3-7
バスも遥か彼方の方に消えて蜩の鳴き声が遠巻きから聴こえてくるだけで、とても静かだった。
「まだ何かお話あるの?」
「ええ、そうなの」
遠回しに訊くかストレートに訊くか、どっちにしようか。
家に向かって歩いているコウの背中を一瞥する。
うん、決めた。
「ゆうあはコウにことが好きなの?」
「うん、好きだよ」
やっぱりそうなのか。
最大のライバルができたのか、と顔が強張る。
「あっ、でもふたばのことも好きだよ」
「えっ?」
どういうことだ? あたしのことも好きだよって。
「ちゆもれんやのこともすきだよ、ゆうあは」
好きってそういうことか。
この子の好きはlikeなんだ。見た目はあたし以上の大人っぽいのに幼いように思えていたのはこういう所があったからなのか。
外見と内面が釣り合っていなかったんだ。
あたしの勝手な決め付けかもしれないけれど、あっているという自信はあった。だったらこんな訊き方じゃ駄目だ。
「ユウアは誰のことが一番好きなの?」
「こうきかな」
迷うことなくすぐに答えた。
でもやっぱりそうか、ユウアは最大のライバルであることは変わらなさそうだ。
「わたしはねコウが大好きなの」
負けられない、そんな心から宣戦布告の意味も込めて告白する。
「ゆうあも好きだよ」
「きっとユウアの好きとあたしの好きは違うものだからさ、この気持ちは絶対に負けない」
負けられない、負けたくない。
「ユウアの好きは友達とかそういう方向での好きなんでよ? あたしの好きは違う、恋愛としての好きなの。ユウアはそういう気持ちになったことないの?」
歳も変わらないはずなんだから一度くらいは人を好きになったことはあるだろう。
「わからないんだよね、そういうのが」
悲しげに笑っていた。
「今はね、こういう風にみんなと一緒に居れることが嬉しくて、それだけで手一杯で、楽しむことで精一杯なの。こんな人のいっぱいいる所も初めてきたし、知らない物、知らないことをたくさん知れて嬉しいのに、ココロだけはまだ変わってくれないの。どこまで踏み入ってっていいのかもわからいから、したいようにしてみてそうして学んでいくしかないの。多分この先ゆうあはこうきのことをもっと好きになると思うの。だけど、今のゆうあにはその気持ちがわからないの」
思っていることをそのまま口にしているようだった。
「閉じ込められていた時間が長すぎてどうしても感情って言うのがまだよくわかってないみたいだね、ゆうあは」
閉じ込められていた? なんだそれは。
「なんとなくだけれどね、ふたばが言いてったことはわかったと思うの。ゆうあも二葉みたいに好きになれたらいいな」
その言葉を言ってから振り向いて全力で走りぬけていくユウア。
「待って!」
若干遅れてから全力で追いかけるけれど、影すら捉えることはできなかった。
帰る場所は一ヶ所しかないのだから行先はわかっているそれなのに、そこに向かおうと言い気力が沸いてこなかった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
幾許の時間が過ぎたのだろうか。街明かりが僅かに零れてくるこの場所で。オレンジ色の光もどこかに消え失せてしまっていたようだ。
元々この場所にまで太陽の恩恵は届いていなかったのだから関係の無い話か。
身体を包んでいた暖かな拘束が遂に外れた。身体に残る温度の余韻を感じながら立ち上がり、手を差し出す。
「ありがとうな、立てるか?」
「うん」
薄暗い中で掌に収まる感触、それを引き揚げて立ち上がらせる。
「お前まだその格好してたのかよ」
思わず吹き出してしまいそうになった。
「恰好って何のこと?」
どうやらすっかり忘れているようだ。
「帽子とメガネだ」
「あ、本当だ」
そう言って開いている方の右手でサングラスを取る。
ちなみに俺はいつの間にか帽子もサングラスもどこかに消え去っていた。きっと走ってた時に失くしたんだろうな、二つとも安物だからいいけれど。
「帽子も取ったらどうだ」
開いている左手でサングラスを受け取る。
「ううん、このままにしておく。ずっと被っていたから髪に跡点いちゃったと思うから、見られたくないの」
「そうなのか? 俺は全然気にしないのに」
髪型ごときで印象なんか変わらないと思うんだけどな。
「れん君がよくても私が嫌なの。だから外さない」
「そうですか」
そのままでいいよ、と油断させた内に帽子を取ってやろうと左手を素早く動かす。
「駄目!」
けれどそれよりも早く智癒の手が頭を押さえており奪取することはできなかった。
「絶対にやると思った」
そんなこと言われちゃったら、悪戯心が働いてやりたくなるじゃないですか。
「ちっ、間に合わなかったか」
行動を読まれていたことに関しては流石智癒だな、と思わされた。
こんな行動をしている間も起き上がらせる為に繋いだ手は話されることなく、繋がり続けていた。
「さて、どうするこの後? 励ましてくれたお礼に飯でも奢ろうか?」
「ううん、それはまた今度に機会にしてもらうよ、今日はこのまま帰ろう、バスもなくなっちゃうし」
「そうだな、わかった。このまま帰るか」
このまま帰るんだ、このまま手を繋いだままで。
手の中に温もりを感じたままで。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
目の前をふたばが通り抜けて行った。
街灯の明かりがない所で物陰に隠れてふたばのことをやりすごした。
この後どうしようかな、と少し悩んだけれど、大人しくこうきの所に戻ることにする。
イノの所に行こうかなとも考えたけれど、帰りが遅いと心配して探しに来そうだから、ちゃんと帰宅する。
夜道は暗くて怖かったけれど無事に戻ることができた。
「ただいま」
廊下を速足で歩いてくる音が聞こえる。
「お帰り、結構長く話してたんだな」
「うん、話が弾んじゃってね」
嘘をつくのはイヤだけれど、必要な時もあると思う。
「そうか、後少しでご飯できるから、待っててな。後、ゆうあの荷物は姉ちゃんの部屋に置いておいたから。
「うん、わかった」
お姉さんが帰ってくることはないから、との理由で使わさせてもらっている。
「あのね、こうき」
「ん? なんだ?」
「ご飯食べ終わってからでいいから、話したいことがあるの」
「別に今からでも僕は構わないぞ」
「ううん、ご飯の後がいいの」
それまでに心の準備を済ませ置くために。
「そうか、わかった。じゃあご飯できるまで適当に待っててくれ」
「うん」
言われてから、ご飯の時間まで適当に時間をつぶした。
そして晩御飯を食べ終えた。
こうきが次に居間に戻ってきたら話すんだ、と決めてその時を待つ。
そしてその時が来た。
「お話があるの」
「ああ、なんだ」
「あのね…」
言葉に詰まって先が出てこなかった。
けれどこうきは私のことをじっと見て、話を聴く体勢している。
ふぅ、
短く息を吐き出して、決意する。
「あのね、私の昔のことを話そうと思うの」
驚きの声は挙げなかったものの、顔には驚愕の色が出ている。
私自身が聴かないでって言ったことだ、それは驚いても仕方がないよね。
「あのね、私は生れてからずっと同じ場所に閉じ込められていたの」
あの何もない白一色の虚しい所に。
それから私の過去のことについて話し続けた。
なんで閉じこめられていたのかはわからないけれど、私なりの憶測。魂共全動機について、イノ性能について、逃げてきた方法と理由、ここまで来た生い立ち。私のことで思い浮かぶことは全部話した。
「これがゆうあって言う人間なの。外に逃げたいという欲求から今偶然この場にいるの。でもその欲求が叶えられた今、私には何が残っているんだろうね。今度は昔の自分からにげるのかな、それともこれから先の未来に起きる何かから逃げればいいのかな」
黙って聴いてくれていたこうきが立ちあがる。そして私の後ろに立ち両腕で肩のあたりを抱きしめられた。
「ありがとうな、話してくれて」
少し鼻声掛っている。
「何かいい言葉とか掛けてやりたいし、気持ちを分け合えたらって思うけど、やっぱりどうしても僕にはできそうにないな、悔しいけれど」
肩の包まれる感触が強くなる。
「本当はその気持ちわかるよ、とか、辛かったんだな、よく我慢してきたな、凄いぞ、とか言って慰めてやりたいんだけれど、その辛さが、苦しさが想像できないんだ。そんな奴がそんな言葉を掛けたって何の重みもない、それじゃあ何の意味もないもんな」
鼻声交じりだったのが涙声に変わりつつあった。
「だからさ、今、僕が掛けてやれる言葉は、これから先は楽しいことだけにして行こう、だ。昔の苦しみが蘇ってこないような、過去の残像を振り切って、楽しい明日を作っていこう、一緒にさ」
未来に希望を託す、過去を霞ませる、今を目一杯生きる。
私には縁遠いものだと思っていたけれど、こうきがいてくれたらできそうに思えた。
「うん、一緒に行こうね」
私の目にも自然と涙が溜まってきていた。
暖かい言葉を掛けられて、身体を暖かさに包まれて、きっと体内が熱いから熱を放出するために、目から水を出そうとしているんだな。
どうしてもまだ感情っているのがよくわからない。
嬉しいや、悲しい、楽しい、怒る。この感情はわかりやすいからわかるけれど、じゃあ今の私の感情は何なのだろう。
口元は緩んでいるのに、目には涙がある。
嬉しかったら笑うはずなのに、泣きそうだ。
悲しかったら泣くはずなのに、笑いそうだ。
自分のことなのに全くわからなかった。
「ありがとう、こうき、ちゃんと聴いてくれて嬉しいよ」
嬉しいのか? 聴いてもらえたことは確かに嬉しかった。
「だから、泣かなくていいんだよ」
悲しいのかな? だから釣られて私も泣きそうなのかな。
「泣いてなんかいないから、これはただ目にゴミが入ったんだ。そう、ゴミのせいだ」
「じゃあきっと、ゆうあのも目にゴミが入ったせいだね」
きっとそうに違いないじゃなきゃ、嬉しいのに泣いたりしない。
「こうき、ありがとう、ゆうあとっても嬉しかったよ」
廻されている腕に顔を埋める。
「そうか、それならよかった」
腕の力が緩み、廻されていた腕が離れる。
「あのね、こうき、一回目を瞑って」
「ん? ああ、いいぞ」
腕の中から離れて、後ろに振り返る。
「今日のお礼」
ちゅっ。
頬っぺたに唇をあてる。
「えっ!? ええぇぇぇ―――!!」
顔を赤くして、陸にい打ち上げられた魚みたいにじたばたとしている。
「こうき、どうしたの? 大丈夫?」
動き回っていたのが停止する。
「ああ、大丈夫、至って普通、普通すぎて怖いくらいです。うん、大丈夫、無問題」
ちゅっ。
今度は反対側の頬に触れる。
「さっきのは買い物ので、今のは話を聴いてくれた分。ありがとうね、本当に嬉しかったよ」
自分でも制御できないくらいの笑顔になっていた。
「うん、僕は死んだ」
そう言ってから仰向けに倒れた。
「こうき、どうしたの?」
身体を揺すってみるが反応がない、ただの屍の様だ。
どうしたらいいのかわからず、そのまま放置しておくことにした。
なんか今日は疲れちゃったな、眠くなってきたし、ここで眠ろう。
こうきの横に身体を倒した。
楽しかった思いに包まれて眠りに落ちていく。