12 休戦協定
「桃ちゃんのお父さんとお母さんはいつごろ帰って来るのですか?」
咲はしゃがんで桃に目線を合わせて言う。スイッチの入った咲の笑顔はまるで幼稚園の先生のよう。
「あと一時間ぐらいで二人とも帰ってきます。晩ご飯は準備されていると思うのでお構いなく!」
拙いながらもしっかりと敬語を使いこなす桃。
「じゃあ、それまで、何して遊ぼうか?」
以前から、蓮は度々、桃を預かる機会があった。両親が医療従事者であるため、急に仕事が入ってくることがしばしばあるのだ。そんな時は、いつも蓮なりに工夫をして遊んでいる。
「この間のモンハンやりたい! 咲お姉ちゃんも一緒にするよね?」
咲が顔をしかめる。
「え!? 蓮さん、モモちゃんに何やらせてるんですか! もっとマリカーとか子供向けのがあるでしょ!」
咲が蓮を叱る。眉間にしわを寄せたその表情は決してポジティブなものではないが、久しぶりに話しかけてもらえた蓮は思わず顔がにやける。
「もしかしてお姉ちゃん、モモと一緒に遊ぶの嫌なの?」
咲の吊り上がった眉を見て、桃は自分が嫌われているのだと勘違いする。それに気づいた咲は、慌てて顔を緩ませる。
「いえ、そんなことありませんよー。お姉ちゃんも一緒に遊びたいです。でも、マリオとかせめてスマブラとかにしませんか?」
咲の顔に笑顔が戻るのを確認して、桃はニヤリと笑う。もしかして、この子はわざと子供じみた物言いと、敬語を使い分けているのだろうか。
「えー、そんなの友達の家でも出来るし飽きちゃったよ。しかも、お兄ちゃんのパソコンにそんなゲームないよね?」
「まさかのPCゲームですか!? なんか、こう、トランプとかなかったんですか?」
咲は、蓮の子供との遊び方について呆れる。そう言われている蓮は、頭をかいてヘラヘラしている。
「僕の家にまともなゲーム機なんて無いし、トランプみたいな遊び道具も無いよ。川遊びや畑で遊んだりは出来るけど、ここらに住んでる子供はやり飽きちゃってるしね。だから、PCゲームをダウンロードしてあげたんだ」
それなりの言い訳をする蓮。そんな蓮を、咲は半目で見つめる。
「お兄ちゃんを怒らないで上げてください。初めはユーチューブとかツイッターで遊んでたんだけど、私が飽きちゃったの。それでモンハンを買ってくれたんだよ。モンハンはストーリーもあるし、遠くの人とも遊べるから飽きないんだよ!」
桃がぴょんぴょん跳ねながら、懸命に蓮を庇う。
「わかりました。ではみんなでモンハンしましょう」
「「やったー!!」」
蓮と桃が手を繋いで同じテンションで喜ぶ。遊び方はともかく、小さい子供にも好かれて、蓮は案外良い人なのかもしれないと思ってしまう咲だった。
○○○○○○○○○○
咲が初めて蓮と会った時は、彼が祖父と一緒に涼風屋に泊まりに来た時だ。第一印象は、お世辞にも良いとは言えなかった。会社を経営しているというから、イケイケで自信家な人かと思っていたけれど、実際はボサボサの髪で、弱弱しい声の冴えない人だった。
話していくうちに、教養はあるものの、やっぱり気弱で気配りのできない人だということが分かってきた。あまり魅力的には思えなかったが、歴代彼氏とはジャンルの違う大学生ではあるから、狙ってみることにした。
そうして、蓮と咲が談笑していると、廊下から物音が響いた。
「ガタン、パリンパリンパリンッ、ゴトンッ」
音を聞いた咲は、すぐに廊下に向かった。そこには手を怪我した自分の祖母がいた。
「もう何やってるの、おばあちゃん」
咲は周りの大きい皿を除けて、祖母の手首をハンカチで拭く。しかし、拭いても拭いても、血の量が変わらない。
「へ?」
やばいやばいやばいやばい。血が止まらない。何度ハンカチで拭っても鮮血が一定のリズムで噴き出してくる。
早く血を止めないといけないし、救急車も呼ばなきゃいけない。まずは、立って応援を呼びに行かないと。
「あれ?」
咲は腰が抜けて立ち上がれなくなってしまった。どうしよう、どうしよう、どうしよう。体がこわばって上手く動かない。まるで金縛りにでもあっているようだ。早く治療しないと手遅れになる。頭が真っ白になった咲は、真っ赤な手首をハンカチで拭くことしかできない。
「ああ、もう」
後ろから、高めの男性の声が聞こえた。その人は、自分の隣に来て祖母の手首を観察している。
「た、助けて」
気づいたら咲はそんなことを言っていた。それから、あれよあれよという間に、蓮が止血をして、救急車が来て、気が付けば、蓮が失神していた。
「すまんなあ、お嬢ちゃん。こいつ血とか注射とか苦手なんや。ちょっと連れて行くわな。おっとっと」
蓮の祖父、辰雄がよろけながら、蓮を持ち上げようとする。
「旅館の者が蓮さんをお連れ致しますので、少々お待ちください」
そう言って、その場から一番近い部屋まで、蓮を運んだ。救急隊員の人によれば、安静にしていれば何ともないということで、蓮に布団をかけて、辰雄と咲と従業員で見守ることにした。
「あの、蓮さんのおじい様。先ほどは祖母を蓮さんに助けていただき、ありがとうございました」
「お礼ならコイツに言ったってくれ。それにしても蓮が人助けするなんて珍しいなあ。いつもビビりで、自分に関係のあることしかやらんし…もしかして!お嬢ちゃんのこと好きなんちゃうか!?」
咲はこれはチャンスだと思った。
「そんな訳ないですよ。私は、助けていただいた蓮さんがとってもカッコよくて、結婚したいぐらい魅力的だなあと思いましたが、私なんかと釣り合うはずありません」
咲が作り笑顔風の表情を作る。
「なんや、蓮のこと好きなんか! わしに任しとき!」
そう言うと、酔いが回っていた辰雄は倒れ、従業員たちに回収されていった。
落ち着いて咲は、さっきの出来事を思い出してみる。なよなよしていた大学生が祖母を助けてくれた。あんなに内気で女の子と喋るのに慣れていない男が。その男に比べて、咲は祖母に何もできなかった。止血なんて学校の体育で習うし、咲だって知っていた。それなのに、あの男より自分はチキンだった。
ついさっきまで、上から目線で男を品定めをするように見ていた自分が恥ずかしい。自分は口では偉そうに言っておきながら、何もできていないではないか。自分の無力さに思わず、咲の目から涙が零れ落ちる。
本当に、あの男には感謝しかない。いざという時に、いち早く行動する、まるでヒーローのように見えた。その姿は、ピンチのプリンセスを助けに来た王子様のよう。
あれ、王子様?王子様なら理想的なパートナーではないか?もう一度、かの男の情報について整理してみる。会社を経営していてある程度の経済力がある、気配りは出来ないものの博識である、緊急事態に最適な判断ができる。
かなり優良物件ではないだろうか、と咲は思った。どうせ無理やり結婚するならこの男が良いと思う咲。
「んん」
そう考えていると、蓮が目を覚ました。
咲はこの時、決心した。「必ずこの男を落として見せる」と。
○○○○○○○○○○
あたりはすっかり暗くなって、虫の鳴き声が聞こえてきた。
「ピンポーン ガラガラガラ」
「吉田くーん! 桃いるー?」
よく通る高い声が玄関から響く。
「おかえりー! お母さん」
桃が勢いをつけて母親に抱き着く。
「吉田くん、桃を預かってもらってありがとうね。あと、奥さんもありがとうね」
「いえいえ、私たちも、桃ちゃんと遊べて楽しかったです。また、いつでもいらしてください」
咲は得意の営業笑顔で、差し支えない受け答えをする。
「お姉ちゃんね、ゲーム下手っぴだったんだよ! だから桃がたくさん回復薬をあげた!」
勝利顔の桃に、母親からのゲンコツが落ちてくる。
「こら! 遊んでもらったんだから、ちゃんとお礼言わなきゃダメでしょ。せーのがさんはいっ」
「「ありがとーございました」」
卒業式のセリフのように母娘が口をそろえて言う。小さい頃から家族のルールとして、練習してきたのだろうか。とても微笑ましい光景である。
「ほな、ありがとーねー」
中村さんは桃ちゃんを回収して、去っていった。桃ちゃんが遠くで「まだ帰りたくない!」と叫んでいる声が聞こえてくる。
「蓮さん、お話があります」
真剣な眼差しで蓮を見つめる咲。
「はい」
蓮はゴクリと唾をのむ。まさか離婚を突き付けられはしないだろうなあ、と不安になる。
「ここ最近、蓮さんのことを無視して申し訳ありませんでした」
咲は深々と頭を下げる。その言い方と姿はまるで、仕事相手と接しているよう。
「原因は僕にあったわけだし、僕の方こそ、すみませんでした。とりあえず、座ってゆっくり話しませんか?」
「はい」
二人はお茶を入れてちゃぶ台を挟んで向かい合う。
「えっと、咲さんは僕のことが好きじゃないんだっけ? それか、あの時は感極まって思ってもないことを言っちゃったみたいな感じ?」
蓮は恐る恐る聞く。
「いえ、本当のことです」
咲の言葉が、蓮の胸にグサッと突き刺さる。
「でも、僕はそんな咲さんのことが好きですからね。ご安心ください」
蓮が虚勢を張る。
「改めて、蓮さんには申し訳なく思っています。実は、私が結婚したかった本当の理由は…」
咲は言葉に詰まり、しばらくの間沈黙が続く。蓮は焦らず咲の言葉を待っていると、咲の目から涙が零れ落ちた。
「ひぐっ」
咲は顔を抑えて、嗚咽を上げながら泣き出した。蓮は咲の後ろに回って背中をさする。すると、咲は、机に突っ伏して泣き始めた。
「咲さんが結婚したかった理由を僕に話して、咲さんはスッキリしますか?」
「いいえ」
「なら無理に話さなくて良いですよ」
咲が蓮の胸に抱き着く。そして、さっきよりも大きな声で鳴き始めた。
蓮は初めて咲を胸に抱いて、こんなに小さかったんだなあと思った。頭の大きさは、ほとんど妹たちと変わらないように思う。そして、咲の頭をなでる。咲の髪は妹たちよりも細くてサラサラに感じた。
「あんなに酷いことを言ったのに、なんで私に優しくするんですか!」
咲が蓮の胸の中で叫ぶ。
「咲さんのことが好きだからに決まっているじゃないですか」
泣いていた咲は少し落ち着いてきた。
「どうして嫌いにならないんですか?」
「好きになるのに理由が必要だったんですっけ?」
蓮が意地悪な返しをする。
「んー! もうっ!」
咲が蓮のおなかをギュッと締め付けて、さっきよりも大声で泣き始めた。
「取り乱してすみませんでした」
目を赤く腫らした咲が言う。
「構いませんよ。そろそろご飯にしましょうか」
蓮が立とうとすると、咲が蓮の袖を引っ張る。
「あの、最後に一つだけ言いたいことがあります」
「はい」
「蓮さんのことは、恋人や夫としては好きではありません。でも…友達や家族のような意味ではちょっとだけ好きです。だから、これからも一緒に暮らしてもらえますか?」
目の周りを真っ赤に腫らした咲が蓮を見つめる。せっかく整えた前髪も崩れ、なんだか見るも無残な様子だ。しかし、どこか儚げで美しくも見える。
「はい、もちろん! そのうち、咲さんに振り向いてもらいますから! では最後にギュッとハグしましょう!」
そう言って咲に抱き着こうとする蓮。
「それは違います」
蓮を躱し、冷静な目に戻った咲は、低い声でそう言う。
「ええー」
つかみどころの分からなくなった蓮だった。