71. 藤堂家訪問
6月最後の土曜日の夕方。
僚、明日香、隼斗、芽衣の4人は、藤堂家の玄関前にいた。明日香が久しぶりに実家の玄関を開ける。
「ただいまーっ」
先陣を切って入るのは、明日香と隼斗だ。4人が玄関で靴を脱いでいると、エプロン姿の母親がいそいそと出てきた。
「おかえりなさい。隼斗、明日香」
藤堂母の姿を確認した僚は、すぐに挨拶する。
「あ、おばさん。今日はありがとうございます」
「僚くんも、いらっしゃい。隼斗そちらが・・・?」
芽衣の姿を見た母親が隼斗に尋ねた。
「うん、そう」
「あ、あのっ、初めまして。長瀬芽衣と申します」
芽衣はガチガチに緊張して、上ずった声で挨拶する。
「まぁ、まぁ、かわいらしいお嬢さんねー。さあ、みんな入って」
母親はいつにも増して上機嫌だ。
隼斗がガチャっとリビングの扉を開けると、ソファーには新聞を大きく広げている父親の背中が見えた。
「父さん、ただいま」
「あ、お父さん、ただいま」
2人にそう言われると、藤堂父は首だけを後ろに向けて、
「2人ともおかえり・・・」
と、蚊の鳴くような小さな声を掛ける。いつもは2人のことを大げさなくらいに出迎えるのに、今日はそんな素振りが一切見られない。
すると僚が、父親のそばへ行き挨拶する。
「おじさん、お久しぶりです。今日、おじさんが好きな焼酎を持ってきたんです。あとで一緒に飲みませんか」
と誘うと、父親は新聞を広げたまま上から目だけを出し、
「僚くん、お酒飲めるの・・・?」
そう言って僚のことをジーっと見ながら聞いてくる。
「まあ、そこまで強くはありませんが、人並みには」
「そうか。もう、僚くんも大人になったんだね・・・」
何が言いたいのかわからない父親を見て、隼斗がはっきりと言い放つ。
「父さん、いつまでいじけてんだよ。いい加減、僚と明日香が付き合ってることを受け入れたらどうなんだ?」
「おい、隼斗」
僚が止めようとするが、隼斗は止まらない。
「いつまでも、うじうじうじうじしてっ。付き合っただけでそんなんじゃ、明日香が嫁に行くときどうすんだ!?」
「よよよ、嫁っ!? 僚くん、明日香を嫁にするのか!?」
父は持っていた新聞をバサッと投げつけ、僚に掴みかかる勢いで迫る。
しかし、僚の方が身長が高いので、父親を見下ろす格好になってしまった。
「いや、まだ学生ですし、そこまでは・・・」
「はっ、いや、ははっ、そうだよねぇ・・・」
それを聞いて安心したのも束の間、僚から巨大な一撃を食らう。
「でも、いずれそうなれたらと考えています。その時はまた、改めてご挨拶に・・・・・・」
僚の一言を聞いて、父は目が点になり、口は半笑いで固まってしまった。
「あーあ、僚。父さんまたフリーズモードだよ。責任とれよ?」
「あれ? おじさん? 大丈夫ですか?」
僚は再起不能の父をどうにかしようと焦る。隼斗はそんな2人を呆れながら見ていた。
その時、明日香と芽衣は、母親に呼ばれてキッチンにいた。
「お母さん、お父さん元気ないみたいだけど、大丈夫?」
明日香は父親の「おかえり」の挨拶以降のやり取りを見ていない。なので、リビングでいま起こっていることに気づいていなかった。
「いいのよ、ほっといて。この2、3日ずっとあんな調子で、辛気臭いったらないわ。僚くんが来るとわかってから、ずっとそわそわしてんのよ」
母親はぶつぶつ言いながら、食事の支度をしている。
すると芽衣が、持っていた手提げの紙袋を母親に差し出した。
「あ、あのっ、これ、プリンなんですが、もしよろしければ・・・」
「あらー、わざわざありがとう。気を遣わせちゃったわね。食後にみんなで食べましょうか」
にっこり笑いながら紙袋を受け取ると冷蔵庫にしまい、2人に手伝いを促した。
「明日香、それと芽衣ちゃん、もう準備はできているから、テーブルに運んでちょうだい」
母に言われて、明日香と芽衣はできた料理を運んでいく。
ダイニングテーブルには、料理上手な母親の手料理がたくさん並べられた。
から揚げやポテトフライなどの揚げ物から、サーモンのカルパッチョ、ピラフ、そして隼斗と明日香の好物のポテトサラダなど、母の張り切りがわかるほどの充実したメニューだった。
ダイニングテーブルには父の隣に僚と明日香。父の向かい側に隼斗、その隣に芽衣、明日香の向かい側に母親が座る。
僚は先ほどの父の反応を見て、より慎重にしなければと思っていた。
「おじさん、ビールどうぞ」
缶ビールを1本開けて、父親のグラスに注ぐ。その間、父が僚に話しかけることはない。
僚がビールを注ぎ終わると、今度は父の方から僚にビールを勧めてきた。
「僚くんも飲むか?」
「はい、いただきます」
僚は子供の頃から知っている藤堂姉弟のお父さんと、こんな形でお酒を飲む日が来るなんて考えてもいなかった。
明日香と付き合ったからこそ、この時間を過ごしていると思うと、嬉しくもあり、少し恥ずかしさが込み上げてくる。
一方母は、
「芽衣ちゃんは、看護師さんになるのねー」
と、明日香の予想通り質問攻めにしていた。
「はい。小さい頃からの夢だったので・・・」
「そう、大変なお仕事だけど、頑張ってね」
そう言って、ニッコリ笑う母。明日香はそれがなぜか不気味に思えた。
「芽衣ちゃんはさ、隼斗のどこが良かったの? こんな、デカいだけの男」
「母さんっ、ヒドイなっ」
「なによ、ホントのことでしょ。お母さんが言わなかったら、いつまでも芽衣ちゃんを紹介しなかったでしょうにっ」
図星を言われた隼斗はぐうの音も出ない。
「どうせあんたのことだから、芽衣ちゃんの親御さんにも顔を出してないんでしょ!? ちょっとは僚くんを見習いなさいな」
「ぐっ・・・・・・」
母恐るべし。誰も何も言い返すことが出来ない。
「それで? 芽衣ちゃん。隼斗のどこがいいの?」
母は忘れていなかったらしい。芽衣は恥ずかしかったけど、頑張って答えることにした。
「え・・・と、最初は高校2年の時なんですが、私は崎元くんと同じクラスだったんです。それで藤堂・・・隼斗くんが、よく遊びに来ていたんです」
芽衣によると、自分のクラスによく来ていた隼斗が昼休みに誠とゴムボールを投げて遊んでいる時、そのボールが芽衣に当たりそうになったところを隼斗が体を張って守ってくれたそう。
それからだんだん意識して、高校3年の時に告白して付き合ったが、そのあと自然消滅。
ただし、自然消滅した理由はさすがに言えなかったが。
「そして、同窓会で再会して、またお付き合いを始めました」
芽衣の話が終わると同時に、隼斗は母親に顔を顰める。
「母さん、これで満足か?」
「納得したけど、高校生の時に付き合ってたなんて初耳だわ。明日香は知ってた?」
「んー・・・隼斗から直接聞いていなかったけど、いるのかなぁとは思っていたよ」
明日香の答えに父や母だけでなく、隼斗や僚も驚く。
「そうなのか? 明日香。俺、最初聞いたときびっくりしたんだけど」
「俺だって、ホントに誰にも言ってなかったのに」
2人とも、明日香が気づいていたことが不思議でしょうがなかった。
「うーん・・・たぶん、その頃の隼斗の態度もそうだし、匂い? みたいなものがいつもと違っていて、彼女が出来たのかなって、思ったんだ」
その明日香の話を聞いて、母は納得する。
「それはやっぱり、あんたたちが双子だっていうことなんだろうねー。お互いのことを話さなくてもわかるみたいな」
そんなことを言われたら、心当たりなんかたくさんありすぎる。
隼斗と明日香が仲がいいことも関係するんだろう。
「ところで、明日香。高校1年生の時に夏祭りにデートしたのは僚くんじゃないわよねぇ?」
母の口撃はまだまだ止まらない。今度は明日香と僚に狙いを定めた。
「お、お母さんっ、そんなことまだ覚えていたのっ!?」
「当たり前じゃない。その時の子はフッたって隼斗が言ってたし、僚くんじゃないなら誰なのよ?」
もう勘弁してほしい・・・、明日香がほとほと困り果ててたら、僚が助け舟を出してくれた。
「おばさん、それは俺と中学からの友人です。今も、みんなで仲良くしていますよ」
僚はあくまでもさらっと、何でもないことのように伝える。
「あらっ、そうなの? いまも仲良しなの?」
「はい」
「ということは、僚くんとその子で明日香を取り合ったの?」
今度は僚が図星を言われて、言葉に詰まる。
そしてなぜか、父は涙目だ。その顔はもう聞きたくないと訴えていた。
「さすが、私の娘ねー。隅に置けないわー」
「お母さん、もうやめて・・・」
穴があったら入りたい、明日香は初めてそんな気持ちになった。
そして、涙目の父がここで初めて口を開く。
「僚くん、君のことは子供のころから知ってるし、いい子だっていうことも知ってる。でも、まだ明日香を連れて行かないでほしい・・・・・・」
突然、ぶっ飛んだ発言をする父に、一同呆気にとられる。
「だから父さん、気が早いって、・・・ああ、俺が変なこと言ったからか」
「そうよー。今日はそんな話じゃないでしょう」
母と隼斗がそう言うが、父はなおも言い張る。
「だって、だって・・・明日香はこんなに可愛くて最高な娘なんだから、すぐ誰かに持っていかれる決まってるっ! まだお父さんは明日香と離れたくないのに、こんなに早く連れていくなんて、あんまりじゃないかぁぁぁ!!」
父はだいぶ飲んでいたらしく、顔は真っ赤で目はうつろ。よく見ると、父のそばに置いていた、僚が持ってきた焼酎の半分がなくなっていた。
(この間もこんな奴いたな・・・)と、僚と隼斗は市木のことを思い出す。
その後、隼斗と僚で父を寝室へ連れて行き、なんとか寝かせてきた。
母は明日香と芽衣と一緒に片づけをして、芽衣が持ってきたプリンを食べようと準備をする。
リビングのソファーで僚と隼斗がくつろいでいると、明日香と芽衣がプリンを持ってやってきた。
「芽衣、このプリンおいしいね。あとでお店教えて?」
「うん、いいよ。このトロトロがいいんだよねー」
そうやって2人で話しているのを見ているだけで、僚も隼斗も幸せな気持ちになる。
「僚くんも、芽衣ちゃんも、今日はごめんねー。お父さんがベロベロになっちゃって」
「ったく、半分以上母さんのせいだろ」
隼斗はじろりと母親を睨む。
「でもね、子供が巣立つのなんてあっという間なんだから、彼氏が出来たくらいでワンワン泣かれたらお母さんが大変じゃない。だから僚くん、これからもちょくちょく遊びに来て、お父さんの子離れを手伝ってほしいわー。もちろん、芽衣ちゃんも遊びに来てね」
母はそう言って、2人に笑顔を見せる。
「はい、わかりました。あと、本当はおじさんにも言いたかったんですけど、おばさんに言っておきます。明日香のことは大事に守るので、任せてください。おじさんには後日改めて、僕の方から言います」
僚は真剣な顔で母に言うと、母は今日イチの笑顔で、
「やっぱり僚くんはいい男ねー。明日香、大正解だわー」
と、相変わらずのミーハーぶりを見せていた。
夜も深い時間になり、4人は帰ることに。
「俺、長瀬送っていくから」
「明日香、葉山くん、またね」
そう言って2人はタクシーに乗って行ってしまった。
僚と明日香も、次のタクシーに乗りマンションへ帰る。
マンションのエントランス前でタクシーを降り、エレベーターのボタンを押す。この時2人は自然に手をつないでいた。
5階でエレベーターを降り、僚の部屋の前で明日香が今日のお礼を伝える。
「僚、今日は本当にありがとうね」
そう告げると、僚はつないでいる手を離すどころか、より強く握ってくる。
そして、自分の部屋の玄関を開けたかと思うと、つないでいる手を引っ張り、明日香をドアの中へ引き入れパタンとドアを閉める。
真っ暗な玄関先で、明日香は背中を壁に押し付けられ、自分の顔の左側には僚の腕、右手は僚につながれたまま唇を塞がれた。
何度も角度を変え、離れては深く口づけを繰り返す。やがて僚の右手が明日香の腰を抱き、2人の体はより一層密着した。
そして、僚の唇が明日香の首筋に唇を這わす。
「あ、あのっ・・・僚、待って・・・・・・」
突然の行為に明日香はビクリと肩をすくめ、僚を制止する。
その声に僚はふと我に返り、熱の籠もった眼で明日香を見つめた。
「はぁ・・・ごめん明日香。こんなつもりじゃ」
「あ、違うの。その、汗かいてるからと、思って・・・・・・」
「そんなの気にしない。それより、こんな場所でがっついてごめん。俺、明日香との初めては、その、ちゃんと思い出に残るようにしたいんだ」
明日香はその言葉を聞いて嬉しかった。
ちゃんと、自分との進め方を考えてくれているんだと思ったから。
「僚、ありがとう。大好き」
そう言って、初めて明日香から僚にキスをする。
予想外の明日香の行動に、僚は思わず悶絶しながら明日香を抱きしめた。
「あーーっもうっ! そんなことされたら、帰したくなくなるだろっ」
その様子がおかしくて、明日香はふふふっと笑いが溢れる。
「明日香、俺には拷問だよこの状況」
「わかった。じゃあ、もう帰るね」
「・・・・・・っ、うん・・・今日はガマンする。でも、次はないからな」
「うん・・・・・・」
それから僚は隣の部屋まで明日香を送り届けて、おとなしく家に帰った。
僚の我慢はもう少し続きそうだ。




