朝
慣れないお風呂攻撃は面白くもあったが、新鮮すぎるのも考えものだ。さすがのラビも精神的に少し疲れてしまった。
もとより、つい先日まで年寄りだったラビだ。新しい肉体は急速にラビの思考も若返らせようとしていたが、今はまだそうもいかない。ルークの男にもらった新しい軍服に身を包んだラビは、ちょっと署内を散歩してみる事にした。
ちなみに余談であるが、軍服を着ようとした瞬間「ええぇ、それ着るの?」と言わんばかりの目線をミミに浴びせられたのはここだけの話である。
下着はソレしかないので女の子っぽいのにするしかなかったのだから、せめて服装くらいは。
そうラビが主張するとミミも「そうね、いきなりはダメよね」とどこか不穏ではあるが認めてくれた。
まぁ、そんなわけで軍服姿での徘徊となったのだけど。
「そういえば」
歩きながらラビはふと先刻の事を思い出した。
ミミの存在を知ってから、状況判断が正しいならばまだ一日もたっていないはずである。にも関わらずミミには奇行が目立ち、それはたびたびラビの首をかしげさせた。
さっきもそうである。
スティカ由来の得体のしれない技術がこのボディに使われている、というのはわかった。
しかし、あの背中ごしに何かブツブツ言っていた言葉……あれがメンテナンスの役に立つのだろうか?
いや。
それを言うならそもそも、謎の器官というのはいったい何なのか?
ラビにとっては謎だらけであった。
「まさか……魔法が使える、なんてアホな事言い出さないよな?」
ふと思いついた自分のくだらない妄想に、思わず自分で苦笑する。
だけど同時に、若い頃に聞いた有名な都市伝説も思い出していた。
それは『スティカ99の謎』なる一種のトンデモ本が元なのだけど、その中に気になる一節があったのだ。
『スティカ国、その国体の謎』
スティカという国には謎が多い。だが最大の謎は、どうして今のような国になったのかという点だ。
そもそもスティカには、ろくな鉱物資源がない。過去に繁栄した文明が掘り尽くしてしまっており、今のスティカ人がスティカにやってきた時、木材や骨といった生物由来以外の資源は、海水から取り出す等の気の遠い方法しか残されていなかったという。いや、一説にはそれすらも希薄であったとも言われる。
にもかかわらず、スティカは自力で宇宙にまで出る文明に成長した。
彼らは、いわゆる鉄工業の時代を経由していない。それらは希少であったから安易に利用できなかったのだ。
他にも彼らの文明には謎の部分が多いのだけど、それらの多くは隠されている。
彼らのテクノロジーの中で我々も利用できるのは生物由来の技術であるが、これらは逆に異様なほどの進化を遂げているとも言える。他に資源がないがゆえの事なのかもしれないが、いったいどうすればあのようなものを生み出せるのか、どうしてそんな事ができるのか、まるで解析できない技術も多いという。
一部の者たちは、そんなスティカをして「彼らは魔法で文明をこしらえたのだ」などと吹聴をはじめる始末である。
当時、なんじゃそりゃと苦笑いした話ではある。
だけどミミのやっている事を見ると、あながちデタラメともラビには思えなかった。
いや。当然であるが、ファンタジックな魔道士が円を描いてどうたらとか、そういう意味の『魔法』ではない。
要は、この国や連邦とは全然違う形態の、全然違うロジックの技術を用いているのではないかという事だ。
これでさえも、ラビにとってはトンデモな話ではある。
しかし少なくとも、スティカの技術の中に得体のしれないものがあるのは事実なわけで。
そしてそれは今、ラビ自身の身体の中にも息づいているのだという。
ならば、ありえない話でもないか。そうも思えるのだ。
正直、ラビの中には戸惑いが多かった。
しかしミミが自分を騙しているとか、そういう悪意の印象はかけらもなかった。
ならば、ラビはその直感を信じる事にした。
ミミはそもそも得体の知れない異星人だし、色々と秘密がありそうだ。異星のおかしな技術のひとつやふたつ、使えても不思議ではないというのも事実。
ふう、とラビは今ひとつためいきをついた。
本当、わからない事だらけだ。
そもそもこのまま警察に居続けるのがいい事とも思えないが、研究室はおそらく警察に封鎖されていて意味がないし、使えそうな情報などはみんな消されてしまっているのだろう。元のラビの個人情報もろとも。
行き場がない。
今のラビは身体ひとつで完結しているのだから、どこにでもいけるし何でもできる。だがその精神はやはり人間であり、思想信条はともかく休める場所の確保はしたい。
なかなか悩みどころである。
と、そんな時、
「ん?」
遠くない場所から喧噪が響いてくる。
ラビはそちらに向かう事にした。
おおよそこの世で警察とつく場所には一種、特有の雰囲気がある。
ここロディアーヌ警察署もその類にもれず、おなじみの受付所のような場所が入り口にある。来訪者の話をとりあえず聞いたり保護したり、あるいは中で軽犯罪者に軽くお説教したりと多目的に使われる場所だ。
そんな場所で、口論している者たちがいた。
「だから、なんでうちの子が悪さしたってのさ!返しなさいよ!できなきゃ面会くらいさせなさいっての!」
「いや、そうは言われてもね。嫌疑が晴れるまでは親御さんにしか会わせるわけには」
「親御さんとうまくいかないからうちで預かってるんじゃないの!あんたたち福祉課のほうに話聞きなさいよ!」
オカマ声を張り上げる、やたらと派手な化粧の「女」。それに渋い顔で黙々と応対している職員。
おそらくは近郊のちょっと特殊な飲食店の経営者であろう。よくある光景がラビの目の前に展開されていた。
いわゆる性同一障害をもつ青少年を、水商売系の職種の人々が預かるのはこの星ではよくある事で、時々ちゃんと調査も行われている。結果次第では法的保護も保証もなされる。まぁ偏見も多いのだが。
ちなみにロディアーヌ地方の特徴として、なぜかこういう施設の長を園長と呼ぶ。理由はわからないが歴史的なものだそうだ。
その光景を見たラビは、内心苦笑いした。
「性同一障害か」
考えてみれば今の自分だって今、男の精神が女の子の身体につっこまれている状態である。
途中経過が違うし男、女へのこだわりも違う。本物の性同一性障害の人には「一緒にするな」と言われそうではあるのだけど、今のラビにその言葉はちょっと胸にひっかかる。他人ごととは思えない響きがあった。
だがラビは胸にひっかかっただけだったが、騒いでいた女の方はそうはいかなかったようだ。ラビの顔をみるなり目の色を変えた。
「まぁラビちゃんじゃないの!」
「え?」
いきなり親しげに声をかけられてラビは一瞬困った。だが女の顔をまじまじとみて「あ」と目を丸くした。
「園長先生じゃん、なんでこんなとこにいるのさ?」
しかも警察相手にひと騒動しているのか。
どうやらラビがラビとして関わった人間のひとりらしい。ラビは彼女に近づいていき、そして彼女を尋問していた警官は少し渋い顔をした。
「きいておくれよラビちゃん。この人たちったらね、うちの子のひとりが女の子を襲ったっていって逮捕しちゃったのさ」
「あら」
ふむ、とラビはうなずいた。
「でも、本当にそんな疑いがかかっちゃったとしたら、それはそれで仕方ないな。おばさんの気持ちだってわからないでもないけど、嫌疑が晴れるのをまつしかないと思うよ?」
「そうだけどねえ、でも面接もさせてくれないんだよ。実の親じゃないとだめだって言ってさ」
「ああ、そういう事」
ラビは警官の方をみて言った。
「私が彼女の身元を保証します。この人はダウンタウンで保育所やってる先生で、友達なんで」
「ほう?」
「みての通りの人だけど、そういう人たちを預かる事もしてる。
ロディアーヌの法では、保護施設の長は実の保護者と同等に扱う事になってるよね?ならば、あとは私が保証する人間として申し分ないなら問題ないと思うけど、どうかな?」
渋い顔をしていた警官だが、ラビが丁寧に話を通してきたせいだろうか、ふむふむと態度をやわらげた。
「君が保証するなら充分だよ。確かラビの名で名誉市民登録の方は……」
「あ、そっちはわからない。署長さんに訊いてもらえるかな」
「ああいや確認した。昨夜のうちに登録完了しているようだね」
何か端末を操作しつつ警官は言った。
「うん、法的根拠もこれでそろった。今福祉課に書類を作らせよう。ご協力ありがとうラビ君」
警官はそう言うと、女性に向けて苦笑ぎみに謝った。
「悪かったね。最近この制度を悪用する奴が多くてさ」
「勘弁しておくれよもう。一時はどうなる事かと思ったよ」
「悪い悪い。もうあんたの顔覚えたから次からは大丈夫だ。なんかあったら庶務課のギドの名を呼んでくれ。それが俺だから」
「ありがとさん。あんたいい男だね」
「はいはい」
名前まで告げられたので気をすっかりよくしたのだろう。女はにこにこ笑って愛想まで振りまきはじめた。
「あいかわらずだね、園長センセ」
「ラビちゃんは色々あったみたいねえ。市民登録されたって事は身体の問題はもう解決したの?」
この手の職種の人間は時として鋭い。この女の世話になった時、ラビはリモコンである事、中のひとが男である事をもしっかりと見抜かれていた。
だからラビも肩をすくめる。
「したした。そのかわり、大事なもんがなくなっちゃったけどね」
「あっはははっ!」
女になってしまったという自嘲をしっかりかぎつけた女はけたたましく笑ったが、
「でもどうしてこんなとこにいるの?ラビちゃんのアジトが爆破されて警察が保護したってニュースで流れてたけど」
「まぁそんなとこかな。気づいたら治療装置につっこまれててね、署長さんにお説教された」
「あらら」
「今日いちにちは無理しないほうがいいって言われてるよ。心配してくれてありがと」
「いえいえ。こっちこそありがとね」
フフフと女は笑った。
「ま、いくとこなかったらアタシのとこいらっしゃいな。前にも言ったけど冗談でなく、いつでも歓迎するわよ?」
昔のラビなら、女の外見をするだけでこうも周囲の反応が違うのかと自嘲したことだろう。
偽者のリモコンヒーロー。
それがかつてのラビの自己評価であったが、それが変わりつつある事にラビは気づいているのだろうか?単にもうリモコンではないというだけの意味ではなく。
「ん、今のところは大丈夫だと思う。……ありがとう」
「うんうん」
微妙に柔らかくなったラビの態度に、うんうんと満足そうに女は微笑んだ。
と、その時だった。
「!」
唐突にラビは右手を突き出し空中の「それ」を掴んだ。
その瞬間、ガラスの割れる音がして、少し遅れて銃声、そして悲鳴や怒号と続けて響いた。
「ラビちゃん!?」
「……」
驚く女の目の前で、ゆっくりと右手を手元に戻し掌を開くラビ。
やけ焦げた右手の皮膚。どうやらミミの言う通り本調子ではないようで、弾丸の勢いを殺しきれなかったらしい。
そしてその中心に、大型の銃弾。
「ら、らららラビちゃん、大変!」
「いや問題ない、それより」
さすがは天下の警察署、ラビが言うより早く警官たちは動き出していた。
ラビが弾丸を手に持っているのに気づいて、何人かの警官がやってきた。
「ラビ君、それが今の銃弾かい?」
「ああ、でもこの弾丸は……なんだろ?」
見たこともない奇妙な弾丸だった。
残念ながらラビは兵器マニアではない。一般的な弾丸ならともかく、特殊弾頭の類になるとお手上げだった。
現物を警官に提示して見せる。やがてバタバタと音をたてて鑑識らしい者も現れた。
「な、なんだこの弾丸?」
「これはいったい……」
だが、近づいてきた老齢の担当のひとりが、ラビの手の銃弾をみて驚いた顔をした。
「おいおいなんだこりゃ、ダイヤモンド徹甲弾じゃないか!」
「なにそれ?」
「……!」
かなり珍しいようで、若い鑑識担当すらも首をひねっていた。だがラビは気づいたようで盛大に眉をしかめた。
そのラビの顔を少し気にするように、老齢の男は口を開いた。
「徹甲弾といえば重金属を使うもんだが、こういう素材も時として使われるんだよ。主にドロイドを狙うスナイパーが使うらしい」
「!」
周囲に緊張した空気が走った。つまりそれはラビ狙いと言ったのと同じ意味だからだ。
「ここロディアーヌ警察署だぞ?……何者だ畜生なめやがって!」
若い警官の怒号が響きわたる。
何人かの警官はどこかに連絡をとっていた。おそらくロディアーヌ中の警官を動かすつもりなのだろう。
と、その時だった。
「おはよう」
「あ、署長。おはようございます」
音を聞きつけたのだろう。颯爽と女署長も建物の奥から現れた。
女署長は周囲の者にクールな顔で挨拶していたが、ラビの手をみて顔色を変えた。
「ラビさん、その弾丸はそこの鑑識に渡して。あなたはすぐ治療室にいきなさい」
「いやちょっと待て」
鑑識に弾丸を渡しつつラビは首をふった。
「みんな南側の窓から離れろ!とばっちり喰ったらまずいから!」
ざわ、と空気が動いた。
「まだ殺気が消えてない。犯人はまだ狙ってる」
「場所はわかる?こっちもセンサー回してるはずだけど」
女署長がちらりと目を向けると、コンソールに向かったままの担当らしき者が首を振った。
「……こちらのセンサーはまだ見つけてないみたいね」
「ノンケミカルタイプじゃないかな。火薬センサーじゃないのを使ってみて」
「わかったわ。ラビさんもさがりなさい」
「いや、オレは出る」
そういってチラリと女署長の方をみる。女署長はその意味に気づき非難の声をあげかけたようだが、
「自分が病み上がりなの忘れちゃだめよ、ラビさん」
「わかってる。ありがとう」
そう応対すると周囲をみて、
「対狙撃班を出して、ラビさんを狙う者を探索なさい!彼女の勇気に私たちは警察の誇りで応えるのよ!」
「了解!」




