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1 邂逅

 (ふすま)を取り払った広間に十数人分のお膳が並んでいる。各々の卓上では、華やかに盛り付けられた刺身や焼き物、お吸い物が美しく映え、それぞれの席に座っているのは年配の男性ばかり。


「「かんぱーい!」」


 その一言をきっかけに、堰が切れたように年配男性たちの大声が部屋中に響き渡る。皆、酒を飲み、日焼けで赤くなっていた顔をさらに赤くしている。どの男性も満足げで幸せそうだ。


 そんな宴会の一番端っこで黙々と食事するのは、大学一年生の吉田(よしだ)(れん)十八歳。周りの男性らは気を使って話しかけてくれるため、居心地こそ悪くなさそうなものの、少々話が古臭く退屈になってきたようだ。


 しかし、彼はこの程度の不遇など全然受け入れられる。なぜなら、タダでこんな高級旅館に泊まれたからだ。今日は、(れん)の祖父、辰雄(たつお)が定期的に仲間と行く旅行に、大学の入学祝いもかねて(れん)を連れてきてくれたのだ。


 (れん)は祖父、辰雄(たつお)に感謝して、宴会の空気を壊さないように作り笑顔を貼りつけながら、食事を楽しむ。刺身を口に放り込み、目を閉じてその旨さを存分に味わっていた矢先、蓮は鈴のなるような声音を聞いた。


「あなたが吉田(よしだ)さんの孫の、(れん)さんですか?」


 優しい声音を響かせた音源と思しき背後を見る。そこには、他の仲居さんたちと同じ着物に身を包み、凛とした佇まいで、自分と同じ年ぐらいの少女が正座していた。


 長い栗色の髪は後ろでスッキリとお団子にしているものの、前髪を今どきの女子高生らしくヘアアイロンで内巻きにしている。くりっくりの目に小さい鼻、上品に弧を描いた口と眉で作られた微笑みが、彼女の愛らしさをより引き立てていた。


 そんな不意に現れた美少女にずっと見とれていると、気持ち悪がられてしまうに違いない。そう思った蓮は、慌てて声を出す。


「―――は、はひっ! 僕が吉田(よしだ)辰雄(たつお)の孫の(れん)です。ところで、あなたは」


「驚かせてしまい申し訳ありません。私は当旅館の女将(おかみ)の孫の涼風(すずかぜ)(さき)と申します。以前からおじい様にはご贔屓にしていただき、(れん)さんのお話も何度か伺っていたので、ご挨拶させていただきました」


 (れん)は女の子に話しかけられて挙動不審になってしまった。そんな彼に侮蔑することなく、にこやかに話しかけてくれる彼女は、まるで天使のように見える。

 もしかすると、その天使は、盛り上がる宴会の端で一人黙々と料理を食べる(れん)がいたたまれなくなって話しかけたのかもしれない。


「そういうことだったんですね。名前を覚えていただいていて嬉しいです! うちのじいちゃん何度も同じ話するから覚えちゃいますよね」


「いえ、そういわけでは…」


 (れん)は流暢に話そうと試みたが失敗した。最後の一言がいらなかった。


「ちなみに(れん)さんはおいくつなんですか?」


「十八歳です」


「本当ですか! 私もちょうど十八なんです。高校三年生だし、いろいろ進路とか決めなくてはなりませんよね」


「あ、ぼく大学一年生です…」


 (れん)は受験勉強で衰えたコミュ力のせいで上手くしゃべれない。しかし、女子とお話ししちゃっている。その事実だけで彼は感動して目をキラキラさせている。


「ごめんなさい! わたし早とちりしてしまって。ということは、(れん)さんは私より一つ上の先輩ですね」


「はい。(さき)さんは卒業後の進路とか決めているんですか?」


「そうですねえ。私も大学に行きたいけどお勉強が苦手で。大学受験するなら予備校とか行くべきなのでしょうか?」


 昨今の受験の苛烈化が、予備校・塾業界を盛り上げている。しかし、(れん)は人の不安につけこみ大金を巻き上げる予備校業界が好きではない。


「僕は塾や予備校には行きませんでしたよ。結局、教科書に載っていることしか試験に出ないので」


 (れん)は盛大にマウントを取った。しかし、発言した後で気づく。今のが物凄い嫌な奴のセリフだったことを。これだから陰キャはダメなのだ。事実なら何も言っても良いというわけではない。


「えぇ!(れん)さん凄いです! やっぱり頭の出来が違うのかも。私の家庭教師になって欲しいです!」


「いやいや、僕なんかでよければいくらでも教えちゃいますよー。あはは」


 十八の少女でも、さすがは老舗旅館の仲居とだけあって、どんな失言も好意的に捉えてくれる。そして、彼女の思惑通り、(れん)は褒められて気持ちよくなっている。


 (れん)の人生で彼女のような美少女とこんな間近でお話しする機会など一度もなかった。学校の休み時間中はずっと本を読み、話しかけるなオーラを出していたし、部活なんて入っているわけがなく、高校時代は一度も女子と話さなかった。


 そんな彼をよいしょしてくれるのは、学校のカースト上位いや、カーストの頂点にいそうな美少女。女性に免疫のない(れん)が惚けた顔になってしまうのも致し方ないのかもしれない。


「えー! 本当ですか。何か勉強のコツとか、おすすめの参考書があれば教えてほしいです」


「ふふ、そうですねえ。まずはポモドーロテクニックというものがありまして――――」


 これ見よがしに蓮は饒舌に説明を始める。そんな彼を蔑むことなく、咲はお客様として一線を引きながら、営業笑顔(スマイル)で対応する。


 自分の人生でこの先、彼女のような美少女と話す機会は二度と訪れないかもしれない。この応酬を延々と続けたい。(れん)は心の底からそう願った。




「ガタン、パリンパリンパリンッ、ゴトンッ」


 廊下の方から大きな物音、いくつもの皿が割れる音がした。


「大変失礼いたしました、(れん)さん。少し廊下の様子を見てまいります」


 そう言って、(さき)は足早に部屋を出て行った。(れん)は彼女との会話の名残惜しさと、野次馬魂で彼女のあとをついていこうとしたが、そんな野暮をするほど自制心のない男ではない。


「おっ!おばあちゃんっ! それ大丈夫なの!?」


 (れん)は廊下から響く(さき)の声を聞いた。裏返ったとても大きな声で、彼女の焦りが感じられる。(れん)は居ても立っても居られず、(さき)のもとへ向かった。 


 そこには、おそらく(れん)たちの宴会場に運ばれる予定だったと思われる料理を載せた台車が転んでいた。周りには皿と料理がぶち撒けられている。その傍らには、しゃがむ女将(おかみ)と、女将(おかみ)に寄り添ってしきりに何かを拭いている件の美少女、(さき)がいた。


 よく見てみると(さき)の持っているハンカチが真っ赤になっていた。そして、(さき)がしきりに拭いている女将(おかみ)の手首からは、鮮血が脈を打つように一定の間隔で噴き出している。


「どうして血が止まらないの!? おばあちゃん!」


「そりゃ血をサラサラにする薬を飲んでおるからなあ」


 二人とも走ってきた(れん)の存在に気づいていない。(さき)の祖母、女将(おかみ)はおそらく割れた皿でかなり深く手首を切ってしまったのだろう。(さき)は慌てているのか、溢れてきた血をハンカチで拭いている。しかし、そんなことをしても血が止まらないことを、保健体育の授業で止血方法を学んだ(れん)は知っている。


 徐々に女将(おかみ)の顔が青白くなっていく。女将(おかみ)さんが立ち上がらないということは、出血やショックにより血圧が下がりすぎているということだろうか。(れん)の他に一人だけ仲居さんが来たが、「救急車と応援を呼んできます!」と言ってどこかへ行ってしまった。


 (さき)は知識がないのか、いや慌てているから血を拭くことしかしない。傷口を圧迫して止血しなければ血は止まらない。そして、周りにいる人間は(れん)(さき)のみ。


 (れん)は普段、あまり人助けをする方ではない。電車では杖をついた老人が来ても席を譲れと言われるまで譲らないし、道を聞かれても「知らないです」といつも答える。(れん)はあとから責任を取りたくないのだ。どうせ待っていれば誰かがその人を助けてくれる。


 救急隊の人が駆けつけて止血処置してくれるかもしれない。他の仲居さんが止血してくれるかもしれない。通りがかった他のお客さんが止血してくれるかもしれない。


 しかし、もし誰も間に合わなかったら――。不慮の事故だが、傍にいた(れん)(さき)は止血処置ができたはずではなかっただろうか。(さき)なら実の祖母がケガをし、パニックになったという説明はできるかもしれない。それに対して、第三者の(れん)はどうだ。救急救命講習は中学校で受けた。止血処置をしない方が大きな責任を負うことにならないだろうか。


「ああ、もう!」


 (れん)(さき)の隣にしゃがんで女将(おかみ)の傷口を観察した。(さき)が拭いてくれていたおかげで血や汚れが無く、切った場所がすぐに分かった。手首の内側が切れており、脈打つように血が溢れてくる。動脈まで切れてしまったのかもしれない。


「た、助けて」


 (れん)に気づいた(さき)は、か細い声で、縋るように彼を見つめる。大きな瞳に涙を浮かべ、唇が震えている。今にも泣きだしそうな、儚くも美しい顔を見る余裕は(れん)にはない。


「止血処置をします。何か大きめの布はありませんか?」


「は、ハンカチ…」


 (さき)は血まみれのハンカチを渡そうとするが、止血用の布にしては小さく薄いためしっかり患部を圧迫できない。


「やっぱり、いいです」


 (れん)はそう言うと、急いでカッターシャツを脱いだ。そして、脱いだシャツの(そで)の部分を患部に強く巻き付けた。


「横になってください」


 おそらく巻き付けた圧力だけで血は止まるだろうが、念には念をと患部に手を乗せ、さらに圧迫する。


 女将(おかみ)を寝かせ、手のひらが上を向くように腕を水平に床に置く。患部に(れん)の手のひらを乗せ、床と、はさみ込むようにして体重をかける。


 (れん)が体重をかけて圧迫し始めてすぐに、旅館の従業員の男女四人が駆けつけた。


女将(おかみ)さんはどういう状況ですか!?」


 初老の男性従業員が(れん)に尋ねた。


「手首からの出血が止まらなかったので、圧迫して止血しています!」


「わかりました、後は私どもにお任せください」


 (れん)は手での圧迫を代わってもらった。


「はあ、はあ、はあ、…」


 (れん)は夢中になりすぎて呼吸すら忘れていた。緊張が解けて床に尻もちをつく。


 (れん)は自分が何をやっていたのか覚えていない。しかし、患部に巻き付けたYシャツの血の染み具合から、出血量が下がってきていることが分かる。現時点では、もうほとんど血は止まっていそうだ。


「よかったぁ…」


 従業員の方々が来てから騒がしくなったので、部屋の中にいた(れん)の祖父たちも出てきた。


(れん)!どないしたんや! 手ぇ真っ赤っかやないか」


 (れん)の祖父、辰雄(たつお)は孫の血まみれの姿に冷や汗をかく。おまけに長袖のインナーシャツ一枚であることも辰雄(たつお)の頭をこんがらがせる。


女将(おかみ)さんがケガして血が止まらなかったから、止血してた」


「そりゃ偉いことや。しかし、(れん)はケガとか見るの苦手やなかったか? テレビのニュースで注射が映るだけで目を背けるぐらいやし」


「あ」


 (れん)はそう言われて、先ほどの傷口を思い出す。白い手首の上に横に走った赤い線。そこから、一定のリズムで噴き出す鮮血。思い出すだけで痛々しい。


「うぷっ」


 (れん)の顔がだんだん白くなっていく。次第に脈の打つリズムが遅くなり、頭から血の気が引く。(れん)の視界がだんだん暗くなってきた。



「――ガクン」


 (れん)は気絶した。

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