50. 遅すぎた気持ち
明日香の留学出発当日。空港まで元木が運転する事務所の車で送ってもらうことになった。もちろん、その他の5人も一緒だ。
藤堂家の両親は、自分たちの車で空港に来ていた。
「明日香、忘れ物はない?」
「つらくなったらいつでも帰ってきていいんだぞ」
両親は明日香の周りで、ずーっとそわそわ落ち着かない。
「もう、お父さんもお母さんも、大丈夫。心配してくれてありがとう」
「父さんも、母さんも、俺がいるだろー」
「男なんかより、女の子の方が可愛いに決まってるだろう」
「そうよー隼斗。あんたなんて、彼女が出来たらすぐにお父さんもお母さんも見捨てるくせにっ」
「んなっ・・・可愛い息子になんてヒドイことを言うんだっ」
こんな時でも藤堂一家は明るい。明日香はそんな家族が大好きだし、離れがたかったが、自分で決めたことは最後までやると心に誓う。
他の4人と元木は一家団欒の邪魔にならないよう、離れた場所から見ていた。
「おじさんも、おばさんも、寂しいだろうなー」
「そうだね。隼斗くんがいるとはいえ、寂しいだろうね」
深尋と竣亮が2人で話していると、誠が僚のそばに寄っていく。
「僚、明日香と話したのか?」
「・・・・・・できてない」
それを聞いて、深尋と竣亮も僚のそばに寄ってくる。
「ねえ、これでいいの? 明日香、行っちゃうよ?」
「っ・・・・・・・・・」
深尋にも言われるが、僚は答えることが出来ないでいた。
僚は2週間前に見た、明日香と市木のキスシーンが頭から離れなかった。明日香と話をしたいのに、それが出来ない。かといって、市木に問いただすことも出来ずにいた。
それが悲しみなのか、怒りなのかもわからず、歯痒さばかりが自分の中を埋め尽くす。
そうこうしているうちに搭乗時刻となり、全員で明日香を囲む。
「じゃあ、みんな。そろそろ行くね」
「明日香ぁ・・・・・・頑張ってねっ」
「うん。がんばる」
「体に気を付けて。無理しないように」
「ありがとうございます、元木さん」
みんなが明日香とのしばしの別れを惜しむ。でも、そこには涙はない。必ず帰ってくると約束したから。
「そうだ深尋。お願いがあるの」
明日香は何かを思い出したように言うと、自分のカバンからマンションのカギを出す。
「私の部屋、たまに換気してほしいんだ。隼斗も合鍵持ってるけど、当てにならないし・・・・・・」
「うん、わかった。天気のいい日に開けとくね」
深尋は明日香のお願いを快く了承した。
この鍵がある限り、明日香はここに帰ってくる。その証だから。
それから明日香は見送りに来てくれた1人1人と目を合わせていく。
最後に久しぶりに僚と目を合わせた。僚も目を逸らさずに明日香を見つめる。しかし、2人の間で言葉を交わすことは最後までなかった。
「それじゃあ、いってきます!」
「いってらっしゃい!」
そうして明日香は後ろを振り返ることなく、国際線の保安検査場の中へ入っていった。
僚は久しぶりに明日香と目を合わせた。
その時、自分の口から思わず「行くな」と出そうになる。なぜそう思ったのかわからないまま、明日香は行ってしまった。
その背中を見送り、後に残ったのは胸の痛さと後悔だけだった―――
明日香が出発して1週間が経った土曜日。
この日は梅雨に入る前の晴天だったため、深尋は明日香に頼まれていた部屋の換気をすることにした。
本格的な梅雨に入ってしまうと、換気などそうそう出来ないと思った深尋は、部屋の窓という窓をすべて開け、リビングと廊下を仕切る扉も開けて固定し、玄関の扉も全開にする。
どうせこの階に住んでいるのは自分たちだけだし、明日香の部屋の前を通るのは隼斗しかいないからできることだ。
人が住んでいなくても、埃はたまる。電気ガス水道などは止めずにいたので、ついでに掃除機もかけることにした。
「おーい深尋。明日香から頼まれたことしてるのかー?」
「あ、隼斗。うーん、もうすぐ梅雨入りするし、その前に1回はしておこうと思って」
主のいない部屋に、深尋と隼斗が上がり込む。
「あいつきれい好きだし、そこまで汚れてないだろ」
「いいの。私がやりたいんだからっ」
深尋は書類棚の書類をトントンと揃えていく。すると、大きさの合わない書類が出てきたので引っ張り出してみると「海外留学」と書かれたパンフレットだった。深尋はそれをパラパラと開く。それを見ていた隼斗も、深尋の隣に立ち一緒になって覗く。
パンフレットには、明日香の文字でたくさんの書き込みがされていた。
「明日香、こんなにいろいろ書きこんで・・・・・・ホントに本気だったんだね」
「そうだな。俺らは全く気付かなかったな。あんなにずっとそばにいたのに」
明日香はみんなに話すと決心が鈍るからと言っていたが、本音ではやっぱり一言相談してほしかった。
「ずっとそばにいると、近すぎてわからないこともあるし、見えないこともあるんだよ」
「例えば・・・僚とかな」
「・・・うん。ホントにそう」
ここ最近の僚の明日香に対する態度は、本当にひどいものがあった。
深尋はこれまでのこと、空港でのことを思い出し、つい声が大きくなる。
「だいたいさ、僚は鈍感すぎるよ。明日香の気持ちに気づかないのはまだわかるとしても、僚だって明日香のことを友達以上に好きだったはずだよ。そうじゃなきゃ、明日香に対する接し方の説明がつかないよ。それなのに留学が決まった途端、あんな冷たい態度で・・・寂しいなら寂しいって、離れたくないって言えば・・・僚さえ自分の気持ちに気づいてくれれば、明日香だって僚を忘れるためにつらい思いをしなくても済んだかもしれないのに・・・・・・!」
その時、隼斗と深尋の後ろでカタンっと音がして2人が一斉に振り返る。
そこには僚が立っていた。
「僚・・・・・・」
リビングと廊下を隔てる、今は解放された扉のそばに僚が立っていた。
「明日香の部屋のドアが開いていたから、何かあったのかと思って入ってきたんだけど・・・・・・」
そう言いながらも僚は明らかに動揺している。
「もしかしていまの話聞いて・・・・・・」
「なあ、明日香が俺を忘れるって何? いま2人は何の話をしていたんだ?」
隼斗と深尋はまずいと思いながらも、言ってしまったことは取り消せない。
明日香がずっと隠し続けてきた気持ちを、こんな形で知られてしまうとは思ってもいなかった。
「隼斗、深尋、頼む。教えてほしい」
僚にそう言われても口をつぐむ2人。すると僚はその場に片膝を立てて床に崩れ落ちてしまった。
「本当に頼む。俺、ずっと感情がおかしくてわからないんだ。だから教えてほしい・・・・・・」
今までに見たことのない僚の姿を見て、隼斗が口を開いた。
「わかった。いまから話すことを聞いても後悔するだけだぞ。それでもいいのか?」
「・・・・・・ああ。教えてくれ」
そして隼斗は僚をソファーに座らせると、明日香の僚に対する4年以上に及ぶ想いを話した。
市木と3人で行ったボウリングがきっかけだったこと。しかしその日のカラオケで僚が市木に、明日香のことを友達以上に見ていないと言っていたこと。
それからずっと明日香は僚への気持ちを押し殺したままいたこと。僚のことでたびたび泣いていたこと。
そして、この留学で僚への想いに区切りをつけると言っていたこと。
隼斗は自分が知っている、全てのことを話した。それを聞いた僚は放心状態だった。
「明日香は僚には絶対に自分の気持ちを知られたくないって、必死に隠してた。知られてしまうと、友達じゃなくなるからって」
深尋の言葉を聞いて、ずっと痛かった胸がさらに痛んだ。
自分が言った一言のせいで、明日香を傷つけてきた。何年間も。
それなのに明日香は、ずっと変わらずいてくれた。俺はそんな明日香に甘えてたんだ。自分の気持ちに気づかないふりをして。このままずっと一緒にいられると思って・・・・・・。
僚は両手で頭を抱え、俯いたまま動くことができない。
「僚、俺たちもここまで言ったんだから、正直に言ってほしい」
「・・・・・・うん」
僚は顔を俯いたまま頷く。
「お前は本当に明日香のことを、ただの友達、ただの幼馴染、ただの仲間としてしか見ていなかったのか?」
隼斗に言われて僚は考える。
海水浴に行った海で、いちごのかき氷をおいしそうに食べる明日香。
ボウリング場で初めてピンを倒して喜ぶ明日香。
満員電車で自分にもたれて顔を赤くする明日香。
夏祭りで市木に手を握られ目を赤くしていた明日香。
湯上りで顔が赤く上気している明日香。
グランピング場で満天の星を見て感動する明日香。
スーパーの総菜コーナーで、自分の体を心配してくれる明日香。
はぁ・・・・・・バカだな俺は。ずっと昔のこともこんなに鮮明に思い出せるのに、なんで今まで気が付かなかったんだろう。
こんなになるまで、どうしてこの気持ちから目を背けてきたんだろう。
「隼斗、深尋。俺、明日香のことが好きなんだ。どうしようもないくらい好きで、本当は手放したくなかった。離れたくなかった。だから、留学が決まった時、あんな態度をとってしまったんだ・・・俺、今すぐ明日香に会いたい・・・」
僚の目から涙が一筋、静かに流れる。
「・・・・・・ほんと、バカだよお前」
「気づくの遅いよ」
深尋も一緒になって涙を拭う。
誰が悪いわけでもない。ほんの少し何かがズレただけ。でもそのズレが、時として取り返しのつかないものになることを思い知った。
少し落ち着いて、僚が思い出したことを話し始める。
「俺、明日香は市木と付き合ってるのかと思ってた。だから、余計に避けてたんだ」
「はあ? なんだそれ。俺はそんなこと聞いてないぞ」
隼斗が市木の名前に反応して怒りを露にする。
僚は気が進まなかったが、数週間前に公園で見た2人の様子を隼斗に伝えると隼斗が、
「今すぐにあいつを呼び出せ‼ ぶん殴ってやるっ‼」
と、番犬を通り越し般若のような顔で怒り狂ったため、急遽市木を呼び出す。
1時間後。僚、隼斗、深尋は僚の部屋で市木と対峙していた。
僚の部屋は男らしく、家具やソファーなどは黒系で統一されている。
呼び出された市木は、そのソファーに座らせてもらえず、フローリングの床の上に正座をさせられていた。その目の前には般若が座っている。
「あの~・・・僕、どうしてこんなことに・・・・・・?」
「正直に言え。お前、明日香にキスしたのか」
「・・・・・・え?」
「明日香にキスしたのかって聞いてるんだよっ‼」
般若にカッと詰め寄られ、市木は少し考えてあぁ! と思い出す。
「いや~、明日香ちゃんがあまりにも可愛くて隙だらけだったからさ、ちょっとチュッてしようかと思ったんだけど・・・・・・」
「あぁん⁉」
「してないよ、残念ながら。寸前で止めた」
それを聞いた僚が身を乗り出してくる。
「本当か市木⁉ してないんだな⁉」
「あ、なんだよ葉山、必死だな。してないよ。それどころか今度やったら友達やめるって言われたからさ~。それはさすがにね~」
それを聞いて安心する3人。
「え・・・もしかして、これだけのために呼んだの?」
「そうだ。もうお前は用済みだ。じゃあな」
般若改め、隼斗が市木を部屋から追い出そうとする。
「ちょっと、ひどくない⁉ ていうかさ葉山、今の必死な様子からして、やっと自分の気持ちに気づいたみたいだな。このまま一生気づかなくても良かったのにさっ。それに・・・前に俺が言ったこと覚えてる?」
市木に言われた僚は記憶を辿る。
グランピングに行った時、焚火の前で市木が言ってた言葉を。
『いつもそばにいた大切な人が、突然消えてしまったらお前はどうする?』
「あ・・・お前もしかして、明日香の留学のこと、あの時すでに気づいてたのか?」
「言っただろ、勘だって。当たってほしくなかったけどな」
隼斗と深尋は2人が何を話しているのかわからないまま、話を聞いていた。
「葉山、俺が言った通り大切な存在がいなくなったいまお前は、何を思ってる?」
市木に問われ、僚は改めて考えて答えを出す。
「俺は、自分が思っているよりもずっと前から、明日香が誰よりも何よりも大切で大好きだ。だから、お前にも誰にも渡さない。明日香が帰ってきたら、ちゃんと気持ちを伝える」
「ふ~ん・・・青い目の彼氏を連れてくるかもしれないよ?」
市木は悔しくて少し意地の悪いことを言う。
「それはそれでちゃんと取り返すよ」
そう話す僚の目は真剣そのもので、3人からは嘘偽りのないものに見えた。
「その情熱をもうちょっと早く出してくれればな・・・・・・」
隼斗が呆れたようにため息を吐く。
「えぇ~そうしたら葉山は正式に俺のライバルじゃん。手強いな~」
「市木、さっきの俺の話聞いてたか? 誰にも渡さないって言っただろ。諦めろ」
僚は正々堂々と市木に宣言する。
そのあまりの堂々っぷりにひるんだ市木が、隼斗と深尋に助けを求めた。
「深尋ちゃんと番犬くんはどっちの味方なの⁉」
「私は、明日香の味方。明日香を悲しませる人は絶対許さないっ」
深尋は僚と市木の2人を睨みつける。
「僚、俺もお前の味方はできない。市木、お前はそもそもとっくにフラれてるだろ。俺も深尋と同じで明日香の味方だ。俺はあいつが泣いているのを散々見てきた。だから、今度こそ絶対に泣かすな」
隼斗に強く言われた僚は、心に決める。
明日香が帰ってきたら自分の気持ちを伝えること。そして、結果がどうなっても、明日香のことを大切にすること。
これまで明日香を傷つけてきた分、自分はそれ以上に明日香を愛することを誓う。
それまで僚は、明日香が留学から帰ってくるまでずっと待つことにした。




