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戦争を反省するという事

作者: 相浦アキラ

 Twitterなんかでリベラル寄りの人が「日本は戦争を起こして世界中に迷惑をかけたので反省しなければならない」みたいな事を言っていたのを見たのですが、そういう学校の教師が口を酸っぱくして唱えてきたような正論に与するのもいい加減「アホらしいな」という感じが最近はしてきました。まあ当時の大日本帝国がメディアも世論も政治も拡張主義に陥り、満州事変で難癖付けて侵略したとか各地で問題を起こしたといった事を否定するつもりはないのですが、だからといってもう80年近く前の出来事の責め苦を何が悲しくって孫やひ孫の世代までが受けなければならないのでしょうか。


 何より嫌なのが中国の為政者が日本のやらかしを明らかに国民統合のナラティブや外交カードとして利用している事です。日本が反省していないから中国は許してくれないんだ。なんて意見もありますが、中国からしたら永遠に被害者でいられるプラチナチケットをむざむざ手放すわけがありません。もちろん中国人でも多くの心ある人は反日ドラマ的なプロパガンダを白い目で見ているでしょうが、そういった低劣なプロパガンダに外交上やむを得ないラインを越えて協力してやる必要は全くありません。大体中国だって一方的に被害者だったという話ではなく通州事件とか色々やっていますし、現在進行形でも台湾に武力で威圧するような事をしていますが、そういった現実を無視して半世紀以上前の話を持ち出して自分だけ被害者ぶるのはどうなんでしょうか。中国だけでなく、今も民間人虐殺をやりまくっているイスラエルやロシアまでもが何十年何百年も前の話で被害者しぐさをしているというのはなんとも悍ましい事です。考えなしに反省ばかりしていてはそういった被害者ナラティブを加速させてしまう恐れがありむしろ戦争に協力してしまいかねないので私は与したくありません。


 当たり前ですが一方的に加害者であり続けた国や被害者であり続けた国なんてのはまずないでしょう。過去にさかのぼれば人間が住んでいる大体の土地は略奪したりされたりを繰り返してきた以上どの国も被害者であり加害者でもあるわけです。ですから過去のやらかしを国家原罪的な話に持っていくのはナンセンスで人類普遍の問題として捉えなければ本質を見誤ることになります。被害者ムーブして都合の悪い事実からは目を背けて国家を全肯定するのも、原罪に耐えられないあまり「あいつらは救いようのないアホだったんだ。俺はあいつらとは違う」と過去を全否定するのもどちらの極端な思考です。例えば黒人奴隷の件にしても「白人は酷いと思いました」なんて感想が出るだけなら全く教訓になっていません。人は肌の色だけで人を差別しうるという問題を自分事として考えなければ意味がないのです。我々が逆の立場だったら白人を奴隷にしてこき使っていたかもしれません。


 翻って、日本がなぜ戦争に進んでいったかには様々な要因があるでしょうが、一つ言えるのは近代国家として急激に成長しようとした為に無理がでてしまったのではないかという事です。日本はもともと識字率の高さなど下地はあったものの、欧米より近代化に出遅れた以上普通にやっていては追いつくことはできません。だから伝統的な社会体制を破壊して西洋式に作り替え天皇で無理やり国を纏めて犠牲を覚悟で気合で欧米列強に追従するしかありませんでした。こういった破壊的なやり方を色々批判することはできますが、ロシアの脅威や欧米列強の植民地支配という現実があった以上国家として存続する為にやむを得ない所もあったでしょうし、当時頑張ってインフラを作ってくれたおかげで今の日本人が豊かな生活を送れている側面もあるので一方的に非難するのも事後孔明という奴でしょう。いわゆる「功罪の功の部分もあった」という事です。しかし急進的にやりすぎた負の側面として、ナラティブが暴走してメディアや世論に引っ張られる形で日本全体に行け押せ押せな空気が蔓延り二・二六事件に繋がり、そのまま際限ない拡張主義に走ってしまったんだと思います。もちろん日露戦争で莫大な犠牲を出して勝ったのに三国干渉で思うような賠償は得られなかった件へのルサンチマンもあるでしょう。


 そういった歴史の流れを無視して安全地帯で長いものに巻かれながら「あいつらはアホだ!」と見下し過去を全否定し、相対的に自分は進歩しているつもりになっていい気になってしまうのはリベラルにありがちな欺瞞だと思います。今でこそこたつで鼻ほじりながら平気で「戦争反対」なんて言えますが、当時戦争反対なんて言ったら非国民扱いされて家族まで村八分にされかねなかったわけです。真に反省すべき事は自分が同じ時代に生まれていても戦争に反対できたのか、ナラティブやルサンチマンに支配されず自分の感受性を守ることができるのか、ヘーゲルやマルクスやニーチェを噛み砕いた上で戦争に反対する倫理をもてているのか、といった事です。


 確かに第二次世界大戦が終わってから大きな戦争は起きていませんが、それは人類が何か進歩したという事ではなく、単に戦争に金がかかりすぎるようになり大きな戦争で誰も得しなくなったからという話でしかないでしょう。戦争に反対する哲学や倫理を構成するような動きはほとんどみられませんし、戦争しても何も得しないし戦争はよくないという空気感があるので戦争はよくないという事になっているにすぎません。結局私たちは長いものに巻かれて何となく戦争に反対しているだけで、「戦争サイコー!」みたいな空気感があったらいとも簡単に戦争を肯定する側に回ってしまいそうな気もします。


 そもそも現代の娯楽作品なんかを見ていてもその多くが何かしらの敵と戦っているわけで、大衆は戦いを娯楽として楽しんでいるという事も考えなければなりません。人間の普遍的な性質として、敵を作り出して攻撃し打ち勝ちたいという本能的な欲求があるのは確かでしょう。それどころか人を殺す兵器や武器を格好いいと感じる事すらあるわけです。それ自体は一つの感覚であって悪い事だと断じることはできませんが「その武器を現実に振るったらどうなるか」という想像力は持たなければならないでしょう。そういう風に自分事として考える想像力こそが真に戦争を防ぐ事に繋がるのではないかと思います。


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