80. 葉山家訪問
沖縄から帰ってきて1か月が過ぎた頃。
明日香は僚の部屋のキッチンで夕飯の準備をしていた。
「今日は何作ってるの?」
そう言いながら、僚が後ろから明日香を包み込み、手元を覗いてきた。
「今日は、筑前煮と焼き魚とほうれんそうのお浸しだよ」
明日香が振り返って言うと、どちらからともなく触れるだけのキスをする。
最近は仕事が忙しく、自炊することも減ってきていたが、時間があればこうして夕飯を準備して、2人だけで過ごすことが多くなっていた。
出来上がったご飯をソファーテーブルに運び、2人で並んで「いただきます」と言って食べ始める。
「明日香、あしたは大丈夫?」
「うん、大丈夫だよ。久しぶりにおじさまとおばさまに会えるし、楽しみにしてたの。悠くんも修くんも、大きくなったんだろうなぁ.....」
僚と明日香は、付き合って初めて葉山家に訪問する。
これまで友人として、幼馴染として遊びに行っていたのだが、僚の彼女として行くのは初めてなので、少し緊張する。
ちなみに、悠は僚の3つ下、修は5つ下の弟だ。
「大きくって.....あいつらももう、高校3年と1年だよ。明日香の記憶では、いつまでも小学生なんだな」
フフッと僚が笑う。
「あっ、そうか。わたしたちが年を重ねているってことは、悠くんも修くんもそれなりに大きくなってるよねー?」
僚の2人の弟は、僚以外の5人にとっても弟同然だったので、いつまでも小さい弟のままでいたのだ。
最近はすっかり会うこともなかったので、大きくなった姿を見ていないから、余計にそう感じたのかもしれない。
「明日香、今日はどうする?」
僚にそう聞かれて、明日香は少し悩む。
「んーーー今日は自分の部屋に帰るね。明日の準備もあるし」
「うん、わかった」
2人で食べ終わった食器を片付けながら、そんな話をする。
沖縄の夜以来、明日香はたびたび僚の部屋に泊まっていた。
もちろん体を重ねることもあるが、ただ2人で寝ることの方が多かった。それだけでも幸せだったし、満たされていた。
そして僚は、木南の忠告通りにしていた。いくら想いが溢れたとはいえ、あの日のことは自分でも十分反省したし、なにより明日香に嫌われたくなかった。
そのかわり、時間をかけて丁寧に愛することに徹した。そうすることで、自分もそして明日香も、満足させることが出来たからだ。
「じゃあ、おやすみ」
「うん、おやすみ。また明日」
隣の部屋でも、僚は必ず明日香を部屋の前まで送っていく。以前、深尋がフリーカメラマンにつけられていたことがあり、オートロックでも安心できないからだ。
そうしてこの日2人は、別々の夜を過ごした。
翌日。予定通り、僚と明日香は葉山家を訪れていた。
「お兄ちゃん、おかえり。明日香ちゃん、久しぶりね」
「おばさま、お久しぶりです。ご無沙汰しています」
僚の母親が玄関に出てくると、明日香はこれまで以上に丁寧に挨拶した。
「やだ、そんなに畏まらなくていいのに。さあ、どうぞあがって」
そう言われてリビングに通されると、そこには僚の父親と、なぜか明日香の父親までいた。
「おじさま、お久しぶり.....って、お父さん⁉」
「おじさん......」
明日香の父がいることは僚も知らなかったようで、2人ともビックリしている。
「おぉ、僚。おかえり。明日香ちゃんも、久しぶりだね」
「やあ僚くん、お邪魔しているよ.....」
2人の父親はまだ昼過ぎだというのに、すでに缶ビールを飲んでいた。
「お父さん、なんでいるの?」
明日香は実にシンプルな質問をした。すると、明日香の父は頭をカリカリと搔きながら、
「先週、洋輔さんとゴルフに行ったら、今日2人が来るって聞いてさ.....」
と、バツが悪そうに言う。すると、僚の父親の洋輔が、そのフォローをするように口を挟んできた。
「明日香ちゃん、僕が直斗さんを誘ったんだよ。驚かせてごめんね」
と、自分の顔の前で手を合わせて明日香に謝る。
明日香も、洋輔にそう言われては強く言えない。
「いえ、ただ父がいるとは思わなくて......」
と、小声になっていると、リビングの入り口で立っていた2人に、後ろから声が掛けられてきた。
「明日香、僚くん、なに突っ立っているの?早く座ったら?」
その声に振り向くと、それは明日香の母親だった。その隣には、僚の母親も一緒に立っていた。
「お母さんっ!」
「おばさん...?」
もう2人には、なにがなんだかわからない。
そもそも、僚と明日香の父親同士が、ゴルフに行く仲だとは思わなかったし、まず、明日香は自分の両親が来るなんて聞いていない。
とりあえず落ち着こうと、2人でソファに座る。
「父さん、母さん、今日、明日香を連れてくるとは言ったけど、こんなことなら先に言っておいて欲しかったよ.....」
僚が両親に対して愚痴っぽく言う。その僚の愚痴を聞いて、僚の母が言い訳をしてくる。
「2人をびっくりさせようって、希和さんと話してたのよ。ちょうどお父さんも、直斗さんとゴルフに行ってたし」
「何がちょうどか知らないけどさ......」
僚は母の言うことに納得がいくわけもなく、まだブツブツ言ってる。
それを今度は藤堂母がフォローしてくる。
「僚くんごめんねぇー。洋輔さんも、笙子さんも、あなたたち2人がお付き合いしているのが嬉しくて、つい、はしゃいじゃったのよー」
明日香の母の希和にそう言われると、僚も何も言えない。反対されるよりも、喜んでもらった方がいいに決まってるし、なによりどちらの両親もニコニコしている。
先に藤堂家に挨拶に行った時こそ、直斗は寂しさ全開だったが、今では2人を応援しているようだし、なによりも強い味方だ。
明日香と並んで座る僚を見て、笙子は感慨深げに話し始める。
「だってねぇ、うちは男の子3人でしょう?しかもお兄ちゃんってば、どんな女の子からアプローチされても見向きもしないから、ちょっと心配だったのよ。それが、明日香ちゃんとお付き合いしているって希和さんから聞いたときには、嬉しくて嬉しくて。わたし、ずっと娘が欲しかったから.....」
そう言いながら、僚の母の笙子が明日香に微笑みかける。
その優しい笑みに、明日香は照れながらも返していく。
そこで畳みかけるように、洋輔も口を挟んでくる。
「娘が欲しかったのは父さんも一緒だ。だから僚、明日香ちゃんを大事にしなさい。直斗さんと希和さんの大切な一人娘なんだから、もし傷つけたら、父さんも母さんも許さんからな」
僚は何も悪いことをしていないのに、なぜか父親に責められて、ぐぅっ...となる。すると、それを見かねた明日香が、僚の両親に自分の気持ちを伝える。
「あのっ、おじさま、おばさま。わたしは、僚に十分大切にされているので、ご心配には及びません。わたしの方こそ、よろしくお願いいたします」
明日香が2人に頭を下げると、直斗が涙ぐみながら、
「やっぱり、嫁にやりたくないよーっ」
と、泣き出す。
どうも藤堂家の父は、酒を飲んだら泣き上戸になるらしい。それを洋輔が一生懸命慰めている。
それに嫁とか言ってるけど、今日はあくまでも、お付き合いしていますっていう挨拶だけのつもりなのに、なんでこうなるかなと、僚と明日香は若干呆れ気味だ。そんな、ちょっとしたカオスな状況の中、
「ただいまぁ」
と、若い男の声がした。
リビングの扉を開けて入ってきたのは、僚の一番下の弟の修だった。
「修くん、おかえりなさい」
明日香が声を掛けると、それに気づいた修が、
「明日香っ!久しぶりー」
と、駆け寄ってくる。それを直前で僚が止める。
「おいっ、修!俺は無視かっ」
「あー......兄ちゃん、おかえりー」
僚に言われた修は、ほぼ棒読みで感情のない挨拶をする。
何を隠そう修の初恋の相手が明日香で、それを知っている僚は、今日一番会わせたくなかったのだ。
それを知らない明日香は、そのやり取りですらほほえましい、と思いながら見ている。
「修くん、遅くなったけど、これ。撮影で沖縄に行った時のお土産。よかったら使って」
明日香は、シーサーが可愛くプリントされたスポーツタオルを修に渡す。
「うわぁっ!うれしいっ。部活の時に使うねっ!ありがとう明日香っ」
無邪気に喜ぶ修を見て、明日香も嬉しくなる。
「それより修、お前も高校生なんだから、明日香のことを呼び捨てにしないで、『さん』ぐらいつけろ。お前よりも年上なんだから」
いつまでも子供みたいに明日香を呼び捨てにする修に、僚が注意する。
修は明日香から貰ったタオルで、口元を隠すと、
「兄ちゃん、男の嫉妬はみっともないよ」
と言い捨てて、「着替えてくる」と言って出て行った。
両親たちは、そのやり取りを何とも言えない顔で見ていた。
それから修は着替えて下りてくると、ちゃっかり明日香の横に陣取り、2人で楽しそうにおしゃべりしている。僚は実の弟に、市木のように対応できない歯痒さを感じながらも、修が必要以上に明日香に近づかないように警戒していた。
いくら弟でも、高校1年の立派な男だ。身長も明日香より高いし、体格も今では僚と変わらないくらいある。
明日香の気持ちとは関係なしに、どうにかしようと思えばできるのだ。
そんなことを考えていると、また玄関が騒がしくなった。
「悠が帰ってきたのかしら?」
僚の母の笙子がそう言い終わらないうちに、リビングの扉が開く。
そこに立っていたのは、僚のすぐ下の弟の悠と、隼斗だった。
「なんだ、みんな揃ってるじゃん」
「こんちはっす。よう、僚、明日香」
「隼斗まで来たのか.....」
もう、明日香の両親が来ている時点で、いまさら隼斗が来たところでなにも驚かない。むしろ、この中にいないのがおかしいと思ってしまった。
「2人一緒だったの?」
希和が隼斗に聞くと、
「悠がさ、バスケに付き合ってくれっていうから、誠と3人で遊んでた」
そう言うと、まだ汗が引かないのか、Tシャツで顔の汗を拭っている。
「隼斗くん、お兄ちゃんのTシャツがあるはずだから、着替えてきたら?お兄ちゃん、貸してあげなさい」
笙子にそう言われて、僚はしぶしぶソファから立ち上がり、隼斗と出ていく。
その隙に修は、明日香との距離を詰めていく。
明日香も隼斗が弟ではあるが、双子なのでどちらかと言えば友達に近い感覚だった。だから、年下の悠や修が可愛くて仕方がなかった。
「修くんは部活何してるの?」
「ソフトテニスだよ。悠兄ちゃんにはバスケ部に入れって言われたけど、あんまり興味なかったんだよね」
悠も修も、僚と同じく中学受験し、同じ学校へ通っていた。それもあって、教師の間では、葉山兄弟は結構有名だった。
修と2人で話していると、急に真剣な顔で修が聞いてきた。
「明日香さ、兄ちゃんのこと、いつから好きだったの?留学する前はそんな感じなかったのに、帰ってきてすぐ付き合ったでしょ?」
両親たちの前でとんでもない質問をされて、明日香は焦ってしまった。
「いやっ....そのっ.....なんというか.....」
すると、こんな話に目がない我が母、希和が話に割り込んでくる。
「修くん、いいこと言ってくれたわー。お母さんも、それ聞きたかったのよー。ふたりのなれそめプリーズ!」
「いや、プリーズって......」
目をランランと輝かせている母を見ながら、(僚!隼斗!早く戻ってきて!)と心の中で明日香は祈る。
ちなみに父親2人は、何を話しているのか、こちらのことは全く耳に入っていない様子だ。
すると、明日香の願いが通じたのか、僚と隼斗と悠がリビングに戻ってきた。
僚は、先ほどよりも明日香に密着している修を見ると、べりっと引き剥がし、明日香と修の間を大きく開ける。これ以上は許せなかったらしい。
「なにすんだよ兄ちゃんっ!」
明日香から強引に引き剥がされて、修は不満げにする。
「お前はくっつき過ぎだ。限度があるだろう」
僚に上から睨まれて、修は黙ってしまった。やはり長男には勝てないらしい。
「修も相変わらずだな。僚に勝てるわけないのに」
「あす姉が甘やかしすぎだよ。いつまでもガキじゃないんだからさ」
僚と一緒に戻ってきた隼斗と悠が、口を揃えて言ってくる。
悠に甘やかしすぎと言われた明日香は、
「わたし、甘やかしてる?」
と僚に聞くと、僚は、
「そうだな。甘やかしもそうだけど、こいつも男だから、隙を見て明日香を押し倒すかもしれんだろ。もっと危機感を持った方がいいな」
と、少し厳しいことを言う。それだけ、明日香のことが心配なのだ。
それを聞いた隼斗が、
「そうだぞ明日香。お前を押し倒していいのは、僚だけだからな」
お互いの両親がいる前で、隼斗が信じられないことを言った。
「ばっ......!お前っ......!」
「隼斗っ!」
2人で赤くなりながら、隼斗に抗議する。
その子供たちのやり取りを、ずっと温かい目で見ていた両親たち。
「希和さん、お兄ちゃんがあんなに明日香ちゃんのことを大事にしているなんて、思いもしなかったわ。お兄ちゃんは女の子が苦手だと思ってたから.....」
「あら、でも僚くんこの間、わたしにちゃんと言ってたわよ」
「何を言ってたの?」
「明日香のことは守るから、任せてくださいって。笙子さん、あなたの息子さん、いい男に育ったわよー」
希和に、自分の息子を褒められた笙子は、わが子の成長を嬉しく思った。
その反面、子供が離れてしまう寂しさも感じてしまう。
「親がいなくても、子供は成長するのね.....」
少し寂しそうに言う笙子に、
「でも、親がいなければ、子供は生まれないわ。親は子供を見守って、困ったときに助けるくらいが丁度いいのよ。親には親の、子供には子供の人生があるんだから」
希和にそう言われて、笙子は「そうね....」と相槌を打つ。
「それにあの様子だと、わたしたちの付き合いも長くなりそうよー」
希和と笙子の目線の先には、修から明日香を守ろうと、必死になっている僚の姿があり、先ほどの希和の言葉通りになっているのを見て、
「ほんと......希和さん、末永くよろしくね」
そう言ってニコッと笑うと、希和も、
「こちらこそ、娘ともどもよろしくね」
と言って、2人で笑い合った。
親は親同士、子供は子供同士、良い関係が結べた。そんな一日だった。




