プロローグ
プロローグ ~過去から未来、繋がる光・未来から過去、届く光~
星を眺めているのが好きだった。
何千、何億ともいう途方もない距離を、途方もない時間を掛けてここまで進んできたのかと思うと、とてもロマンを感じる。
今はもう爆発して塵と化している星の、まだ光放っていた頃の光がこうしてこの目に届いていると思うと、それはとても凄いことじゃないだろうか。
星が生まれて光を放っている時間は長い、けれど、もう失われてしまった光を見ることのできる時間は、それに比べたらとても短いだろう。
星と星の距離、何光年離れているかは知らないが、その星間の時間しか輝き続けていられないのだから。
だからそんな光を愛してあげよう、この無数にある星々の中にあるであろう光を。
同じように、いや、それ以上に短い光を放っている流れ星はもっと愛してみせよう。
流れ星に夢を託す。
そんな言葉を聞いたことがある気がする。
ありきたりな台詞なのかも知れないが、こんな言葉でも好きだった。
夢を壊せばただの石屑だけれども、星屑ではあるはずだ。
今まで星として生きていたのかもしれないし、これから新たにできる星の細胞になるのかもしれない。
こう考えれば夢を託す、なんてことも本気でできてしまう気がする。
どんな星になるかもわからない、広がり続けている宇宙の中で無限の可能性を探して、空虚な世界を旅しているのだろう。
そして今、目の前にはそんな旅人達の光が映っている。
水瓶座デルタ南流星群、7月末から、8月上旬にかけて見られる夏の流星群。
この流星群のピークであろう7月28日にこの何にもない、草原に寝そべって眺めている。元々ここは田舎で街灯かりが少ないので普通の状態でもよく星が見えるのだが、午前2時頃には月も沈んで更によく星明かりが見えるようになっていた。
放射点から四方八方へと広がる尾を引く光達を何も考えることなく、ただ、見つめる。
流れ星をみた最初の頃は願い事を言ってみようと挑戦してみたけれども、三回目程で諦めた。そして気がついた。こんな無為なことをしているよりも、ただ無心で何も考えずに流れ星を見つめているのがいいということに。
何の気なしにただ空を仰ぎ見る。何が楽しいのかと訊かれても答えることはできないけれどこうしていたいから空を眺める。
星々のシャワーが自分に降り注いでいるのではないかという錯覚にも陥ってきていた。空に吸い込まれるというのはこういうことを言うのかと実感することができた。
一粒の光、一条の光、それが自分に向って降ってきている気がしていた。
だが、現実には降っている気がしているではない、実際に降ってきていたのだった。
そのことに気がついたのは、光がやたら強いと感じた十秒前、これが夢ではなく現実だと認識できたのは七秒前、自分に向けて落ちてきているとわかったのが四秒前、逃げろと脳が体に命令したのは二秒前、急な命令に体が追いつけず動けないでいた今、自分めがけ巨大な質量をもった光が激突をした。
辺りに爆音を撒き散らし、地面には大きなクレーターを穿ち、凹んだ地面の中には倒れている一人の人。吹き飛ばされた人の足元に切り立っている鋭利な先端。空から降ってきたものが突き刺さっていた。鋭利な先端から続く流線型の滑らかな白、人工的に作られたような綺麗すぎる白、大気圏を突破してきたのにも焦げ目どころか傷一つついていな白。
その白いものには規則的に溝が彫られている。その溝から空気が抜けるような音がしてから溝がずれる。
そしてその溝が扉のように開き中から何かが現れた、それが最後に見た景色だった。