9 告白
後ろ髪を一つでまとめた、スーツ姿の咲が帰宅する。
「おかえり! やっぱりスーツ似合ってるね。入学式どうだった?友達出来た?」
「ただいま帰りました。キャンパスが広くて少し疲れましたね。出席番号の近い子とはライン交換してきました」
蓮の質問に素っ気なく答える咲。結婚してからは、咲よりも、蓮から話しかけることが多くなった。
「そりゃよかった。疲れたなら、入学祝いに晩ご飯は外に食べに行く?それとも僕が何か作りましょうか?」
「明日までに書かなきゃいけない書類がたくさんあるので、おうちで食べたいです。お願いしても良いですか?」
「いいですよー。張り切って作っちゃいますね。 あ、そうだ。明日から一緒に学校行きますか? 兄妹なら別におかしくはないと思いますが」
学校では、蓮と咲は、兄妹のフリをする予定だ。
「ぜひぜひ!一緒に行きましょう。実は…さっき、同じクラスの茶髪の男の子にしつこく話しかけられて、少し怖かったんです。帰り道も後ろをついてきたような気がして…だから、蓮さん一緒だと安心です」
蓮は眉をへの字にして驚く。
「な! 咲さんの美貌に見惚れちゃう気持ちは分かりますけど、相手の気持ちを汲まないのは良くありませんね! 先輩として明日、とっちめてやるので特徴を教えてください」
ひょろがりのくせに腕をまくって気合を入れる蓮。そんな蓮を見て、咲は苦笑いする。
「体は蓮さんより一回り大きくて、ラグビー選手のようでした」
「お、おう」
蓮は少し不安になる。持ち前の貯金を使って、ムキムキマッチョの黒人ボディーガードを雇おうかなんて思案を巡らせる。
「髪は自分で染めたのか、野良犬のようにパサパサでまばらな茶髪です。イキった革ジャンを着ていましたが、絶妙にファッションセンスがなく、抜けきれない田舎者感がありました。ドスのきいた太い声で、笑い声がうるさかったです」
「咲さんがそこまで言うなんて。よっぽど嫌だったんですね」
「はい。他のチャラい友達とバカ騒ぎしていたクセに、ストーカーなんてねちねちしたことをするなんて、本当に気持ち悪くて無理です。思い出すだけで背中に悪寒が走ります。他にもイキがって先生に向かって失礼な発言をしたり、先生が話している途中にわざわざスマホをいじったり、もう人として嫌です」
「よーし、もういいですよ! 咲さんが、そいつにめちゃめちゃ悪い印象を抱いてることはよくわかりました。学校の行き帰りは、僕がついていくから安心してね」
「ありがとうございます。でも、蓮さんがいない間は少し心配です」
「それなら、吉田家に伝わりし、人前には出せない武器を咲さんにあげよう」
至極まじめな顔で言った蓮は急いで、自分のカバンの中をゴソゴソする。
「えぇ? 結構ですよ。私は別に蓮さんのことを通報したりしませんけど、私が学校で使ったら、警察に突き出されてしまいます」
咲は慌てて蓮を止めようとする。
「いえ、咲さんの身の安全のことを考えたら、そんな悠長なこと言ってられません。さあ、手を出してください」
咲は固唾を飲んで、手のひらを差し出す。咲はまさか、蓮が反社会的勢力だなんて予想だにしていなかった。蓮が差し出すのは、ピストルか、ナイフか、スタンガンか、一体何なんだろう。
「へ?」
「これは僕が小学生入学の時に、両親にもらった大切なモノです。まだ電池は残っているので安心して使ってください」
咲の手のひらにあるのは緑色をした卵型の電子機器。下部には十センチほどの紐がぶら下がっている。そう、防犯ブザーだ。
「ああ、ありがとうございます」
何だか拍子抜けした咲であった。
○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○
桜は散って葉が出始めた頃。食後の咲は大学のレポート課題に勤しんでいた。
「咲さーん、そろそろドラマ始まっちゃいますよ。一緒に見ませんか?」
呑気な声で蓮が言う。
「レポート課題が間に合わないので、先に見ててください。てか、蓮さんはレポート課題、いつやっているんですか? 相当な量ですよ」
蓮と咲の学部は理系なのにレポート課題が多いことで有名だ。毎週一万文字から二万文字程度の文章を書かなくてはならないという。
「いつも課題が出たら速攻で終わらせています。学校の休み時間に読書やネットサーフィンをしているので、情報収集する時間はゼロですね。僕はレポート楽しいので、サラサラっと終わっちゃいます」
ちょっと自慢ができて嬉しそうな蓮。
「それにしても早すぎませんか? 一度だって蓮さんがレポート書いているの見たことないですよ。ちゃんと自分でやっているんですか?」
「ぐぬ。痛いところに気づかれましたね。実はチートを使っているんです。見られるのが恥ずかしいので、咲さんの前ではチートを使わないようにしていました」
歯を食いしばって、いぶし銀の顔をする蓮。
「裏技があるなら、もっと早く教えてくださいよー。もう、毎日レポートを書くだけでクタクタです。おかげでタイピングとフリック入力は早くなりましたけど」
咲は疲れた手を伸ばす。
「それも身につけてほしいから、あえて言わなかったんです。でも、咲さんのタイピングスピードも速くなりましたし、そろそろいいでしょう! レポートを瞬殺するチート技を教えます。準備はいいですか?」
「はい」
咲は目を見開いて、ゴクリと唾をのむ。
「音声入力です」
「は?」
咲の目が点になる。
「だから音声入力です。スマホやパソコンにマイクをつないで音声入力するんですよ。もしかして、音声入力機能を知りませんでした?」
「知ってますけど、そんなスピード変わりますか?」
「めっちゃ早いですよ。試してみてください。”おはようございます”って打つのと、”おはようございます”って声に出すの、倍ぐらい時間が違うでしょ。結構早口でしゃべっても認識してくれますし」
「本当だ。でも、話すスピードで、レポートに書くネタって思いつきますか?」
「簡単ですよ。百聞は一見に如かず、やってみてください」
絶妙にことわざを使いこなせていない蓮は胸を張って、咲を見守る。
「んー、スラスラ浮かんで来なくて、音声認識が止まってしまいます。蓮さん本当にできるんですか?」
咲が疑いの目を向ける。
「で、出来るし! なめないでくださいよ」
「なら、今回のレポートお願いしても良いですか?」
「構いませんよ。二千文字なら、三十分もあればできます。 カキカキカキカキ――――」
なぜかメモ帳に文字を書きだす蓮。
「ちょっと!何してるんですか?」
「レポートのあらすじを書いてます…はい、整いました。少し恥ずかしいけど、音声入力しますね。 ベラベラベラベラ――――」
書き言葉で、これでもかと流暢にしゃべる蓮。この調子なら、あっという間に完成しそうだ。
そんな蓮を、ポカンと口を開けたまま先が見ている。
「――――どうしてそんな速く思いつくんですか!? きもちわるっ!」
咲は滑らかすぎる蓮の早口にドン引いてしまった。
○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○
リビングのちゃぶ台に、場違いなほど真っ白なテーブルクロスが引いてある。その上には焼きたてで湯気の立つパン、豪華に生ハムを乗せたサラダと、様々な香味の混じり合った豊かな香りを放つビーフシチューが並べられていた。
「ハッピーバースデー!咲さん! 早速、ケーキにろうそく立てて歌っちゃいますか? それとも先にご飯を食べますか?」
「ありがとうございます。せっかく蓮さんが作ってくださったのに、冷めたら勿体ないので、先にご飯を食べましょう」
今日は咲の誕生日だ。蓮は豪華に外で食事でも、どうかと提案したが、咲の体調が良くないらしく、家でお祝いすることになった。
「今日は手作りですみません。また外に食べに行きましょうね。体調は大丈夫ですか?おなかの調子が悪かったら、残していただいても全然大丈夫ですよ」
「胃腸が悪いというわけではないので大丈夫ですよ。とっても美味しいので全部いただきます」
「うーん、それなら尚更心配ですね。どこか他の臓器が悪いのかもしれないし」
咲は今日に限って、月のものが来てしまっている。咲はそれを暗に匂わせているのに、蓮は一向に気づかない。そんな蓮に、咲は少し憤りを感じる。
「それより、蓮さんってお料理上手ですよね。どこでお勉強したのですか?」
「…あの話を遮ってしまうのですが、気になったので一つ質問いいですか?」
「どうぞ」
人の質問に答えず、自分の話をしたがる蓮にイラっとする咲。しかし、もとから蓮は気をつかうことが苦手な性格なので、いつもの咲ならそれほど気にしないことである。
「夫婦になったことですし、お互いため口で話しませんか? 敬語だと、何だか他人行儀な感じがするんです。咲さんが嫌だったら、無理に変えなくても構わないんですけど」
構わないなら口に出さなければよい。口に出すということは、要求していることと同義なのに、意味のない譲歩ををする蓮に、またも咲は不快感を覚える。
「わかった。なら、ため口で話すね。蓮くん」
「おー! いつもとは一味違う可愛さがありますねじゃなくて、あるね!」
誕生日なのに、気の利かない蓮のせいで、自分がむしろ気を遣う羽目になった咲だった。
「ごちそうさまでした。料理とても美味しかった。じゃあ、私はレポートがあるから部屋に戻るね」
「えーせっかくの誕生日だし、ゆっくり映画でも見ようよ。レポートなんて、僕が後でササっと終わらせるよ」
「なら、映画見よっか」
おなかの痛みが悪化してきた咲だが、蓮にお祝いしてもらった手前、断りにくいので要求を飲んでしまう。
そうして映画を見始める咲たち。
咲は鈍痛が気になって映画に集中できない。自分の浅薄さのせいで、映画を見る羽目になったのだが、どうしても蓮が鬱陶しく感じる。
それどころか、蓮の全ての発言が鬱陶しく感じてきた。
レポートがすぐ終わる?それは蓮が得意だから、すぐ終わるだけであって、レポートが苦手な咲や、咲の同級生はそうでない。それなのに、出来ない人の気持も想像せず、軽はずみにレポートは簡単だ、と言う蓮を咲は軽蔑する。なぜ、意味もなく自分の実力のなさを知らされなくてはいけないのか。
そんな考えが、咲の頭の中をぐるぐる回る。
そんな折、蓮は息を荒くしながら手を伸ばし、咲の手を握ろうとしてきた。それを察知した咲は席を立つ。
「ごめんなさい。やっぱり、レポート気になって映画に集中出来ないので失礼します」
咲はもう痛みとストレスの限界だった。
「そっか。レポートなら僕も手伝おうか?」
「いや結構です。それではレポートが終わったら、そのまま寝ます。今日はお祝いありがとうございました」
「あの! 咲さん」
足早に出ていこうとする咲の手をつかむ蓮。
「なんですか?」
おなかはずっと痛いし、頭も痛くなってきた。蓮の自己中心的な行動に、本当に腹が立ってきた咲。もう、怒りの堰が決壊しそうだ。
「丁度いい機会だから、話そうと思ってたんだ。僕たち夫婦だから、いずれ、その…子供を作ったりするかもしれないよね」
先ほど自分が了承した蓮のため口すら、咲はウザく感じるようになってくる。
「はあ」
「だから、もっとスキンシップをした方が良いと思うんだ。ハイレベルなことは、もっと大人になってからで良いと思うんだけど、手をつないだり、キスとか、してもいいんじゃないかなって」
言いながら、顔を赤らめる蓮。
してもいい?した方が良い?自分が助平なことをしたいだけだろう。それを言葉で取り繕おうとする考え方も気持ち悪いし、欲望に支配されている蓮自体にも嫌悪感を覚える。
てか、さっきなら何なんだ。私の誕生日なのに、自分の都合ばかり押し付けて。どうして私の痛みや気持ちを察することができないのか。
「どうかな? 咲さん」
その一言で、プチンと咲の堪忍袋の緒が切れた。
「ホント、蓮さんってデリカシーがないですよね」
「え」
「夫婦なら何を言っても良いんですか? 子供を作りたいなんてセクハラですよ」
咲は今まで我慢していたことを吐き出す。もう取り返しがつかないなら、全部言ってしまえばいい。
「ごめん。でも子供を作りたいとは言ってない…」
「それに、朝から私、体調悪いって言ってましたよね! だから、外にも行きたくないし、部屋に戻ろうとしているんですよ。なんで察することができないんですか!?」
もう咲の耳に、蓮の言葉は届かない。
「…なら病院行く?」
「ここまで言っても分からないんですか!? 生理ですよ。男の人には言いにくい月経ですよ! 勉強が得意なら知ってるでしょ! バカなんですか? 本当に気遣いできないですよね。あと、さっきの”レポートなんてすぐ終わる”って何ですか? 私は時間かかるって知ってますよね? だったら、あの発言を聞いた私は劣等感を感じるって想像できませんか?」
蓮は顔面蒼白である。
咲は怒りに任せて口を動かし続ける。つりあがった目尻と眉間に寄った深いしわ、額に浮かんだ血管。彼女の整ったか顔立ちが、怒りの表情をより引き立てる。
「そっか…今まで我慢させてごめんね。咲さんに好きって言われてから、少し調子に乗っていたかもしれない」
蓮は自分の行動を反省した。言われてみると、いつも自分本位だったかもしれないと思う。
「この際だから、はっきり言いますけど」
「はい…」
「実はあなたのことが、あまり好きではありません」