48. 明日香の決断と涙
旅行から1週間後。
明日香は1人でGEMSTONEを訪れていた。元木と約束をしているためだ。
今日は午後からレッスンがあるが、みんなより早く到着し、対面することになっている。
いつも通り受付を済ませ、5階の会議室に向かう。
指定された部屋に入ると、すでに元木の他に3人のマネージャーと、元木社長が待っていた。
「遅くなってすみません」
「まだ時間前だから大丈夫だよ」
元木がそう言いながら、明日香に座るよう促す。
明日香は緊張で口の中がカラカラだ。まさか、社長までいるなんて思わなかった。
これから話すことを考えると、余計に緊張して手が震える。
「早速だけど明日香、結果はどうだった?」
元木に尋ねられた明日香は、手をぎゅっと握ったあと、元木の目をまっすぐに捉え答えた。
「はい。合格しました」
「そう・・・・・・。気持ちは変わらない?」
「はい。私の夢なんです」
「みんなには?」
「・・・・・・まだ言ってません」
そこで元木も考え込む。すると社長が優しい口調で諭した。
「明日香、こういうことは早く伝えた方がいい。先延ばしにするべきではないよ。明日香の気持ちをちゃんと話せば、わかってくれるから」
「・・・・・・はい。わかりました」
「明日香、手続きも始めているの?」
「はい・・・」
「わかった。社長、今日のレッスン前にみんなに伝えます。それでよろしいですか?」
元木に言われ、社長は少し考え明日香を見る。
「構わんよ。明日香の夢なら応援しない選択はない。そしてこれだけは忘れないで。帰る場所はここだよ」
「はい・・・ありがとうございます」
元木社長の優しいひとことに、明日香は目に涙を浮かべて頭を下げた。
それからしばらくして、他の5人もレッスン前に会議室に呼ばれる。
今日はそんな予定ではなかったので、みんな不思議に思っていた。
5人が会議室に入るとすでに社長の姿はなく、明日香と元木と3人のマネージャーだけだった。
「ごめんね、急に集まってもらって」
「なにかあったんですか?」
明日香が先に座っているのを気にしつつ、僚が元木に尋ねる。
「うん。ちょっとみんなに大事な話があって・・・・・・明日香」
元木に呼ばれた明日香は、5人の正面に立つ。
みんな明日香が何を言い出すかわからず、妙に緊張していた。
「あの、今日はみんなに言わなきゃいけないことがあるの・・・・・・。去年の夏、大学で海外留学の募集があって、留学はずっと私の夢で、この仕事を始めても諦めきれなくて元木さんに相談したの。そしたら元木さんが、学内試験に合格したらみんなに報告しようって言ってくれて、試験を受けた。それで、その学内試験と選考に合格したの。その結果・・・6月にカナダに留学することになりました。みんな、黙っていてごめんなさい。わがまま・・・言って、本当に・・・ごめんなさい。留学す・・・ることを・・・許して、ください・・・・・・」
明日香は最後の方はしゃべりながら泣き出してしまった。
それを見た他の5人も、初めて聞く話に戸惑いが隠せない。
「え・・・あ、あの。留学ってどれくらい・・・・・・?」
僚が明日香に聞く。
「・・・・・・1年間の予定」
「1年・・・・・・」
僚はそれ以上言葉が出てこない。あまりにも突然すぎて、頭が追い付いていなかった。
「明日香、そんな大事なことなんで俺には言わなかったんだ」
隼斗が声を震わせながら聞いてくる。
「隼斗は・・・・・・反対・・・すると思って・・・・・・」
「・・・・・・なんだよ・・・・・・それ・・・」
「ご・・・ごめん・・・・・・隼斗・・・・・・」
すると、ぐすっぐすっと鼻をすする音がする。
「いやだよ・・・明日香・・・1年も・・・・・・そんな・・・に・・・遠くに・・・・・・行っちゃう・・・なんてっ・・・・・・」
「ごめん、深尋。本当にごめん・・・・・・」
「なん・・・で・・・そんなっ・・・だい・・・じなこと・・・・・・ひとりで・・・・・・」
そこまで言うと深尋は、子供のようにうわぁぁぁんと泣きじゃくった。
これまで、いつでもどんなときも笑いあい、支えあってきた6人が、今までにない程の暗い雰囲気に飲み込まれようとしている。
するとここまで見守ってきていた元木が話し出す。
「みんな。明日香も去年からずっと悩んでいたんだ。そんな明日香を見ていたから、僕は明日香のためにも夢を叶えてやりたいと思った。それに1年後にはここに帰ってくる。社長とも約束したからね。明日香、みんなとも約束できるね?」
「はい・・・必ずここに戻って、またみんなと歌いたい・・・踊りたい・・・・・・」
「寂しいのは、みんなも明日香も僕らも一緒だ。明日香はそれ以上に不安だろう。そんな仲間を応援してあげないかい?」
元木が問いかけると、みんな黙ってしまった。
「・・・・・・僕は明日香を応援する」
竣亮が明日香を見てはっきりと告げる。
「明日香の人生は明日香のものだから。自分がやりたいことをやればいいと思う。僕は明日香が無事に帰ってくるまで待ってるよ」
「竣亮・・・ありがとう・・・・・・」
竣亮のその言葉に触発されたかのように、隼斗が口を開く。
「はぁぁ・・・・・・お前は頑固だから、こうと決めたら絶対に譲らないだろ。いいよ行ってこい。後悔しないようにな」
隼斗は明日香を心配しながらも、応援することにした。
「俺も、明日香が決めたなら最後までやればいいと思う」
誠も短い言葉ながら励ましてくれる。
「隼斗も誠も、ありがとう」
その間も、ぐすぐすと泣き続けている深尋。
明日香は膝をついて深尋の顔を覗き込むようにして、手を取った。
「深尋、勝手に決めてごめんね。私のこと嫌いになった?」
深尋はふるふると首を横に振る。
「明日香のことがっ・・・だいす・・・きっだから・・・はな・・・れたく・・・ないっ」
「うん。私も深尋のこと好きだよ」
「ぜった・・・い・・・かえって・・・きて・・・ね・・・」
「うん。帰ってくる。約束する」
ヒクヒクとしゃくりあげる深尋を抱きしめ、明日香はその小さな背中をポンポンと優しく叩く。
僚からは、最初の言葉以降ひとこともなかったが、明日香はそれでいいと思うようにした。
この留学の目的は、英語をもっと学びたいというのが大きな理由であるが、明日香にはもうひとつ決めていることがある。
それは、僚への想いを完全に断ち切ることだった。
明日香は留学をきっかけに、自分の恋心に自分で終止符を打つ。
僚を忘れることも、新しい恋を見つけることも出来ないまま4年が過ぎ、この先僚の隣にステキな女性が現れても動揺しないくらいに強くなりたいと思った。
そんな気持ちなどわからない僚は、今後のことを元木に尋ねる。
「元木さん、明日香がいない間の活動って、どうなりますか?」
「それはEvan先生とも相談して、とりあえず現段階で決まっているお仕事は、明日香が出発するまでに全て片付ける。そのあとは、実質休業扱いってことになるかな」
「休業・・・・・・」
その言葉には全員不安を感じずにはいられなかった。
「大丈夫。休業と言っても、君たちはそもそも顔を出していないからツアーやテレビ出演があるわけじゃないからね。しばらく新曲を出さないって思うくらいで考えてていいよ」
元木は全員を安心させるように言って聞かせる。
「あのマンションも、そのまま住んでてもいいの?」
「もちろん。新曲は出さなくても、レッスンは続けるからね。じゃないと鈍っちゃうよ。あと、君たちは自分たちが思っている以上に、売り上げを出してくれているんだよ。君たちの給料を一般のサラリーマンが見たら、目ん玉飛び出るよ。だから、あのマンションに住むことくらい、どうってことないよ」
「そうなんだ・・・・・・」
元木の言葉に全員驚く。
給料などのお金の管理は、全てそれぞれの親に任せていたため、自分たちが一体いくら貰っているのかわかっていなかった。
ただ、定期的にお小遣いとしてもらう金額が、今までとは考えられないくらいの金額になっていたのは確かだ。
「あとね、大事なことをもう1つ」
元木が全員に人差し指を立ててみせる。
「明日香が留学から帰ってきた半年後、つまり12月1日のデビュー記念日にbuddyの全ての情報を解禁しようと思ってる」
「・・・・・・え?」
「全ての・・・・・・情報・・・・・・?」
最初は元木が何を言っているのか理解できなかったが、やがて頭の情報処理が追い付いてくると、みんな口々に言い始める。
「えっ、それって、つまり顔を出していくってこと?」
「そうだよ」
「名前も?」
「そうだよ。そしてその次の年には全国ツアーを計画している」
「全国ツアー⁉」
「もちろん。君たちの歌もそうだけど、ダンス技術もお披露目しないと。長年指導しているダン先生が可哀想だろう?」
そんな話を突然聞かされて、改めて自分たちはそういう世界に入ってしまったんだと実感する。そして話し合いの最後に元木が宣言する。
「明日香の留学期間中の休業は、ちょっとした骨休みと思っていたらいいよ。明日香が帰ってきたら、みっちりお仕事を入れるからね」
そういうとニッコリといつもの笑顔で全員を見た。
その日のレッスンはこの状況では無理と判断し、急遽取りやめになり、みんなそのまま自分たちの部屋に帰宅する。
ただし、深尋と隼斗だけは明日香の部屋に上がり込んでいた。
「明日香ヒドイよ」
明日香の家に入るなり開口一番、深尋はティッシュで鼻をかみながら文句を言う。
「うん、ごめんね。みんなに言うと決心が鈍っちゃうから言えなかったの」
「俺は姉弟なのにな」
「ホントごめん・・・・・・」
もう今日だけで何度謝ったかわからない。それでもみんな、応援してくれると言ってくれたことに、感謝しかなかった。
「明日香、いつから留学のこと考えてた?」
「いつから・・・・・・って・・・・・・」
留学したいと思い始めたのがいつ頃からだったのか思い出す。
「一番最初に考えたのは高校2年の時。クラスメイトの何人かが短期留学とかしてて、楽しそうだなって思ったの。でもその時にはもうデビューしてたし、半ば諦めてた・・・・・・」
明日香は英語特進コースの高校に通っていたこともあり、学校のカリキュラムなどを利用して短期留学をする生徒が多く、留学の夢はその頃から膨らんでいた。
隼斗と深尋は黙って明日香の話を聞いている。
「大学も外国語大学で英語を専攻して、そこで学べばいいと思っていたの。でも、留学募集の案内が大学側からあって、学内試験に合格するかわからないけど、とりあえず受験したいって元木さんに相談したら、合格して・・・それで・・・」
「うん、わかった。責めるつもりで聞いたわけじゃないから」
それから隼斗には、どうしても確認したいことがあった。
「明日香さ、留学を決めたのは本当に勉強のためだけか?」
「どういうこと・・・・・・」
「俺の考えすぎかもしれないけど・・・忘れるために行くんじゃないのか?」
そう言われて明日香は何も言えなくなる。やっぱり隼斗に隠し事は無理な話だ。隼斗も深尋も明日香の答えをずっと待っていた。
「勉強したいのは本当。ずっと憧れてたし、夢だったから。それと同時に、自分の気持ちに区切りをつけて前に進みたいって思った。いつまでもこの気持ちを抱えたまま、ずるずると僚のそばにいちゃいけないって・・・・・・前に進むために頑張りたい」
この4年間、ずっと苦しい思いをしてきた。何度泣いたかわからない程に。諦めたくても、僚は明日香のそばにずっといた。このままだと、自分は何も進歩しない。こんな自分を変えたいとそう思った。
『明日香のことは、大事な友達で、幼馴染で、仲間だ。それ以上の気持ちはないよ』
明日香は僚への恋心を自覚してからずっと、僚が言ったこの言葉に縛られてきた。たとえどんなに僚に優しくされても、笑顔を向けられても、この言葉が聞こえてくる。この言葉に打ち勝つためにも、明日香には1人になる時間が必要だった。
明日香は2人の前でしっかりと自分の気持ちを言葉にする。それは、自分自身に言い聞かせるためでもあった。
「明日香ぁ・・・・・・」
「そうか。明日香がそこまで決心して決めたなら、ホントにもう何も言わない。俺もお前が泣いているのを散々見てきたからな。頑張れよ」
隼斗が明日香の頭をポンポンと撫でる。それだけで嬉しかった。
その頃僚は、部屋に帰ってからずっと考えてた。
明日香の留学の話を聞いてから、明日香の顔が見れない。みんな、応援するって言っていたのに、自分は何も言えなかった。
寝室の電気もつけず、ベッドに仰向けになってずっと考えている。
なんでこんなに落ち込んでいるんだ? なんでこんなにイライラするんだ? 自分の中にある矛盾した感情がぐるぐると渦巻いている。
明日香に対してこんな気持ちになるのが初めてで、どうしていいかわからない。明日からどう接していいかわからなくなっていた。




