人形遊戯5
礼拝堂。
整然と並べられた木製のベンチが幾重に設置され、その最奥には祭壇と思しきがあった。
ユウの言葉通り、道中にあった2部屋に魔物の気配はなく、またこの礼拝堂に関しても同様だった。
「サンギンで間違いないのか?」
祭壇に佇む人影を捉え、カリローが声をかけるのだが反応はない。
「あなたと取引をしにきた。危害を与えるつもりはない、どうか応じてもらえないだろうか?」
「取引…だと?」
人影はゆらりと動いてこちらへ振り返る。彼の瞳の軌道にそって金色の光が闇を舞う。
「スレア=ワイナリーという女性に聞き覚えはあるかい?」
「知らないな」
「あなたがその手に持つ聖杯の復元に協力した人物だと聞き及んでいるのだが、変だな。本当に彼女のことを知らないというつもりかな?」
サンギンは無言で肩をすくめる。
「もし、あなたが望むというのなら、彼女とどこか遠い地での暮らしを約束する」
「知らないといったはずだが?」
「彼女を庇う腹積もりなら杞憂だよ。僕らは彼女からあなたのことを聞いているからね」
「だから、知らないといっている」
サンギンが目を細め、声音には苛立ちが混ざる。
埒があかない。カリローは大きく息を吸い込み、緩やかに長く息を吐く。
「…わかったよ、率直に行こう。僕らはあなたの持っている聖杯の所有者でね。魔術師ギルドから奪ったそれを返して貰いたい」
「ああ、そちらの方がよほどしっくり来る。煩わしい建前など並べずにとっとと本題に入ればいいものを」
金色の瞳が見開かれ、さきほどよりも光量をずっと増した。
「カリローよ。こいつは一度大人しくさせんと話が進まんぞ」
「同感。取り付く島もないし」
カチャリと金属音を立てて2人は自分の獲物を手に取る。
「生憎だが、馴染むまでもう少し時間がかかるのでね。お前達の相手はお前達自身でやってくれ」
パチリと指を鳴らすと、サンギンとカリロー達の間に3体の人影が突如として現れる。
その姿はカリローたちもよく知った顔で、銃剣を備えた拳銃を構え、ウォーハンマーとカイトシールドを持ち、樫の杖を携えていた。
「ドッペルゲンガー…」
「なんと、まぁ…」
「予想通りの行動なのかしら」
口々に声を揃えて、現れた影に向かって走駆する。
影もまた同様の行動を取り、互いの獲物をぶつけ合う。力は互角で拮抗し、その場で競り合う。
「神聖魔法でも悪質な奴だとは聞いとったが、こうも簡単に自分を作られると困惑するの」
相手のウォーハンマーを力任せに押し退け、カイトシールドで相手の顔を殴りつけるとカピィール自身にも顔を殴られた衝撃が走る。
「こんなのいつの間に仕掛けられたんだか…。ほんと嫌になるね、でもスタイルいいわ。さすがあたし」
銃剣を振り回し、攻防を入れ替えながら、ナトゥーアとその影は互いに一歩も引かずその場で剣舞する。
「分かっていると思うが、ダメージはこちらに返ってくるからな。防戦に徹しろよ?」
カリローは相手の繰り出す杖術に舌を巻きながら、なんとか喰らいついく。前情報通り、精霊魔法を行使する素振りがないのがせめてもの救いだった。
「これは素晴らしい。高レベルの方々のようだ、私には君たちの動きをとても目で追いきれないよ」
目の前で繰り広げられる戦闘に興奮したのか、鼻息を荒くしてサンギンは手中に収めた聖杯を強く握り締めると、それに呼応するように聖杯はリィンと鈴の音を響かせる。
「で、これってどうやればいいんだっけ?」
「相手のマナ切れを待つ」
「聖杯がある以上、そいつぁ望み薄だな。さきにこっちがくたばる」
襲いかかる自分の影の攻撃を受け止めながら、状況打破について相談するのだが予定通り、こちらの敗走ぐらいしか頭に浮かばない。
「そこまで分かっていて、何故粘る? …待て、この建物に入ってきたのは5人のはずだ」
「5人。5人ね。そうか、彼女はそこまで徹底されているのか」
カリローが笑う。
「あとの2人はどこだ?」
「足手まといだから1つ前の部屋で待機してもらってるって言えば納得してもらえるかしら?」
ナトゥーアが茶化す。
「1つ前の部屋だと? 待て、…そんなところには誰もいない」
「ユウの言うとおりだ。全部見透かしていやがった」
カピィールが自分の影を押し倒し、祭壇への道を切り開く。
「ごめんね。例え間違っていても、この方法が一番いいと思ったから」
神聖魔法の補助によって視界を確保していたサンギンの目には何も映らない。
ただ、すぐ傍で落ち着いた口調で話す少女の声だけが響く。
続いて自身の体に衝撃が突き抜け、サンギンは意識を手放しそうになる。なんとか踏みとどまった彼へ、さらに後頭部に衝撃が走ると今度こそ意識を失った。
■
「さて、相変わらず出番がない」
「ハチヤ君はスレアさんと一緒に神聖魔法で隠れることにしたんだから、しょうがないよー」
祭壇にかけられたランプの光源の下で、縄で縛り上げられ倒れたままのサンギンへ治癒魔法を施しながらハチヤがぼやく。その傍にはスレアもおり、彼の意識が戻るのをじっと待っている。
「ドッペルゲンガーはどういう神聖魔法だったんかの?」
「対象の体毛とマナを触媒に召喚したゴーストの上位版…。今回は上位版だったね、術者と対象者によって、その効果は上下するようだがね」
「いつの間に奪われてたんだろうねぇ…体毛、たぶん髪の毛だろうけど」
「最初の広場で暴れた時にじゃないかな? 汗でも代用は可能でしょ、アル?」
ナトゥーアとユウは木製のベンチに腰掛けすっかりくつろいでおり、カリローとカピィールも座りこそしていないものの、ベンチに背中を預け戦闘態勢を解除していた。
「代用は可能だろうね。神聖魔法は割といい加減な部分がありすぎて断言し辛いけれど」
「う…ここ、は?」
「サンギン様」
サンギンが気が付くと体の自由はきかず、仰向けに寝かされていた。直前まで持っていたはずのアーティファクトも取り上げられたようで手元にはない。
「大丈夫ですか? すみません、私が…」
「その声は…。死んでいたと思っていたよ、無事だったのだね」
ポロポロと涙をこぼすスレアに焦点を合わせ、驚いた表情を浮かべた後、優しい声音でサンギンは彼女の無事を知り安堵した。
サンギンが目を覚ましたことを確認すると、ユウは立ち上がり礼拝堂から黙って出て行く。
「なんだ、ユウ。変なものでも見つけたのか?」
「別に…」
「サンギン司祭。僕と話していたことを覚えてはいるかな?」
「取引の話だったかな。あの時はスレアさんは死んでいたと思っていたからね。君の言葉は火に油だったよ」
「それはすまないことした。非礼は詫びよう」
「いや、構わない。それよりこの状況はどういうことだろうか? てっきり官憲にでも突き出されるものだと思っていたのだが…」
サンギンは仰向けのままでも見知った光景であることを理解し、自分が気絶している間にどうとでも出来たはずのカリローの行動の根幹が何を目的としているのか分からず困惑する。
「言ったはずだ。あなたが望むというのなら、彼女とどこか遠い地での暮らしを約束する、と」
「…本気で言っているのかね?」
「もちろんだとも」
「聖杯を復元するためにあらゆるものを犠牲にし、また自分が救われる為だけに何百の命を奪った私に平穏に生きろ。そう言っているのかね?」
サンギンはそういって大声で笑い始める。
「それは拷問より酷い。スレアに何を吹き込まれた? いつ、私が生きたいと望んだ?」
「彼女は被害者だ。それにもう、いまはただの一般人だ」
「なるほど、なるほど。確かに…。以前は感じられなかった恩恵の力を感じる。君達よりは遥かに弱々しいものだが…」
サンギンの狂喜めいた視線がスレアを射抜く。
彼の豹変ぶりにカリローも会話を続ける程度の思考しか働かない。
「スレア。私に聖杯を渡せ」
「…はい。光の精霊」
礼拝堂が白一色に染まる。
その眩い輝きに4人は視力を奪われた。
「カリローさん、アーティファクト!」
「ぐっ、あ…」
ナトゥーアの言葉を聞いて、とっさにポーチにしまってある聖杯へ手を伸ばすが、横腹に鋭い痛みを感じ思わず膝をつく。
「いいぞ、スレア。聖杯は肉体。あとは血で満たされることで完成する。私へ捧げろ」
「はい」
「ハチヤ君、そいつに止めを刺して。きっとやばい!」
「くっそ、何でだよ。生きて平穏に暮らせるって幸せを、前向きに受け止めろよ!」
反射的にバスタードソードを引き抜き、サンギンがいた場所へ勢いよく振り下ろす。肉を切り裂く手応えはあった。けれどそれを苦痛に感じて叫ぶ声も、剣をどけようと逆らう反応すら感じない。
「ああ、これが救い」
ナトゥーアが視力を取り戻した時、そこには仰向けに倒れたまま杯から赤い液体を嚥下するサンギンと、その傍らにうずくまり動かない女性の姿があった。
「なんてことを…」
バリバリと杯をむさぼるサンギンの心臓へ2丁あわせて6発の鉛玉を打ち込んだが、生命活動が停止する様子はない。
「みんな、入り口まで下がって」
「ぐ…何が起きた?」
「いいから走れ!」
ナトゥーアは叫んだことで義理は果たしたとでもいうように、真っ先に礼拝堂の入り口へ走る。
少し遅れて3人も彼女の剣幕に気圧され、ワケも変わらないままに追いかけてきている。
「さすが御使い様を打ち破る実力の持ち主…」
振り返った先にいたのは今も体を膨張させるサンギンだったモノ。2対の翼と青銅色の肌、一昨日見たばかりの『テンシ』によく似た生物が体長4mもの人型の巨人へと変貌していく。
「…危機察知能力に関しても、並の人間とは一線を画する」
サンギンはスレアを足を掴み、片手でやすやすと持ち上げる。
「スレアさんをどうするつもり?」
「知識を喰うのだよ。聖杯だけではまだ足りない、ひとつになろう。スレア」
ナトゥーアはとっさに拳銃を構えるが、ぶらさがったままのスレアが左右に首を振る。
サンギンは彼女を持ち直すと、そのまま文字通りその巨体へずぶりと押し込んで飲み干していく。あとには何も残らず、服も髪の毛も、彼女を想起させるあらゆる存在が失せていた。
「…ごめんなさい、か」
「ナトゥーア?」
「この状況、こうなることを予想してた?」
「…1割に賭けたけど、言い訳はしない」
礼拝堂の入り口ですべてを見ていたユウがナトゥーアの問いかけに、抑揚のない声で答える。
「彼女の遺言だよ。ごめんなさいだってさ」
「知ってる、ぜんぶ見てたから」
「…スレアさんはどうなったんだ?」
「死んだよ。混ざっているから厳密にはいなくなった、だけど。…どの道もう会えない」
ユウは木刀を構え、天使の姿を模した巨人へと切っ先を向ける。
「ふ…む? ユウだったか。スレアと同族、忌むべき者よ」
「やっぱり、スレアをそういう目で見ていたんだね」
「合点がいった…。だが、こうなる結末を知っていたな、ユウ?」
「さきほど、賭けたと言ったな、ユウよ?」
「なんだよ、お前知ってて黙ってたっていうのかよ…」
悲しげに目を伏せたユウへ仲間からの非難の雨が降る。
「…あとで謝る。だから今は助けて!」
けれど少女は答えず、顔を上げ、倒すべき巨人へと闘志を燃やす。
返事は待たない。
睥睨する巨人へと一気に距離をつめた。
つづきます