58. 修羅場
冬休み最後の土曜日。
隼斗は市木に無理やり合コンへと参加させられていた。
無理やりとは言いつつ、内心嬉しかったりする。
同窓会で元カノの芽衣に再会してから、自分の中で何かが吹っ切れたのがわかったので、新しい出会いを探したいと思ったのも事実だ。
元木からは特に恋愛をするなと言われたことはないし、誠なんかは美里の存在を公認されているくらいだ。よっぽどのヘマをしない限り大丈夫、という気持ちでやってきた。
ところが相手の女性3人の中に、なぜか会いたくなかった元カノ・長瀬芽衣がいた。
「え~と、まず自己紹介から。俺は医学部2年の市木颯太ですっ」
市木が張り切って自己紹介する。この浮かれた姿を明日香に見せてやりたい・・・隼斗は呆れた顔で市木を見ていた。
次に市木の友人が自己紹介する。
「同じく医学部2年の木南光太郎です」
木南は隼斗とは今日が初対面だが、僚とは面識があるらしく、思いのほか話が合いそうな男だ。それも、以前市木が言っていたようにそんじょそこらの男ではなく、顔立ちも整っている、さわやかなイケメンだった。
そして隼斗は、なるべく芽衣の方を見ないようにしながら自己紹介をする。
「俺は他の大学ですが、同じく2年の藤堂隼斗と言います」
「そうそう、番犬くんはね葉山の幼馴染で、俺の心の友でもあるんだよ~」
「ば、番犬・・・・・・?」
女性3人が、市木の隼斗に対する番犬呼びに戸惑う。
「おまっ・・・市木っ! ここでも番犬呼びはヤメロ!」
「あぁ~ごめんごめん。ついクセで」
テヘッと自分で自分をゲンコツしているが、全然かわいくない。
それを聞いていた女性参加者の一人、村上紗英が市木を睨みつけながら、真っ赤な口紅を塗った口を開く。
「颯太って、葉山くん以外にも親友がいたんだ」
「そうだね。番犬くんとは、心の友と書いて心友だよ」
「ふ~ん・・・」
この2人のただならぬやり取りに、その場に緊張が走る。
「別に、藤堂くんがダメってわけじゃないから、気にしないで聞いてほしいんだけど、葉山くんが参加できなかったのはなんで?」
紗英がグイっと市木に顔を近づける。それでも市木は何でもないように答えた。
「だから~言ったでしょ? 葉山は不治の病でいまは無理なの。あ、これからはもっと無理になるかも」
「ふざけないでっ! どうせあんたが余計なことばっか言ったんでしょう⁉」
「えぇ~・・・俺に責任を押し付けられても困るよ~」
「ねぇ、藤堂くんだっけ? あなた、葉山くんの幼馴染なんでしょ? いまから彼を呼んでくれない?」
隼斗は紗英から急にそんなことを言われ、ドン引きだ。
正直彼女は僚が最も嫌悪するタイプの女性で、明日香の存在がなくとも結果は目に見えている。
だから隼斗は、僚のためにもはっきり言ってやろうと思った。
「いや、僚が自分の意思で行かないと決めたのであれば、あいつは来ませんよ。それにあいつは昔から、自分に好意を向けてくる女性が苦手なんです。それでフラれている子を何人も見てきましたし。諦めた方が・・・・・・」
パシャっと、冷たいものを感じる。
隼斗は紗英から、グラスに入った水を掛けられたんだと気づいた。
「ち、ちょっとっ! 紗英っ」
芽衣ともう一人の女性が慌てて止める。
隼斗の髪の毛から雫がポタポタと落ち、その場に緊張感が走る。
「・・・・・・市木、トイレ行ってくる」
それだけ言い残して、隼斗はトイレに行った。
なんなんだ今日はっ! 初めて参加した合コンで、苦い思い出のある元カノがいるだけでもイラつくのに、僚が来ないことに腹を立てた初対面の女に水を掛けられるなんて・・・! 俺はどんだけ女運悪いんだよっ。
自分の中で悪態をつき、周りに当たり散らしそうになるのを必死に我慢しながら、トイレの手洗いに置いているペーパータオルで濡れた髪の毛や服を拭いていく。
(市木には悪いけど、今日はもう帰ろう・・・・・・)
そう思いながら席に戻ると、そこに紗英の姿だけがなかった。
そして、隼斗が戻ってくるなり開口一番、市木が顔の前で手を合わせて謝罪する。
「ごめんっ。本当に申し訳ない。あいつ・・・村上は帰ったから、というか帰した。服も俺が弁償する」
いつもチャラチャラしている市木とは違い、隼斗に対して本当に申し訳なく、謝り倒していた。
「いや別に、市木が悪いわけじゃないだろ」
「でも・・・・・・」
「それに、俺は何も間違ったことは言ってない。お前だって僚との付き合いが長いんだからわかるだろ。あの女に望みがないことくらい」
そうだけど・・・・・・と、小さな声でごにょごにょと話す市木。
「あ、あのっ。藤堂くん、紗英が本当に申し訳ありませんでした。あの子には私からきつく言っておきます。あと、後日きちんと謝罪にも・・・・・・」
芽衣と共に残っていたもう一人の女性が申し出てきた。
「いや、謝罪とかいいから。顔も見たくないし。ただこれだけ伝えて」
隼斗はその女性に告げた。
「僚には大切に思っている女がいて、その人のことしか考えていない。それ以外には目もくれない。だから無駄だって」
「・・・・・・はい、わかりました。伝えておきます」
それだけ言って隼斗は帰ろうと思ったが、水を掛けられる前に注文していたメニューがすでに運ばれていた。
「せめて、ご飯だけでも食べて行って。もうこの場は合コンではないから」
市木にそう懇願され、しぶしぶ付き合うことにした。
これは市木に対する貸しだと思うようにする。
「もうさ、ただの食事会なんだけど、とりあえずお2人の名前を教えてくれないかな?」
自己紹介の途中でとんでもない修羅場になったので、2人の名前すら聞いていないことに市木が気づいた。
「あっすみません、遅くなりましたが、わたしは看護科2年の前田奈緒美です」
「同じく看護科2年の、長瀬芽衣です」
「奈緒美ちゃんに、芽衣ちゃんね。よろしく~」
市木はこの雰囲気を何とかしようと、必死に明るく振舞って場を盛り上げようとするも、隼斗は心から楽しめないでいた。
それもそうだろう。たとえ水掛け女がいなくなっても、まだ芽衣がいる。隼斗が心から楽しめるわけがない。
それを市木に言うべきか迷っていると、隼斗のスマホが鳴った。
「悪い、ちょっと電話」
ひとこと断りを入れ、通話ボタンを押す。
「もしもし」
『あ、隼斗っ。いまどこにいるのー?』
「どこって、市木とその友達と飯食ってるけど・・・」
『えーっご飯食べちゃったのー?』
受話音量が大きかったのか市木に聞こえていたらしく、市木が隼斗のスマホをパッと奪い取る。
「あ、深尋ちゃーん? ご飯まだだったら、一緒に食べない?」
「ちょっ、市木っ!」
隼斗は市木に奪われたスマホを取り返そうとするも、ひょいひょいと市木にかわされる。その間にどんどん話が進んでいった。
『えー・・・でも、知らない人がいるし・・・』
「大丈夫だよ~俺も番犬くんもいるし、ここのご飯美味しいからさ~」
『うーん・・・わかったー。場所教えて?』
それから市木が場所を教えると、気を付けて来てねと言って電話を切ってしまった。
「おいっお前、何勝手なことしてんだっ」
隼斗は他の3人がいても構わずに市木に詰め寄る。
「いいじゃ~ん。木南は深尋ちゃんのこと知らないんだし、深尋ちゃんにとっても新しい出会いになると思うし~」
市木に言われて隼斗はピタッと止まる。
そうだ。以前深尋に元木以外にも目を向けろといったのは、他でもない自分だ。でも、だからといってこの場でなくてもいいだろうとも思う。
一難去ってまた一難。隼斗にとって今日は、最悪な一日になりそうだ。
市木が電話を切って30分後、深尋が店に入ってきた。
「あ、隼斗ー」
深尋が隼斗を見つけ、ぶんぶんと手を振りながらいつもの調子でやってきた。
そして隼斗の斜め前に座っている芽衣と目が合った瞬間、 深尋と芽衣が同時に声を出す。
「あ・・・隼斗の元カノの・・・」
「藤堂くんの彼女・・・・・・」
「深尋っ!」
慌てて隼斗が抑えようとするも、時すでに遅し。
市木だけでなく他の2人にもはっきり聞こえていた。
「へえ~・・・・・・深尋ちゃん、その話詳しく聞かせてくれないかな~?」
「うるさいっ市木っ! お前は黙ってろっ」
隼斗はもう帰りたくて席を立とうとする。
しかし、市木がそれを許すはずがなく、強引に席に座らせ隼斗の耳元で囁いた。
「番犬くん、芽衣ちゃんが例の高3の元カノ?」
隼斗は市木の記憶力の良さに降参するしかない。
夏に居酒屋で打ち明けた話を、こいつはきっちりと覚えていた。
隼斗は返事をせずに、ただコクンと頷く。
「そう、わかった」
それからの市木の行動は早かった。
「え~と、深尋ちゃんは木南の向かい側に座ってね。番犬くんの近くだと、いつもと変わらないでしょ? 悪いけど、芽衣ちゃんと奈緒美ちゃんは一つずつずれてくれない?」
そうすることによって、隼斗の前に芽衣が座ることになってしまった。
「お前・・・・・・なんの拷問だこれは・・・・・・」
市木に小声で怒りを露わにしても、そんなことで尻込みする男ではない。
「番犬くんさ、もう大人なんだから彼女と話し合ってみなよ。彼女、最初っから番犬くんのことチラチラ見てたし、さっきトイレ行っている間も、ずっと心配そうにしてたよ。何か誤解があるんじゃないの?」
市木は隼斗に言うだけ言って、深尋のことをみんなに紹介する。
「はい、なんか今ごちゃごちゃあったけど、気を取り直して、深尋ちゃん自己紹介どうぞ」
深尋は市木にそう言われて、今日初めて会った3人に自己紹介する。
「初めまして、新井深尋と言います。えーと、隼斗とは小学校からの幼馴染で、市木くんとは高校からの友達です。よろしくお願いします」
深尋の自己紹介を聞いて、芽衣は隼斗をジト目で見る。
「この間、彼女って言ってたよね?」
「・・・・・・長瀬の聞き間違いじゃない?」
芽衣は相変わらず冷たい態度を取り続ける隼斗に、それ以上何も言うことが出来なかった。
隼斗にとっての修羅場はまだまだ続きそうだ。




