クロック家の日常
sideサラ・クロック
数年前、地方の弱小貴族の次女であった私に人生の転機が訪れました。
「………結婚、ですか?」
「ああ。そろそろサラもそういう歳だろう?相手はこの人だ」
そうやって見せられた相手に私は驚きました。だってうちのような弱小貴族では足元にも及ばないような大貴族の名が乗っていたのですから。それにあのお方には既に奥方がいらっしゃったはずですから。
「ああ違う、その隣に書いてあるだろ?ヒーロ家の専属従者家の当主、ゼオ・オ・クロックがお前の結婚相手だ。ヒーロ家はただの保証人だ」
それにしても凄いことです。ヒーロ家の保証を得られるような相手と婚姻を結ぶなど、玉の輿以外の何でもありません。
「あ……と、今日からお世話になります、サラです…」
「あらあらあらまあまあまあ!!貴方がサラさんですか!お話は聞いております!こちらへどうぞ!いや、それにしてもお若い!ウチのジジイ当主なんかがお相手で本当によろしいのですか!?あ、よろしい?なるほどなるほど、覚悟は決まってるんですね!?しかし物好きもいたもんだ!この屋敷ではあの方は男色家なのではないかと噂されるほどに女性に興味を見せずにねぇ!私も最初は籠絡しようと思ってましたけど!?でも!?まあ一月もしない内に諦めましたけどね!!奥様はそんな旦那様が三十路になって始めて選んだ方ですからもう本当にね!ね!聞いてます!?あ、聞いてますか!ならいいんですけどね!いやでも本当によか」
ものすごく賑やかな若いメイドさんの話を聞くとも無しに聞いていると、私の旦那様がやってきました。
メイドさんが言うようなお爺様なのかな、と思っていた私は想像以上に若い姿に失礼と思いつつ視線を外すことができませんでした。灰色の髪は一般的な執事のようになでつけられることなく、少しの風にそよぎ、その顔は私の顔を整っているとするのが恥ずかしくなるほどに整っていました。立ち姿には一部の隙もなく、まるで旦那様の周りにだけ涼しい風が吹いているような気分になりました。
「あ!旦那様じゃないですか!レディを待たせるなんて万死に値しますよ!それにしても旦那様も本当に強情ですよね!さっさと嫁を取れと先代様に蹴り飛ばされても断固として首を縦に振らなかったのですから!どうしたんですか!?一体なんの心境の変化ですか!?失恋!?」
「黙れエミー。口を縫い付けるぞ」
旦那様は私が一時間も止められなかったメイドのおしゃべりを一言で止めると、すっ、と屈んで私と視線を合わせました。私の目を遠慮なしに覗き込んでくる綺麗な藍色の瞳から私は目を逸らすことができず、ひたすら赤面するだけでした。
「まずは顔を一度も見せずにこんな風になってしまったことを謝りたい。君が私の花嫁になるサラで間違いないかな?」
「はっ……ひゃい」
「奥様テンパりすぎ…ぶふっ!!」というメイドさんの声が聞こえましたが、私は目をそちらに向けることができませんでした。それほどに旦那様の瞳は凄まじい引力を持っていました。
「………そうか、私はこの通り、自分の花嫁を自分の屋敷にエスコートすることすらも出来ない駄目な男だ。それでも呆れずに着いて来てくれるか?」
「……はい。私はもう旦那様の花嫁ですから!」
旦那様はそうか、と嬉しそうに呟いた後私の手を取り、屋敷の中を自ら案内してくださいました。
「エミー、思えばあれが一目惚れというものなのですね」
「そうですね!まあ旦那様を一目見た時の奥様の顔!!もう私笑をこらえるのに必死でしたよ!」
「そうでしたね。堪え切れてませんでしたけどね」
今私とエミーの前には一人の小さな赤ん坊が眠っています。顔は旦那様に似た精悍な顔付き。そして私に似たふわふわとした髪。旦那様が綺麗だと褒めてくれた黒髪をした私と旦那様の子供です。
「耳は私に似てますね」
「エミー…折檻されたくないならちょっと黙っててくれないかしら?」
静かになった部屋の中には私と子供の息遣いだけが響いて、とても静かな空間へと変わります。
「奥様、一応言っときますけど私居ますよ」
「廊下でも掃除してきなさい」
エミーがいなくなった瞬間、子供…ゼロがパチリと目を覚ましてふぅ、と溜息を吐きます。
「あら、狸寝入りしてたのかしら?」
「ばっ…!」
ぴし、と固まったゼロは数瞬の後何事もなかったかのように動き出しました。バレバレです。
「でも……本当におかしな子ですね」
「ばぅ、だぁう!」
「今更無邪気気取っても遅いですよ?ゼロ」
こうして大人の空気を読むし、めんどくさい大人の前では常に寝たふりをするし、まるで赤ん坊の中に誰か別の人が入っているかのようです。
「まあ、そんなことは関係ないんですけどね。中身が私達より年上であろうとゼロは私達の子供です」
今後背負うかもしれない苦労共々、始めてその顔を見た瞬間に全て報われてしまいましたから。
そう思いゼロに目を向けると、今度は本当に眠っていました。
「ふふ、おやすみなさい、ゼロ」
sideエミー・レイテ
私はエミー。従者一家のクロック家の唯一のメイドです。そんな私のここ数年の楽しみは、家事の合間にこの家に生まれたお子様…ゼロ様の観察をすることです。
「すぅ……くぅ…」
「あれ、寝てますか」
ゼロ様は寝顔も可愛いです。何故かその顔に備わっている理性と言うか、おっさん臭さと言うか、そんな物も消えて正真正銘の赤ん坊の顔です。
「ゼロ様、今日の晩御飯何がいいですか…?」
「う…ん、エミー…?」
「あっ、ごめんなさい、起こしちゃいました?寝言で返事してくださればそれで良いのに」
「エミーってたまにすごい無茶言うよね」
「無茶じゃないですよぉ。だって2年前は例え眠ってても何かあったら返事してくれたんですよ?」
「………知らないよ…」
おやおや、何やら気まずそうですね。やっぱりあの時の記憶があるのでしょうか?
「……たまに思うんだけどさ…」
「何ですか?」
「この家の人って、なんで俺のことを怖がったりしないの?」
少しの間目を閉じて考えます。怖がる…?
「もしかして、ゼロ様が普通と違うってとこを何故怖がらないのかって意味ですか?」
こくん、と頷くゼロ様。なんで…?と私は再び考えます。
「…別に理由なんてないんじゃないですか?」
「え?」
おうおうこのガキンチョ、全く思いつかなかったって顔してますね。
「だって、例えばワライガエルを可愛いと思うことに理由はありますか?オンソクガメをかっこいいと思うことに理由がありますか?」
「いや、ワライガエルもオンソクガメもキモくね?」
「そういう可愛い物やかっこいい物、大事な物をそうだと感じるのに理由なんてないんですよ」
「いや、あれはキモくね?」
「つまりですね、ゼロ様が例えどんな人間であってもそれがゼロ様で、旦那様も奥様もそんなゼロ様を愛してらっしゃるんですよ」
「…………」
ゆっくりと私の言った言葉を咀嚼して、理解したらしいゼロ様は素晴らしい、輝くような笑顔を私に向けてくれました。
「ありがとう、エミー!よく分かった。俺も父さんや母さん、エミーが大好きなのと変わらないって事だな!」
「ぐふぅっ!!」
いやぁ…流石にその無意識攻撃は効きます…
「しかしワライガエルもオンソクガメもキモくね?それともただの例え?」
「まさか。あの触っただけで笑い転げるチョロさ!笑ってる時の愛嬌!」
「いや、ぐげげげって笑われてもキモいだけじゃね?」
「あの尻尾のブースター!速度を出すためのフォルム!」
「バケツ引きずってる細長い亀にしか見えないんだけど」
「さっきから文句ばっかりですね!何ですか!?嫉妬ですか!?」
「違うわ怪生物オタク!」
サラは生まれて間もない頃の話。エミーは生まれて2〜3年経った頃の話です。
もちろんこの世界でも二歳三歳から言葉を話すのは異常です。