Eyes1 新居到着
2016年9月9日改編完了
西暦2097年
世界全土を震撼させるEyes Syndrome(以降ESと略称する)の発症が初めて確認されてから、およそ100年という歳月が経とうとしていた。
ある一定条件が揃うと、脳髄と眼球の激痛と共に人智を超えた力を得ることが出来る。
一騎当千……いや、それでは、説明が追いつかない。
例えば、生身で10tトラックに突っ込まれても、傷一つ負わず、軽く走っただけで、生物の世界最速を優に超え、一撃で高層ビルを粉々に粉砕できる……そう言った類のモノだ。
戦車、戦闘機といった通常戦力では、手の打ちようがない。唯一対抗できるモノがあるとすれば、そう……それは、同じ力を持ったES発症者のみである。
人の身にそんな力が宿るなど、明らかに常軌を逸している……だが、なんのリスクも背負わず、無償で強大な力を手に出来る筈がない。
その代償として、敵対するものと一週間の間に、最低一回の戦闘を行わなければならない。
一週間……簡単なように思えるが、この制約は絶対である。
もし、そのルールを遵守しなかった場合、この与えられた神の如き力を全て失い、なおかつ、人間の《三大欲求》と《喜怒哀楽》を失うことになり、声を掛けても碌な返答すらできない、文字通りの《生ける人形》が出来あがる。
ESの発症が確認された当初は、そんなルールさえも解らず、多くの心神喪失者(正式名称Lost Eyes…略してLE)を生み出す最悪な状況を招く事となった。
その結果、日本は以前より指摘されていた少子高齢化に対し、より一層、拍車をかける事となったのは言うまでもない。
その大きな理由として、GEを発症してしまうのが、13歳~18歳までの……大人になる前の少年少女達だったからと言うのが明確な原因だった。
発症に至る経緯などの要因や発症経路などについては、一般には一切公開されておらず、その根幹にある…何が原因でヒトがESの能力を突然開花させてしまうのかは、一部の研究者と政府の上層部が知るのみである。
AEはGEの発症原因を作った者達で、その者達全てが発症する訳ではないが、日本に住んでいる限り、どんな人間であっても、誰しもがESを発症させるリスクを背負って生きている事を忘れてはならない。
加えて、AEには、発症年齢の制限等は一切ない。
1990年代後半、ES発症者が日本各地で発見されてから、およそ40年後、世界中で大規模な自然災害が発生……
食糧調達が困難な状況に各国が追い込まれてしまう。領土を増やし、自国の民の食生活を安定させるために、一時は沈静化されていた国と国との国土を争う戦争が激化する事を余儀なくされた。
戦争が加熱する中、暗黙の了解で日本は戦争を免れてきた。
もし、諸外国が日本と戦争を行うと仮定し、日本がこのES発症者を投下した場合、他国は手も足も出ないという理由があった為と伝えられている。
日本がこの世界全土を覆う戦争に一切の関心を示さなかったのは、他国にとって見れば、ありがたいことだったのかもしれない。
かつて、食糧の調達の多くを海外の輸入に頼りきりになっていた日本がES発症者達を投入してでも、領土を拡大していくのが自然な考えなのだが、以前から指摘されていた食糧自給率の改善の為、日本は他国に一切の進軍をせず、国策として続けていた埋立地の建設に邁進し、自国の領土を大幅に増加させていたからに他ならない。
これにより、日本は自国の領土内での自主生産・自主消費の糧を身に付けることに成功したのである。
この為、日本地図は一世紀前のような形はしていない。離れていた離島を拡大するように埋め立てを行った為、本土との距離もかなり狭まっている。
農業専門の土地を多数作ることに成功し、食料自給の全てを自国での賄えるようにした事が、他国への進軍を防いだ大きなファクターの一つと言えるだろう。
片や日本政府は、原因不明のESの力の暴走と精神の消失が世界全土に流布・拡散することを恐れ、日本国内からの他国への出国、並びに他国から日本への侵入の一切を禁じ、国家の盤石化とESの拡散防止を計っていた。
それに伴い、日本全国のES発症者をとある場所へと収監・隔離し、数十年という歳月を掛け、原因を究明しようとした。
長い年月を経て、仮初めの成功を収めたのである。
仮初め……そう、あくまで仮初めである。
このESに対して、根本療法と呼べるものは未だに解明されていない。今、現状でわかっている対症療法でしか、対策が取れていないのが実状である。
そして、現在でも治療法は確立されることはなく、今もなお人々を苦しませている。
だが、注意すべき点が一点ある……
相反することではあるのだが、このESによって、多くの救われた者がいるという事実も忘れてはならない。
そして、現在………
雪村秀一は、少し遠い目をしながら新居を眺めていた。アパートと言うよりも高級マンションという感じだ。
建物の周囲には、芝生とそれを取り囲むように、鮮やかな若葉を付けた木々が二十数本、凛と立ち並んでいる。
横にいた雫が姿を消したことに気が付き、後ろを振り返ると、雫が遠い何かに思い託すのように風に揺れる若葉を見つめていた。
「あの、雫さん?」
『……ん?どうかしたの?』と何事も無かったかのように、秀一の言葉に反応した。
恐らくはこの行動は無意識によるもの「いえ、何でも」と別段気にする必要性もない……とこの場はスルーしておいた。
視点を元に戻す……新居のマンションは8階建てで、外壁の塗装は、グレーとブラウンを基調としている。劣化している様な点は、全く見受けられず、この建物が建築されてから、それ程長い年月が経過していないことは明白だった。
正面玄関を入っていくと、少し先にもう一つ自動ドアが見える。その手前には、詰所の様なモノが併設されていた。
左右が住居スペースになっている様で、上を見上げるとガラス張りになっていた。住居スペースの間が天井まで吹き抜けになっているようで、自動ドアの先も同様で吹き抜け状態に見える。
(あっ、ここが外から見ると吹き抜けに見えてたとこか。これなら、雨は侵入の心配はない……一安心だ)
マンションの正面玄関のロックは、個々人のアクセサリーに反応しているらしい。つまり、ここに住む者しか開閉をすることは許されていないのである。
先程の詰所に見えたモノは、想像していた通り、受付となっていた。常駐で守衛がいて、外部からの不正侵入を防ぐために出入管理をしていると言えばわかりやすいだろうか。
秀一も雫も、この場所から新居までの行き方も、これから住む部屋番号すらも把握していなかった為、必然的に立ち寄る事になる。
二人とも家の大きさは違えど、一軒家にしか住んだ事しか経験がないのだから仕方ない。
「すいません」と声をかけると、笑顔で『こんにちは、新しい入居者の方ですね』とすぐさま反応が返ってきた。秀一達の確認はもう済んでいるらしい。
一瞬、秀一だけがその姿にたじろんでしまった。そこにいたのは、人ではなく……ガイノイドだったからだ。
ガイノイド……つまりはヒューマノイド、いや、一般的にはアンドロイドと言った方がわかりやすいだろう。つまり、人に見えるが人ではないモノがそこにいる。
こんなところで、働いている人間がいないことは当然の場所……そこでこんな反応をしたら、雫でなかったとしても、何事かと焦ってしまう。
『ど、どうしたの?大丈夫?』
「……えっ……えぇ、少しビックリしただけですから」と平静を装って(全く装えていないが……)噛みながらも何とか言葉を絞り出すことができた。
恐らく、これは経験の差……秀一と雫の生活水準の違いでしかない。耳についている電波を受信する為の突起物、これがある意味、衣服を身に纏っている状態では唯一のヒトではない証とも言える。
もちろん、服を脱がせてみれば、ヒトではない証拠が確認できるのだが……それはあくまで不具合が出た場合、取り換えが容易に出来るよう、関節部分に所々切れ目が見えるのだが、メンテナンスの時でもない限り晒される事はほとんどない。
「申し訳ありません」とガイノイドに頭を下げ、謝意を表した。
『いえいえ、良くあることですし、慣れていない方に好奇の眼を向けられるのは、日常茶飯事です……お気に為さらないでください。私共に頭など下げられてはなりませんよ?こちらこそ申し訳ありませんでした』と逆に頭を下げられてしまう。
その声質と話し口調……そして、この反応を見るに、人間のソレと比べてもなんら遜色はない。
『?』とやはり雫は首を傾げている。秀一の行動はそれだけ雫にとって不思議に映ったのだろう。
『では、気を取り直して、説明させていただきます…』
「よろしくお願いします」と続きを願い出た。
『以前からここに住んでいる方々へのご挨拶は、基本的に不要です。配送を御依頼された荷物はこちらで一時的にお預かりします、この扉の開閉も私共で行っておりますので、御帰宅の際は必ずこちらへお立ち寄りください』
なるほどと秀一が頷く。雫も話は聞いてはいるのだが、特に反応を示さない。
『正面入って、すぐの一階フロアは憩いの場と各入居者の方々の物置がございます。そのまま、真っ直ぐに進んでいただきますと、エレベーターがありますので、そちらを使って、お部屋のある階まで移動してください』
「物置ですね……」
(家に入れる必要のない大きいモノと言えば、自転車とかだろうか?一応、物置の大きさも確認しておこう)
『秀一様と雫様のお部屋は307号室となっております、他に何かご不明な点はございますか?』
「307号室ですね……わかりました」
『はい、その通りです』とにこやかにガイノイドが微笑みを向ける。
「質問に関しては……」雫に目を向けると首を振っていたので「大丈夫です」と続けて答える。
『では、今後、何かご用命の際は、何なりとお申し付けください』と頭を再び下げられた。
『雪村秀一様、久遠雫様、これからよろしくお願いいたしします。では、どうぞ』言葉とともに自動ドアが開く。
「よろしくお願いします」秀一も頭をさげ、歩を進めた。雫は当たり前のように頭を下げず、秀一に追従した。
自動ドアを抜けると、言われたとおり、正面中央に円柱状のエレベーターがそびえ立っていた。
秀一の率直な感想は「普通の住まいではない」である。
こういった穿った見方をしてしまうのは、実に子供らしくないと言えるが、一人暮らしをしようとしていた秀一を単なる子供と捉えてしまうのは、そもそもの間違いだろう。
その中央エレベーターの足元には、芝生が敷き詰められ、少し目線を外すと、ベンチらしきものが確認できる。
(ここに住む人たちが集会することを想定した場所なのかな?……でも、それはあり得ない)
収監施設と言う環境から鑑みるに、こういった場で集会を行う可能性は考えにくい。秀一達ES発症者に向けて作られた物ではなく、収監施設の外の世界の試作品として、作られた様に感じられた。
と唐突に雫が片膝を着き、周囲の建物には目もくれず、道脇にあった花壇の花を愛でているようだった。
園芸に造詣が深いのか、はたまた、ただの思い付きなのかは、不明ではあるが、その様子は真面目一色……心なしか、先程よりも表情が色付いているようにも見て取れた。
やはり、外で木々を見ていたのは、何か思う所があっての行動なのは、今の雫の所作を見ていれば良くわかる。
声を掛けるのを躊躇ったが、視線を感じたのか…雫は何事も無かったかのように立ちあがり『…ね、行こっか』と秀一へそう告げた。
再度中央エレベーター見ると、エレベーターから左右に通路が伸びており、各階に枝別れしているのが確認できる。
(こんな作りで耐震性は本当に大丈夫だろうか……)
進む方向を間違えると、再度エレベーターを使わなければならない事態に陥ると思われるが、誰がどこの場所に住んでいるのかは受付で全て管理されている為、間違った方向に進む事はまずない。何か用事でもない限りは、別の階には止まらないし、別方向へ進む事もない。
こんな構造の建物に住むとなると、費用は一体いくらだろうか?費用を確認しなかったのは間違いだっただろうか?等と思考を巡らせている秀一は、同年代の少年少女に比べて、落ち着き払い過ぎている・感受性に乏しいと言っても差し支えがない。
全てにおいて、無関心などと言うことは決してない。
一方の雫はと言うと、秀一とは全くの真逆で、先程の雰囲気とは少々違い、徐々に新居に近づくにつれて、嬉々として目をキラキラと光らせながら、これから秀一と二人で住む新居に思いを馳せているかのようだった。
1階フロアに目線を戻し、周りを見ると、軽い遊具があり、子供たちが遊べるスペースが用意されていた。1階に住居らしきものは見当たらない。
その他にあるのは、衛生管理用の資材置き場・各部屋の住民が使用する自転車等、自宅には運べない大きな物を置く倉庫がある程度だ。
念のため、先に倉庫も確認しておく……秀一達の部屋ナンバーの倉庫のロックは外れるが、他の住居者の倉庫のロックは、外れなかったので、他の住人も一緒だろう。当たり前のことだが中には何も入っていない。
「当たり前ですけど、何もないですね……」
『ぅ、うん……し、新居だからね』
今は何もない、そう、この空っぽの状態から全てがスタートする。
「では、本丸へと行きましょう」
?を頭に浮かべているが『ぅ、うん』と頷きエレベーターへと向かう。
確認作業も終わり、ようやく、エレベーターに乗り込む。1、2、3、5、6、7、8にフォーカスが当てられている。4階部分はこの施設全体の管理部分に割り当てられているようで番号がない点から人が住む住居スペースはないようだ。
当たり前だが、一般的なエレベーターの様な行く階層を決めるボタンはない。1、2、3……動作を止め、右手側のドアが開く、中央から左手が301、302、303号室。
右手側が305、306、そして秀一が住む予定の307号室となっている。奥に非常口が見える。恐らくはあそこに階段があり、トラブル時はそこを使用する事になるのだろう。
(外観を見る限りだけど…うん、きっといい部屋でしょうね!!なんで今日出逢ったばかりの女の子が一緒に居るんだろう……父さん、母さん、いろんな意味で涙が出そうです……)
と秀一の心情はひとまず置いておこう……
307号室……ここがこれからの生活の軸となる。まずは、ロックが秀一達のアクセサリーで本当に解除出来るかを試さなくてはいけない。
雫から確かめてみるが、問題はなかったようだ。雫に再度ロックを掛けてもらい、秀一も確認してみたが、鍵の施錠・解錠認証はあっさりと終わった。
石橋を叩いて渡るようだが、蓋を開けてみたら出来ませんでした……ではお話にならない。
そして、ようやく、その扉を開く……
「…ただいま」『……ただいま』と二人ともが少し困惑気味にお互いの顔を見ながらも少しぎこちない笑顔で新たな住まいへと入る。
「改めて、これからよろしくお願いします」『……ふ、不束者ですが、ょ、よろしく』
ここからがスタート、これから二人での生活が始まる……様々な不安とほんのひと欠片の希望を胸に抱いて……
居間から各部屋を覗きながら、これからの生活について検討を始める。二人がどの部屋を使うかすら決まってないのだ。物件の下見をしてからの入居ではないので、しっかりと間取りも把握できているわけではない。
『……ん、部屋が三つあるね。どうしよっか?』
「そうですね…………玄関口に近い部屋は、僕の方がいいんじゃないでしょうか?その方が対応にいろいろ困らないと思いますし……」
『……ぅん。わかった。それがいいと思う。そうしよう……』そう言うとダイニングキッチンを抜け、スタスタと新たな自分の巣へと入って行こうとした。
「ちょ、ちょっと、いきなり部屋に入って扉を閉めないで!……雫さん、一緒に住むんでしたら、色々とルールを決めないと!!」
『……ん?ルール?』閉めかけたドアからひょこっと顔をのぞかせながら、首を傾げる。
「そうです、ルールです。基本的には、炊事・洗濯・掃除、家事全般の分担の事です」
「あと、他には、お互いにこれだけは守って欲しい、これだけは譲れない、とかそういったことです」
『……ん~~?メイドさん雇う?』
「……へっ??」予期せぬ解答に間の抜けた声が飛び出る。
自分達で出来る限りの全てをこなす秀一達のような、言わば平民には、理解しがたいこと唐突に切り出してきた。
メイド……つまり、ハウスキーパーと呼ばれる職業を秀一が知らないわけではない。
だが、ここに一般人はいないとなれば、必然的にメイドロボを購入する事になる……きっと、高価なものに違いない。
新参者の二人に、おいそれと容易に手が出せる代物ではないのは確かだ。
確かに建物の管理をしていたガイノイドがいた以上、ある程度の財があるのなら、手に入れることは不可能ではないのだろう。
『さっきの人、PTを出せばメイドさん雇えるって言ってた』
「……え~~と……アンドロイドやガイノイドのことかな?メイドロボ……雇うんですか?」
『ぅ、うん…必要じゃないかな??』
ある程度収入がある一般家庭にも、アンドロイドやガイノイドと呼ばれるお手伝い専用のロボットがいないわけではない。
いないわけではないが、それが高価なことに代わりはないのだ。ましてや、一般的な中学生であった秀一には、そんな考えが及ぶわけもなかった。
「…………よく考えてください。僕らはまだ新人ですよ?そんな高額なPT持っているわけないですよね」
『一家に一台のメイドロボ、価格は高いモノじゃなくてもいい!だから大丈夫!』
そんなことは、知らない・関係ないとばかりに、胸を張りながら自信満々に言い放った……秀一の頭痛の種が消えるのはいつになるだろう?
「こほん…と・に・か・く!まずは、自分たちでやれることは、自分たちでやっていきましょう」
雫は、少し肩を落としていた。
『……私、生まれてからずっと家事とか一切やったことないょ』口調が尻すぼみになる、認めたくはないが事実らしい。
(ぐっ、本気だ!?やっぱり、どこかのお嬢様か………)
何か勘違い、いや……ある意味で一貫性のある雫の思考を発想を転換して考えてみる。
(ん?久遠?久遠!?まさか……まさかとは思うが、大企業のKudo Companyの令嬢か?いや、まさかそんなわけない……けど、ありえない話じゃないか……)
(……どちらにせよ、家事全般を少しずつ教えていくしかないか……もしこの先、雫さんが一人暮らしや僕以外の誰かと共同生活をするにしても、流石にこれじゃあ困るよなぁ……)
「……わかりました。僕もそこまで得意ではないですけど、二人で少しずつ、勉強しながらやっていきましょう……雫さん、それで構わないですか?」
『…………ん!わかった。大丈夫!一人じゃ不安だけど、二人なら頑張れる』
(おぉ!納得して、いい返事をしてくれた。さっきはメイド!メイド!って息巻いてたのに……けど、これ、一人暮らしの倍はキツいぞ……頑張るしかないな)
秀一に一方的に納得させられた形ではあるが、もし、メイドがいる事が雫にとって自然だったとしたら?それが雫にとっての日常だったとしたら?……雫の発言は仕方無いと言えるのではないだろうか。
一般的な常識と言われるモノが万人にとっての常識なんて事はあり得ない。例えば、雫の常識(当たり前)が秀一にとっての非常識に当たるように、秀一にとっての常識が雫にとっての非常識なのは、当たり前のことなのだから……
全てが常識で、全てが非常識であるという認識を持って生活していかなければ、これから先の未来はない。
それはさておき、空腹が続いてしまっては、これからの闘いに身体を備えられない。支障が出てしまう。
「さてと、冷蔵庫の中身で何か作りましょうか。数日は困らないように……っと、さすがと言うべきでしょうか、色々と手配してくれてますよ」
と冷蔵庫を開いてみると、かなりの品数がそろっていた。欲しいモノがほぼ一式揃っている。これだと、二人で消化するのに三、四日は時間を必要とするだろう。
アイランドキッチンの周りも見渡して全てを確認する。野菜一式と肉類、調味料、鍋各種、調理器具各種、炊飯器まである。IHの台の隣には、日本食を愛する者には欠かせない米櫃まであった。
なんとまぁ、素晴らしい…家具家電付き賃貸、まるで、レ○○レス!!
とそれはおいといて、食材を投入して、データを入力し、勝手に調理、なんていう画期的な物も世の中には流通しているが、かなり高価な代物だ。中がどんな構造になっているか等は企業秘密……自宅で至高の料理を堪能下さい…なんてフレーズを最近も耳にした気がする。
もしかしたら、雫の家にはあったのかもしれない。
秀一の家庭は、裕福な家という訳ではなく一般家庭であった為、両親も共働きしており、秀一本人が料理をする機会が何度もあった。
『ん?私にも何か作れそう?』と不安そうな顔を向けてくる。家庭科なんて科目が所属していた学校にあったかすら怪しい表情……
「雫さん……変な事を聞きますけど、琴って弾けますか?」
『軽くなら弾けると思うけど、どうして?』
(ビンゴだ……一般教養として、学校の授業では、琴は実用化はされてない。有り得ない所を突いたはずなのに……)
音楽に精通していない人間なら、触れたことがあるのは、精々ピアノやギターがいい所だ。雫に音楽に対する素養があったとしても、琴は的を射ていない質問だったはずなのだ。
「いえ、ただ、聞いてみたかっただけです……」
『そう?』なんだかよくわからないと顔に思いっきり出ている。話を元に戻さねば、時間がない。
「えっと、手の込んだ品を作るのも何ですけど、僕も自分だけで作った事はあまりないので、手間は掛かりますが、今日に関しては時間の余裕があります。多少無理をしましょう」
「初めは見て、覚えてもらうことになりますが、徐々に一緒にできるように今日は見ていてくださいね」
対等でありたいのか、少し不服そうな顔をしながらも『うん、わかった』としょうがないよねと自嘲気味に言葉を放つ。
「さて、カレーでも作りますか?冷蔵庫の中身を見る限り、何とかなりそうですよ」
雫がキッチン周りの野菜や冷蔵庫の中を確認しているが、何が必要なのかな?と小首を傾げているようにしか見えない。
「市販のカレールウもあるみたいですし、何とかなります。明日もカレーになってしまいますが……構いませんか?……出来ればですが、後々の事も考えて、ある程度時間も作りたいので、我慢してもらえると助かります」
(以前、スパイスから作ろうとして、スゴイものが出来てしまった事がある。だから無茶はしない……よくよく考えてみると、いつ食材なんてこの部屋に運んだのだろう?消費期限はまだあるみたいだし……そういった専門のスタッフがいるのだろうか?いや、安全性を考えるなら、ヒューマノイドを使用していると考えるのが正しいかな?)
余談ではあるが、先程のメイドかどうとかいう話は別として、一定のルーチンをこなすだけのメイドロボとは別の……AI(Artificial Intelligence、人工知能の略である)を保有するガイノイドがこの収監施設には常駐していた。
大林の話だと、一般人はこの隔離施設にはいないという説明から推測するに、商品の運搬、この収監施設全体の衛生管理などを、人の手を借りず、AI保有のヒューマノイドがこなしていると仮説が立てられる。
『……ぅ、うん、大丈夫、我慢する……ねぇ、一つ聞いてもいい?』
「はい、何でしょうか?」
『……なんで、そんなしゃべり方なの?同い年だよね……出来れば、普通に話して欲しい』
「普通にですか………えっと、う~~ん、これが僕の普通って言ったらいいのでしょうか?」
「まだ、僕は雫さんと話していて、緊張しているんです。慣れるまでこのままという訳にはいきませんか?」
『……緊張してるの?なんで??』緊張させるようなことしてる?とばかりに疑問符を浮かべ、首を傾げている。雫を見ているとリスの様な小動物が目に浮かぶ。
(あ~~、これあえて言わなきゃいけないのかな?普通、女の子と一つ屋根の下、緊張しない方がおかしいだろう。質問に質問で返すのは、あまり良くないけど……)
「逆に雫さんは、僕と話をしたりとか一緒に居て、緊張とかはしないんですか?」
『緊張はしてないよ。すごく感謝はしてる!!』
「ま、まぁ……その件は、おいおいということで、まずはカレー作りましょうか?」
『むぅ~~……ん……そだね。頑張ろう!』納得はしてもらえなかったようだが、この場は何とか凌げた様だ。
冷蔵庫から色々と取り出しては見たが、時折首を傾げたりして、不思議そうな顔をしている。多分、雫は料理の、りの字も知らない。下手すると、元の形状を保ったままの野菜すら見たことないのかもしれない……
もしかしたら、データベースに調理の方法やらが掲載されているかもしれない。検索を後でかけてみよう。
(とりあえず、今日は見ててもらおう)
時間の余裕はあるとは言ったものの、正直な話、自宅で毎度料理をしていた訳ではない秀一が作る以上、本当は余裕がない、時間が掛かってしまっては厄介だ。
「あ、そうでした……味付けは辛めが良いですか?それとも、甘めが良いですか?」
『甘めが良い、辛いのはちょっと苦手……』
「わかりました。雫さんの好みに合わせましょう。途中、味見をお願いしますね」
『味見?味見って何するの?』
(なっ、なるほど……経験する機会がないと、下手すれば、幼稚園児でも解ることを知らないんだ……)
「えっと、そのタイミングでお願いしますから、それまでは良く様子を見ていて下さい」
『ぅ、うん、わかった』と興味津々といった感じで、秀一の手元と顔を交互に見ながら、調理を観察していた。
本来は包丁を使ったりして、野菜等を切ったりして、調理に関わって欲しかったりするのが、秀一の本音ではあるが、調理説明の段階で首を傾げていたりしていた所を見ると、本当に箱入りだろう。
時間もない上にすぐ教えるのは怖い。まずは前述の通り、見て一通りの何となくの流れを掴んでくれればそれでいい。
とはいえ秀一も緊張している為か、普通の動作が所々いつもの様にはできていなかったが、何とか形にはなった。
「よしっ……雫さん、味見をお願い出来ますか?ちょっとだけ食べてみて、このままでいいか?それとも甘さが足りないとか、その判断で今から微調整をしますんで……あ、熱いんで気を付けてくださいね」
小鉢に少しだけ調理途中のカレーを取り分け、フゥーフゥーと吐息で冷まし、雫に手渡す。味見を行ったことがないのか、首を傾げていたが、意を決して口へ運んでいた。
『んっ……これでいいと思う』
ピーというアラーム音がちょうど鳴り、二人して振り返る。炊飯器が湯気を出して、炊きあがりを知らせていた。
(ご飯も炊けたみたいだ……あ、そうだ!……福神漬けもらっきょうもなかったな、今日は我慢しよう。あっ、汁モノ作ってない。冷蔵庫のオレンジジュースがあったか……僕は何でもできる家政婦じゃない……今まではただの中学生だよ………さてと、盛りつけるか)
取り皿にお互いのライスとカレールーを盛り付け、食卓に飾る。色どりが少なかった為、レタスやパプリカ・トマトなどの生野菜サラダも用意しておいた。飲み物はオレンジジュースで今日は我慢だ。
「さて、雫さん、完成です。いただきましょうか」
雫は首を傾げ『ん??いつもと違うよ。分かれてないけど』と率直な違和感を秀一にぶつける。
(……ん~~~??まさか、ルウとご飯が分かれてないって仰りたいのかな?しかも、いつもと違うっていったよね。家で出てきても、このスタイルじゃないって事?それって料理屋さんで出てくるスタイルだよね?あぁ、ギャップが凄いよ、激しいよ!僕と雫さんの認識を同じぐらいにするのに、相当時間かかるかも……)と痛い頭を再度抱える。
「えっと……ですね。一般家庭では、ルウとご飯が一緒になっていることがよくあるんですよ……おかしいってわけじゃないですから、安心してください」
『……ん、秀くんが言うんだったら、大丈夫だよね?』
信じてるよと信頼の視線を感じる、全幅の信頼を寄せられても困るが、今は肯定しておこう。
「えぇ、もちろん、大丈夫ですよ」と笑顔で頷くと彼女も納得してくれているようだった。
食事中は会話を弾ませる事はなく、淡々と食事を進めていた。この辺りは雫にとって、当たり前の習慣だったのかもしれない。
食事を済ませ、片付けを終え、ルール決めをしていた。
基本的に一番初めは、全てを秀一がやることになるだろう。
作業を見ていてもらい、それを徐々に覚えていってもらい、それから正式に分担するのが妥当。
メイドを雇った(購入)方が楽なのは、明白なのだが、秀一自身が元々の自分の生活と違いすぎてしまい、もし、ここから出れるようなことがあれば、元の生活に戻れる自信がない。
慣れというのは、非常に怖いものなのだ。
話しは変わって、明日以降のことについて……大林が言っていた事を思い出していた。初め、ニュービーはニュービー同士で戦うのが通例……その前に、熟練者同士の戦闘を見て、その戦闘方法等を、勉強してこいという話だ。
集合場所は、特に何も言ってなかった気がする、失念した。
日程の余裕もないし、明日の朝確認しよう。
とりあえずの行動指針と明日の日程が決まったため、あらかじめ溜めていたお風呂に入ることにする。
レディーファーストだと思い、彼女に先に風呂に入るように勧めると
『……ぇっ?なんで一緒に入らないの??』
「え゛っ!!一人で入るのが、普通ですよ!」
『……私、一人でお風呂に入ったことない』
「じゃあ、お父さんやお母さんと一緒にお風呂に入っていたのですか?もしくは、祖父母の方とか?」
答えはNOだ!勢いよく首を振っていらっしゃる『ううん……メイド』
(あ~~~~!!父さん、母さん、間違いないです、確定です!!この子、一般家庭で育ってないです!)
秀一のこの収監施設に来るまでの冷静さをことごとく破壊する雫……お互いの当たり前・日常が通用しないのだから、当分の間は諦めるしかない……がこればかりは折れるわけにはいかない。
どんなに紳士であろうとしても、秀一は男なのだ。地雷だらけの桃源郷に無謀に突っ込んでいくほど、馬鹿ではない。
「……あのですね。これからは、一人で入ってもらうことになります。メイドさんのような人は、この家にはいません。これから慣れて頂けませんか?」
『うぅ~……一緒に入ってくれないの??』
(お願いですから、雫さん、涙目でそんな視線を僕に向けないで下さい。こっちが泣きたいです)
「ふぅ~~~っ」と目を瞑りながら深呼吸をし、何とか冷静さの仮面を被る。
「……雫さん、良いですか?僕は男です。雫さんは、女の子です。言いたいことはわかりますか?」
『……私は構わないよ』と頬を赤らめている、その発言が満更でもないから余計にタチが悪い。
(ダメだ……話が噛み合わない。僕が無理なんですよとは言えないしなぁ……何か、何かないか?いい方法が……くっ、仕方ない)
「……雫さん、年頃の男性と女性が一緒にお風呂に入るという行為は、そこには、お互いの同意が必要になります」
「恋愛感情などを抜きにして、そんなことはしては絶対にいけません。それに僕と雫さんは、知り合ってたったの一日です。僕らはあまりにもお互いを知らなさすぎる」
「本来であれば、たった二人で、一緒に同じ家に住むというこの行為さえも問題です。あんまり駄々を捏ねると……」
こんな言い方をするべきじゃないことも、秀一のような思春期真っただ中の少年がすべき話じゃないことは百も承知……本来であれば、本能に身を任せてしまうような歳なのだから……
「…………僕がこの家から出ていきますが、構いませんか?」
(キツい言い方になってしまったが、納得してくれるだろうか?)
『うぅ………絶対やだ。秀くんと一緒がいい!!』
俯き、少し間をおいて
『……我慢するから一緒に居させて欲しい……ぐすっ……ダメ?』
(ぐっ……マズイ……完全に泣かせてしまった。こうなる事はわかっていても、良心が痛い)
ズキっと胸の奥に鈍い痛みが走る感覚に陥る。
「あ、あの、え、えっと、雫さんのことが嫌いだから、こんなことを言ったんじゃないんです!」
「雫さんが自分の身体を大事にすることを覚えて欲しかったんです、一緒に居たくないとか、そういうことでは決してないですから安心してください!」
ポーカーフェイスがことごとく崩される様はさながら、波にさらわれる砂の城のようにも思える。
『…………ほんと??』と涙をぬぐいながらこちらを見ている。「えぇ、もちろんですよ」と瞬時に笑顔を作り頷く。
雫も何とか泣きやんで頷いてくれていた。
(何とかなった……かな。涙は心を抉る……やっぱり何度見ても痛い……)
少し落ち着きを取り戻した雫に、秀一は風呂に入るように勧め、今はその真っ最中……一緒に着衣のまま風呂場に赴き、あえて、風呂場での道具の使い方についてレクチャーした。
一から十まで説明するのは、少し骨が折れた。知っている可能性もあったが、わからない事だらけで雫を風呂場に投入して、裸で秀一の目の前に参上されても、目の行き場に困ってしまう。
雫も、少し落ち着いてくれたようで、今は一人でお風呂に入ってくれている。
たまに『これはどうすればいいんだっけ?』なんて言葉がこちらに飛んでくるぐらいで、再度教えてあげれば、別段困ったことはなさそうだ。
さて、これから生活していく家だ……雫が秀一への注意が散漫になっている間に、周囲をよく見てみる必要がある。
統一性は確かにある……ファンシーだ。
秀一の趣味趣向は、ともかくとして、生活雑貨等の日用品がほぼ揃っている。今は、それが気掛かりでしかない。
買い替えるとなると、結構なお値段がすること請け合いだ。ある意味で言えば、ニュービーへの支援の一環だろう。新品だが、少女の雫ならともかく、この様な少女趣味がない秀一には少々荷が重すぎた。
(いつか、必ず、自分の部屋だけでも模様替えをしよう)
それとは別に男として、いや、少年少女として目のやり場に困るものが存在した……
「っっ!!??」……避妊具と生理用品が置かれていたことだ。生理用品はトイレにあった専用ボックスに移動させておけばいい。だが、一方のこれはどうしたものだろう?
平静を装ってはいるが、顔が赤らんでしまっているのは、このような代物に触れたことすらなく、慣れているはずがないからに他ならない。自室に置いていなかった事はある意味で不幸中の幸いともいえる。
秀一の内心は抵抗感が半端ではなかった。この辺りの反応はまだ、年相応の少年らしい部分と言えるだろう。
でも、先に雫が発見しなくてよかったと安堵せずにはいられない。
(ぐっ、政府め、13歳の少年少女相手に一体何を期待している!?)
もし、これがなんなのか知らなくて……いや、それを知っていて、あえて質問攻めにされても大いに困るところだ。
(こっ、これは、流石にまずい!)
しかし、ゴミにして処分するのも何だし、もし万が一……そう億が一ということもある。
雫が、探し出せない見えない所に隠しておくのが、どう考えても無難だ。
雫が風呂場から出てくる前にと、大慌てで自室に入り、ベッド隙間へと隠しておいた。
他にいい場所が見つかれば、またその時に移動させよう……
何とか事なきを得て、リビングへ戻ると、風呂上がりの彼女が出てきた……
カエルのマスコットが書かれているピンク色の半袖長ズボンのパジャマだった。
それよりも雫の目線と表情に惹かれてしまう。湯上りの蒸気し火照った身体……まだ完全に乾かし切れていない艶やかで滑らかな髪……
先程の一件からか気にするつもりはないはずなのに、雫のオンナノコの部分をもろに意識させられてしまう。
『どうかな?似合う?』と上目遣いに秀一も戸惑いを隠せずにいた。先程の一件のせいも否定はできない。
あまり、こういうパジャマに着なれていないのか、それともこういう恰好を同じ年代の異性に見せたことがないからなのか、理由は定かではないが凄い気恥かしそうだ。
「え、えぇ……凄く可愛いですよ。大丈夫です。似合ってますよ」
トラブル続きでどもった口調になってしまう、出てしまった言葉はもう止められない。
真っ赤になって、俯いてしまうが『うぅ……ありがと』とその言葉を聞き、間違いではなかったと安堵する。
あれ一着だけをずっと着回すと言うわけにも行かない。パジャマの代わりになる軽装……それ以外にも何着か、買ってきた方が良いに違いない。
秀一も軽く赤面しているように感じる。このぐらいの年齢ならば、大人の女性の色香よりも同年代の可憐さに惹かれる人間がいるのは自然な事だろう。
(これは色んな意味で、今はマズイ)
「あっ……えっと、とにかく、雫さんは今日はもう寝てしまいましょう。明日からが本番でしょうから、英気は養っておかないと駄目です」
「出来れば、先に休んでいただけますか?僕も、今からお風呂に入って寝ますんで……」
もう少しお話がしたいんだけど、という顔をしているが先程の話であまり駄々を捏ねるとまた一緒に暮らすことを拒まれると思ったのか、彼女は渋々ながらも頷いた。
『……わかった、寝るね、秀くん、おやすみなさい』と頭を軽く下げ、部屋へと入っていった。
(ふぅ……心臓に悪い、本当に心臓に悪い……見つからなくて本当に良かった……全く、政府め!)
雫の就寝を確認し、風呂場へと移動する……ようやく訪れた一人の空間で、少しずつ頭の中をクリアな状態に近付けていった。
ここでようやく姿見の前に立つことが出来た……自分の瞳の色が今までと同じ、ここに収容される前の色彩を取り戻している事を確認する。
瞳の下辺りを軽く手で触れる。何でこんな事になってしまったのかと悔やんでいても仕方ない。人知れず、かぶりを振った。
一日の汗と疲れを洗い流すと、滞っていた思考が少しずつ融解し、前進する兆しを見せる。
風呂は命の洗濯であり、命の選択とは、本当に良く言ったものだ。
まずはシャワーを浴びる……流れ行く人肌に近い湯が憑き物を落としていく様だ。
湯船に浸かり、落ち着いて明日からのことを考察してみる。
雫に確認した話だと、雫も明日の日程は決めていなかったらしい。秀一と行動を共にするつもりでいたのだから当たり前の話なのだが……
外出するのであればモノを購入する時間もあるだろうと、冷蔵庫の中身を思い出す。特にすぐ困るものと言えば飲料ぐらいだろうか。
あまり数は用意されていなかったのは、ある意味で気を利かせていたからで、個人個人で嗜好のズレがあると量が多すぎた結果、無駄になってしまう可能性が高かったからだろう。
これはすぐに購入しなければならない。
その他にカレーのお供には欠かせない福神漬からっきょうもなかった。雫はどちらも食べたことがないかもしれない。
(とにかく、朝起きたら、大林さんに連絡を取ろう。話はそれからだ)
風呂を出て、ダイニングキッチンから、秀一のような男子には似つかわしくないファンシーな部屋へ戻ると、突然視界がぐにゃりと曲がり焦点が合わなくなった。
ふいに襲われた立ちくらみとともに、暗闇の中へと意識が引きずり込まれる。
(あ……あれ?……ダ、ダメだ……寝るつもりは……やらなきゃならないことが……まだ、他にも、たくさん、あ、る、の、に……)
ドサッ……崩れるようにベッドへと倒れこむ……自分の意思とは無関係に秀一の体は自由を奪われていた。
今日はまだ終わりではない。そう、始まったばかりだ……
更新までにかなり長い時間を使用してしまい、誠に申し訳ありませんでした。内容が大幅に変更されていますので、以前読んで下さった方、再度お読みいただければ幸いです。
この話が一番文字が増えてしまっています。8000弱だったものが16200文字にまで膨らんでしまいました。倍以上の文字数です……
本当に申し訳ありません。