10 宣戦布告
「この際だから、はっきり言いますけど」
「はい…」
「実はあなたのことが、あまり好きではありません」
そう言って咲は部屋を出て行った。
蓮は突然の出来事に理解が追い付かない。
自分にデリカシーがないことは、妹ちゃんたちにもよく言われることなので自覚している。そして、今日の振る舞いが良くなかったことは、いま咲に言われて気が付いた。お祝いしたい気持ちが先走って、咲の体調を考慮することを忘れていたのだ。
また、女の子の日であることは盲点だった。今まで咲が辛そうにしているのを見たことなかったのは、咲が痛みをこらえて気丈に振る舞っていたためであろうか。
「ってそんなことよりも、『実はあなたのことがあまり好きじゃない』ってどういう意味だろう?」
蓮はその言葉に対して、ショックよりも疑問を感じた。『蓮さんなんてもう嫌い!』と言われたならば、感極まって心の底からは思ってもいないことを言ってしまったんだなと推測できる。
しかし、『実は』という枕言葉が付いているということは、以前から好きでなかったということ。もしそうならば、いつからだろう。同棲生活を始めた頃?家庭教師を始めた頃?いや、そもそも出会った頃から好かれていなかったのかもしれない。
世の中の夫婦は皆、好き同士だから一緒にいるわけではない。お金のため、後継ぎのため、美人を連れ歩いて自分のステータスを上げるため、様々な打算があって当然である。
しかし、咲に好き以外に結婚した理由があったのだろうか。もちろん、蓮の経済面や最低限の健康は結婚の理由の一部になるだろうが、十八歳に急いで結婚するほどの理由になり得るのか。
「いや、そんなはずない」
それなら、もっと大きな理由があるはずである。一体何だろうか。
子供を産みたかったから?人一倍孤独に弱かったから?家庭環境が最悪で早く家を出たかったから?
蓮は思案を巡らせる。
「うーん、でも結局は本人に聞かなくては分からないか」
とりあえず、『咲には、どうしても好きじゃない人と結婚しなくてはならない、大変な理由があったのだろう』と蓮は結論付けた。
そして、本人が言いたくなるまでは、その理由を聞かないでおくことにした。それから一晩中、これからの咲との生活をどうしていこうかと様々な作戦を考えた。
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「おはよう、咲ちゃん。昨日は気が回らなくてごめんね。でも、僕のデリカシーのないところを指摘してくれてありがとう。これから頑張って直していくよ!」
コーヒーを飲みながら座っている咲に、蓮はニッと笑って親指を立てる。
咲には咲なりの事情があるかもしれないけれど、嫌われたままだと一緒に生活していて楽しくないと、蓮は思った。だからと言って、咲と離婚はしたくない。なぜなら、やはり蓮は、今まで自分に良くしてくれた咲のことが大好きだからだ。
「プイっ」
咲は蓮の言葉を聞いて、そっぽを向いた。そんな咲の姿は、まだ寝巻で寝ぐせが付いたまま。いつもなら、蓮が起きる頃には、髪をセットして化粧も済ませているのに。でも、そんな咲も蓮にはいつもと違う雰囲気に見えて魅力的だ。
「咲ちゃんは僕のことが好きじゃないかもしれないけど、僕は咲ちゃんのことが好きだから! 頑張って好きになってもらえるように頑張るよ!」
咲が般若のような恐ろしい顔でこちらを睨む。化粧をしていないからいつもより表情が強くないが、透き通った白い肌と美しい目鼻立ちは健在である。
「む、プイッ」
わざわざ蓮の方を見てから、またそっぽを向いた。そんな咲を、蓮は少しかわいいなと思う。
蓮はこのまま守りの姿勢でいても好きになってもらえないから、攻めてみようと考える。
「つんつん」
「ひゃあぁぁっ」
蓮が咲の肩をつつくと、咲が飛び上がった。そして振り返る咲の顔は真っ赤だ。
「やっと咲ちゃんの声が聞けた!」
「フンッ」
また咲はそっぽを向く。
「ねえねえ、咲ちゃん。さっき顔真っ赤だったけど、僕が好きって言ったから照れてくれてたの? つんつん」
「グイ」
蓮のつんつん攻撃が鬱陶しくなってきた咲は、肩で蓮の指を押し返す
「あはは、なんだか楽しいね。何気にこういうカップルっぽいこと初めてだね」
だんだん咲の耳が赤く染まっていく。
「そういえば朝ごはん間に合う? 今日学校一時間目からじゃなかったっけ?」
「蓮さんと一緒に食べたくないので、もう食べました。あちらに蓮さんの分があります」
咲は蓮の方に振り返らず前を向いたまま話す。
「そんなぁ。でも久しぶりに咲さんの言葉を聞けたのはよし! じゃあ一緒に野菜の水やりに行こ!」
「行きません」
即答する咲。
「何なら一緒にしてくれるの?」
「もう何も一緒にしません」
蓮は最悪な言質を取ってしまったことに慌てる。なんとかして咲との親交を深めなくてはならない。
「うーん、じゃあ一緒に洗濯物干しに行こうよ」
「いやです」
「それなら、お皿洗いは?」
「しません」
「レポート手伝おうか?」
「終わりました」
「一緒に歯磨きする?」
「スペース的にできません」
「散歩でも行こうか」
「そんな時間ありません」
「じゃあ一緒に学校行こうか」
「行きませ………くっ、行きます」
それはいいのかよ!と心の中で蓮はつっこむ。蓮は攻めて良かったと、心の中でガッツポーズをする。
「やった! じゃあ一緒に行こうね。でも学校行く前に、洗濯物だけ一緒に干しに行っとこうよ」
「行きません」
「お皿洗いは?」
「しません」
「散歩は?」
「行きません」
「水やりは?」
「やりません」
「学校は?」
「行きま……す…」
「ぷぷっ、今日は一段とお可愛いですね」
必死なのに、どこか抜けてる咲に思わず笑ってしまう蓮。咲は普段あまり不機嫌になることが無いから、悪い態度で振る舞うことに慣れていないのかもしれない。
蓮がクスクス笑っていると、キッと目を見開いた咲が振り返った。
「からかわないで下さい!バカ」
怒り慣れていない咲もまた、かわいいなと思う蓮だった。