思考を無くし、心を閉じる
「だーうー」
拝啓、大家の娘さん
貴方は私の死体を見つけたのでしょうか?私としてはかなり間抜けな死に方なのであまり見つけられたくはありません。
それと部屋にある本は全て貴方のものにして頂いて結構ですので、パソコンのローカルディスクEの画像ファイルは絶対に見ずに消去してください。
「だーうーあー」
さて、少し本題から逸れてしまいましたね。実は今私は異世界で赤ん坊からもう一度始めることになった次第です。
三十二年の年を巻き戻り、再び新生児から始め、今日でちょうど一週間となりました。未だに慣れないことも多いですが、今の所あの神が知らぬ間にサービスしてくれた『言語理解』の力のおかげで退屈はしておりません。初日に聞こえた神の声によると、この世のありとあらゆる言語を理解し、話せ、書けるということです。おそらく虫とも話せるのでしょう。動けるようになればすぐにでも確認してみる所存でございます。それでは私が言うのもおかしいかとは思いますが、お体にお気をつけてお過ごしください。
敬具
追伸
パソコンのローカルディスクEに入っている画像ファイルは絶対に見ずに消去してください。記憶媒体ごと叩き潰して頂いても構いません。
「あぶっ、うぶう」
「あら、どうしたのかしら…お腹すいた?」
「ばびっ」
……つい変な声を出してしまった。だがこの時間だけはどうにも慣れる事が無い。
そう、餌やりの時間だ。
「ほら飲みなさい……相変わらず本気で拒絶するわね。吸啜反射とかまるで無視ね」
「だばっ」
「あら、返事したわ!お利口さんね〜、その調子でちゃんとご飯食べなさい?」
「…………」
「あら、露骨に視線逸らしたわこの子」
母親の声は綺麗だ。高くはない、少し低めの落ち着いた声だ。ついいつまでも聞いていたくなる。
だがそれとこれとは話が別だ。歯が無いので固形物を食べられないのは分かるし、この時期は基本母乳なのも分かる。だが分かるのと納得するのは別だ。
とは言うが、まあ一週間生き延びていると言うことはだ。分かると思うが…
「ううっ……お母さん悲しいわ。生まれたての子供にそんな風に拒絶されて…………このままじゃ泣いちゃうかもしれないわ」
「………………」
これだ。
自分の腹も確かに関係しているが、基本的にはこの泣き落としが俺が一週間生きている最大の要因だ。
この日もその手段に負け、割とあっさりした液体を摂取する。
「本当楽だわ〜この子」
「………んく」
楽しそうな雰囲気を帯びた声に、腹いせに少しだけ強く噛んでやろうかと考えるが女性に暴力を振るってはいけない。
「……」
「……あら〜?何で離してくれないのかな〜?」
「……」
その代わりに全て搾り取る。多少の恥ずかしさをも捨て、一つの円型チャートをひたすらこなしていく存在へと自らを昇華させる。
「もう出ないわよ〜?」
「………」
「……おっぱい星人」
「だびっ!?」
速攻で顔を離して、さらに手足をばたばたと動かしてその腕から逃れようとする。
「……っふ、ふふふふ」
「だー!だぁぁ!」
母親は今にも大笑いしてしまいそうなのを必死で堪えている。くっ、忘れかけていた羞恥心が…
「本当、おかしな子ねぇ…」
「だばーば!ばあぅあ!……orz」
「え?お…るず?何て言ったのかしら」
数分後、母親は他の所に行ってしまった。おそらく自分も昼飯を食べに行ったのだろう。
「うーだーうーうぅうー♪」
暇なのでお気に入りのアニソンをハミングしていると、股間のあたりに嫌な感触が染み渡った。
「うーうぅうう………っ!!」
これは…餌やりにも勝る羞恥イベント
……お着替えだ。
「あ!ゼロ様……お着替えですか!?お着替えですか!?」
母親との会話の中でこの声はメイドだと分かっている。そしてララという名前だということも。しかし、何故そんなにも嬉しそうに排泄物を処理するのか全くの疑問だ。
「たーだーだー」
「何ガキンチョ以下のくせにいっちょまえに恥ずかしがってるんですか!ウブですか!?」
うるせえなウブなんだよ悪いかよ。
「いやあ……心配しなくてもいいんですよう?大丈夫、天井のシミ数えてる間に終わりますから!」
「だああああ!!!だああああ!!!」
必死に暴れたが、彼女の声に含まれる興奮の匂いを感じて抵抗をやめる。
何故かって?
戦場にいる飢えた男共と一緒の声をしてたからだ。それで悟った。「あ、これヤられる」と。
そうなればもう後の行動は決まっている。自分の心を閉じ、何も感じないようにする。
「あれ、急に反応悪くなりましたね」
何も感じない。入ってくる音は全て自分を惑わす雑音だ。
「おりゃ、くすぐってやりますよ。オラオラ」
全て煩悩。全てを滅却し、自己という存在から解放されるのだ。
「うーん、なかなか強情ですね…フォークで足の裏付き刺せばどうにかなりますかね」
「ぴょっ!?」
まだまだ修行が足りんか。