異界の調べ6
追記 4/7 修正
カリローは目まぐるしく変わる景色に追いつかない。
ユウに状況を確認しようにも、口を開く余裕すらない。ただ振り落とされないよう黙ってしがみつく以外の選択肢が用意されていなかった。
「アル、このまま召喚者の懐に飛び込む」
わずかにスピードが弱まり、それにつれて揺れも若干マシになる。
「場所は分かっているのか?」
「案ずるな。契約に誓い、人の子を届けるのが私の役目だ」
カリローの問いかけの返事は白銀の狼、それと同時に一瞬の圧力の後に来る浮遊感。
真下には祭殿を連想させるレンガ造りの建物。
カリローはようやくジッグラトの遺跡、それも遥か上空に到着したことを知る。体感にすれば、ほんの一瞬の出来事で理解が現実に追いつかない。
「よもや、建物を壊すななどと世迷言を申すなよ?」
「天…、屋上にはいないのか?」
「傲慢な彼奴らのことだ。人の子が大地より離れることを由とはすまい」
白銀の狼は不適に笑う。
そして急降下、屋上にぽっかりとあいた大穴へ白銀の狼は頭から落下する。
「ん、既に6体か」
ユウは落下中にすれ違った異物の数を口にする。
そして狼はまるで羽毛の如くふわりと着地した。
「では、さらばだ。人の子」
「元気でね、アマテラスも」
2人を背中から降りるのを待ってから、白銀の狼は光の粒となり大気の中へ消え去った。
「…衛兵、にしては対応が早すぎる。何者?」
たどり着いた先は十分な空間があるらしく、困惑した女性の声が反響する。
ユウは肩に担いだ木刀を手に斜に構える。
「他に気配は?」
既に戦うことを決めたユウを、カリローが迂闊な行動に出ないよう釘をさす為に声をかける。
「…部屋に4匹、まだ出てくるみたいだね」
「まだ召喚儀式の最中か、そうなると迂闊に手が出せんな」
暗闇にシルエットだけ浮かぶ、さきほどの声の主を睨みながら、次の一手を考える。
「儀式中だと何か不味い?」
「対価が十分に残っている場合に限るが…」
彼女の足元に描かれた魔法陣が輝き、何人目かの天使をこの世界へ招き入れる。
「5匹目。続きは?」
「下手に召喚者を殺すようなことになれば魔法陣が閉じなくなる。今呼ばれたような生物が自由に行き来できる魔窟の出来上がりというわけだ」
カリローは初めて自分の目で捕捉した天使の姿に薄ら笑いすら浮かべていた。
対象のレベルは40弱、ほぼ人と変わらない姿をもち、背中に鳥のような翼を生やしている。ただ、遠目からでも分かるほど決定的に生物とは異なる質感、石のように硬質で青銅色の肌はこの世界の生物では決してあり得ない。
ユウの証言を鵜呑みにすれば、この短時間で現場に到着したにも関わらず、こんな化物が既に11体もこの世界へ召喚されている事になる。一歩間違えれば国が傾くレベルの大惨事を目の当たりにし、カリローはとても正気ではいられない。
「わかった、だったらまずはその対価を破壊することに専念するね」
そんな彼とは正反対で、傍に立つ少女は冷静だった。
召喚者のいる場所、およそ50mはあるはずの距離を一気に駆け抜ける。周囲を固める天使から放たれる炎や雷、氷の礫に風の刃、それらをすべて予めどこに着弾するのか分かっていたかのように、ユウはギリギリのタイミングでかわしていく。
「神器? いや、成り損なったモドキだね」
あっという間に召喚者と触れ合う距離まで詰め、彼女が手に持つ金属製の杯を見定める。
「く、御使い様!」
最も間近にいた召喚されたばかりの天使がユウと召喚者の間に割って入るより先に、ユウは彼女から杯を掠め取っていた。
返せといわんばかりにユウの左手に天使が手を伸ばすが、右手に握られた木刀がそれを打ち払う。
「深追いするな! 対価さえ奪えば、召喚者を殺さなくても事態は収束する!」
ユウはカリローのアドバイスに従い、天使による執拗な攻撃を避けながら、少しずつ距離をあける。
カリローもユウの撤退を援護すべく、土の精霊を使役して天使とユウの間に壁を作り出すが1秒と待たずに壊される。
「返せ、返しなさい。私は神様に会うの! まがいものではない唯、1柱の神様に!」
狂ったような女性の叫び声と共に、地面が出鱈目に隆起と沈降を繰り返す。
故意に生み出された不安定な足場は、ユウから回避力を奪う。
「ぐっ、面倒な」
「聖杯を返せ」
天使は叫びながら、ユウがバランスを崩してしりもちをついたところに覆いかぶさってくる。
ユウはとっさに木刀を深く地面に突きたてると、それをつっかえ棒に完全に密着されることから逃れる。
さらに体を横転させてうつ伏せになった後、敵に背中を向けることを躊躇わず走る。未だ地面は激しく揺れてるものの、ユウにとって走るだけならこの程度は問題にならない。
「御使い様、捕まえて!」
召喚者から命令と同時に放たれる紅蓮の炎弾。
「召喚者の方も半端な実力者じゃないな。詠唱破棄であの精霊魔法…」
「アル、逃げるよ!」
背後から迫る閃光と爆音に負けじとユウは声を張り上げる。
「無理だ、逃げ場を失っている。水の精霊!」
カリローの放った水弾が紅蓮と衝突して小さな爆発を起こす。
駆け抜けたユウの視線の先には、さきほどの地面の変動で潰れてしまった部屋への入り口があった。
「…上からは無理」
急制動をかけて立ち止まると、ユウは左手に持った杯をポーチへしまう。
「もう一度、あの狼を召喚出来ないか?」
「ごめん、マナ枯渇」
振り返った先に待ち受けるのは5体の天使と召喚者、そしてカリローの心配そうな表情があった。
「だいじょぶ、まだ戦える」
「ハチヤ達が来ればもう少し状況が変わるだろうが…」
カリローはそうやって口にしてみるものの、この場に居ない残り6匹の天使が一向に戻ってこないのがすべてを物語っていた。彼らもまた、死闘を繰り広げている。
「僕が前衛を引き受けよう。ユウはこいつでフォローを頼む」
「弓は体力を使うんだけど」
ユウは弓と矢筒を渋々カリローから受け取ると地面に矢筒を置き、矢を一本取り出す。
「聖杯を返せ」
「土の精霊。空を穿ち、大地から去る者への鉄槌を。アース・ニードル」
ユウを追いかけて先行した天使めがけて、地面から飛び出した土槍がその胴体を貫き、勢いを止める。
「氷の精霊。凍てつく者は等しくすべてを奪う。時を奪い、その美しさを留めるだろう。アイス・コフィン」
続けざまに詠唱を行い、さきほどの天使を氷の中へと封じ込める。
「精霊使い。どうしてこれほどの使い手がタイミングよく2人も?」
「悪いが神のお使いだよ。君はよほど嫌われているらしいね」
無詠唱で放たれる紅蓮の炎弾を、カリローは同じく無詠唱で水弾を放ち相殺した。
近づこうと気配をみせる天使は片っ端からユウの放つ矢が牽制し、そのタイミングを逸している。
「…神? アレが一枚噛んでいるのなら自重は必要ないわ。御使い様」
召喚者は片腕を天高く掲げ、残り4体となった天使へ総攻撃の指示を出す。
「ユウ、左の2体を頼む。僕は右をやる」
何度目かの射撃で天使の肌に矢が通らないことをは確認済みで、唯一ダメージの通る感覚器官、つまり目と口への精密射撃を続けざまに行い、ユウは指示された2体の足止めに成功した。
「世界を綴る1頁…」
「アルカナ使い?」
当事者以外は知る術のない詩に、ユウは思わずぎょっとする。
「若者は出会う。万物を識る魔術師とその世界の広さに
若者は決別する。平穏な日々と狭きやさしい世界に!」
召喚者の右手が振り下ろされ、肘から先が見えない何かに飲み込まれて消える。
「…超越者の狙いはこっちが本命か」
次に右手が現れた時はカードを一枚手に取っていた。
召喚者は続けざまに放たれた意味深なユウの言葉にわずかに首をかしげ、その姿を捉え目を見開く。
「その反応はお仲間なのかしら? 杯を返し、邪魔をしないというのであれば見逃してあげるけれど?」
「世界を綴る5頁…」
「それが貴女の選択ね」
召喚者のカードが1枚のコインへと姿を変える。
「ぐっ、ユウ?」
「旅人は出会う。すべてが幸せな世界を創る指導者に
旅人は決別する。すべてを否定した指導者と」
ユウが何もない空間から取り出したカードは先端に王冠を模した形であつらえた権杖と瞬く間に変化した。
「哀れな人形。…来なさい精霊」
「アル、さがって」
召喚者がコインを握り締め、その手を振るう。
ユウもまた権杖を手にし、カリローを庇うように前に出るとその杖を前面へ突き出す。
刹那、光と音の奔流がその部屋を塗り潰した。
■
ナトゥーアがジッグラトの遺跡へ到着した時、凄惨な光景が目の前に広がっていた。
青銅色の肌の人間にとってつけたような白い鳥のような翼、それらが意味もなく住人をいたぶっている。
「っ! ふざけんな!」
一瞬で頭に血がのぼり、次に気付いた時には両手にハンドガンを構え、弾切れになるまで撃ちつくし、それでもなおトリガーを引き続けていたのか、撃鉄がむなしくカチリカチリと音を立て空回りしていた。
「ナト、ちったぁ頭冷やせよ」
ハチヤが耳元で怒鳴る。
「ぐぉ…がは…、下位存在にこのような」
「悪いが不法侵入だ、お取引願おうか」
カピィールのウォーハンマーが天使の横っ腹に叩き込まれ、もとよりナトゥーアの射撃で瀕死だった天使はそのまま息絶える。
「オレでも手に負えるレベルだな。不幸中のなんとやらか」
「ハチヤ君、あたしは…」
「大丈夫だ、サニティで頭の中すっきりしただろ? 時間もそれほど経っちゃいない。銃声が聞こえてすぐここにたどり着いたしな」
ナトゥーアは一度大きく深呼吸すると、体に染み込んだ手順に従いハンドガンの弾を再装填する。
「…よくわかんないけど、アレが無関係な人、いや生物だったらお構いなしに攻撃してる」
「みたいだな、カピー。行けそうか?」
丁度、ポーションを飲み終えたカピィールはハチヤの声に無言で頷く。
「なにするつもり?」
カピィールはウォーハンマーを振り上げる。周囲に振り下ろす相手などいないはずだ。
「ガリアスレッジ」
神聖魔法の力で増幅された必殺の一撃が死に絶えた天使へ追い討ちをかける。
「羽虫って奴はよ、たいていは仲間の体液に敏感でな。…おでましだ」
カピィールは返り血を拭いながら空を仰ぐ。
天使が5体、この場に集結しつつあった。
「下位存在が我らに手をあげるなど」
「先に手を出したのはあんたらの方でしょ!」
ハンドガンから放たれた一撃が天使の片翼をもぐ。
ナトゥーアは思った以上の破壊力に思わず、「へっ?」と間抜けな声をあげた。
「魔神の祝福か、歪んでいるなこの世界は」
「ナト、とりあえず空飛んでるのは任せる。地上に落ちたのはこっちで抑えるかんな」
ハチヤはカピィールと視線を交わし、墜落する天使に突撃する。一方で思わぬ反撃を受けた天使は仲間のフォローへ1体、一番の脅威対象であるナトゥーアへ3体が攻撃を繰り出した。
天使から放たれる炎弾や雷、氷の礫が頭上から降って来るが、ナトゥーアには術が発動してから行動に移しても、十分間に合う速度にしか見えず、これを余裕をもってかわす。
「ちょこまかと、煩わしい虫けらが」
「3人で嬲っといて、その三下っぽい台詞はどうなのよ?」
返す言葉と同時に射撃を行うが、今度は相手の肌をかすめる程度に終わる。
「ざまぁねーな、『テンシ』さんとやら」
片翼をもがれ、地面へと下り立つことを余儀なくされた天使へ、ハチヤの放ったバスタードソードが閃き、胸部に浅い切り傷を残す。
「裁かれよ」
「…きかねーよ」
フォローに回った天使の放った炎弾はとっさに構えた盾で無効化し、ハチヤは内心では胸をなでおろしつつ、表面的には相手に悟られぬよう、ふてぶてしく口の端を上げる。
「そのへんはレベル差だの、っせーい!」
ハチヤの言動を見透かしたカピィールは相棒の小心者っぷりに苦笑しながら、ウォーハンマーを振り上げる。その一撃はちょうど天使の中心を捉え、嫌な音を立てながらそのまま空へと放り上げた。
「やるね、カピィールさん」
すっかりいつもの調子を取り戻したナトゥーアが囃し立てる。
「ぐっ…、これほど高位の魔神の祝福を受けた存在など…」
フォローに入っていた天使が打ち上げられた方を空中で拾い上げるが、意識はなく重体だった。
「…待て、使徒の方にいる同胞がやられた」
「見逃した下位存在の仕業かもしれぬ、供物を蓄えている場合ではない」
ナトゥーアの相手をしていた3体の天使がざわめく。
「戻らねば…ぐぉ」
「悪いけど、ユウちゃんのとこへは行かせないよ」
背を向けた天使の翼の付け根へ銃弾がささり、たまらず声を上げる。
「ここは私が引き受けよう」
天使の一体が扇状に広がる氷の礫を放ちナトゥーアの足止めを行う。
「ちっ、ハチヤ君。なんか遠隔攻撃できる魔法知らないの?」
それぞれが仲間を背負い、遠ざかる2体の天使を睨みながらナトゥーアが焦れた声で叫ぶ。
「あったらとっくに使ってる。どうせ、あの遺跡の中にいるのと合流するんだろ? 俺達も行こうぜ」
「そうはさせん。お前達は脅威と呼ぶに値する。使徒の安全を守るためにも、私が無に還るまで相手をして貰おう」
天使はこれまで温存していた力を解き放ち、逃げ場の無いように広範囲の雷、炎をナトゥーア達へ続けざまにぶつける。
「ナト、カピー、俺の後ろへ。ディフェンダー、出番だ」
ハチヤは剣を捨て、背負っていたディフェンダーを抜き放ち、ラウンドシールドを天に掲げる。
天使の放つ雷や炎はハチヤの構えた盾と剣により無効化され、背後に隠れるカピィールとナトゥーアも無傷でやり過ごす。そして彼らの無事な姿に天使は戦慄を覚え、真に覚悟を決めた。
「まだだ、まだ力が尽きるまで付き合ってもらう…」
「悪いけど、予定が押してるのよ、ライトニング・バスター」
再び放たれた広範囲の雷と炎の雨を切り裂き、ナトゥーアの放った一撃が天使の上半身ごと綺麗に吹き飛ばした。
「ナト、大丈夫か?」
カピィールがポーションをハンドガンをしまうナトゥーアに押し付け、それをナトゥーアは受け取り無言で飲み干した。
「…へーき。それより行こう」
「そだな。ユウがいるし、よっぽどの事態にはなってないだろうけど…」
ハチヤはディフェンダーを背中へ収めて剣を拾い上げた。
その刹那、ジッグラトの遺跡は内部から放たれた光と衝撃によって崩壊した。