えられたところで、ロディアーヌ警察と中央のパイプは完全に切れてしまったのである。
以降、彼らは普通に治安維持組織として機能する事になり、政治色の強いルークと住み分けた。おりしもロディアーヌが次第に大きくなってきていた時代でもあり、そうやって大きくなっていく町に対応したのだ。
だがそれは慣例とか、その場の流れで決まってきたものにすぎなかったのも事実。つまり表立って協業した事は今まで一度もなかった。
それが、ラビという異物を飲み込んだ事で大きく変わったのだ。
「とりあえず異常なしね。よかった」
検査中に眠っていたラビが目覚めた時、まず見えたのはミミの安心したような顔だった。
ただ先日と違うのは、機械の中でなく普通に病室みたいな部屋である事。それとラビの隣にいるのがミクトである事だった。
「まったく、いきなり魔導コア全開とか勘弁してよね。だから無理するなって言ったのに」
「アレが初起動だったとはな。呆れたもんだ、どこの天才だ?」
ミクトが呆れたように頭をかいていた。
「コアの原理も何も知らないのよ、この子。それでアレなのよね。すごいでしょ?」
「ほほう。ミ・モルガン、おまえの目線基準ですらそんなにすごいのか?」
「ええ、文句なし」
なんだろう、とラビは思った。
ミクトとミミは普通に会話しているだけだ。
しかしラビには何故か、老獪な女妖怪二匹が腹の探り合いをしているように見えて仕方なかった。
(ふむ?)
そんな事を考えてから、ラビは自分の考えに思わず苦笑する。
女妖怪ってなんだ。そもそもミクトは男じゃないか。
しかし。
「……?」
なぜだろう。
ミクトは普通に男だ。やたらと美青年というわけでもない。
なのに、ミミと会話しているのを見ると、何故か妖怪じみた老獪な女を思わせるのはなぜなのだろう?
「……」
とりあえずラビはその疑問を心の隅によせて、ミミに質問してみた。
「何か問題はあった?」
「特にないわね。いきなり全力稼働させた事だけが問題かしら?」
「それなんだけどさ。全力稼働したって言われても自覚ないんだけど?」
ラビ本人は、何か特別な事をした自覚はなかった。
「だが実際、あの機動はベルナ級のものどころか通常の生体ドロイドのものではないぞ。あのクラスというともはや、連邦式で言うところのα6型にも匹敵するかもしれん」
ちなみにベルナ級を連邦式に言い直すと、α5型になる。
6型と5型の違いは重力や慣性を制御する機構を持っている事。6型というのは5型の戦闘力に宇宙空間での活動力を追加したものだから、その手の機構がないと話にならない。
……重力や慣性を制御する?
「気づいたようだな」
ラビが眉をしかめたのを見て、ミクトも頷いた。
「どんなに腕力があっても、その身体で重いローダーの装甲を凹ませるのはおかしい、ウエイトが違いすぎるからな」
「それってつまり」
困ったようなラビの言葉に、ミミが微笑んだ。
「慣性を制御して、殴りかかる瞬間に足場を作り全力で踏ん張ったわけね。おそらく筋力も無意識に何倍にもして。これなら純粋に腕力勝負できるでしょう?」
機械と本気で殴り合いをするには、小柄な少女の身体は軽すぎる。それは、あくまで普通の生き物の機能の延長線上にあるベルナ級の最大の欠点。
それを無意識に相殺し、さらに筋力までも引き上げた?
「……そんなバカな」
ラビの口からこぼれたのは、全くもって常識的な感想だった。
「それは人間技じゃないぞ。人間にはもちろん、ベルナ級ドロイドにだってそんな機能はない。ありえない」
「ええそうよ。でも、それをラビちゃんが欲したから実現したのよ。そもそもコアっていうのはそういうものだからね」
「ん、そうなのか?」
ミミの言葉にラビだけでなく、ミクトまで首をかしげていた。
「そうなのかって、どういう事ルークさん?」
「いや、だってそもそもスティカ・ドライヴって、スティカの……いや、おまえさんにスティカという言い方はよくないか、すまん。要はボルダの独自技術……彼らが魔法と呼んでいる未解明技術を使うために不可欠な支援システムだろう?」
「……はぁ?」
ミミは、ミクトの言葉こそ理解できないというように首をかしげた。
「魔導コアはそんな御大層なものじゃないわ」
「いやしかし」
「まぁ聞きなさいな。ルークの技術者にも伝えていいわよ、別に隠すようなものでもないし」
「……」
ミミの言葉と態度を見て、今度はラビが黙った。ラビは意外そうに目を細め、かつてのエンジニアを思わせる顔でミミの言葉を聞き漏らさないようにしている。
「彼らがその器官を取得した時、何があったのかは知らないわ。記録がないし、わたしも調べちゃいないしね。
理由はわからない。でも魔導コアが何であるかは知ってる。
あれはね、砂漠で乾いた子供に水のありかを教えるためのものよ」
ミミは静かに、優しい顔で話を続ける。
「スティカに人々が流れ着いた時、もうあの星には資源も何もなかった。自然界には凶暴な生き物がはびこり、持ち込んだ機材を使い尽くしたら最後、スティカの人間は滅びてしまうはずだった。
だけど、滅びかけたスティカ人の中に突如、魔導コアを持つ者が現れたの。
彼らはその力をもってスティカの自然界の中で生き抜いた。化石資源の代わりに怪物たちを狩り、海の中から金属を取り出してね。そして、自分たちの獲得した不思議な力の特性も調べて、それをうまく運用するカタチで文明を育てていったというわけ」
「……そうなのか?」
「ええ、そうよ」
「……」
ずいぶんと変わった文明だなとラビは思った。
人間の文明とは、生き延びるために知恵を使うところから始まっていると聞く。だが彼らは、まず自分たちの能力を高めたというのか。よくそれで文明が発達したものだと。
だが、その評価は少し間違っている。
まったくのゼロから文明ができる過程ならわかるが、ミミの話を忘れてはならない。
そう。
今のスティカに文明を築いた者たちは、流民だか遭難だか知らないが、他の星からきてスティカに住み着いた者たちという点。つまり、スティカは自然発生タイプの文明とは違う経緯をたどっているというわけだ。
「そんなもんなのか?火を放ったり雷を出したり、そういうもんだと思ってたんだが?」
「どういう印象よそれ……どこぞの娯楽映画じゃないんだから」
「まぁそう言うな。まったく理解できないものを解析しようっていうんだ。そんなファンタジーじみた視点からの調査だって、やってみなくちゃ無駄とも言えないだろう?」
「……まぁね」
「……」
ミミとミクトの会話を、ラビはじっと聞いていた。
ひとが生きるには過酷すぎる環境で生き延びた人たち。その危機の中で獲得したもの。
(獲得……ねえ)
話で聞く限り、ミミには悪いけどラビにも魔法じみたものに思える。
魔法というと眉をしかめる手合も多い。しかし、違う系統の超絶進んでしまった科学を魔法と表現する事は確かにある。
人が宇宙に広がり、自分たち以外の文明と遭遇するようになって。
そうした歴史の中で、一見すると頭を抱えずにはいられないような風変わりな文明は確かに存在した。もちろん多くは解析や理解の結果なるほどと知れるのだけど、そうした文明を表現する言葉として「魔法じみた異種文明」という言葉は普通に存在する。つまり、未解明なものに魔法的な、魔法じみたという表現を使うわけだ。
そう考えると、ラビの中で何かがストンと落ちた気がした。
おそらくルークの方でも解明は続けているのだろう。
どういう原理で動くものか知らないけど、そこに実際にあるのだから、いつかは解明されるだろう。
だったら、ここで悩んでいても意味はないとラビは考えた。
ラビは研究者ではない。むしろこの件に関してはエンドユーザーなのだから、ここでウジウジと悩んでいても何も変わらないだろう。
だったら。
ここでとやかく悩んでいるよりも使い方を覚えたほうがいいし、楽しいだろう。
「ミミ」
「何?」
「魔導コアってやつ、もっと使いこなしてみたいな。訓練法とかあるの?」
「訓練法?」
ミミは少しだけ首をかしげて、そして言った。
「ラビちゃんは、別にルークさんの言うような『魔法』を使いたいわけでしゃないでしょ?あくまで自分の戦いの足しになればいいのよね?」
「もちろん」
ならばとミミは微笑んだ。
「だったら、普通に戦闘訓練すればいいよ。その中で自然に自分なりの使い方っていうのが固まるから」
「そういうもんなの?」
「うん、そういうもんだよ」
「わかった、ありがとう」




