彼女の花奉げの帰り道
時は少し戻る。
そう、彼女が墓地の中にいるその時まで……
今日で、40日目。
大好きなあなたが死んでから40日目。
この地の風習に則り、私はここに通い詰めた。
そう、風習。
喪に臥す40日間、故人の墓に毎日絶えず火を灯し、香を聞かせる。
時間はまばらでもいい、だけども、
夕闇以降には行ってはいけない。
ただ、それだけ。
多分これは生きてる私たちのための風習。
ゆっくりと、悲しみを消化して、故人との最後の別れを惜しむための。
私は毎日のそれに一つ自分で決めたルールも追加した。
花を一輪、奉げること。
我が家の庭に咲き誇る、あなたが褒めてくれた、一緒に植えた花々。
思い出とともに、奉げようと思ったの。
何時もは早朝の、仕事に行く前の時間に行ってたのだけど、
最終日は違った。
なぜか目覚ましは鳴らないし、念の為の携帯のアラームもセットし忘れてたし。
だから仕方なく仕事終わりに行くことにした。
帰宅して着替えて、最後の一輪だったザクロの花を切って墓地へと向かったの。
いろいろ支度に時間がかかったからか、墓地についたのは夕闇時の少し前。
一瞬風習のことが頭をよぎったけど、少しのズレなら大丈夫と思ったの。
まさかあんな目に合うとは夢にも思わなかったの……
百合の香りのお香を聞かせた後、最後の祈りをささげ、墓地を後にした。
蝉の音が五月蠅いな……と心の中でこぼしながら、
夏が終盤に入ってるなあ、と考えつつ、
ここ数年手入れをさぼってたのか、錆び付いていた門を開いた。
耳障りな音はまるで誰かを止めようとする悲鳴のようだと思いながら。
門を出た後くらいからだろうか?
得体のしれない違和感があったのは。
何故か鳥肌が立ったのは。
速く、かつ冷静に見えるように帰らなきゃと思ったのは。
しばらく普段どうりを装って歩いてたら、
気づいた、気づいてしまった。
あれほど五月蠅かった蝉の音が止んでいることを。
怖い、コワイこわい……!!
瞬間心を埋め尽くした恐怖。
理由は分からない、でも……とてつもなく怖くなった。
そよ風が吹いた後、私の目についたのは
黄色いマリーゴールド。
この時期には絶対咲いているそれは、聖母様の花とされている花。
ふらり、としゃがみこんで、そ……と触れた。
何時もなら奇麗だと思うのに。
でもなぜか、この時は……
いつか見かけた花言葉というものが頭をよぎった。
【悲しみ】と【絶望】。
次の瞬間衝動的に握りつぶしていた。
あ……と思った瞬間、世界が変わった。
そして世界が暗くなった。
『かなしい?』
少し幼い声。
聞こえたのは私の背後から。
少しの間忘れていた恐怖が頭をもたげた気がした。
『かなしい?』
もう一度聞かれた。
怖くて、涙が溢れそうになるのを必死に歯を食いしばって耐える。
どうしよう、どうしようどうしよう……
そう、パニックになり始めたら……
右手にぬくもりを感じた。
恐る恐るそこに目を向けても何も見えない。
でも、何かが触れている感覚がある。
『もういちど。あいたい?』
再度聞こえた幼い声、
でもどこか遠い。
まるで耳をふさがれたように。
《声に耳を傾けないで。》
声が聞こえた、つい最近まで聞いていた優しい、温かな声。
もう、聞けない声。
呼ぼうとしたら、止められた。
《駄目よ?私に話しかけちゃダメ。
後ろもむいちゃダメ。
それがルール。いいわね?
今からあなたにコレをあげる。
きっと守ってくれるわ。
さあ、いきなさい。》
その声が聞こえ終わると同時に二つの感覚。
一つは、冷たく、左耳に飾られた黄色い彼岸花から。
もう一つは、暖かく、右手に握られた白い彼岸花から。
それらはそよ風と共に、与えられた。
その二つを意識しながら、心なしか少し速足でその場を後にしたの。
ナニカに追いかけられる気配を感じながら。
足元をよく見ていなかったからか、そこそこ大きい小石に足をぶつけたの。
なんとなしに追いかけた先にあったのは
カレンデュラの花。
神話ではある少年が男神に恋い焦がれた末にその花になったと伝えられている。
そしてその花言葉は、
【悲観】そして、【別れの悲しみ】。
まるで私の心を嗤うかのように咲いているそれを、
涙ぐみながら踏み潰した。
同じ過ちをした自分に呆れつつ、身構えたら、
気持ち悪い雨が降り始めた。
『サミシイ の?』
少しぎこちない声。
聞こえたのは私の左側から。
怖くて足が震える。気を抜けばへたり込みそうだった。
『サミシイ の?』
見えていないのに大きな口が笑みを形どるのがわかってしまった。
心臓の鼓動が早くなるのがわかる、
涙が溢れ出そうになるのがわかる、
その瞬間に、
頭にぬくもりを感じた。
はっ……と仰ぎ見る。その拍子に流れた涙。
何もない、けれどさっきと同じように、
何かが触れている感覚がある。
『モウ いちど。アイタイ?』
再度聞こえたぎこちない声。
でも私は答えられない。
まるで口を優しくふさがれた様に。
《まったく、何、変なのにナンパされてるんだ?》
今度の声は、ぶっきらぼうな、頼りがいのある声。
数年ぶりに聞いた、もう聞けないはずの声、
その声の方に向こうとして、また止められる。
《やめとけ。ルールはルール。
後ろは向くな。喋りかけるな。いいな?
ほら、これも持っていきな。
お守りだ。
さあ、いけ!》
その声が聞こえ終わると同時にまた二つの感覚。
一つは、冷たく、左胸に飾られた黒い百合から。
もう一つは、暖かく、右手に握られた白い百合から。
雨が強くなった瞬間、二つの気配が消えた。
その二つの花を意識しながら、速足でその場を後にしたわ。
ナニカに追い越された様に感じながら。
遠目に見えた協会。
それを見て安心した私はそこに逃げ込もうとしたの。
その時、教会の階段にスカビオサの花を見て、
恐ろしさのあまり引き抜いてしまった。
だってあの花の花ことばは
【私はすべてを失った】。
その瞬間すべてが紅に覆われた。
現れたその影を見て、怖くて俯いてしまった。
怖い、息ができない、寒い、熱い、
苦しい……こわい!
『悲しいか。』
今までとは違う、はっきりとした声だった。
聞こえたのはもちろん正面の影から。
蕩ける様にに甘くて、誘うような声で。
泣きたいくらい慈悲深く、縋りつきたくなるほど優しく聞こえたの。
『悲しいか。』
わかる。
やさしいかおで ほほえみかけられてる ことを。
ああ、きっと
この こえのぬしは わたしのねがいを かなえてくれるって わかったの。
ねえ、じゃあ おねがいしたら また あえるの?
さっき もらった ぎふと。
これをつかえば いいの?
ささげるわ、 わたしの いのちもいっしょに。
だから おねがい……
そう考えた瞬間、
両側から抱きしめられた感覚がした。
そして感じる右手からの暖かさ。
思わず両手で強く握った。
そして、頭に優しい重み。
まるで目の前の影を見るなというかのように。
そのぬくもりが私を正気に戻した。
ええ、ええ。
心の片隅ではわかってたわ。
命をささげたって、つかの間だけ会えたって、
きっとあなたたちは怒るだろうって。
それでも、それでも私は……
左耳と胸元にあった花々を左手に持って。
右手に持っていた花々と見比べ、私は決めた。
ぎぃぃ……と、おどろおどろしく誘うように開く扉。
その音を聞きながら、そして涙を堪えながら、
私は顔をあげた。
扉を見据え、胸を張り、
右足から一歩を踏み出し、
扉を潜った。
次は女性目線で!!