お風呂
全年齢でシャワー室なんて初めてです。ちょっと困った。
お湯のシャワーやお風呂というのは、水の少ない地域ではなかなか普及しないものだ。
特に近年、この国では連邦式の空気風呂が普及していた。単に汚れを落とすのなら非常に強力なもので、わざわざ大量のお湯を作るタイプのお風呂は、外国人の風習としてはともかく、一般には衰退しつつあるものの一つだった。
そしてそれはラビの中の人も例外ではなかったのだけど。
「な、なんだこの空間は?」
中に入った瞬間の感想はというと、ズバリそれだった。
無理もない。
シャワー室の床が、何か小さな四角い白いブロックでびっしり覆われていたのだ。
「面白いでしょ?『せみらっくたいる』っていうんだって。ソルっていう星のデザインらしいよ」
「ソル?」
「ええ」
ミミは頷いた。
「連邦公用語、つまり銀河連邦で使ってる言葉ね。連邦語の提唱者、アーロン・ラケール・ラムザを知ってる?彼が当時住んでいた銀河辺境の星よ。ここから、そうね……この星の単位で1900光年ちょいってところかしら?。
この床の素材は、そこで作られたものらしいの」
「へぇ……」
ラビは、この床がなんなのか正しく理解したわけではない。
ただ、アーロンというと『アーロンの杖を掲げる』とか、連邦で有名な言葉の元になった人だという知識はあったから、そっちの方で心の琴線に触れたようだった。
そんなラビの内心をよそに会話は続く。
「ちなみにだけど、今、ソルには彼の同族は暮らしてないわ。アルカイン系の住民が住み着いて文明を作っているけど、まだ外宇宙に進出するほどにはなってないの。
だけど少し前、そこからひとりの人間が保護されたのよね。
そんな状況もあって、裏では密かに物流が動いてるの。この床素材もそのルートで来たものらしいわ」
要するに、宇宙的にも結構珍しい素材と言いたいのだろう。
だがラビの興味はそこでなく、かつてのアーロンの故郷から新たに人間が保護されたという点だった。
その事件はもしかして。
「まて、それってケセオ・アルカイン事件の事じゃないか?」
「そうよ?」
簡単に説明しておこう。
ケセオ・アルカイン事件というのは、この銀河系全体を揺るがした大事件の事だ。
といっても内容は単純明快。辺境の惑星より連れだされた現地の少年が、高機能ドロイド、つまりアンドロイドの少女と結ばれた。ただそれだけの事件だった。
なぜそれが大事件かというと、ややこしいのはこの、アンドロイドの少女を巡る事情が大変ややこしかった事に起因する。
詳しい説明は端折るが、銀河生命のすべての歴史を書き換えるような、途方もない大事件のはじまりでもあったのである。
何しろ、現在この星の住民の何割かにあたる『ドロイド系住民』だって、この事件がなければ生まれてこなかったのだから。
この星はドロイド系住民がたくさん生まれる事で人口が安定し、国として発展し始めた。つまりケセオ・アルカイン事件は遠い宇宙での出来事ではあるが、この星の人々にとっても重大な事件なのである。
以上、解説おわり。
で、それはいい。
ラビの考える問題は別にあった。
「少し前って、おまえ……二百年も前だろその話」
「うん、もうそんなになるんだねえ」
「なるんだねって……」
おまえ、いったい歳いくつだよ。
その言葉をラビは飲み込んだ。
女性に歳を尋ねるのは確かに失礼だが、ラビが黙った理由はそれではない。
むしろ。
それを聞くのはとても恐ろしいこと。そんな気がしたからだ。
「それより、さぁ入りましょ?」
「え、ちょ、タオル取らないで!」
誰かとシャワー自体が初めて。
エア風呂が普及した頃にはいい歳だったし、エア風呂に誰かと入るというのは、それなりの関係同士の場合が多い。
だから当然、誰かとシャワー浴びたりお湯のお風呂に入るなんて機会は今までなかったわけで。
ラビはどうする事もできず、上から下まで徹底的に洗われていった。
そんなラビにも意外であったのはミミの態度だ。姉のように、あるいは母のようにミミはラビを扱った。乱暴ではないが必要以上に甘やかすでもない。ラビはそんなミミの態度に、幼い頃の母のイメージがタブってならなかった。
旦那がいたというけど子供もいたんだろう。そうラビは思った。
「はい、とりあえずそこ、湯船に浸かってなさい」
「これ?入るの?」
「そうよ」
「ういっす」
身内のイメージは信頼を呼ぶ。
ラビはもはや無駄に逆らう事なく、この慣れない習慣にゆったりと身をさらしていた。
言われるままにお湯の湯船に、おっかなびっくり浸かり。
そんなラビの目の前で、ミミは自分の身体を手早く洗っていく。
上から下へ順番に。
内情はともかく肉体的には見た目通りの若さのようで、瑞々しい素肌はお湯を軽やかにはじく。ラビがせめて見た目通りの年齢の女の子ならお化粧などのノリに思いを馳せるのだろうけど、あいにくラビには未だその感覚はない。よって、さすがに手早いもんだなぁと一般的な感想を抱いたにすぎなかった。
だがラビは気づいていない。
もしラビが数日前、まだ老人だった頃にミミと一緒にシャワーを浴びていたとしたら。少々若すぎる中にもしっかりと女を感じるミミの肢体に、もっと若い時に出会っていたらと少し寂しさを感じたろうに。
そう。
既にラビは深い意識レベルで、ミミを同性と認識してしまっているのだ。本人も気づかないほどに。
「ふう」
そんなわけで、ミミも洗い終わり。
「入るの?じゃあ出る」
「でなくていいわよ?」
え、というラビの戸惑いをまるっと無視して、ミミも湯船に入ってきた。
「ちょ、狭くない?」
さすがの至近距離に、湯船自体が初対面のラビは驚いたのだけれど。
「大丈夫、これって筋肉の塊みたいなごっつい野郎を想定したものだからね」
ふたりとも女だし、しかもかなり小柄。だから問題ないというのだろう。
「それよりラビちゃん、ちょっと背中向けて」
「ら、ラビちゃん?」
その呼び方に絶句したラビに、ミミはおかまいなしに言葉をつなぐ。
「もう女の子なんだから、いろいろと変えないとね。まずは呼び名から」
「そんなもんかね……」
「そんなもんだよ。で、ほら背中」
「あ、うん。でも何で?」
「いいから」
ラビは気づいていないのだが、ミミのしゃべり方に彼女は影響を受けている。少しずつ、でも確かにラビの口調は丸く、女の子っぽいものに変化しつつあった。
実のところ、ミミはこうした技術を得意ともしていた。
コトバは人に影響を与える。
たとえば、ひとりの人間が「オレ」というか「私」というか。たったそれだけで印象はガラリと変わるものだが、それは相手に対してだけではない。実は言った当人自身の印象も変わるのだ。
ミミはこうした事をよく知っていて、巧みにラビを誘導しているのだが、ラビ自身はそれに気づかない。そして、気づいた頃には色々と改善されているというわけだ。
まぁ、それより話を戻そう。
ラビは言われるままに背中を向けた。
そしてミミは、そのラビの背中……ちょうど心臓のある反対側あたりのところに手をあて、そして何かブツブツとつぶやきはじめた。
「えっと、なに?」
「静かに」
「あ、はい」
なんだかよくわからないが、騒がない方がいいらしい。
しばらくミミは何かをつぶやいていたが、やがて「よし!」と大きくうなずいた。
そしてその瞬間、
「え……?」
何かがラビの胸の中で、パチッと爆ぜたのだ。
「何、今の?」
「やっぱり予想通りだった。調整して更新かけといたから」
「ち、調整?更新?なんの?」
「魔導コア」
「……なにそれ?」
何やらファンタジーな言葉のご登場だった。
ラビの困惑をよそに、ミミは微笑んだ。
「詳しい説明は理解できないと思うからやめとくね。
簡単にいうと、スティカ……正しくは昔、スティカとつきあいのあったキマルケって国の技術なんだけどね。この国の技術体系には全く存在しないものが使われているの。
ついでに言うと、これはスティカやキマルケの人間には存在する器官なんで彼らは容易に取り扱えるんだけど、それ以外の地域の人はこれを持ってないのよね。
使い方もわからず、存在も知らない。だから保守もできないってわけ」
「……それが、その何とかってヤツなのか?」
「そう。スティカ人やキマルケ人のその組織を技術的に再現したものだけどね」
「スティカ人に存在する、ねえ」
ふむ、とラビは考え込み、そして気づいた。
「ちょいまち、この国にはスティカ系住民も結構いるけど?」
「ええ、いるわね。そして彼らの何割かもその器官は持ってる」
「そうなのか」
「うん。だんだん小さくなってるけどね」
「え、なんで?」
ミミの言葉にラビは首をかしげた。
「そんなの簡単でしょ。だって使い方を知らないんだもの。
使わない器官は退化する。それが進化ってものでしょう?」
「そりゃそうだ」
ミミの言葉は確かにわかりやすかった。
ただし、その何とか器官が何者か、という事については不明だったが。
「それで話を戻すけど、わ……オレの身体に何をしたわけ?」
「ねえラビちゃん。『私』でよくない?オレじゃなくて」
「……」
「今、言い直したでしょ。
でも、元のラビちゃんって自分を『オレ』って言ってたの?」
ここで言う「元のラビちゃん」とは、つまり老人だった頃の事。
「……いや、『私』だったね」
年寄りだったし『俺』という言い方を当時のラビはしなかった。ゆえに一人称は『私』だった。
ちなみに『ラビ』をはじめた時に「オレ」を採用したのは、その方が元気っぽくていいだろうと思ったからだったりする。
どこか年寄りくさい発想だが、そりゃ本当にお年寄りだったのだから仕方あるまい。
で、それはそれとして。
「そういう事なら、そして今は『私』でいいんじゃない?リモコンだった頃と今は違うって意味でもいいと思うよ?」
「……」
「ね?」
実際、わざわざキャラ付けする意味はもうない。演技せずともラビは今、ネイティブにラビそのものなのだから。
それを心の中で飲み込んだうえで、万感をこめてラビは返答した。
「うん、それもそうだね」
「でしょう?」
「わかった。じゃ、今から『私』にするよ」
「うんうん」
にっこりと笑うミミに苦笑し返し、そしてラビは言葉を続けた。
「じゃあ、再度質問、私の身体に何をしたの?」
「単刀直入にいえば、ラビちゃんがそのコアを扱えるようにしたんだよ」
「扱えるように?どうやって?」
当然のラビの疑問に、ミミは「それはね」と微笑み頷いた。
「ラビちゃんは徒手空拳で戦うんだよね?空も飛べないし」
「うん、そう」
「その補助的な使い方になるね」
「補助?」
「うん。だって、本来の術式を使えっていっても無理だと思うから」
ミミは大きく頷くと、
「あとでちょっと使ってみよ?実地の方がわかりやすいでしょ?」
「確かに」
ミミの言葉にラビは頷いた。
そしてラビはやがて立ち上がり、
「よし、そんじゃ出るか!」
「え?あーはいはい」
ミミは一瞬だけ眉をよせたが、どうやらラビの興味が完全に『魔導コア』に移った事にすぐ気づいた。
どうやらラビは、慣れない環境の恥ずかしさより未知への興味が先行するタイプらしい。
なるほどねと、ミミは心の中で笑った。
(さて、ラビちゃんはどんな風に使いこなしてくれるかしら?)
「おい、ミミ」
「うん出るよ、ラビちゃん先出ていい……ってよくない、ちょっと待って!」
「へ?」
「出る前に拭くの!そのままはダメ!」
「そうなの?」
「あたりまえでしょ……」
「いや、そう言われてもお湯の風呂なんて初めてだし」
「水泳は?沐浴は?お風呂だけが液体に浸かる事じゃないでしょ?」
「……」
「ダメだわこの子」
タハハと困ったように笑うミミ。
だけどその顔と裏腹にその目はどこか、可愛いペットを相手にするような優しさを秘めていた。
『せみらっくたいる』
セラミックタイルの間違いですが、指摘できる人がこの星にはいないので、そのままになっています。




