蛮族と響きあう冒険者5
追記 4/7 修正
「グラフ、いるか?」
ボスの声だった。人族に捕まってしまった自分を粛清するためにわざわざ出向いてきたのだろうか、と疑問を浮かべすぐにそれは無いと頭の中で否定した。
あの方はそれほど暇ではない。
ならば今ここにいる理由は何なのだろうかと、体の中で唯一自由に動かせる頭を使って周囲を見渡す。傍にいるボウケンシャの実力が桁外れであることは偵察部隊の1人が見抜き、昨日のうちにあの方を含めた全員にふれまわっている。
あの方はボウケンシャの対応に関して蛮族らしからぬ命令を下した。『構うな、やり過ごせ』と。
当然、あの方の部下から不満の声が漏れるのだが、あの方はもう一度同じことを言って黙らせた。
今思えば、あの方の発言は英断だったのだろう。ボウケンシャの会話を聞き取る限り、彼らはボスのやり方に追い詰められていた。
ゴブリンはボスの登場の理由は分からぬまま、自分の不甲斐なさを悔やむばかりだった。
■
「取引をしたい」
「おや、人族と仲良くやってもいいのかな?」
ナトゥーアは立ち上がると振り返る。
茂みの奥に2m超の背丈を誇る人型の生物が悠然と立っていた。
「情報いらないのか?」
「ナト、相手の方が一枚上手だよ。ハチ、ゴブリンも連れてきて」
「お、おう…」
ユウは立ち上がると特に警戒せず茂みの奥へ進む。それに続いてナトゥーア、ハチヤ、遅れてカリローとカピィールが茂みの奥へと進んだ。
「オーガ…。違うな、変異種か」
カリローは茂みの奥にたたずむ頭に2本の角を生やし、地肌が赤いこと以外は人間とさほど変わらない蛮族を見て相手の種族を口にしてから、それを自身で否定する。
通常のオーガの地肌の色が朱色であれば、目の前のオーガはより濃い赤色、深紅や緋色が該当する。それに個体としての大きさも通常のソレより一回り大きい。レッド・オーガと呼ばれるオーガの中でも強力な力を持つ変異種だとカリローは判断した。
「部下の目に狂いは無いな、どれも手強そうだ…」
オーガは出会い頭に自分をタダのオーガ種で無いことを見抜いたカリロー、隣のカピィール、ナトゥーア、ハチヤと順に観察し、最後にユウを見たところで、戸惑いからか片眉をあげる。
「ん、私は強くないよ?」
視線に気付いたのか、ユウが無表情のまま答える。
オーガは人族の内で最も自分に近い場所に立っていながら『弱い』と宣言する豪胆さにむしろ興味を抱く。実際、彼の目から見ても、彼女は他の人族ほどのレベルの強さを感じない。ならば、人族での彼女の立場はレベルではなく精神的な強さで勝ち得たのだろう。
「愉快だ、人族のメスよ。名を覚えてやろう、名乗るがいい」
「ユウ」
「ユウ…覚えた。取引をしたい。グラフの身柄を大人しくこちらへよこせ」
オーガはハチヤが抱えているゴブリンを指差す。
「オーガ君は何が出来るの?」
「ユウ達を見逃してやろう」
その言葉にユウは押し黙る。目の前の赤色のオーガをちらりと視線を向けた後、仲間の方に振り返った。
「…どうしよう? 完全に上から目線なんだけど?」
ユウは首を傾げて仲間達の反応を窺う。
ユウの行動、敵相手に背中を向ける行為に敵味方共に困惑、焦り、怒りと様々な反応が返ってくるが、本人は気にせず通常運転で仲間の意見を待ち続ける。
最初に口を開いたのはカリローだった。
「正直、レッド・オーガがいることが分かっただけで成果アリだ。相手のレベルは推定で42、戦わなくて済むならそれに越したことは無い」
「あたしとしてはもう少し譲歩してもらってもいいんじゃないかなーって思う。アジトとか教えてくれないかなぁ。でもまぁ、戦力までは知る必要ないかな? そこまで求められてないし」
「ふむ、オレもカリローの意見に賛成だな。あのオーガがオレより強いのは分かる、痛い思いをしないのに越したことは無い」
3人の意見を受けてユウは頷く。そして最後の1人に視線を向けた。
「ハチはどうしたい?」
「俺は…こいつを倒したい。じゃないと騎士団の連中が浮かばれねぇ」
「…それは依頼反故になるから却下だ」
カリローは怒気をはらむハチヤを諌めるように強めの口調で諭す。
「そういうことだから、オーガ君。出来れば貴方のアジトを知りたい」
「…タケミナカタ」
振り返りパーティの意見をまとめ、交渉の余地があるか試すようにユウが目の前のオーガに情報を要求すると、オーガは渋い顔をしてぶっきらぼうに一言。
ユウが反応に困って首を傾げていると、
「俺の名はタケミナカタだ。君付けで呼ぶな」
オーガ、タケミナカタは苛立ったようにそう叫んだ。
ユウはその怒気を孕んだ大声を涼しい顔で受け流すと、名前を教えない方が悪い、とばっちりもいいところだと思いながら交渉を続ける。
「じゃあ、タケ。アジトの情報を教えて?」
「ユウ。豪胆であることと鈍感であることは別だぞ?」
自分を愛称で呼ぶなどと言う、相手次第ではその場で引き裂かれても文句の言えない正気の沙汰とは思えない人族のメスの言動に、思わず彼女の行く末を心配してタケミナカタは忠告してしまった。
「蛮族からアドバイスを貰うとは思わなかった。別にタダとは言ってない。コレを…」
ユウはずかずかと相手の間合いに入るとポーチから取り出した羊皮紙をタケミナカタへ突き出す。完全人族のメスにイニシアチブを取られ、タケミナカタはその不快感を表情に隠すことなく不機嫌にソレを受け取ると、ゆっくりとソレに目を通す。
「周囲の地図。今の貴方達には喉から手が出るほどに欲しいはず」
タケミナカタは羊皮紙に視線を落としたまま固まる。精密に描かれたソレは保有する部下には逆立ちしても作成することは適わない。一考の余地は十分にあった。
「その地図上にアジトの位置を指差すだけで、その地図はくれてしまって問題ない」
「わかった。アジトはここだ。それから人族の襲撃により難民をここに匿っている。無理にとはいわない。だが、人族としての誇りがあるのなら考慮貰いたい」
ユウは地図を片手に指差した2つの地点を頭の中に刻み込むと頷き、取り出したもう一枚の羊皮紙にスラスラと書き込んでいく。
「俺がそれを奪えば憂いはなくなるな」
「タケ…私が何枚用意してると思う?」
ユウの反撃にタケミナカタはぐっと言葉を詰まらせる。その隙にをついてユウは跳ねるようにして一足飛びで相手の攻撃範囲から逃れると、ポーチの中に地図をしまった。
「最初の約束、覚えてるよね?」
ユウは敢えて言葉にして確認する。
本来は意図しない結果を強いられタケミナカタの状況も大きく変わっているはずだ。相手が己の自尊心と安全、どちらを選ぶかユウにも興味があった。
相手の返事は無い。
「ハチ、ゴブリン君を解放してあげて」
「…分かった。約束はまもらねーとな」
ハチヤはタケミナカタを煽るような口調で嫌味を浴びせながら、抱えたゴブリンの捕縛した縄を手首以外バスタードソードで切り落としすと、立ち上がったゴブリンの背中を軽く押してタケミナカタの方へ歩くよう促す。
「ボス、オデ…」
グラフと呼ばれたゴブリンは意気消沈したまま頭を垂れてタケミナカタの反応を窺う。
「グラフ、下がれ。すこし離れた場所にトロールの部隊を待機させてある、合流しろ」
タケミナカタは指一本でグラフの手首の縄を引きちぎると、その小さな背中をドスンと叩いてこの場から速やかに去るように指示した。
「もう会うことも無いだろう。タケミナカタ、人族から言われるのは癪かもしれんが武運を祈る」
「…俺達は相容れない。人族を食らうことが生きる手段なのだ」
ナトゥーア、カリローの順に後ずさり、タケミナカタから距離を離す。
「それでも、アンタが仲間想いのいい奴だって事くらいはわかった」
ハチヤは蛮族も人族も根っこでは同じものなのかもしれないと、今日の出来事で価値観を改めた。先程の言葉はその集大成といってもいい。タケミナカタに背を向けその場から去る素振りを見せる。
「待て、人族のオス」
タケミナカタはハチヤの背負う大剣の柄を見咎め、沸き起こる怒気を体の外へ放出する。
ハチヤは強烈なプレッシャーに耐え切れず思わず振り返ると、タケミナカタから発せられる視線を前に握っていたバスタードソードを取り落とした。
「それは俺の友、ヌァダの持つ武器だ。何故貴様如き人族が持っている?」
相手の姿がさらに一回り大きくなる。膨張した上半身の筋肉が纏っていた衣服を破り捨てる。
「ヌァダ?」
「そうか…俺の友は名を名乗る時間も与えられることなく卑怯に殺されたか」
タケミナカタは拳を強く握りしめすぎたのか、手のひらから流れた青い血が深紅の肌を濡らしていく。
「超越者の言ってた、トロール。たしか…ヌァダ」
「ヌァダ。その無念、今この場で晴らそう!」
両目から流れる涙を拭うことすら忘れ、友の形見をひたすらに凝視する。
「ハチ、構えて!」
「神よ、この出会いに感謝する!」
ユウの脇を抜けて弾丸の如く加速したタケミナカタは、大きく拳を振りかぶりハチヤに向けて突進する。
ハチヤはとっさにディフェンダーを利き手で握り、目の前に迫った深紅の拳に対して左手に持ったカイトシールドで上半身を覆う。
「なっ?」
拳に触れた途端、グシャグシャに壊れていく盾に驚愕する。
(冗談じゃねぇ、ディフェンダーありなら大砲の弾でも弾けるんだぞ!)
ハチヤはとっさに盾を手放し半身を引く。深紅の塊はもはや鉄くずになった盾と共にハチヤの目の前を高速で通り過ぎていく。
「ちょっと、約束が違うでしょ?」
「契約は反故するためにあるのだろう? 人族のよく使う手段だ」
タケミナカタは絡まった鉄くずを投げ捨て、拳銃を向けたナトゥーアをせせら笑う。最初の一撃に萎縮してしまったのか、警戒こそすれど向かって来ようとする者など彼の前にはいなかった。
ただ1人除いて。
ユウは背を向けた相手の頚椎に目掛けて必殺の浴びせ蹴りを放つ。相手はよろめく程度でほとんどダメージを受けた様子は無い。
「ユウ。弱いというのは方便か?」
「超越者の作った定義の上なら」
ユウは半身を向けるタケミナカタへローキックを放つ。確かな手応えがあり、トロールの時のような硬さは無い。
「私は『弱い』!」
創造具現化術によって属性を氷に変えた裏拳が遠心力を伴って相手の鳩尾に沈む。そして拳の周囲の深紅の肌は浅黒く染まり壊死していく。
間違いなくダメージは通っている。けれど、相手はそれを微塵ほども態度に表さない。つまるところ、防御力の低さを補ってあまるほど相手はタフなのだ。
「痛みか…久しく覚えのない感覚だ」
ユウはこのまま相手の体力を削りきるのは無理だと判断し、大きく後ろへ飛び下がった。
ハチヤも彼女の先制攻撃にタケミナカタが気を取られているうちにカリロー達に合流している。
「ヌァダが不覚を取るわけだ。これほどの攻撃を放ってくるとは」
紫紺の光がタケミナカタの腹部を覆い、ユウの放った一撃は無かったことになっていく。
「カピィール、ディフェンダーをハチヤから受け取れ」
カリローは僅かに生まれた猶予を生かすため、口速に生き残るための作戦を立てていく。
「ナトゥーア、君は下がれ」
「分かった」
ナトゥーアはカリローの意図を正しく理解すると、拳銃をガンベルトにしまい、背負っていた狙撃銃を組み立てながらカリローから更に離れた場所へ移動する。
「ユウ、ハチヤ。僕と時間を稼ぐぞ」
最低の指示だ、リーダーが聞いて呆れる。カリローは自己嫌悪に押し潰されそうになる。
それでも相手は待ってくれない。ユウから受けた傷を完治させたタケミナカタと名乗るレッド・オーガは今にも襲い掛からんと深く腰を落としている。
「仕切りなおしだ、人族。ヌァダの仇、討たせてもらう」
さあ、冒険者。不条理に抗え。