8 同棲
草木が芽生え、桜も蕾を膨らませる頃。蓮と咲は、段ボールに詰め込まれている咲の荷物を片付けていた。
二人は蓮の家で同棲生活をすることになったのだ。
「結婚って意外とあっさりできるんですね。結婚式とか挙げるなら大掛かりになるんでしょうけど、婚姻届けを出すだけなら、あまり実感は湧かないです。海外では役所で式を挙げるところもあるそうですよ」
咲が何気なくつぶやく。
「もしかして、咲さんウエディングドレス着たかったんですか?」
咲は首を振る。
「いえ、人前に出るのが苦手なので式は無しで良かったです。しかし、紙一枚提出するだけでなれる夫婦って何なんだろうなあっと思って」
「あー確かに。夫婦ってよくわからないシステムですよね。昔の日本は一夫一妻制でもなかったみたいですし。なかなかおもしろいことを考えますね…ってもしかして!マリッジブルーですか!?」
蓮がギョロっと目を見開く。
「違いますよ。何も考えずにしゃべっていただけです。マリッジブルーなら、蓮さんの方がひどかったじゃないですか」
「咲さんのお父さんに面と向かって、結婚させてくださいって言うのは誰だって怖いですよ。見た目も怖いし、力では絶対負けますもん。本当、お許しいただけて良かったです」
蓮は良い記憶を思い出してホッとする。
「そのことじゃなくて、「僕は咲さんのパートナーになる自信がない」とか情けないことをおっしゃていた時のことですよ」
蓮の顔がカーっと赤くなる。
「確かに言ってましたけど! 十八歳の大学生に結婚は心理的負担が大きすぎますって。今どき、こんな若くに結婚する人そうそういないですよ」
「織田信長は十五歳で結婚したそうですよ。現代では経済的にも自立している人が少ない早い時期かもしれませんが、精神はもう成熟していると思います。それに、いつ死ぬか分からないし、早く結婚しておかないと手遅れになってしまうかも…」
咲は目尻が下がり口をギュッと閉じる。
蓮はどうして咲が結婚に固執するのか一度、聞いたことがある。それは咲の母の影響だそうだ。
咲の母は咲がまだ小学生の頃に病気で亡くなってしまったらしい。咲は生前の母に何度も「もうすぐ退院する」と言われていた。しかし、約束は一度も守られなかった。今になれば咲を絶望させないための優しさだったと理解できなくもない。しかし、その理屈で咲のトラウマが払拭されるなら苦労しない。
件のトラウマで、人を信じることができなくなり、死に敏感になったそうだ。それで結婚に固執しているのかもしれないと、彼女自身は言っていた。
「そういえば! 今日の晩御飯は何にしましょう? 畑ではブロッコリーやスナップエンドウが収穫できますよ」
「………………」
蓮は空気を変えようと、話を振ったが咲の反応がない。咲は場の空気を動かすのが上手で、誰がどんな失言をしても、いつもなんとかしてくれていた。それゆえ、初めての状況に蓮は冷や汗をかく。
そして、沈黙の中、二人がせっせと片づけを続ける――――。
「ピンポーン ガラガラガラガラ」
「吉田くーん! いるー?」
女性の声が響き渡る。
「咲さん、たぶんご近所の中村さんだと思うけど、挨拶しとく?」
「はい」
そして二人で玄関に向かう。
「もしかして吉田くん引っ越しちゃうの!?と思って急いで見にきたんだけど、そちらの女の子はもしかして?」
そこにいたのは、首元を隠す帽子に長靴を履いた農家っぽい女性。しかし、スッキリしたジーンズに白いシャツを着た若々しい格好で顔も二、三十代に見える。
「なんと僕の妻です!」
「やっぱり!! よかったね。おめでと、おめでとー!」
そういって、蓮に抱き着く中村さん。蓮は嫌の予感がしてチラッと咲を見る。すると、ナルガクルガのごとく赤く光らせた目の咲が、こちらを見ている。それに気づいて、急いで離れる蓮。
「初めまして。今日からここに住む、吉田の妻の咲と申します」
咲は鍛えられた営業スマイルで挨拶する。
「いやん、物凄くべっぴんさん! 近所に住んでる中村です。旦那と六歳の娘ちゃんがいるので、仲良くしてください。では失礼しますー」
そういって中村さんはスキップしながら帰っていった。
「蓮さん、お話があります」
怒りのオーラが溢れる咲は、蓮の腕をつかんで部屋に入る。心なしか、咲の額に浮き出た血管が見える。
「何でしょうか、咲さん…」
蓮は咲の表情に不安を募らせる。
「私たちの関係についてです。大学生で夫婦なんて知られると、学校で友達にからかわれると思うんです。なので、学校では兄妹ということにしませんか?」
「…あ、そっち?」
「なにか他にもまずいことでもありましたか?」
蓮は慌てて地雷を隠す。
「いやいやいやいや、そうだよねえ。兄妹の方がいいかもしれませんね。でも、僕は友達いないので大丈夫ですよ?」
「私はお友達を作る予定なので困ります! ご近所さんにはもう、夫婦と言ってしまいました。なので、学校の中だけ、兄妹のフリをしましょう。よろしいですか?」
咲は冷徹な目で淡々と質問する。
「理由はよくわからないけど、いいですよ。面白そうだし!」
「ありがとうございます、蓮さん」
その言葉と同時に、いつもの笑顔に戻った咲。やはり彼女には笑顔が良く似合うと思う蓮だった。
しかし、今日の咲は何だかいつもより機嫌が良くなかった。