5 お義父さん
蓮は咲と別れてから家に着くまで上の空で、何度も車に轢かれそうになった。蓮は家に着くなり寝転がり、思案を巡らす。
蓮のことが好きだからお付き合いして欲しい。付き合うという言葉だけならば、買い物に付き合う、仕事に付き合うなど様々な意味がある。しかし、好きという枕詞が付けば、間違いなく男女交際を意味するお付き合いのことであろう。
無論、蓮は咲に好意を抱いており、恐れ多くも付き合ってみたいとは思う。しかし、生まれてこの方、妹以外の女性と接したことがない蓮は、怖気づいている。電話かラインを使えばすぐに返事をすることができるのに、返事を聞く前に咲が逃げたのは返事を聞きたくないから、彼女はあまりにも美人過ぎるから美人局に違いない、等々、行動しない自分を正当化する理由ばかり探してしまう。
「ピコン」
蓮の携帯にラインが届く。蓮は滑るような手つきでスマホを開く。
『デートとても楽しかったです。ありがとうございました。私と交際していただけるかどうかのお返事は急がなくて大丈夫です。もし、しばらくお返事が来なければ、そういうことだと思い、もう連絡はしないでおきます』
蓮は震える太ももを叩きながら、メッセージを読んだ。間違いなく男女交際をするかどうかを聞かれている。そして、最後の一文が気にかかる。しばらく返事が来なかったらもう連絡しない、そのしばらくとはどの程度の期間なのか。一か月か一週間か、もしかして今日中なのか。
もし、蓮が駄々をこねたまま返信しなければ、二度と咲と会えなくなってしまう。
「――――いや、アカンがな!」
蓮は速攻で返信する。
『僕も咲さんが好きです。お付き合いよろしくお願いします』
蓮は脂汗を垂らしながら、スマホを見つめる。そして、すぐに既読が付いた。
『うれしい。私ばっかりが好きなのではないかと不安だったので安心しました。末永くよろしくお願いします』
その返事を見て、蓮は無難なグッドマークのスタンプを送った。
○○○○○○○○○○○○○○○○
件のデートの日から、二人は毎日連絡を送りあうようになった。今日は高校でこんなことを習った、家庭菜園のオクラが収穫できるようになった、かわいい猫の動画を見つけたと、たわいのないことを話した。蓮は一人で趣味に没頭していれば、話し相手なんて要らないと考えていたが、咲とのやりとりは心地よく感じていた。
そしてある日、咲から「明日から1週間父がいないので家に来ませんか?」と打診があった。もちろん蓮は行くに決まっている。
『明日から行きます! 明日は丁度、大学の創立記念日で休みだったのでグッドタイミングです!』
蓮は創立記念日という意味のないウソをついて、行く旨を伝えた。そして、クラスメイトに手間賃を渡し、休んでいる間の出席を確保した。
日本海の水平線まで見渡せる小高い丘にそびえ立つ高級旅館は改めて見ると、圧巻の造りだった。青々と茂る周りの木々と歴史を感じさせる和風建築が見事に調和している。咲がその高級旅館のお嬢さんであることを思い出すと、蓮は少し身構える。
蓮は咲の学校が終わってしばらく経った頃に来るよう言われていたが、待ちきれずに一時間前に来てしまった。しかし、蓮は手持ち無沙汰で、旅館の入り口でうろうろしていた。
「蓮さーん! お久しぶりです。さあさあ中に入ってください」
蓮がうろうろし始めてから、ものの数分で、弾ける笑顔の咲が現れた。毎度同じく整った顔に違いないのだが、今日はなんと制服姿だ。
黒と青のチェックスカートに、半袖のカッターシャツと薄青色のネクタイ。肩下まであった髪は高く結い上げてポニーテールにしている。今日は快活な女子高生といった雰囲気だ。
「咲さんの制服姿めちゃめちゃかわいいですね。この眼福に与ったエネルギーだけで42,195キロ走れそう」
咲の顔がカァーっと赤くなる。真っ赤な顔の咲は、蓮の後ろに回り背中をグイグイ押しながら進む。
「制服姿を見られたくないから時間を約束したのに! 約束を破った罰に今日は付きっきりで家庭教師をよろしくお願いします」
「家庭教師なら、むしろご褒美です。何時間も制服姿で勉学に取り組む咲さんを眺められるなんて、この上ない幸せです」
蓮は咲の勉強姿を想像するだけで顔が惚ける。
「部屋に着いたらすぐ着替えますから! デートの時は大して服を褒めてくれなかったのに、制服をみて興奮するなんて変態さんですね」
「こ、こ、興奮なんてしてないし! 制服が好きなんじゃなくて、制服というアクセントが加わった咲さんが魅力的に見えただけです」
「もう、冗談ですよ。早くお部屋に行きますよ」
咲の家は旅館の一部か、繋がっているのか、旅館の迷路のような通路を歩いて咲の部屋に着いた。そこは、女の子らしくパステルカラーでフワフワした部屋ではなく、旅館と同じシンプルな和室だった。
広い部屋に、整頓された本棚や座卓、クローゼットなどの最低限の家具が置いてあるだけ。最近流行りのミニマリストなのかもしれない。
「早速、お勉強教えていただいてもよろしいですか?」
咲は座卓に勉強道具を広げる。
「もちろんです。なんの教科をしますか?」
「受験科目は国数英と地理、物理、化学です。蓮さんの得意科目とかありますか?」
「僕も高校生の頃、咲さんと同じ科目だったので、その六つなら全部いけますよ」
「わあ頼もしいです。選んだ科目が全部一緒って、運命感じちゃいますね。では、いつも一番点数の低い物理でお願いします!」
運命という言葉に蓮は少しドキッとする。
「最近習った波動学の分野がさっぱりで。光の干渉やドップラー効果なんて、なんのこっちゃです」
「確かに授業でサラッとやっただけでは理解しにくいですよね。光の干渉っていうのは、要するに二つの光が強め合うか弱めあうか、それだけの話で――――」
「すごい!あっさり解けちゃいました。蓮さん教えるの上手!この調子ならテストもいけるかも」
「咲さんの飲み込みが早すぎるんですよ。一度、基本の理屈を伝えたらすぐに応用問題も解いちゃうんですもん」
「えへへー褒めても何もでませんよー」
褒めて!と言わんばかりにくしゃっとした笑顔で咲が蓮を見ている。なんて教えがいのある生徒なのだろうか。ほどよい相槌を打ち、わからないところが出てくるとしっかり質問する。そして、しっかり結果も出してくれる。
授業というのは、先生だけでなく生徒も同じ方向を向いて努力してこそ、楽しくなっていくものである。いつも怒られてばかりの塾バイトもこれぐらいうまくいけばいいなあと蓮は思う。
「もう一時間はぶっ通しで頑張ったので、一旦休憩しましょうか」
「はい! せっかくなので、ゆっくりお話しでもしましょうよ! では、蓮さんの今まで好きになった女の子のお話を!」
「ちょっ! なんてこと聞くんですか。僕たち恋人同士ですよね!? 付き合う前ならまだしも、今さら知る必要ありますっ?」
久しぶりに自分のキャラを思い出し、うろたえる蓮。
「あります! より好きになってもらうために!! 傾向と対策は大事って、さっき蓮さんがおっしゃていたじゃないですか」
蓮は先ほど調子づいて偉そうに語ったことを後悔する。
「ぐぬぬ…咲さんも教えてくれるなら僕も言います」
姑息な手段を取る蓮。
「生憎ですが、私は蓮さん以外に好きになった人はいません。蓮さん一筋です。さあ次は蓮さんの番ですよ!」
「やだ、咲さんカッコよすぎ。惚れちゃう」
咲のあまりの勇ましさにキュンキュンしてしまう蓮。蓮がもし女の子だったら、キュン死していたかもしれない。
「誤魔化さないでください! 隠すということはいらっしゃるんでしょ! ほら、早く」
「うう…今までで一人だけいますぅ…その子に一目ぼれしたのは小学校三年生のころで」
「うんうん! それでそれで!」
そして、和やかな恋バナ談笑がしばらく続いた――――――――。
「バンッ」
勢いよく咲の部屋の扉が開かれ、大柄でいかつい見覚えのある中年が入ってきた。それは、帰ってこないと聞いていた咲の父だ。
もう、同じ轍は踏むまいと、蓮は震える足を押さえつけて、口を開く。
「お邪魔してます。お義父さん」
咲の父のいかつい顔がより険しくなる。坊主頭に薄い色のサングラスをかけて、見た目はヤクザそのものだ。
「見たことない靴があったから嫌な予感がしたら、またお前か。婚約もしてない娘の部屋に入るとはどんな神経しとるんや」
あまりの迫力に蓮は委縮していつもより一回りも二回りも小さく見える。そして、蓮は彼から目をそらしてしまう。
「勝手なことをしてごめんなさいお父さん。でも、私たちは結婚を前提にお付き合いしているの!」
「な!」
蓮は思わず声が出てしまう。
「結婚ってお前。学生やったら咲を養うことなんて出来んやろうし、社会人やったらロリコン気味でキモいぞ」
獲物を狙う鷹のような視線で蓮を睨む。
「年は咲さんと同じ十八で大学一年生です。貯金は五千万円ちょっとありますし、月収は不安定ですが十万から百万程度あります」
「はぁ? 絶妙に条件を躱しやがって、テキトーなこと言うな。 会社がそんな好待遇で雇うわけないやろ。それか親のすね齧ってるだけか?」
「違います。実は僕」
「え、あ、ちょっとそれは」
なぜかオロオロしだす咲。
「咲さんどうかしましたか?」
「いえ、何でもないです。続けてください」
青白い顔で俯く咲。
「実は僕、会社を経営しているんです。そこで、Webアプリケーションを作る仕事をしています」
しばらくの間、沈黙が続く。
「…それ、本当か? ちょっと詳しく聞かせてくれ」
咲の父のいかつい顔から少し険しさが取れる。
「かくかくしかじかで――――」
さっきまでの鬼の形相はどこへやら。やたら素直に聞かれるので、蓮は聞かれたことにすべて答えた。
「蓮くんといったね。君の事業は大変興味があるし、ぜひ一緒に事業をしたい。今度ゆっくり聞かせてほしい。 結婚はまだ許可できないが、咲に勉強を教えるぐらいなら構わない…けっ」
渋々許してやるといった態度で咲の父は言った。そして、勢いよく扉を閉めて出て行った。
「よ、よかったのかな? お義父さんはビジネスが好きなんですね」
腰が抜けた蓮は震えながら言う。
「ええ、まあ…。そんなことより!父の許可も出たことだし、お勉強の続きをしましょう!」
「え! 今の休憩になりました?」
「つべこべ言わずに早く!」
そして、蓮はそれから数時間家庭教師をし、夕飯もいただき、風呂も使わせてもらい、今日は泊まらせてもらえることになった。
部屋でボケーっと外を眺めていると、咲もお風呂から上がってきた。
ダボっとした半袖と短パンで長い髪をおろしている。気の許した相手にしか見せないであろう姿を見れて、蓮は大いに満足している。
「部屋着もかわいいですね」
蕩けた顔で蓮は言う。
「ありがとうございます。お出かけ用に着飾った時も、そのぐらい褒めてくださいね」
蓮は少し冷や汗をかく。
「あはは…そういえば僕はどこで寝ればよろしいでしょうか?」
「えっと…私の部屋には布団が一枚しかありませんし…その同じお布団で一緒に…くぅ」
咲の顔がかつてないほどに赤くなり、蓮もつられて赤くなる。
一緒に寝るとはどういうことだろうか。小説や古文で一緒に寝るというと、あんなことやこんなことをするという意味だ。しかし、付き合って間もない学生の二人。ただの添い寝に違いない。いいじゃないか、ドキドキ添い寝チャレンジ。
蓮は頭の中で検討した結果、ただの添い寝をすることを決心した。
「そ、そ、そ、添い寝ということですよね」
蓮は噛み噛みのではあるが、懸命に声を出した。
「はひっ! もちろんです。やましいことなんて何も。 では、お布団ひくの手伝ってください」
咲もかつてないほど動揺している。そんな二人で押し入れから布団を出して、一緒に運ぶ。咲は耳がずっと赤く、蓮は物凄く鼻息が荒い。
そんな蓮の鼻腔には咲の布団の香りが入ってくる。シャンプーやセッケンのような甘い芳香だ。そこから、蓮は自分の鼻息の大きさに気づき、必死に抑えようと息を止める。
しかし、息を止めたままにできるはずもなく、止めた分、より鼻息が荒くなる。そして、その鼻息に咲が気づかないはずない。
「ちょっと蓮さん! 私のお布団をくんかくんかしないでください!」
「そういうつもりじゃないです! その、緊張で鼻息が荒くなって、それで息を止めようとしたら――――」
「バンっ」
「よーし! 蓮くん、咲の布団運んだってくれてありがとう。蓮くんの寝る布団は俺の横にひいたし、そろそろ一緒に寝ようか!」
いかつい顔に満面の笑みを浮かべて咲の父がやってきた。
「――――ですよねーーーっ!!」