5-1 大皇宮の夜会
ドレスの流行が変わっても、ダンスの流行が変わっても、社交界というものの本質は何百年経っても変わらない。
出会う貴族に挨拶をして、皇帝への挨拶が済んで、最初のダンスが無事に終わるころ、ようやくそれに気づいて緊張が少しほぐれる。
ダンスの邪魔にならないように大広間の壁際に寄り、ノアは目を閉じ、心の中で一息つく。
再び瞼を開ければ、煌びやかな世界が広がっている。大皇宮の大広間では帝国の貴族たちがこぞって着飾り、歓談し、演奏に合わせてダンスをしている。シャンデリアや宝石の輝きに目が眩む。
夜だというのに光が降り注ぐ。贅の限りを尽くしたような夜会だ。
光の中にはこちらへ向けられる視線も混ざっている。珍しいものを観察する視線。
あまりにも視線を感じたため、何かおかしいところがあるのだろうかと不安になるほどだ。
朝から優秀なメイドたちの手で身体を磨きに磨いて、化粧をしてドレスを着て、髪を結って婚約者から借りた宝石を身に着けた。
彼女たちの仕事に抜かりはない。
だから理由があるとすれば。
「皆、あなたに見惚れている」
(それはない)
耳目を集めているのは隣に立つパートナー――ヴィクトル・フローゼン侯爵こそだろう。
注目の的が隣にいて片時も離れないから、ノアもついでに見られているだけだ。
ヴィクトルは今日はいつも以上に完璧だった。
整った顔も体格も、礼服も、表情も。王国時代でもこんな貴公子は見たことがない。
(アレクシスと少し似てる、かも)
元婚約者である義弟のことを一瞬だけ思い出す。彼も昔は完璧な王太子で、王だった。いままではあまり考えないようにしていたのだが、久しぶりに社交界に顔を出したからか。
ノアは微笑む。
余計な感情を封じ込めて、婚約者に控えめに寄り添い、腕に手を回して支えてもらい、立つ。
今夜のノアはエレノア・ベリリウス。ヴィクトルの婚約者だ。貴族令嬢として微笑んでいなければならない。
ヴィクトルのところには、引っ切り無しに貴族が挨拶に来る。皆、婚約を祝福してくれる。
ノアはその隣で微笑んで、礼をするだけだから楽なものだが。
(顔が引きつりそう)
引きつった笑顔を見せるわけにはいかない。表面だけでも完璧な令嬢を演じなくては、何を言われるかわからない。
それにドレス。
ドレスはフローゼン領の最高級のシルクでつくられた、光沢のある白いドレスだ。このシルクの美しさを見せて販売促進活動にいそしむのも役目のひとつなのだから、浮かない顔はできない。
ノアは会話の合間に皇帝と皇后の座する方を見る。挨拶のときはほぼ頭を垂れていたため、皇帝と皇后の姿はほとんど見ることができなかった。
錬金術師を集めていると言われる皇帝は、御年六十五歳。
年齢よりも随分と若々しく、何より眼に活力がある。
皇帝の子は男子が二人。女子が三人。女子は全員降嫁している。嫡男が皇太子となり、次男はボーンファイド公爵となった。しかし皇太子は妻と子と共に事故死する。第一皇位継承者は、幸いにも事故を免れた皇太子の次男となった。
幼き皇太子の婚約者はボーンファイド公爵の末娘になると言われている。
かくして公爵は皇帝の息子であり、次期皇帝の父という、絶大な権力を有することとなる。
「やあヴィクトル、いつ辺境から出てきていたんだい」
棘のある親しげな声と共に、ボーンファイド公爵家の嫡男であり皇帝の孫であるドミトリが、ヴィクトルの前に現れる。
獅子のような金髪と碧眼を輝かせて。
先程までヴィクトルと歓談していた貴族がすっと場を開ける。
「いい加減君も辺境に完全に引きこもるか、こちらに拠点を移すかしたらどうだい。超長距離の往復は大変だろう」
「考えておこう」
ヴィクトルは余裕の表情を崩さない。
ふたりは大学時代の同期と聞いている。ドミトリの言葉は嫌味なのか親しさの表れなのか、ノアには判別できない。
「そうそう、婚約したんだって? おめでとう。まさか君が結婚するつもりがあったとは思わなかったから驚いたよ。そちらが君が情熱的な手段で婚約に漕ぎ着けたという噂の婚約者殿かな」
「ああ、紹介しよう。私の婚約者、エレノア・ベリリウス嬢だ」
控えめに微笑んで、ドレスを摘み、頭を下げる。
再び顔を上げたときに見えたのは、驚愕し引きつるドミトリの顔だった。
「あ、貴女は……」
「お初にお目にかかります。公子様」
「……フローゼンの婚約者とは」
「はい」
「なんということだ。貴女は騙されている」
否定はせずに、ただ微笑む。
もしそうであってもいいのです、との意味を込めて。
ヴィクトルを見上げる。ヴィクトルはこちらを見て、小さく頷いた。
「彼女が落とし物を拾ったそうだ」
ドミトリに歩み寄り、手を伸ばす。ドミトリは困惑しながらもそれを受け取り、手の中のそれを見て顔を青ざめさせた。
ノアが大皇宮前の広場でドミトリから預かった獅子の紋章――ボーンファイド家の紋章が入った指輪だ。
本当は、ノアが直接人目に付かない場所で渡そうと思っていたのだが、人目につかない場所でふたりきりになったところを誰かに見られたら、噂を立てられかねない。
その上ヴィクトルはドミトリの話を出すと不機嫌になる。二人きりになるなど承諾されるはずもなく、ヴィクトル経由で返すこととなった。
(これでよかったのかなぁ……大事なものみたいだし、早く返せたのはよかったけれど)
悩んだところでもう遅いのだが。
「――エレノア・ベリリウス様」
名前を呼ばれて振り返ると、金髪の少年が後ろに立っていた。
背格好と雰囲気からいって十三・四歳ぐらいだろうか。社交界にはまだ早い年齢だ。そして何より彼を印象を強めていたのは、顔の上半分を覆っている白色の仮面だった。
ノアの胸に去来したのは、姿の異質さに対する緊張ではなく、遠い懐かしさだった。
予定外の衝撃に困惑するノアの前で少年はにこやかに笑う。
「我が主が『庭』にてお待ちです。ご足労いただけますでしょうか」
――『庭』は王国の錬金術師にとっては、特別な場所を差す言葉だ。
王国の錬金術師が、従者を介してノアを呼んでいる。
「わかりました。案内をお願いできますか?」






