2-4
『ごちそうさま』
早めの時間に作った昼食はもう食べ終わった。
「いや、マジで美味いな。智癒の料理は」
「ありがとう」
作った料理を喜んで食べて貰える時ほど嬉しいことは早々ないと思う。
今日は急に一緒に食べることになったからあまり、いいものは作れなかったけれど、冷蔵庫の中に入っていた野菜で、ご飯が進むように少し辛めにした、中華風野菜炒めと、合わせるための中華スープを振るまった。
「光輝の家にいって、味気のない麺料理なんかにならなくってよかったわ」
「でも、麺料理もおいしいと思うよ」
「じゃあ今度作ってくれないか? あいつん家だと、これでも食えってカップ麺渡されるんだぞ」
麺料理ってカップ麺のことだったんだ。私は滅多に食べるようなことはないから忘れてたけど、こう君がつくる麺料理ってこれのことだったんだ。
「うん、まかせてね」
絶対においしいのを作ってみせるから。
「なあれん兄、そんなに姉ちゃんの飯食いたいなら、姉ちゃんと結婚しちまえば?」
「「え?」」
言われたことのがあまりにも突拍子もないことだったので驚く。
「ん、んじゃあそうしようかな」
動揺と驚きを含めたまま話を流そうとふざけた様子で話す。
「も、もう、そんな冗談はいわないで」
本当に冗談でいわないで欲しい。
「あ~あ、振られちゃった、ということでこの話はなしだな、桐斗」
振ったりするような気持ちは私の中にはないのに。
「ちぇ」
拗ねたような声を出す。
「わがまま言わないの」
私だって毎日、私の手作りの料理を食べて貰いたいと思っている。
「あ、そうだ、光輝ん家行かない」
場を逃れるための苦し紛れ。
「うんそうだね」
けれど、気持ちの向かっている方向が違うことはわかっている。
「もう、二葉もいるかもしれないし」
ふーちゃんに向けられていることはわかっている。
「そうだね」
けれど、暗い気持ちは前に出すことなく隠している。
ふーちゃんに対して妬ましいだなんて気持ちは向けようと思ったことすらない、けれど、羨ましいということはある。向けられている気持ちが私の方へとベクトルが変わってくれたら。
そんなことになってくれたらいいのに。
そうするための行動も、勇気も持ち合わせていない、だから声に出して訴えるようなことをする資格はないんじゃないだろうか。そんな想いが先行して行動に至ることができない。
できることはこうして背中を追い続けることくらい。
外に出るために歩いているれん君の後を歩く。
「じゃあな、桐斗、また今度な」
「おう!」
「ちゃんと戸締りするのよ」
「任せろ!」
自分の胸をバシッと叩いて自信満々だ。
「じゃあ、行ってくるね」
この言葉を最後にして、こう君の家へと向かう。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
居間、客間を通り抜けて縁側に座っていた。
僕の左隣には二葉が、繋がれていた指はまだ結ばれたままほどかれていな。すぐにでも振り払えるけれど、なぜかそんな気になることができなかった。
このままの状態でどれくらい座っていたのだろうか、何分、何十分、何時間だろうか。時間の感覚がわからなくなっており答えを出すことができなかった。
何にもない田舎道、見えるものは一面の畑と木々。耳に届いてくるのは夏を象徴する蝉たちの鳴き声、通り抜ける風は夏の匂いを鼻腔に運んでくれる。
何もないからこそのよさを味わおう。
今あればあってもいいと思えているものは小指と薬指に伝う温度だけでいい。
風で薙ぐ草の音、無数にある蝉の音、
ぐぅ~、
隣から聴こえる腹の音、……腹の音?
隣にいる二葉に視線を移す、これはばれないレベルではないとわかったのか、頬を朱に染めて照れ笑いをして誤魔化そうとしている。
僕の頭がおかしいのか本当にそうなのかまた可愛く見えてしまう。
はぁ、と溜息を一つ吐いてから、
「飯にするか?」
「へへ、お願いします」
赤く染めたほっぺを空いてる方の手で掻きながら羞恥心を抱えたままの頼み。
「大したものは出ないから期待するなよ」
「わかってるよ」
自分から言っておいて難だが、そういう風に肯定されるとなんかいやだな。
「んじゃあ支度しますか」
そして立ち上がる。
するりと何の抵抗もなくほどけた指。心の中に立ち上ってくる空虚感。それを抱えたまま台所に向かう。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「はい、それではコウキッチンの時間がやってまいりました~」
うわぁ、なんか面倒くさいスイッチ入ったよ、とりあえず適当に合わせよう。
「い、いぇ~い」
こんなんでいいかな。
「そこ、もっとテンション上げて」
「いぇーい」
さっきよりは少し高くなったぞ。
「よろしい」
御満足の様でよかったです。
次は何を言うんだと待っていたけれど、何も言わない、なので視線をコウにやると、次の台詞をいえといった感じで目配せしてくる。
え~と料理番組ぽいことを言えばいいんだよね。
「で、光輝先生、今回は何を作ってくれるのでしょうか?」
どうだ、正解か?
「よくぞ訊いてくれました。今回作るのはこちら」
当たりだったようだ。
こちら、といって取りだしたものは素麺。
「じゃああとは先生一人で頑張ってください、それじゃあ」
こんな簡単な料理に手助けなど必要なものか、居間でテレビを見ながら出来上がるのを待とう。
「こら、逃げるな助手さん」
去り際に手首を掴まれた。振り返りコウの顔をみる。さっきのことが脳裏に甦り顔に熱が集まるのを意識するなと必死に念じてこらえる。
「だってこんな簡単な料理に手伝いなんか必要ないじゃない」
あたし一人でも作れる自身がある。
「チッチッチ、甘いな助っ人君こんな手抜き料理でも更に手を抜くために助手を顎で使うのさ」
ドヤっといった感じの顔をしているけれど、訳して言えば、素麺でもつくるの面倒くさいから手伝って、といった所だろう。
「はいはい、そうですか」
呆れながらも逃がしてくれなさそうなので手伝うことにする。
「それでこそ二葉だ」
調子のいいやつだ。
「一つ疑問に思ったんですけどいいですか?」
「なんだね」
「先生の中でのあたしの呼び名定まってないでしょ」
「ソ、ソンナコトナイヨ」
明後日の方向に視線が泳いでいく。
「最初は助手君で次助っ人君だし、最後に至っては普通に名前だし、キャラ作るなら最後までキャラで通してくれませんか」
「善処します。というこで本日の食材はこちら、素麺です」
「あっさりと流すな!!」
「そうですね、この時期にぴったりなあっさりとした素朴なおいしさの素麺です。流し素麺にするとなおよし、流石二葉よくわかっている」
結局助手君も助っ人君もなしにした様子で。
「そうですね」
呆れてこれしか言えなかった。
「それじゃあ助手君、まずはフライパンを取ってくれ」
二葉に定まったのかと思いきやそうではないご様子。
「えっ、鍋じゃなくていいんですか?」
料理いついては詳しくはないけれど、茹でるんだから鍋じゃないのか?
「いいんです、フライパンの方が色々と楽なので」
「そうですか」
本当かどうか知らないけれどあたしよりは料理についての知識はあるようだから信じてみよう。
「はい、まずはフライパン一杯にお水を入れます」
蛇口を捻り、7~8が水で満たされてからガスコンロの上に置く。
「では火を付けて沸騰するまで待ちます、で、こちらにあらかじめ沸かしておいたものを用意しておけませんでしたので、普通に待ちます」
うん、もうなんかいちいち反応するのも面倒くさくなってきました。
リアクションを取っていたとするなら、用意していないならそんなこというな、とありきたりなことを言っていたでしょう。
「数分後」
「それもセルフ!?」
時間の経過まで口ですか!?
「このマグマの様に沸き立っている湯の中にこの白いのを入れます」
「そんなに沸いてないし、素麺くらいちゃんと言おう」
いつまで続くのだろうか、この茶番は。
「で、この煮えたぎるなにがしの中にこれをこう入れます」
「解説くらいはしろよ! なにがどうなってんだよ!」
「え~外野がうるさいので説明しますと、お湯の中に二人前の素麺の束をぶち込みます」
あからさまに面倒臭そうなものいいになった。さっきまで高めだった声のトーンが一段階低くなっているし。
「どうもすみませんでした!」
あたしは絶対にわるくないけれど、それでも謝っておく。ちゃんとした昼ごはんを食べたいがために。
「はい、綺麗ですね~フライパンという名のプールの中を優雅に泳ぐように揺れる、白くて細い麺たち、その中に確かな存在感を放って輝いている朱と緑の麺実に美しい」
謝ったことで気を良くしたのかテンションが戻ったようだ。
「実にどうでもいい解説ありがとうございます」
ぴくん、と一瞬だけ反応する。
「こんな綺麗な子たちがすべて“私”“一人”の胃袋に収まると思うと素敵ですね」
「とても素晴らしい解説ありがとうございます!」
こいつ自分に主導権があるからって好き放題しやがって。後で憶えていろ! 腹の中に黒い一物を抱えたままこの、駄劇に付き合う。
「そんなこんなでもうそろそろで茹であがりますね、お手伝いさん、そこからざるを取ってください」
もう終りだってのにあたしのキャラいい加減定めろよ。
「はいはいざるですね、わかりました」
え~とこの中か、ん? なんか面白いもの入ってるしこれ渡すか。
「はいどうぞ、先生」
このコントの中で一番の笑顔で渡す。
「はいどうもってこれ何ですか?」
引き攣った笑顔の先生。
復讐してやったり、と胸中でほくそ笑む。
「見ての通り、グローブじゃないですか」
野球用のグローブが入っていたので渡してみました。
「なんでこのんなのを渡すんですか!?」
「逆になんでこんなのが台所にあるんですか!! そっちの方が疑問でしょ!」
今回ばかりはあたしの勝ちだな。
「いや~その、鍋つかみの変わりに」
「はい!?」
ナベツカミノカワリニ?
馬鹿だろ、絶対。
「掴めるの?」
「割と」
……。
思いっきり滑った後のような嫌な沈黙、何にも悪いことはしていないのに罪悪感を感じてしまう。
作っていたキャラも忘れて素のあたし達に戻っていた。
とりあえず、素麺が伸びるのは御免なので素早くざるを素早く渡す。
「はいどうぞ」
「あ、どうも、ありがとうございます」
火を止めて、ざるの中に素麺を入れて水で洗って、器に盛る。
「は、は~い完成したぜぇ」
定まっていなかったキャラが崩壊した瞬間だった。
本格的に面倒くさいだけなので、しかとして、お盆に素麺と皿を乗せ、冷蔵庫の中から麺つゆを漁ってまた乗せる。そして居間に運ぶ。パチパチパチパチと口でいいながら拍手しているコウを残して。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「パチパチパチパチ」
一人とり取り残された台所で虚しく拍手の音を響かせていた。
「飯にしよう」
誰に告げるでもなくぼそりと呟く。
あいつ麺つゆを持ってったのはいいけれど、水を持ってってないのか。あ、後箸もまだしてないな。
適当にコップと箸を出して水を注いでから居間に向かう。
「それでどうやって食べるつもりだったんだ」
昨日と同じ場所に胡坐をかいて座って待っていた。
「遅いよ待ってたんだから早く箸頂戴」
僕と箸どっちを待ってたんだ? と訊いたら箸と即答してきそうだな。
「ほらよ」
「ありがと」
僕の手から一膳持っていく。
「そういえばさ、コウ」
「ん? なんだ」
「この部屋掃除でもしたの? なんか全体的に綺麗になっているような気がするんだけれど」
「いや、してないぞ。気のせいじゃないか」
見回してみても見なれた景色しかない。
「ふ~ん、まぁいいや、それよりもリモコン貸して」
指差す先にあったテレビのリモコンを渡してあげる。
一通りザッピングしてから選んだのはお昼の情報番組。
僕自体はどんな番組でもいいから文句は言わない。
するとなぜか二葉がた立ち上がって、僕の隣で腰を下ろす。
「なんでわざわざ隣に来るんだよ!」
「だってそっちだとテレビみにくいんだもん」
確かにさっきまで二葉が座っていた場所とここではこっちの方が見やすい、丁度テレビの真ん前となっているから。
だからて、これはちょっと、
「近くないか?」
「別にいいでしょ? 減るもんじゃないんだし」
「じゃあ、僕がそっち行くよ」
立ち上がろうとした時に左腕を二葉の両手を使って掴まれていた。
幼さの残る顔が、大きく開かれた瞳が僕のことを見上げてくる。
まただ、今日の僕は一体どうしたんだ。こんなことよくあることなのにいちいち意識してしまう。二葉が可愛く見えてしまう。
「行かないでよ」
その瞳が本当に寂しそうにみえた、そんなことされたら、もう、
「わかったよ」
「へっへぇ、ありがとうね」
緩んだ笑顔が向けられた。
「ん、じゃあ早く食おうぜ」
「そうだね」
麺つゆを器に入れてから、
「「いただきます!」」
素麺の入っている大きい器の中から適当にすくいだして、麺つゆの中を潜らせてから、一気に啜る。
「うん、美味いな。ザ・夏の風物詩だな」
そんなことをいいながら二葉の様子を窺うと、みっどり~、と鼻歌の様に歌いながら、言葉通り緑色麺一本だけを食べている。
こういうこと昔やったなぁと思いだして僕も真似ようと、朱い麺を一本だけ摘まんで食べる。と、その直前に二葉が「あっ~、それ次狙ってたの!」と耳元で絶叫した。
あと少しで僕の口の中に入るはずだった麺が箸からするりと抜け落ちて、麺つゆの中にダイブした。
「わかったからいきなり大声を出すな。びっくりしたわ」
麺つゆの中から朱い麺を箸で再び持ち上げる。
「ほら、器よこせ」
二葉の左手側にある麺つゆの入った容器をよこせ、と催促する。
「あむ」
器をよこすことなく、持ち上げていた素麺に直接かぶりついた。
「おいしい」
子供の様に純粋な笑顔。そんな輝くものが僕に向けられている。
「僕の箸だぞ」
男が口付けたものなのにいいのか? という裏の意味も込めて。
「食べれれば一緒よ」
ただの友達だ、と思っているからこそできる行動なのだろうか。
「仮にも女の子なんだろ」
聴こえるのか、聴こえないのか際どいくらいに小さい声で呟く。
「女子力(物理)しかないからいいんじゃない」
昨日言ったことまだ覚えていたのか、忘れてると思ってたのに。
「それでもさ、やっぱり、一度男が口付けたもんだぞ、いいのか」
嫌がったり気持ち悪がったりとかしたりするものじゃないのか。
「別にあたしはそういうの気にしないから、いいのよ」
二葉は気にしないのかもしれないけれど僕はやっぱり気にする。
「さいですかい」
けれどこれで何かを言い合おうだなんて、気持ちにはなれない。
「さいですよ」
だからそのまま受け止めておく。気にかかるのは僕だけになる。
ちまちまと色のついた麺をつついて、ようやくすべて食べ終えたのか、普通に素麺をすくいだして食べ始めた。そして何口か食べた後、ぼそっと呟く。
「やっぱり、ものたりないわね。天ぷらとかないの?」
いつか言われると予想はしていましたけれど、やっぱり訊きますか。
「そんな贅沢なもの家にはありません」
本音は作るのも買いに行くのも面倒くさいからだけども。
「じゃあせめて揚げ玉くらいはないの」
「揚げ物鍋の底にでも溜まっているんじゃないか?」
そんなものも、我が家には備蓄していません。
「それって天かすじゃなくて、本当にただの揚げかすじゃん!」
「それが嫌ならよそん家のこになりなさい」
「元々よそん家の子だし」
「そんな、あなたが大人になったら言おうと思っていたことなのに、知っていたのね」
どうだこの迫真の演技は。
「昼ドラ風の演出ご苦労様です」
人のボケを見事にスルーですか。
「やっぱり物足りないなぁ」
立ち上がり台所に調味料を取りに向かう二葉。
けれど続いて聴こえてくるはずの足音が聞こえてこないので不振に思い、振り返るとそこには廉哉と智癒が立っていた。
いつの間にそんな所にいたんだ、びっくりしたぞと言ってやろうしたのだけれども言葉につっかえてしまった。
何というか廉哉の雰囲気がいつものと違う、どんな感情を抱いているのかはわからないけれど、負のことを考えているんじゃないかというくらいに暗くみえる。
軽い気持ちで声を掛けようとしていたのにできない、二葉も同じなのか固まっていた。
一体どうしたんだ? という不安が頭名の中を支配していく。
それでも何かいわないと。言葉を選んで当たり障りのない所を通るんだ。
「いつからいたんだ」
これが最善かはわからないけれど、大丈夫なラインだと信じて。
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