2-5
『いつからいたんだ』
その質問に答えるなら、
「それ次狙ってたってちーちゃんがいった辺りからかな」
「結構前からいたんじゃないかよ、普通に上がっていたなら、声掛ければよかったのに」
それにはね、ちょっとした訳があるんだよ。
時間は少し前に戻る。
ご飯を食べ終えてからこう君の家に向かおう、ということになり、しばらく歩いて入り口に着いた。
「今日は普通に入るの?」
昨日は庭から入って辛い思いをしていたからどうするのか訊いてみる。
「ん~、どうするか」
短く唸ってすぐに決断。
「玄関から入るか」
「それが良いと思うよ」
本来は悩む必要などなく玄関から入るのが当たり前なんだけれども。
そうと決まったのでインターホンを鳴らそうとした時に、
「おっ開いてるじゃん、智癒、上がろうぜ」
いつの間にか戸に手を掛けていたれん君がドアを開けていた。
「おじゃましまーす」
こっそりと入っていくれん君。
「なんでそんな泥棒みたいに入っていくの?」
半分玄関に入っていた身体を振りむかせてから。
「ドッキリ、突撃、昼ごはん的な感じで驚かそうと」
「今ご飯食べているかどうかもわからないのに?」
昼食中じゃなかったらすぐさま企画倒れで終わることになるけれど。
けれどそんな心配はすぐに払拭された。廊下の奥の方から『いただきます』という二人分の声が聴こえた。
「実行決定たな、二葉もいるみたいだし」
「どうなっても知らないからね」
昨日みたいなことになっても知らないよ。
「大丈夫、大丈夫!」
そう言ってからゆっくりと家の中に上がり込む。
その背中を追って私も靴を脱ぎ、廊下に上がる。
見なれない靴が一足あったけれどこう君の新しい靴なのかな、と思い至り気にかけることはしなかった。
足音をたてないように忍び足で廊下を進む。あまり新しい建物ではないので歩くたびに、本当に僅かではあるがミシ、ミシ、という音が聴こえる。こんな小さな音を鬱陶しく思ったのは初めてかもしれない。忍び込む時には消音するということは大切なんだな、と学んだ瞬間。
廊下を歩きつめて廊下の端、居間の入り口、この境界線を隔てている襖の前まで辿り着いた。
アイコンタクトで合図を受け取る。
(じゃあ開けるぞ)
頷いて答える。
大きな音が立つことも気にせず開き放つ。
「あっ~、それ次狙ってたの!」
襖の開く音を打ち消して余りある大きさのふーちゃんの叫び。
叫びにも驚いたが、それ以上に驚かされたのは二人の距離、肩と肩を並べて横同士に並んでいる。
わざわざ隣に座る必要もないのにも関わらずそうしている、ということはそれなりの理由があるのだろうけれど、そうだとしても近すぎる距離だと思う。
「わかったからいきなり大声を出すな。びっくりしたわ」
私たちもびっくりした。
「ほら、器よこせ」
こう君が容器を要求しているみたいだ。箸で持ち上げているのは朱い素麺。
「あむ」
持ち上げられたままの麺にかぶりついた。
「おいしい」
本当に可愛らしい満天の笑顔がこう君に向けられている。
こんな光景を見せられたら、れん君は…
恐る恐る視線を隣に移す、右の拳は小刻みに震えるほど強く握られている、その瞳は怒りか憎しみか嫉妬か、何かはわからないけれど、黒く暗い気持ちに侵されているのだろう。唇を強く噛んで痛みで理性を保っている。
傍から見ている私でも辛いよ、好きな人がこんな風に他の人と仲好くしている光景なんて。
私はここまでの思いはしていないけれど、相応には歯がゆい気持ちを味わっているから。田からどうにか、この状態で励ますことができればいいのだけれど、それどころか気を紛らわしてあげれる様な言葉すら見つからない。
苦しみから逃れさせてあげたいと思うけれど、どうしたらいいかわからない。
そのまま動けずただ、みていることしかできない。
その後も二人で何か話していたみたいだけれども、全く耳には入ってこなかった。
これが声を掛けることのできなかった理由だ。
「そうだよ二人とも、ほらそんな所に立ってないで座ったら?」
敢えてそういう風に振舞っているのか、れん君の雰囲気に気がついていないのか、いつもより少しテンションが高くからんでくる。
「ああ、そうだな」
感情を心の奥底に隠し込んだ笑顔で返した。
「ほらほら、チユも座って」
「あ、うん」
「じゃあ、あたしがお茶取ってきてあげるよ」
置いてあったお盆を手にとって台所に消えていく。
私も手伝うよ、と言おうとしたけれど、今この状態で二人っきりにさせたら絶対によくないのはわかるので、手伝うことは諦める。
「珍しいこともあるんだな」
少しでも場を和ませようとしてか、おどけて告げる。
「こっちに用があったから、ついでよ、ついで」
鼻歌交じりにスキップでもしそうなくらい軽快な足取りに見えた。どうやら機嫌が良くて、テンションも上がっているみたいだ。
昨日座っていた場所と同じ所に座ってから、こう君が口を開く。
「今日も仲好くお二人ですか」
表面上は茶化した言い方だったけれど、言葉にはそれ以上の意思が込められて入るのがわかる。
「たまたま、じゃないか」
一体なんでこいつはこんなに機嫌が悪そうなんだ、と困りながらの返答。
「そうか偶然、なんだな」
詰問でもしているかのように重々しい口調で。
「そうだぞ」
なんでこんな責められるような訊き方をされるのだと心中で困惑しているのだろうけれど、私からはなんの助け舟も出してあげれそうにない。責任だなんて言い方をしたら仰々しいものになってしまうけれど、その一端はこう君にあるわけなのだから。
「はい、お待たせ~」
水が指されたことにより、れん君の質問タイム終了となった。
「はいチユ」
「ありがとう」
お茶を入れて渡してくれた。
「はいレン」
「サンキュー」
さっきまでのきつい目の物言いをしていた雰囲気が薄れていた。
「はいコウ」
「ありがと」
そしてまたこう君の真横に座る。
「なんでちーちゃんは今日そこに座っているの?」
れん君が一番気にかかっていたことだと思う。
「ただテレビが見やすいからここに座っているだけだよ」
そうだったんだ。
「だったらもうそこに座わる必要もないんじゃない? 私がここに座っているから見えないと思うし」
私の座っている場所はこう君の正面テレビは背後となる。なので画面は見えなくなる。
「じゃあチユがそこに座ったら?」
普段自分が座っている場所を指差す。
どうやら今日のふーちゃんはかなり大胆になっているみたいだ。けれど今この状態でこうするのは場の空気を考えてして欲しくなかったし、普段ならしなかったと思う。
私たちのいない間に何が起こったのかは知らないけれど。
「冗談よ、ごめんね」
そう言ってから自分の場所に戻る。立ち上がる間際、一瞬だけ残念そうな眼をしていたのがみえた。
席に着く間にテレビはもう見ないだろうということで、こう君がリモコンで電源を切っていた。
よいしょっと、とふーちゃんが若者らしからぬ声を上げてから座布団の上に座り、お茶と一緒に持ってきたのもに手を掛ける。
白い容器を開けて漂ってくる独特の匂い。
「お前、それをどうするつもりだ?」
何をするのか全くわからないといった様子のこう君が訊く。
「することといったら一つしかないでしょ」
何な足り前のことを訊いてくるのと訝しげな表情で答える。
ふーちゃんが取りだしてきたものは納豆。
醤油を入れて、辛子はポイ、そして混ぜてから麺つゆの中に入れる。
「何やってんの?」
信じられないものをみるかのような視線をこう君が送っている。
「あんた、こんなおいしい食べ方しならいの? うわぁ、それ人生の半分は損しているから」
そういってから素麺をすくいあげて、納豆麺つゆの中に浸す。納豆と素麺を絡めてから一緒に啜る。
「止めてくれそんなグロテスクな食い方をしないでくれ、みているだけで胸やけを起こしそうだ」
ふーちゃんに向いていた視線が明後日の方向へと泳いでいく。
「何をいうか!! そんなことを言うのなら一回食べてからいいなさい!!」
納豆麺つゆの器を差し出す。
「イヤ無理です、普通に納豆だけで食べさせてください」
器が近づけられるたびに、引き攣った表情で後ずさっていく。
そんな様子にこらえきれなくなったのか左隣からクスクスの笑い声が聴こえてきた。れん君が笑っていた。
「おい、光輝そんな美味い食い方を知らないなんて損だぞ、いっぺん食ってみろよ」
さっきまでの堅かった表情はどこかに消え去っており、普段よく見る顔になっていた。
「お前裏切りやがったな!」
追い詰められている恐怖からか若干潤んだ瞳で叫ぶ。
「俺は元々どっちの味方でもねぇぞ」
愉悦に浸っているかの様な表情で、こう君がいじめられている姿を眺めている。
こんな事だったらあの二人にはよくあることだから私も止めるつもりはない。
「憶えていろー!!」
捨て台詞にしか聞こえない断末魔。
「忘れるまでの間、覚えとくよ」
つまりは始めから憶えておくつもりはない、とのこと。
「さあ、大人しく食べてみるのだ」
納豆麺つゆの中から、素麺を持ち上げた状態のままふーちゃんがこう君に迫っていく。
顔面蒼白のままドンドン後ろに下がっていく、が遂には限度が見えてくる。襖がしまっている為、これ以上下がることができない。そのことに気が付いていないのかこう君はゆっくり、ゆっくりと最終防衛線に迫る。
遂に触れる、と思われた刹那、襖が開く。
開かれた先、廊下に立っていたのは見知らぬ少女。
作り物みたいに綺麗に整った造形の顔、大人びた雰囲気とどこか幼げな雰囲気の混在したような人がそこに立っていた。
そしてその子の脚にこう君の身体が触れた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
この中に入ってからどれくらいの時間が経ったのだろうか?
時間を確認しようにもワームホールの中にまでは標準時刻を知らせる電波は届かないようだ。体感的には10分経ったかどうかという感じだ。
その間速度は光を後ろに見る速さ、時速11億kmという尋常ではない速度を維持していた。
無重力、空気抵抗ゼロそんな中だとはいえ、この子にこれだけの疾さを出すことのできる未解明能力があったことにも驚きだった。
『ワームホール抜けます』
突然のことだった、何の前触れもなく一秒という猶予もなく脱出した。
抜けた先に見えたモノまだ小さくではあるものの、見事なまでに綺麗な青色の惑星、どうやら有人の惑星らしくこちらから見える太陽の反対側では人工の光が人々の営みを知らせるかのように爛々と輝いてる。
ここに決めようと判断する前には見えていた星の大きさが倍以上に大きく見えてきた。
スピードが速すぎる、このままじゃ着陸できない!!
気が付きすぐさま逆推進力を掛ける。けれどスピードは思うように下がってくれない。後方から嫌な音が聴こえてくる。重力機関が悲鳴を上げていた。
やはり光速以上のスピードで飛び続けるだなんてことは無茶だったようだ。
スピードは下がってきてはいるものの、着陸できるような速度ではない。一度航路を変えて速度を落としてから着陸しようとハンドルを切るが動いてくれない。どうやら故障したようだ。
方向転換機能は重力機関と一緒になっているそうだから、重力機関がいかれた時に一緒に駄目になったようだ。
もう引き返すことのできない。このまま突っ込むことしかできない。
重力減算発動、最大出力で。
『了解』
あらかじめ重力圏ないに入った時の為に予防として発動しておく。そして星の中に吸い込まれていく。後は運よく海の中に不時着してくれることを祈るしかない。けれど現実というのもはあまりにも残酷で映し出された着陸予想地点は陸地。
後はもうすべて時の運に任せるしかない、速度の減少鈍くなってきていた。機体は重力に引かれているせいで思うように速度が落とせない。
最終手段としての不時着用ボタンを押しておく。
これは使うことがないだろうとのことで説明をみたことがないので何が起こるかはわからない、けれど生存率に変化は起こせるはずだ、最後の希望に託した。
モニターに着陸予想時間が表示された、後10秒程のそうだ。
着陸予想地点に生物反応、として一人の人が映しだされていた。
けれどもう何もできない、歯がゆいけれどその時を待つことになった。
ガクンッ、
急激に速度が落ちた、それに伴って聴こえていた悲鳴がより悲惨なものになった。きゅうに速度が落ちたせいで感性により何かが額にぶつかった。
おそらくパーツの何かが壊れたのだろう。
紅い液体が額を通じて垂れてくる。
そして先ほどよりも大きな衝撃、全身に走る痛み、気絶しそうになるほどの衝撃。けれど心配なことが一つあった。生物反応。
あの人はどうだろうか? それが気にかかって身体が動く、機内が地面に対して平行に向き直ったので立ち上がり扉を開ける。
重力減算がまだ効いているようで身体は重力圏ないでも軽く動かせる、とはいえ動くのは辛い。
一人の少年がクレーターの外側に倒れているのが見えた、無事を確かめようとして動いたが脚に力が入らず崩れ落ちる。
霞んでいた視界がはっきりとしてきた。背中には何か柔らかい感触、見上げている先に大小二つの白い輪っかがあり、その中央には垂れ下がる紐がある。
確かあれは…
手に入れたばかりの情報の中から該当するものを探り出す。
照明道具、なのか。
みたことのないタイプだけれど、ここではこれを使っているんだと一つ新しいことを知れた。
立ち上がり敷かれていたものを確認する。
これは布団っていうのね。
また知らないものを知れた喜びが沸いてくる。
身体には痛みはほとんど残っておらず、すんなりと歩ける。重力解放の影響で身体がまだ軽いが大丈夫な範囲だった。
まずは助けてくれた人にお礼を言わないと、と部屋を出る方法を模索する。
この襖っていうのを開ければ外に出られるのね。
手に入れた知識の中からそのことを見つけ、襖をあける。けれど外には繋がっていなかった。
襖の中を区切るように中央辺りに一枚の厚めのいたが張ってあり、とても出られるような場所には見えなかった。
ここじゃないのかな。
反対側にあったもう一つの襖を開ける。今度は違う部屋に出られた。横に一直線に伸びている部屋、おそらく廊下かな。
そう思い至り、襖の見えない方向へと歩く。右手側に少し行った所で下に降りるための階段が見えたので下り、下階の廊下に辿り着いた。
この奥、つきあたりの襖の先から人の声が聴こえる。
助けてくれた人がいるんだ、と思いゆっくりと歩いて辿り着き、取っ手に手を掛けて開く。
その直後、脚に何かが触れた。
みたことのある人、その人と視線が合った。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆




