1-2
「な、なあ、さっきのなんだと思う?」
光輝のことを二葉が押し倒してその上に乗っかる。という一部始終を目撃していた、俺と智癒は今、光輝宅の玄関前に急いで引き返してきた所だった。
「……、ふーちゃんがこう君を押し倒した」
引き返してきた時に顔を少し赤くしていたが、更に赤く染まった。
「ぱっとみ、そうだよな」
「うん」
でも、実際は何かの事故だということは間違いがないと思うんだけれども、一体何が原因でこんなんになっているのだろうか? さしずめ、二葉が光輝に悪戯でも仕掛けようとしてそれが失敗って所だろうか。それで二葉がよく意味のわからないいちゃもんをつけて、それに光輝が意を唱えたけれども、問答無用といった感じで二葉に殴りこみを掛けられそうになったから逃げていたらあんな状態になった、といったところだろうか。
こういうことだったら、あの二人に起きてもおかしくはないけれど、当たっているだろうか?
この考えを智癒に聴いてもらって意見を貰おうかと思った矢先に家の中から「答えて!」という二葉の大声が聞こえてきた。
家の中では一体なにが起こっているのだ? という不安の表情で智癒を見る。同じことを思っているのか、もう顔から朱の色は引き心配して不安そうな顔をしている。
「俺たちのせい、か?」
「でも、思い当たる節はないよ」
「そうなんだよな」
おっしゃる通りで俺たちが原因で二人が喧嘩になるようなことをした記憶はない。強いていってもアポなしでいきなり光輝の家で夏休みの予定をたてよう、と決めた事くらいだけれども、これだったら光輝は「連絡くらいよこせ」と軽く咎める程度で怒りはしないだろうし、ましてや二葉が大声を上げる理由にはならないだろうし。
こんな考えを巡らせているさなかにもう一度二葉の声で「言いなさいよ!」とまた大声が聞こえた。
この二つの言葉だけを聞いて真っ先に浮かんだ状況は、
「修羅場、か?」
「なの、かな」
智癒も同じことを思っていたようだった。
答えて、言いなさいよ、という二つの言葉を怒鳴るに近いような大声で言うような展開など、ドラマで浮気がばれた男が言い訳をしているような修羅場シーンが連想される。
じゃあ今光輝が責められているということは、あいつが浮気をしたということになるのか? というかそれ以前にあの二人は付き合っていたということになるのか?
いや、そんなことはない、と自分言い聞かせる。実際にそうだったとしら、毎日のように会っているのだからわかると思うし、二人の感じが変わった様子も感じ取れなかったから違うと思う。自信はないけれどきっと。
ここでこのまま一人で考え込んだって答えは出やしないんだから、これは直接二人に訊くべきだな、という考えに至ったので、今一度向かってみよう。
「智癒ちょっとみてみよう」
悪戯や興味本位での覗き見ではないと理解してくれたのか頷いてくれた。
家の中からさっきまで聞き取れはしないものの、かすかに聴こえていた話し声がなくなったのでこのタイミングだと決めて、最大限に当たり障りのないように戻りに行く。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
誰もいない庭に叫んだ後にまた静寂が訪れ、再び見つめ合う。今度はお互い何かを意識してしまってか、二葉はすぐさま僕の上から退きソッポを向く、けれど赤く染まった耳がこちらに見えていた。おそらく僕も顔が赤くなっていると思う。
そして三度の沈黙、二人の間を流れる空気がぎこちないものとなっている。沈黙に耐えかねたか、二葉が声を出した。
「あ、あんた、なに変なこと考えてるのよ」
「か、考えてなんかいないって」
お互い話し方がぎこちなくなっていた。
「嘘つきなさい、顔赤くしているくせに」
ああ、やっぱり赤くなっていたのか。
「そういう、二葉も赤いぞ」
「なんでわかるのよ、コウの位置からじゃあたしの顔、見えないでしょ」
「見えないけれど、耳が赤くなっているぞ」
「……。生まれつきよ」
一瞬言葉に詰まってからの言い訳。
「嘘つけ、そんなに耳が赤かったことなんか見たことないぞ」
そんな見え透いた誤魔化しに騙されるほど馬鹿ではないからな。
「生まれつきよ!」
破れかぶれになっている、けれどもう一度言ってやる。
「嘘だ」
「じゃあ、なんで嘘だってわかるのよ」
なんでわかるのかってそりゃまぁ、簡単な理由だ。
「毎日のように顔合わせてるんだ、外見になんか変わったことがあればすぐわかるっての」
「ふ~ん、じゃあ、あたしが最近いつ髪切ったか知ってる?」
「? なんでそんなこと訊くんだ」
まったくもって意味がわからない、今と別に関係ないだろ。
「いいから答えて!!」
「は、はい」
この勢いには勝てそうにないから答えるか。
「一週間くらい前だろ、前髪だけちょっと短くしてたな」
本当に少しだけ短くしていた。違和感を感じてよく見て気がつくことができた。
「! 気が付いていたなら言いなさいよ!!」
ほんの少しだけ驚いた表情を見せ、語尾を強くした言葉が飛んできた。
「え? いや、なんで、いちいちそんなこと言わなくちゃいけない、面倒くさいな」
「面倒くさい、ですって?」
やばい二葉さん、お冠のご様子、なにか地雷踏んだか?
「あのね、そんな些細なことでも気がついてくれると嬉しいものなのよ、なんでそんなこともわかんないかな」
怒る、ではなく、落ち着いて、冷静に子供に言い聞かせるような声だった。
「わかんないかなって言われても、じゃあなんて言えばよかったんだよ?」
「普通に、似合っているよ、とか、そんくらい言えないわけ?」
「言えない訳じゃあないけれど…」
言葉に詰まってしまった。別に言えない訳じゃない、そんな訳じゃないんだけれどもさ。
「じゃあなんなのよ」
訝しげな表情で僕が次に口にする言葉を待っている。
「なんつうかさ、そういうのって気恥ずかしくって言えないんだよな」
「……」
無反応のままこっちを見つめている。
「こんな長い付き合いな訳だし、今更そんなことを口にする必要あるかなって思っちゃうんだよな」
「……、それでも言って欲しいものなの」
幼く甘えたような言い方だった。
「そういうものなのか?」
ずっと見向きもしてくれない後姿に質問する。
「そういうものなの」
振り向きもせず、ずっと前を見たまま、落ち着き払った声で答えた。
「そーか、わかった。じゃあ、次からちゃんと言うよ」
言葉ではわかった、なんて納得してみたけれど、結局はよくわからないけれど。
寝そべった状態のままで無理やり二葉に向けていた視線を天井へと向けた。
四度目の静寂、今度は不思議と嫌な感じがなかった。きっと二葉も同じ様に思っているから何も話さないでいるのだろうな。
仰向けのまま天井を眺めている僕、体育座りで庭を眺めている二葉。
時間が止まったかの様な錯覚に陥りそうになっていた。時折吹く夏の風や遠巻きで聴こえる虫の鳴き声が時の移ろいを知らせ、現実の中にある非現実に浸っている。
「もう、入ってもいいか?」
そんな声が聞こえ、一気に現実へと引き戻される。引き戻した声の主は廉哉。
せっかくゆっくりと休むことができそうだったのに興が冷めてしまっては、このまま寝る気にもなれない。
雰囲気を壊した廉哉の後ろには様子を窺うかのように、智癒が恐る恐るこっちを見ていた。
「いいかな」
廉哉の言葉に続いてゆっくりとした口調で訊いてくる。
「まぁ、別にいいよ、いい雰囲気にはなっていたけれど」
寝そべって天井を眺めたまま答えた。
折角いい感じに夏の音や風を感じていたけれど、これもその一部だと思えば嫌に感じないのだろうな。
「……、そうか、じゃあ仲好くやってくれ! じゃあな!」
意味のわからないことを言って去ろうとしている廉哉。
なんでそんなことを言っているのかわからない僕と二葉がアイコンタクト会議。
(「なんであいつあんなこと言ってる?」)
(「区切りがついってたこと、わかってないんじゃない」)
大まかではあるが意思の疎通はできた。
ということはさっきまでのことを廉哉はまだ引きずっているということは…。
「「廉哉 (レン)待て!」」
庭から去るギリギリの所で声が届いた。
「なんだよ、幸せにやってろよ」
駄目だこいつ、全然こっちの話を聞けるような状況になっていない。
寝そべったままではちゃんと話せないので普通に座りなおしてから廉哉に告げる。
「まずはちゃんと話を聞け」
「レンがどんな誤解をしているかは知らないけれど、ちゃんと話を聞けば誤解は解けるから」
「そういうなら、聞かせてもらうよ」
何をどう勘違いしていたのかわからないがその誤解を解くために、先ほどまでのことを説明してやる。
「――ということだ。基本的にこいつのせいだ」
いいながら左側にいる二葉を指差す。
ちなみに今の状況は、みんなにリビングに上がって、先ほど二葉に踏み台にされた恨みをしっぺ返しして勘違いの一因を作りだしてくれた卓袱台を囲っている。
「人のことを指差すな」
「痛っ!!」
向けた人差し指をなにも悪びれた風なく、日常の動作のように曲がらない方へ曲げる。
「お前、人の関節の動く方向って知っているか」
「知っているに決まっているでしょ、だからそっち側に曲げたんだから」
「だったら痛いってことも知っているだろ、普通に折れるかと思ったわ」
「そんなことないでしょ、こんな私みたいに、か弱い女の子の力じゃそんなことできないでしょ」
「か弱いって言葉がこんなにも合わない女子もいるもんだな」
「ちょっと今のは聞き捨てならないなぁ、ならどこら辺が合わないのか言ってもらおうか」
「どこもかしこもだ」
「…これは私怒ってもいいよね」
廉哉と智癒に確認の意味も含めて呟く。そして二人から何の反応がないと感じたのか立ちあがる。そのまま僕にまた襲いかかろうとしたときに廉哉が閉ざしていた口を開く。
「本当にそれだけなんだな」
「ああ、それだけだぞ」
いつ二葉の拳が飛んでくるのかと冷や冷やいながら答える。
「それだけね」
質問には答えた後から僕に向けられていた殺気がドンドン濃く強くなっていきている気がする。というより、間違いなく殺気が増してきている。背中に冷や汗が伝っているのを感じる。自身を制することを止めて獲物をしとめようとしている二葉を尻目に廉哉は言葉を続ける。
「二人が付き合っているってことはないんだな」
「「ふぇ?」」
廉哉の言葉を理解できないで固まる二人。
大きく息を吸い込み、落ち着いてゆっくりと同じ言葉を投げかける。
「だから、二人が付き合っているってことはないんだな」
「「…はい?」」
間違いなく“二人が付き合っている”って訊いてきたな。その二人ってのはまさか僕と二葉のことか? そうなのか? 一体どこからそんな話になったんだ? さっぱり意味がわからない。
「そんなわけないじゃ――」
「そんなことない!」
ないか、と言おうとした僕の言葉を遮り、早く大きな声で返した。
確かにそうだこれは紛うことない事実だ。二葉の言った通り真実だし、遮られはしたものの、僕も同じことを言おうとしていた訳なのだから。だけれども、なんかこう速攻で強く否定されるのはいい気持ちとはいえないけれど。
「本当、なんだな」
廉哉からはふざけて訊いているような雰囲気を感じ取ることができなかった。その目はまっすぐに、その表情は真剣そのものに見えた。
「ホントよ!」
「ああ本当だ」
二葉はまだ突然のことに気が動転したままなのか、ワタワタとしたまま答え、僕は最初こそ驚きはしたものの落ち着き払った状態で返答できた。
「…、ならいいんだ、変なこと訊いて悪かったな」
息を一つ漏らしてから普段の表情に戻り、詫びの言葉を入れた。
「まぁ気にしていないからいいぞ、別に」
安心しろ、という意の籠った言葉を投げかけてやる。けれども、二葉の方は何も口を開くことなく黙りこくっている。何も言わないつもりみたいだけれども、思っていることは僕ときっと同じ、気にしていない。この一言だろう。
話も一段落ついたので、まだ出していなかったお茶を出すために一度台所に行き、お盆の上に四人分のコップに氷をいれたのを置いて麦茶と共に居間に運ぶ。そしてその動作の続き、コップにお茶を注いでいく、その注いでいる動作を三人ともただ、ボーっと眺めている。これは先ほどのことを気にして話しだせずにいるのかと思ったので、僕から話題を振る。
「そういえば、なんでいきなり僕んちに集まってきたんだったけか?」
それに智癒が返してくる。
「今年の夏休みは何して遊ぶのか、会議することにして、来たの」
「ああ、そういえばそうだったな、二葉から聞いたんだったわ。てか、こんなゲリラ的に集合を掛けたのは絶対廉哉だろ」
暗い雰囲気になるのは嫌だから、多少おどけた感じで話を振ってみた。
「なんでわかったんだ」
廉哉が言葉通りに驚いている。なぜわかったか、そんなの理由は簡単だ。
「こんなバカげた事を言い出すのはお前くらいだろうが」
「そうだけれども、別にいいだろ、どうせ近々集まって、何するか決めるつもりだったろうし、お前らに任せていたら明日以降になってただろ、そんなの夏休みの浪費にしかならないだろ、だから今日にした」
まぁ一応、理に適った説明だな。今日夏休みの予定を建ててしまった方が無駄がなくっていいだろうし。だから肯定してやる。
「まぁ、そうだな」
「だからさ、なんかしたい事とかないか? 思いっきり羽を伸ばして、自由に夏休みを楽しめるのは今年までなんだからさ」
来年の夏休みが自由に遊べなくなるであろう理由は至極簡単だ。受験勉強をしなくてはいけないからだ。
今が高校2年生ということは来年は3年生になるわけなのだから、こうやって集まることくらいはできるだろうけれども、どこかへ遊びに出掛ける時間は減っていまうだろう。だからこそ、今年の夏休みは一日でも無駄にすまい、ということで無理矢理廉哉が集合させたのだろう。
夏休みの期間はたった1カ月しかないのだから、そんな短くて大事な時間は無駄には使いたくない、こんなことはみんなも思っていることだから、こうして集まることができているわけなのだし。
有意義な会議にしよう。今を目一杯楽しもう。忘れられない夏にしてやろう。過ぎ去った時間には戻ることはできないのだから、悔いの残らないひと時をつくろう。こいつらと一緒に。大人になった時に、一番輝いていた瞬間だと思えるくらいに。
「そうだ、じゃあ思い切って東京観光にいかない?」
二葉による第一意見。
「おお、いいな、俺も行ってみたいし」
「うん、いいと思うよ」
賛成の廉哉と智癒、そして僕も。
「賛成、一回行ってみたいし」
みんなが賛成のことに気を良くしてか、べらべらと話しだす。
「いいよね! 行ってみたいよね! 渋谷、新宿、原宿、ザ・若者の街って感じでいいよね。109とかも実際どういうところなのかこの目で見てみたいし、アメリカで人気のアイスクリームのお店が日本初店舗を出したみたいだし、あとあと、渋谷ヒカリエってのもあるみたいだし、あっ、それに忘れちゃいけないのは浅草、東京スカイツリー高さはなんと634メートル! 凄いよね、ムサシだね。和だね。粋と雅だね。それにね、浅草といえば雷門とか隅田川花火大会とか――……」
これは永遠に一人で話し続けそうだからこれ以上は耳を傾けるのはよしておこう。
それにしても二葉、よくもまぁ東京のことをそんなに知っているな。109は僕でも名前を知っているくらい有名な場所だけれど、他に言ってたことでわかったのはスカイツリーくらいかな、粋と雅はライトアップされた時の色のことを言ってるのかな。確か粋は隅田川の水をモチーフにした青色で、雅は江戸紫だったかな。日本が誇る世界一高い電波塔みたいだから一度は生で見てみたいな。
他にも行ってみたい場所はあるそれは、
「秋葉原行ってみたくないか?」
右側にいる廉哉に聴こえるか聴こえないかくらいの声で尋ねる。
「ああ」
一言だけではあるけれど力強く返してきた。
実は前に一度テレビで秋葉原の特集をしているのをみて、メイド喫茶なるものを見て廉哉とこのことについて話していたら「よし、じゃあ、メイド喫茶探してみよう!」と言い出したので、ここら辺では一番大きいな町に探しに行ったことがある。で、結果を言えば見つけることは出来なかった。やっぱり所詮は田舎だってことだ。だけれども惜しい店は見つけることができた、その店の名前は“May Do Cafe”。
散々歩きまわっていてふらっと入ってみた裏道にこの店があった。今考えてみればよくわからない店名なのに廉哉の奴が「メイ、ドゥ喫茶だぁぁぁ」と壊れていたのにも関わらず、その時の僕は「ああ、やっと出会えたな、我らがヘブン」などと死にたくなるようなことを口走ってしまったことは今でも悔んでいる、ホントに悔んでる、末代までの恥だよ。そんな心理状態な訳だから、まともな判断もできる訳もなく己の欲望のまま店内に突入した。
外装も内装も共に小ジャレタ感じのカフェ風になっていたから、その時は何の疑いもなく入っていったのだろうな。扉を開けた時にチリンチリンと鈴の心地よい音が響いた後に、元気な女の人の声で「いらっしゃいませー!」と言っていたのに、その時の僕たちはまだここはメイド喫茶だと思い込んでいた。ホント馬鹿だよな。で、メニューを見て初めて気がついた訳だ、ラーメン、塩ラーメン、チャーシューメンと書かれていた。ここは本当はラーメン屋だということに、その時の廉哉の現実逃避して白黒の絵みたいな表情は今でも思い出せる。人は持ち上げてから全力投球で現実に返してやると、こんなんになるんだな、と新たな発見。
それで店に入ったのに何も頼まないのはいくらこんな心理状態でも悪いと思えたので、ラーメンを二つ注文して、食べてみたら、驚くほど美味くってビビりました。なので今でもちょくちょく行ってます。
とまあ、そんな感じでいい店を見つけることは出来たものの、フラストレーションは溜まったままです。
ちなみに、そのラーメン屋さんに何度か行って、店長さん、いらっしゃいませーと言ってた女の人と少し仲良くなって、店名の由来を訊いたらなんか面白いからって答えました。そんな適当な理由で僕たちの夢、憧れ純情その他諸々は粉々に砕かれたわけだ。いつかこの店長には僕たちの青春の馬鹿な夢粉(さっき砕かれた奴が原材料)で作った麺を食わせてこの気持ちを味あわせてやりたいです。
「あんた達人の話し聞いてる?」
ラーメン屋の店主をどうにかして、ひと泡吹かせてやろうかと考えだそうとした時に、話を聞かれていないことに感づいたのか、二葉が話しかけてきた。
「えっ!? もちろん、もちろん」
もちろんちゃんと聞いていなかったぜ、わいるどだろぅ。
「俺が聞き逃す訳がないだろ」
自信ありげに言っているけど、絶対聞いていなかっただろ、僕が保証する。
「じゃあ、なんて言ってった? はい、コウから」
えっ、僕からですか!? やばい、聞いていなかったことがばれたら、また生命の危機に出食わす。とりあえず、思い出せ、思い出すんだ。
で、思い出した結果は、
「スカイツリーは武蔵で粋だな」
でした。
ふぅ~ん、と鼻であしらって廉哉に視線を送る。
どうにかギリギリセーフ、といった所だろう、命あることに感謝をして、犠牲者が誕生する瞬間に立ち会う。
「浅草の雷門とか花火大会とか下町風情ってのを味わいたいって言ってたんだろ、けど残念ながら隅田川の花火大会は明日だから、今から行かなきゃ間に合わないぞ」
「へぇ~そうなんだ、じゃあ花火大会は諦めよっと」
驚いていた、ものすごく驚いていた。何に驚いたかっていえば犠牲者が出なかったことにだ。廉哉の奴、僕の話を聞きながらなおかつ、二葉の話まで聞いていたのか。
茫然とした顔をしている僕に気づいてか、廉哉が、澄ました顔で自分の頭を軽くポンポンと叩いてみせて、頭のできが違うんだよ、と嫌みたらしくアピールしてくる。
本当になでこいつは容量が良いんだろうか、僕と同じように馬鹿ばっかやっているはずなのにそれでもこう、如実にスペックの差を見せつけられてしまう。
むかついたので、ひとまず、廉哉の肩を一発殴ってやった、割かし強く。
痛がっている廉哉はアウト、オブ、眼中。智癒はどこに行きたいか訊いてみる。
「え~と、私はね、海に行きたいかな。東京だったら、神奈川が近いから湘南とか行ってみたいかな」
「海とはいいね!」
「うわぁっ!」
なぜ驚いたかと言うと、数瞬前まで痛がっていたはずの廉哉が“海”という単語を聞いた瞬間に、キリッという効果音が聞こえてきそうなほどに乗り気になっていたからだった。
驚きはしたものの海に行くということに関しては大賛成だった。去年やらかした馬鹿なことを清算しきるくらいに、エンジョイしてやりたかった。