86. 不穏な足音
月日は流れ、6人は大学卒業して3年が経ち、25歳になった。
来年はデビュー10周年を迎える、記念イヤーとなる。
大学卒業後、誠は美里と同棲するため事務所の許可をもらい、あのマンションを引き払った。
その後、僚と明日香、隼斗、深尋、そして最後に竣亮も、それぞれ恋人たちと暮らすために引き払い、全員バラバラになってしまった。
しかしその中でも、僚と明日香、深尋と木南は、同じマンションの別の階に住み始めたり、隼斗と竣亮が住むマンションも、徒歩で行けるくらいの近さなので、そこまで寂しい思いはしなかった。
その年、誠は美里との結婚を発表した。家も都心から少し離れたところに家族が増えることを考慮し、開発中の新興住宅地にマイホームを建設中で、年明けに引っ越す予定だ。
人気絶頂のこの時期に結婚発表すると決めた時には、批判も覚悟の上だったが、結婚までの2人のプロセスを公表すると、一途に美里と共にいるということを有言実行中の誠には、世間からも温かい言葉が向けられた。
そして、6人のbuddyとしての活動は変わらず、毎年のようにライブツアーを行い、新曲を出し、音楽番組を中心にテレビ出演をしたり、CMもグループで出ることもあれば、個人で出ることもあったりと、今ではすっかり人気も認知度も安定的なものになっていた。
季節がだんだんと秋色に染まってきた10月下旬。
buddyの6人と市木の友人関係は続いており、今日は僚、明日香、市木の3人で、仕事終わりに喫茶店で待ち合わせをしていた。
市木が店に到着すると、奥から2番目の席に、伊達メガネを掛けた明日香が1人座っているのが見えた。
「ごめん、明日香ちゃん。お待たせ」
声を掛けられた明日香は、パッと顔を上げる。
「あっ、市木くん。お疲れさま」
「お疲れ。葉山は?」
一緒にいるはずの僚がおらず、市木が明日香に尋ねる。
「あのね、いま別のお仕事で遅れてるの。だからわたしだけ先に来たの」
「そっか。相変わらず忙しくしてるね」
「うん。市木くんこそ、大変じゃない?深尋が言ってたけど、木南くん死んだように帰ってくるって.....」
「ははっ、まあね.....」
市木と木南は国家試験に合格し、いまは研修医として大学病院に勤務している。2人とも同じ病院だが診療科が別なため、あまり会うことはないようだ。
「もうすぐだね。まこっちゃんと美里ちゃんの結婚式」
「そうだねぇ。結婚発表してからあっという間だったね」
誠は5月に結婚発表し、11月22日に婚姻届けを提出、その日に挙式と披露宴を行うことになっていた。
挙式は両家の家族と、buddyの5人、それと、市木、木南、芽衣、葉月のごく親しい友人のみで執り行い、披露宴は事務所関係者や、新郎新婦のその他の友人も招くことにしている。
「結婚祝い、何がいいかなぁ?」
明日香が笑顔で言ってくるので、市木も笑顔で返す。
今日は、誠と美里の結婚祝いの品を決めるため、こうしてお互いに忙しい合間を縫って時間を作ってきた。
僚、明日香、市木の3人は結婚祝いの品物担当、深尋と芽衣と葉月はブーケ担当、そして隼斗、竣亮、木南は披露宴の余興を担当することになった。
余興と言っても3人だけでするのではなく、結局全員でやるようだが、隼斗が「俺に任せとけ」というので、若干不安になりつつも、任せることにした。
「俺も考えたんだけどさ、夫婦茶碗とかだとありきたりだし、なんか邪魔にならなくて実用的なものって何かなって.....」
「邪魔にならなくて、実用的なもの.....普段使いが出来るものってこと?」
「そうそう。そういうものがいいのかなって」
そのあとも2人でうんうん言いながら悩んでいると、ガシャンっと明日香と市木が座るテーブルのすぐ後ろの方から大きな音が聞こえた。
驚いてその方向を見ると、左目の下に大きなほくろがある男性客が、水の入ったグラスを落としてしまったようで、こちらを向いて「すいません、すいません」と謝ってきた。
「大丈夫ですよ」
と、市木越しにその男性と目が合った明日香が笑顔で話すと、その男性はなぜか明日香の顔をじっと見てくる。でも、すぐに店員さんが布巾や箒と塵取りを持ってきたため、その視線はすぐに外された。
一瞬、バレたかな?と思ったが、そのあとも男性は普通にしていたので、気のせいだろうと思った。
すると、明日香のスマホが鳴る。画面を開くと相手は僚で、仕事が押してるからもう少しかかりそうとメッセージが入っていた。
「市木くん、僚の仕事が押してるみたい。もしよかったら、家で待つ?簡単なもので良ければ作るし」
時刻はもう夕方で、夕飯時だ。ご飯は3人で外食でもしようと思っていたのだが、僚の仕事の終わりが見えないので、明日香は市木にそう提案した。
「俺はいいけど、葉山は大丈夫なの?」
「うん、わたしから連絡入れておくし、大丈夫だよ」
明日香がそう言うので、市木もお言葉に甘えることにした。
そうと決まった2人は、早速喫茶店を出て、僚と明日香が住むマンションへとタクシーに乗り込む。
その一部始終を見ている人に気づかず、2人は行ってしまった。
マンションの前でタクシーを降りた2人は、エントランスを抜けエレベーターに乗る。
僚と明日香、そして深尋と木南が住むマンションは、セキュリティが万全で、噂では数多くの芸能人が住んでいるらしい。
地下駐車場が完備されており、僚と木南はそこから自家用車で仕事に向かっていた。
ちなみに僚と明日香は25階、深尋と木南は27階に部屋がある。
「かぁ~っ、相変わらず豪勢な部屋だよね~」
市木は2人の家に何度も遊びに来ているのに、来るたびにその高さと景色に感嘆の声をあげる。
「でも、市木くんの家も立派じゃない」
明日香は、グランピングに行くときに立ち寄った市木の家のスケールを、今でも鮮明に覚えていた。
「あんなの、俺が建てたものじゃないし....それに、近々俺も実家を離れようと思ってるんだ」
キッチンのそばのダイニングテーブルに座り、頬杖をつきながら市木が話す。
「もしかして、市木くんも彼女と同棲するの?」
「ぐっ........」
明日香に痛いところをつかれて、市木は黙ってしまう。
「........別れたよ」
「......えっ」
市木は1年程前から付き合っていた彼女がいた。
「研修医ってさ、やっぱそれなりに忙しくて、夜勤もあるし、土日祝日なんて関係ないからさ、すれ違っちゃって。それで別の相手を見つけたらしいんだよね~......」
あくまでも明るく振舞う市木が、逆に痛々しく感じてしまう。
「市木くん、無理して笑わなくてもいいんだよ?」
明日香のその言葉が、市木には何よりも嬉しかった。
別れてしまった彼女のことも好きだったが、でもやっぱり、明日香に恋していた時ほどの情熱と恋心を持つことが出来なかった。
今さらこんなことを言ってもどうすることも出来ないので、決して口には出さないが、市木が本当に前に進むためには、明日香以上の女性でないとダメだと自分でも感じていた。
そうして、明日香が夕飯を作りながら、市木としゃべっていると、玄関の開く音がした。
「あっ、帰ってきた」
明日香のその声で2人でリビングにつながるドアの方を向くと、ガチャっと開けて入ってきたのは、僚と木南だった。
「ただいま明日香。悪いな市木」
「市木、明日香ちゃん、お疲れ。お邪魔します」
「おかえりなさい。2人ともお疲れさま」
「よう、お疲れ。木南お前、やつれたな」
市木は木南の顔を久しぶりに見て、開口一番そんなことを言う。
「いま救急センターなんだよ.....やつれもするだろ」
「あぁ....まぁ....そうだな....でもあと少しで、診療科が変わるだろ?」
研修医は、2~3か月で診療科が変更される。市木は現在、内科系におり、救急の木南とはそこまで接点がなかった。
「でも、どうしたの?2人そろって」
僚と木南が2人で帰ってきたので、不思議に思った。
「ああ、下の駐車場で会ってさ、市木が来ているって言ったら、ちょっと顔出すってことになって」
「なんだよ木南。そんなに俺に会いたかった?」
市木がニヤニヤしながら木南に言うと、
「それはない」
と、一刀両断される。
木南には、どうしても3人に会いたかった理由があった。
「あのさ、誠の結婚式の余興なんだけど.....」
ただでさえ疲れている顔を、余計に疲れさせて話を切り出す。
「誰かが隼斗を止めないと、全員確実に傷物になる。僕はいまこんな状態で、ほとんど丸投げしていたのも悪いんだけど、竣亮だけでは無理だ.....」
木南が切実に訴えるので、詳しく話を聞く。
「つまり、男全員で女子高生の女装をして、明日香たちも女子高生の制服を着て、アイドルグループのダンスを披露すると......」
木南から聞いた話を僚がまとめると、全員でハァ.....と大きなため息を吐く。
「やっぱり、番犬くんに任せるべきじゃなかったね」
「隼斗のやつ......!」
「披露宴には事務所の社長も、レコード会社の人も、Evan先生も来るのに、何考えてんだっ」
「頼むっ!何とかしてほしいっ!」
木南にお願いされなくても、何とかするつもりだ。
「木南、大丈夫だよ。俺たちも、お祝いの品が準備できたらそっちに合流しようと思ってたから、隼斗の好きにさせない。お前は病院が大変だろうし、最低限のことさえしてくれればそれでいいから」
僚にそう言ってもらえて、木南は心底安心した。
「ありがとう。葉山、市木、明日香ちゃん.....」
とりあえず、僚のおかげで人生に汚点を残すことは避けられそうだった。
それで安心した木南は、
「じゃあ、僕は帰るよ。久しぶりに早く帰れたから、深尋ちゃんの顔を早く見たいし」
そう言い残すと、さっさと帰ってしまった。
「あいつも、深尋に対しては相変わらずだな」
「まあ、仲が良くていいじゃない」
「俺に言わせたら、葉山と明日香ちゃんも人のこと言えないと思うけど?」
「なんだよ市木、お前も彼女が.......」
僚がそう言いかけると、明日香がしぃーーっと口に人差し指をあててくる。
そして、市木はまた寂しそうに、
「別れたんだよ......抉ってくるなよ......」
と、悲しい目をして僚に訴える。
それから3人で夕食を食べながら、お祝いの品の相談をしたり、お互いの近況報告をしたり、隼斗への制裁を話し合ったりしていると、気づけば22時をまわっていた。
「うわっ、もうこんな時間だ。そろそろ帰るね」
市木はそう言うと、自分の持ってきていた肩掛けのショルダーバッグを肩から斜め掛けにし、玄関へと向かう。その後ろを、僚と明日香もついていく。
「それじゃあ、明日香ちゃんご馳走様。葉山もありがとうな」
「おう。気をつけてな」
「おやすみ、市木くん」
それからマンションを出た市木は、少し歩き大通りに出ると、タクシーを捕まえて帰っていった。
ちゃぽん.....
僚は湯船につかりながら、その腕には明日香を抱いていた。
2人は時々こうして、一緒にお風呂に入っていた。
「でもさ、わたしたちの中で一番最初に結婚するのが誠だなんて、小学校、中学校の時には考えもしなかったよね」
「ははっ、誠は基本的に無口だしな。優しいのに、誤解されることもあったりしてたし」
「誠のことだから、子供が出来たらその子も溺愛するんだろうね」
明日香の言葉を聞いて、僚は考えてしまう。
僚も明日香とのこの先を、考えていないわけではない。
明日香とずっと一緒にいたいし、もちろん子供だって今すぐほしい。
でも、仕事が仕事だけに、トントントンと進めるわけにもいかなかった。
そんなもどかしい気持ちでいると、明日香を抱いている腕にも力が入り、より一層ぎゅうっと抱き締める。
「どうしたの?僚.....」
「ううん......明日香、愛してるよ......」
急にそんな愛の囁きを耳元でされて、明日香はカァっと赤くなる。
その顔を見て、欲情しない男なんていない。
僚はざばっと湯船から出ると、手早く自分の身体を拭き、明日香の髪も身体も拭き上げ、明日香をお姫様抱っこすると、ベッドルームへ何も身につけないまま直行する。
その夜は、いつもよりも甘く、激しい夜を2人は過ごした。




