1-3
何をしたかというと、去年の夏、毎度のことながら廉哉と何かしようじゃないか、と男二人むさくるしく僕の家で話していた。そして暇だからって点けたテレビで波打ち際ではしゃぐ男女が映し出されているCMを見て、これは海に行ってナンパをするしかない、リア充になって爆発してやる。心に決めて堅い握手を交わした。これがことの始まりだった。
それで早速いつ行くか決めるために天気予報を見てみたら、明日はこの夏一番の暑さになるでしょう、との事だったので速攻で決定。暑ければ海に人が沢山来る。そんな安直な考えで予定を決めた。
翌日、バスを乗り継いで二時間弱、ようやく海に到着した。
暑く強く照らす太陽の光が海に反射してキラキラと波打ち際を煌めかせ、通り抜ける風からは潮の匂いと、少しだけ出ている屋台から薫る磯の匂いが混じり合っている。地面と空に延びるどこまでも続くかのような二色の青。文句なしの最高のロケーション、海日和だ。
肝心の人の方も、今日の暑さのせいかこんな田舎にも関わらず、砂浜には結構な人数がいる。男女二人で遊んでいる奴らにはとりあえず、末永く幸せにはじけ飛べ、という念をセットに、今からそっちに行ってやるから待っていろよ、という気迫を送ってやる。
そしてリア充爆発コースに進むための第一歩を踏み出す。
歩くたびにサンダルに入ってくる熱された高温の砂の熱さに、海に来たんだなという実感を抱き、やってやるぞ、という意思の籠った目を確認。後は行動に移すだけ。移すことによってすべてが始まり、終わった。
真っ先に動き出したのは廉哉、あの二人組良くない? と指を指している。小柄の女の子とその子より少し身長のある女の子。小さいほうの子はフリルの付いている水色の爽やかな感じのビキニを着ており、後ろから見ても身体のラインが細く締まっている。もう一人の子は白のワンピースタイプの清楚な水着を着ており、ワンピースから延びる四肢は長く、水着に負けるとも劣らないくらいに白く透き通っている。
「確かに、いいと思う。客観的に見て文句なしだと思う、けれども――」
「早く行こうぜ、なっ、なっ。よしじゃあ行くぜぇぇぇ!!」
あぁ、もう、僕の話なんか聞いちゃいない。廉哉暴走モードになっていやがる。こういう時のこいつはろくなことがない。
僕のことなど我関せず、といった感じで一人で砂浜を独走して、二人の元へ近寄って行く。放っておくわけにもいかないのでその後について行く。
彼女たちの後ろに近付いて緊張を吹き飛ばすためか、一回深呼吸をして意を決して声を掛ける。
「ねえ君たち、良かったら俺たちと一緒に遊ばない」
廉哉の中での最大限の爽やかな感じを装った声で話しかけた。心中ではガタガタと震えながら最大限の勇気を振り絞って、今日という日のロケーションに後押しを受けて、それで起こせたモーションなんだろうな、と見守る。
「えっ?!」
突然掛けられた声に驚いたのか、小さい方の女の子が振り返る。
潤ませた瞳がこちらを向き、全身を正面から向き合う。全身をぱっと見ただけでもわかるほどに、体は引き締まっており、無駄な脂肪など付いているのかと思えるくらいだった。スレンダーな体系というのだろうか? だがこれは良く言えばこう表現できると言う話だ。悪く言うなら付いてて欲しい所に脂肪が付いていないということだ。
爽やかイケメンを気取った廉哉とナンパをされ、潤んだ瞳で可愛い子ぶった状態で制止している両名に告げてやる。
「お前ら、本当にアホだよな」
最大限に残念な奴らだなという感情を込めた。
声を掛けた時の姿勢のままで時間の止まった廉哉、その廉哉にナンパをされたというのにも気がつかず可愛い子ぶった二葉。
いくら狭い田舎とはいえこんな偶然が起こるものなのだなと、しみじみ思った。
両者の時間は未だにとまったままなのか、動く気配が感じられない、この状態をどうにかしてやろうと、僕が動き出す。
「いい加減フリーズを解除しろ、浮かれ野郎と絶壁」
流れる時間の速さが異なるのだろうか、二人にはまだこの言葉が届いていないみたいだった。
「やっぱり、智癒ってスタイルいいよな」
二葉がいるということは隣にいるもう一人の子は当然智癒だ。
「えっ、そ、そんなことないよ!」
あたふたと腕を動かして、違うと否定する。
けれど、誰が見たってそう思うだろう、体は細く、すらりと伸びた手足、体のラインは女性らしい起伏に富んでいる。
いくら頬を朱に染めて否定しようと、否定しきれるものではなかった。
「なんで水着がこの組み合わせなんだよ、普通逆じゃないのか? あっ、二葉のじゃ智癒はある部分がきつくて着れないかぁ」
わざと嫌味ったらしく言う。ことの真意をわかっているであろう智癒はもう一度そんなことないからね、と言いながら止まっている二人に視線を送る。
けれど錯綜している二人はまだ時間の流れに追いついていないようだった。
この面白いけれども気まずい雰囲気をどうにか打破したかった。だからこそこんなあからさまな悪口を言って、場の空気を入れ替えたかったのだけれども、起爆剤たる二葉が動き出すことがなかった。自信も身を犠牲にして流れを変えようとしたのにこれではただ無意味なことをしただけになってしまう。導火線にはとっくに火を放った、いつになったら、爆発する?
待ちに待ったその時はようやく来た、来てしまった。止まっていた二葉の体がわなわなと震えだしていた。
そして爆発。
「誰が絶壁だぁぁぁ!!」
「うわぁっ!!」
ほぼノーモーションからのドロップキックが飛んできた。いつ来る? いつ来る? と警戒していたお陰でギリギリの所で回避ができた。格好悪く尻もちをついて熱く熱されている砂の上にへたれこむ。数瞬前まで身体の在った所を通り抜けた二葉の軌跡を追っていくと、着地の衝撃のせいか砂が空を舞っていた。
あんな小さな体のどこにそんな力が隠されているんだ? と考える暇さえくれず、飛びかかってくる。踵を先頭にして隕石の如く。
またも間一髪の所で避けることができた。だが、脚により穿かれた砂浜が悲鳴を上げるが如く砂を巻き上げ、それが僕の顔へと直撃してきた。かわした時、目を瞑っていたので目に砂が入ることは防げたが、口の中へと砂の侵入を許してしまったせいで、ジャリ、ジャリという気持ち悪い感触がある。唾を吐いてみた所ですべての砂が出ってくれる訳じゃないので、早く口をゆすぎたい。おまけに転がって回避したため、服は砂まみれになっている。
凄まじい勢いで突撃したせいか、反動で二葉が動けないでいたので、逃げるならこのタイミングしかない、と思いビーチフラッグを始めたかのように寝転んだ状態から素早く立ち上がり、1メートルでも1センチでもいいから早く二葉から逃れようと全力でダッシュする。
砂浜の上は想像以上に走りずらく、走り出した第一歩目からバランスを崩しそうだったが、どうにか踏ん張り転ばずに走りだせた。
遁走を開始したことに気がついたもはや野獣と化した双眸が獲物一点に注がれる。背中に注がれる殺気で理解できた。ひとまず今は止まることは赦されない状態になっていた。
走り続ける、生きるために走り続ける。後ろから「待てぇ!!」という声が鳴りやむその時まで逃げ続ける。傍目から見ればこの光景は、浜辺を駆けるカップルというリア充に見えるのかもしれないが、現実は、リアルに野獣と化した奴から蹂躙されまいと逃走中、略してリア蹂。
こんなリア蹂嫌だぁ、と思いながら走っているが次第に体力に底が見え始めてきた。砂浜ということで普段以上に体力を消耗していたようだ、後ろから聴こえてくる足音は着実に大きくなってくる。
息が乱れる、体力にはそれなりに自身はあったが、いきなり走り出したことや砂場ということで自分のリズムで上手く走れない、集中力の輪が一瞬途切れてしまった。
歩幅が乱れる、呼吸が乱れる、脚が絡む、遂にはその場に前を向いたまま転んだ。
この期を逃すまいと二葉が一気に距離を詰め、僕の両脚を掴む。何をする気だ! と声に出す前に行動で答えを教えられた。そのまま自身を軸として僕を回す。いわゆるジャイアントスイングを掛けられている。
世界がすべて横にぶれて見える。周囲の人々は男一人をぶん回している二葉に、恐怖を抱いているだろう。怒りにまかせているせいで絶対に目は怖くなっているだろうし、その表情を見ただけで小さな子供なら泣き出すほど怖い顔をしていたのがちらりと見えた。
そして二葉の手が僕の脚から離された、振り回されていたせいで方向感覚がわからない、今自分が空中にいることはわかっているけれど、上に飛んでいるのか、下に落ちているのかそれすらもわからない。何かに触れたと思った刹那、それが全身を包む、瞼を開いて見た世界は光がゆらゆらと揺れている。明るく輝く球体から延びた光達がキラキラと。
呼吸を忘れて世界をみている、ではなく呼吸ができないということにようやく気がついた。そして今自分がいる場所がわかった。海の中だ。あのまま投げ飛ばされて、海まで飛ばされたのだった。おそるべき怪力野郎などと心の中で罵倒してやりたかったがそれどころではなかった。身体が酸素を欲している、肺の中にはもう空気はないぞと危険信号を発している。
足掻く、ただひたすらに足掻く、このままでは死ぬ、と、生存本能が伝えてくる。けれども足掻けども足掻けどもちっとも上に進むことができない、遂には、ああここで死ぬんだ、なんて考えてしまう。
身体が重たくなる、意識が遠のいて行く。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「れん君、大丈夫?」
ナンパした相手がまさかふーちゃんだったせいなのか、未だに固まったままで立ち尽くしている。
「ほら、ふーちゃんなら、もう、こう君を追いかけに走って行ったよ」
もしもーし、といいながら目の前で手を振ってみるが反応がない。一体どうしたら覚醒するのかと考えて、思いついた手を実行してみる。
辺りを見回してみると子供の忘れものなのか、プラスチック製のおもちゃのしゃべるが落ちていたので、それで、太陽に照らされて熱くなっている砂をすくい上げて、れん君の背中へと流し込んでみた。
ちょっとやりすぎたかな、けれどこれくらいしなきゃ駄目そうだからいいよね。そう自分に言い訳をして行動を正当化してみた。
「……あ、熱!! えっ!? 熱っ!!」
砂を流し込んでから2~3秒経ってから反応し、飛びはね、着ていたTシャツを脱ぎ捨て、背中の砂を払う。けれどもすべての砂を払いきることはできず、汗で貼り付いた砂が背中に纏わり付いている。
けれども、お陰で覚醒させることができたので万事オッケーということにしておこう。
「れん君大丈夫?」
いくら正当化してみても、どうしても罪悪感は拭いきれないので、心配になり声を掛けていた。
「ここはどこだ? 俺は一体何をしていたんだ?」
あまりにもショックな出来事だったせいか記憶をリセットしようとしているようだった。けど、質問にはちゃんと答える。
「ここは海で、れん君はふーちゃんのことをナンパしたんだよ」
「あっ、智癒。これは現実か? 現実なのか? 夢じゃないのか?」
動揺しきったままで夢か現実か確かめるために頬をつねった。なぜか私の。
「こへはへんひふらし、らんへわらしほふねるの?(これは現実だし、なんで私をつねるの?)」
掴んだまま横に引っ張ったり、縦に引っ張ったりされた。お陰で少し涙目にもなっている。
「あっ、ごめん。つい取り乱した。落ち着け、落ち着くんだ俺、ひーひーふー、ひーひーふー」
なんでラマーズ法って思ったけれど、なんか突っ込んだら負けな気がしたのでそのままにしてみた。
「よし、落ち着いた。もう大丈夫だ」
そのまま親指を立ててグットポーズをみせた。
「まずは状況整理をすることが大切だよな」
そのまま一人で状況理解に挑もうとしている。さっき私が言ったのに耳には届いていなかったみたいだ。
「まず、大前提として俺は今日光輝と一緒にナンパをしに海までやってきた。これは忘れちゃいけないことだ」
誰に語るでもなく確認のために声に出している。
「それで、だ。海についたらもう最高のロケーションでテンションが上がって、真っ先に目に付いた女の子に声を掛けるべく近づいた。そして声を掛けた。で、相手が二葉だった。うん、よし、死のう!!」
最後にそう言って海にダッシュして行こうとしたので、どうにか走り出し一歩目で腕を掴み、制した。
「やめてくれ、智癒。俺はもう死んでやるんだ。そう決めたんだ」
頑なに私のことを拒み、もう一度海に向け走り出そうと、掴んでいる腕を振り払おうとしたので離されまい、と必死に掴む。
「落ち着いてって、れん君!」
けれど力ではどう足掻いても男の子には敵わなかった。虚しく振り払われる腕、引き離されていく掌、空いていく距離、コマ送りのようにすべての瞬間が目に焼きついた。
いくらなんでも本気で言っている訳ではないのだろうけれど、心配で、不安で、放っておけなくて、だから海に辿り着くまでに止めてみせたい。けれどどうしたらいいのかわからない。薙ぎ払われた左手をれん君の背中に向けて伸ばす、触れられないなんてことは重々承知の上で、それでも伸ばす。無意味であろうとも、行動にして表わせば何か変わるかもしれないと信じているから。諦めるにはまだ早いから。
そして最後の悪足掻き、右手で持ったままだったスコップをれん君目がけ投げる。コントロールも考えず、全力で、思いっきり。
放たれたスコップは吸い込まれるかのようにれん君の元へと向かい、見事に直撃した。後頭部に。その直後、走った勢いのまま前向きに倒れる。
あっ、本当に当たっちゃった、どうしよう。なんて思う前に走り出していた。
倒した相手の傍らに座り、無事かどうか確かめるために、指でツンツンと頭をつついてみた。
そして首だけを動かしてこっちを向く。
「一体なにが起きたんだ? 急に後頭部に激痛が走ったぞ、なんでだ?」
ごめんねそれの犯人は私なの、と心の中で詫びながら、なんでだろうね、と返し言いたかったことを言う。
「命を無駄にしようとしちゃダメだよ、わかった?」
もし、本当に死んでしまったら、悲しすぎて私が生きていける自信がない。ふーちゃんとこう君も同じに違いないし、誰も得しないことだから、悲しみしか生み出さないから、冗談であってもそんなことは言わないで欲しい。
「え!? ……あ、うん。ごめん」
ようやく冷静になれたのか、自分が今まで何をしていたかを得心して、謝った。
「わかってくれればいいんだよ。もう、死んでやるとか言わないでね」
もう一度念押しをしておく。
「ああ、わかったよ、もうそんなこと言わない」
「よし、じゃあこのことはこれでおしまい。早く二人のこと追いかけよう」
「そうだな、追いかけよう」
後を追おうと歩こうとしたけれど、れん君はその場で立ち止まったままだった。
「どうしたの?」
心配だしこのまま放置しておくわけにもいかない。
「いや、なんで俺はナンパしようとした相手が二葉だったということに気が付けなかったんだ、と思うと自分が、情けなくて、アホ過ぎて仕様がない。ホント、し――」
死ぬべきだったんだ。といいそうだったので私の為にも、れん君の為にもその言葉を言わせないために、被せて話す。
「失敗なんて誰にでもあることなんだから、そんな一つや二つの失敗でくよくよしないで。ほら、早く行こう、ね」
自嘲的な微笑みを浮かべてから、そうだな、ありがとう。と短く答えてから歩きだす。
「二人ともどこに行っちゃったんだろうね?」
「さあな、わからないけれど、今頃光輝は生死の境を彷徨っているんじゃないか」
「そんなこと、ないと、思うよ……」
はっきりと否定することができなかった。ふーちゃんならやりかねないことだから、言葉も弱くしか返せなかった。
どこかにいないかなぁ、と辺りを見回していたら、浅瀬で水飛沫が上がっているのでそれを見つめていた。そして直感的にまさか、と思っていた。
隣にいるれん君の肩をつついて、あれって、と尋ねてみたら、同じことを感じたのか、まさかな、と半笑いしながら答えた。
その予感が的中していたとわかったのが、焦った表情のふーちゃんが水飛沫へ必死に駆けていくのを見た時だった。段々と弱くなっていく水飛沫の中に腕を突っ込み、中にいた人をすくい上げた。その人物がこう君だった。
今頃生死の境を彷徨っているんじゃないか、という冗談半分のことが現実に起こっていたのだ。
想定内のことだったが本当に起こるなどと思ってもいなかったため、只々それを茫然と眺めることしかできない。
何度か咳をしたこう君が指し伸ばされた手を掴んで立ち上がり、「復讐だ」と言い放ち、掴んだままの手を引いてふーちゃんを海のへ倒れこませた。やったな、という声と同時に仕返しとばかりにこう君へ水を掛ける、やられたからやり返すといった感じでこう君も水を掛け返す。
知り合いであっても今あそこの中に入っていくのは、はばかれるような気がした。ひと組のカップルが浅瀬でふざけ合っているようにしか見えなかった。そんな二人きりの時間に部外者が割って入っていくだなんて無粋なことはできない。二人が付き合っているわけではないと知っているのにも関わらず、そう思わせてしまうくらいに、お似合いのカップルにしか見えなかった。
ふと隣に視線を送る。強く握られた掌が小刻みに震えている。その瞳がみる視線先には、こう君がいた。けれどその眼差しにはいつもの親友を見ているものとは異なる、何かを孕んでいた。重たく暗く黒いそんな何かを。そんなれん君をみて私のココロの中に何か違和感を感じた。何かはわからないけれど、確かに存在しているものが重く澱のように沈殿している。もやもやとしたものが私を苛む。そんな気がしていた。
どこまでも高く延びている空の中、ビーチをどこまでも熱くする太陽の下、ただ立ち止まって二人を眺めている二人。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
もう駄目だ、と諦めかけた時、腕に感じる水以外の感触、一瞬かかる上からの水圧、聴こえてくる人々の喧騒、目を開けて最初に視界に入ってきたのは二葉、さっきまでの鬼の形相とは打って変わって心配そうな表情をしている。
意識は途切れる寸前の所で保たれていた、なにか話そう、けれど声が出なかった、代わりに何度か咳が出てようやく呼吸をすることができた。ああ、空気ってこんなに大切なものだったんだな、と再確認させられた瞬間だった。
「コウ、大丈夫?」
声まで弱々しくなっていて、さっきまでの勢いはどこに消えって行ったのだと不思議に思える程だった。
「ああ、駄目そう、二葉がまるで、女神さまかなんかに見えてしまう、きっと重症だ」
ふざけて返してやることしかできなかった。さっきみたいな、あんな心配そうにしている表情はみたくなかった。少なくとも今は海に遊びに来ているんだ、二葉だけに関わらず、廉哉と智癒にも同じ様な表情はしてもらいたくない。遊びに来ている場所で僕が怪我をしてそのせいでみんなに気を使わせて、思う存分に楽しめなかったって心の隅でも思わせたくないから、だから勤めて明るくふざけて答える。実際、身体にはなんの問題もなさそうだったから、これでいいんだ。
「そう、ということは至って正常でいつも通りってことね、よかった、よかった」
その後に、本当によかった、と自分に言い聞かせ安心させる為に小さな声で呟いていたが、聴こえなかったふりをする。
自分の中でも整理がついたのか、クスクスと笑いながら続ける。
「てか、アンタ、もの凄い暴れていたように見えたけれど、まさか溺れていたの」
「当たり前だ!! 何の準備もなくいきなり海に飛ばされたらそうなるだろ、めっちゃふ――」
深かったぞ、と言おうとした時に、僕の脇を小学生くらいの子供が走り抜けて行った。
「ふぇ?」
無意識のうちに情けない声が漏れていた。
冷静になって辺りを見回してみると、結構小さな子どもたちが浮輪も使わずに遊んでいる。真下を見てみると、座った状態で僕の胸元位までしか水位はなかった。そんな50センチもあるかどうかわからない深さで、死を覚悟しかけていたのか。
こんな浅い所で溺れていたのかと思うと思わず顔が熱くなってきた、正直に言って恥ずかしかった。こんな醜態をみせて、あまつさえ心配させるだなんて、本当情けない。
そんな心境を悟ってくれたのか二葉が手を指し伸ばす。
「ほら、いつまでそこに座り込んでるの? さっさと立つ」
指し伸ばされた手を掴み起き上がる。海水を吸った服は想像以上に重たくなってなっており、手助けなしで立ち上がろうとしていたら転んでいたかもしれない。無事立ち上がれた所で、耳打ちで「ありがとう、ね」と言ってきたので、「ああ」とだけ短く答える。
固まってるのを解除するくらいいくらでもやってやるさ、と思いながら。
そして、一呼吸おいてから、
「復讐だぁ!」
繋いだままの手を引っ張り、二葉は顔面から海水面へと着水させてやった。
うわぁっ、という短い断末魔が聞こえたが、次の瞬間にはブクブクブクという水面を撫でる泡に代わり、大きな水飛沫を巻き上げて起き上がる。
「やりやがったなぁ!!」
言葉自体は強く言っていたが起こした行動は、海水をすくって僕めがけかけるというという二葉にしては優しい攻撃だった。ただし、眼球を狙って的確に投水していることを除けば。
だが、このまま黙ってやられっぱなしも嫌なので、僕も水をかけてやる、二葉の眼球めがけ。
そしてこの光景は傍から見てれば立派なカップルに見えているのだろう、リア充に見えるのだろ、けれど現実は、リアルに充血手前、略してリア充。
文字もあってるし、もう、これでいいや。リア充万歳、ヤッホー、てな具合で妥協することにした。
あぁ、目が痛い。
そんな霞む視界の中で、見なれた人物の影を捉えた。
「あ、二葉、あれ見てみ」
そう言って指を指して、この先を見るように促す。
「誰がそんな見え透いた手にのるか!!」
問答無用! と眼球目がけ海水を飛ばしてくる。そしてそれを無情にも顔面で受けた。
「いや、そうじゃなくて、だからあ、あれを見ろってば」
止むことのない海水ラッシュを浴びながら、二葉にあっちを見てみろと促し続ける。
「だから、そんな子供騙しには引っかからないての」
ラッシュは止むどころかより一層強くなり、大量の海水が眼球にダイレクトアタック。ほとんど目を開けていることができない状態だった。
ああもう、こいつ人の話を聴くねえな。そっちがその気なっらこっちにだって考えがある。
一歩一歩と脚を動かして滲む視界の中で二葉の輪郭を捉えて、腕を前に突き出す。
「うぇっ!?」
素っ頓狂な声を上げた。
ただ肩を掴んだだけなのにうるさいなと思いながら話しかける。
「いいから人の話を聴け!」
海水で痛くなった眼で肩を掴んでいる二葉の顔を見下ろす。身長差があるから自然と二葉は上目使いとなって僕のことを見つめる。見えている二葉の顔は日焼けしたせいなのか少し赤くなっているようにもみえるが、いかんせんまだ視界がはっきりとしないから、よくわからなかった。
肩を掴んでいた両手を今度は両頬に持っていって顔を挟みこむ。
「な、なによ!! 直接攻撃は反則でしょ!」
何だそのルールは、いつ決まったんだ? と思いつつも霞む視界では顔すらよく見えないので、顔を少し近付けで話す。
無意識でこんなことをしていたけれど後で思い返してみると物凄いことをしていたなと思う。顔はお互いの息遣いがわかるくらいに近かった気がする。別にこんなことはする必要はなかったのだか、ちゃんと相手の目を見て話したかったので必然的にこうなったのかもしれない。
「まずは話を聴け!」
「うん」
いつもと違って語尾が弱々しくなったように感じた。
これでようやくちゃんと話ができると、心中で安堵し、本題に入るために「あれを見ろ」と言いながら、両手で挟んでいる二葉の顔を先ほど指差していた方向へグイっと動かしてやった。
「あっ」
息を零すかのように小さな声が漏れた。
「やっぱりそうか? あれは廉哉と智癒か?」
溜息を一つ零し、一呼吸おいてから話続ける。
「どっからどうみてもそうでしょ、あんたそんなに眼、わるかったっけ?」
「いや、普通にいい方の部類だと思うぞ。両目とも視力は1.5以上あるからな」
「じゃあなんでわざわざあたしに確認するのよ」
こうなる原因を作ってくれたのはどこのどいつですか? と言い返してやりたかったけれど、この原因の責任の半分くらいは僕にもあるわけだから、それを口にした所で所詮、自分の首を絞めるのが関の山だからよしておこう。
「目が痛くてよく見えないんだよ」
「ああそうなの、それは大変なことですね」
小馬鹿にしたように告げてくる。
さっき眼を見た時にわかったけれど、二葉の眼は全然充血してやいなかった。その理由は水かけ合戦が勃発した最初の時は僕も水を二葉にかけていたけれど、それは最初だけで終わってしまったからだ。想像以上に容赦のない量の海水が飛んできて、攻めに転ずる機会がなくそのままずっと防御に徹していたから、だから二葉はほぼ無傷なのだろう。
「ま、そんなことより、早くあっちいこうぜ」
二人のいるへと歩き始める。
「うんそうだね」
なぜかその声は空虚な感じに聴こえた。そして一拍置いてから。
「―――――」
ん? 今二葉何か話したのか? 聴きとることができなかった。
「今なにか言った?」
「えっ!? 何もいってないよ、なにも」
語尾に向うにつれて言葉が静かに落ち着いていった。
「ふ~ん、そうか」
これ以上気に止めることもせず、合流するために歩みを進める。
そして合流し、いつものこの四人でひたすら遊んだ。照りつける太陽の日差しを浴びて、茹だる暑さを海水で冷まし、気がついた頃には夕暮れとなり、バスの時間が危ないと焦って急いで支度をし、最終バスが出る寸前に駆けこんでどうにか乗り込み、虫の音が辺りを支配し、申し訳ない程度に夜道を照らす街灯がぽつぽつ点在するこの地元へと戻ったのだった。