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4-23 嵐の夜が明けたなら




 壊れる。燃える。もう限界だ。

 崩壊寸前の屋敷の壁をヴィクトルが蹴り破る。止める隙もない。

「来い」

 ナギに手を伸ばし抱えて、火と煙を突っ切って空いた穴から飛び降りる。


 下は庭。障害物もない。

 無事に着地し、抱えていたナギを下ろすのが見える。ほっと息をついて、ノアも続いて飛び降りようとして、あることに気づいて躊躇した。

(高い……)

 飛び出そうとした足が竦み、力が入らない。

 思わず目を逸らす。下を見たくない。


 ノアはいまだに高いところが怖い。

 キメラに空から落とされて死にかけた経験から、高い場所も落ちるのも怖い。それまでは割と平気だったのに。

 高いとはいえ二階。変な落ち方をしなければ死ぬことはないだろう。ないのだが。どうしても足が竦む。

 時間はないが、縄を結んで伝って降りるか、足場をつくって――


「ノア!」

 強く呼ばれて視線を下げると、炎に照らされる大雨の中、両手を広げているヴィクトルが見えた。

(無理!)

 ただ飛び降りることさえ怖いのに、人の上に落ちるなんて絶対に無理だ。


「必ず受け止める!」

 ――そうは言われても、怖いものは怖い。

(ええい!)

 怖くてもいい。怪我をしてもいい。落とされてもいい。何も考えずに飛び降りる。


 足元がなくなり、身体が落ちる。風を受けて墜ちる。魂が抜けて、気を失ってしまいそうで、血の気が引いて。

 泣きたくなった刹那、衝撃が全身を走る。予想していたものより穏やかで、安定したものが。

 足がぶらりと宙を浮き、背中と膝裏が力強い腕で支えられていた。

 煤で汚れた整った顔がすぐ近くにあって。

 声を上げて泣きたくなった。


「あり、がと……」

 掠れ声で礼を言って下ろしてもらう。

 萎えているかと危惧したがなんとか無事に立てた。

 着ていた上着を脱いで、ナギの頭に被せて雨除けにする。

 足は動く。身体も動く。心臓はまだ落ち着かないが。




「ちょっと行ってくる」

 応接室の方に向かう。逃げ遅れた使用人がいたとしても、まだ間に合うかもしれない。

 雨の中、水浸しになった芝生の上を走る。角を曲がり、応接室の壁に穴を開け、熱気と水蒸気を突っ切って中に飛び込む。


 炎に照らされた光景を見て、短く息を飲む。

 通された応接室で間違いない。炎が壁を舐めているが、まだ崩壊には時間がある。天井が落ちてこないように補強しようとして。

「無駄だよ」

 背後から響いた声に止められる。


「…………」

 ――いない。

 室内には生きている人間はいない。あるのは事切れた死体だけ。

 火や煙で死んだのではない。皆、心臓を突いて、もしくは毒で死んでいた。


「ファントムさん……」

 振り返らずに声の主を呼ぶ。

「おっと、僕は見届けにきただけさ。彼らはみんな自死していた。見上げた忠誠心だよ。ちょっと理解できないね」


 ――自死。

 そう、どう見ても自死だ。

 自らの意志で主に付き従ったようにしか見えない。それが彼らの忠誠心なのか、洗脳されたものなのかは永遠にわからない。


 机の上を見る。ヴィクトルがローゼットに見せた紙は消えていた。

 誰かが始末したのか、風で飛ばされたのか、火が落ちて燃えたのか。

「……どうしてファントムさんがここに?」

「賭けの行方を見届けに来ただけさ。おめでとう。侯爵は生き残り、敵はひとつ消えた。君たちの大勝利」


 かっと身体が熱くなる。どうしてこの状況の前でそんなことが言えるのか。

 振り返ると、木の陰に隠れるように立つファントムの喉元に、ヴィクトルの剣が突き付けられていた。

「少し短気が過ぎないかな」

 ファントムは困ったように口元を引きつらせ、消える。

 いつものように、幻影のように。





 燃える応接室を出ると、背後で崩落していく気配を感じた。

 炎はすべてを終わらせる。すべてを焼失させる。歴史も、人も、そこにあった思いも。

 燃やし尽くされてしまうのは、応接室の使用人たちだけではないだろう。屋敷の他の場所にいた人々も、自ら死を選んで、終焉させた。でなければこんなに静かなわけがない。


(わからない……)

 死んだら終わりだ。

 何故、当主の死に追随するのか。命を軽んじるのか。もしこんな教育があの孤児院で行われているとしたら、見過ごせない。

 決意し、顔を上げると、ヴィクトルの上着を頭から掛けられる。


 そう言えば自分の上着はナギに渡していた。

「ありがとう……ヴィクトル、怪我はある?」

「大したことはない。他のものを見てやってくれ」

 念のためざっと見てみたが、本人の申告通りかすり傷ぐらいで、ほとんど怪我はない。

 上着がなくて風邪を引かないかが心配だが、厚意で借してもらったものをそのまま突き返すのも気が引ける。


 ひとまずこのままナギのところに戻ろうとすると、今度は手を差し伸べられた。

 疑問に感じながらも手を重ねると、ふらりと足元が揺れた。疲労が全身に及んでいることに、支えられて気づく。

「すまなかった」

「どうしたの?」


 謝られる理由がわからず、顔を見上げる。

 ヴィクトルはそれ以上は何も言わず、ノアはエスコートされるままに着地した場所の付近に戻る。

 そこにはナギと、無事に脱出できたらしいクオンがいた。




 まずはナギの治療だ。ナギの前にしゃがんで、怪我がないかを見る。少し前に治療したこともあり、右手以外は怪我らしきものはない。

 風邪を引かないように身体を乾かし、ついでにノア自身も服に染み込んだ水分を消す。

 ナギは不思議そうな顔で自分の周囲に起こる変化をまじまじと見つめる。


「あんた何なんだ。金くれたり、助けてくれたり、不思議なこといっぱいしたり……」

「あ、覚えててくれたのね。私は錬金術師よ」

「れんきんじゅつし……?」

 理解できないのがもどかしいのか、顔を顰めて繰り返す。

「いずれわかるわ」


(そう。私は錬金術師なんだから)

 失われた手は再生することはできないが、ホムンクルスの技術で手の再生しての移植や、精度の高い義手をつくることなら可能だ。

 賢者の石がなくても、できることがある限り探し続ける。それはきっと、いずれ多くの人を救うことになる。


「そっちの人は?」

 ヴィクトルを見ながら、小声で聞いてくる。

「ヴィクトル・フローゼン侯爵」

 ぶるっと身震いする。

「寒いの?」

「……違う。逆」

 呆れたように言う。その表情にはもう、怯えや暗さはなかった。


 次はクオンを治療するため立ち上がると、クオンはノアの横を素通りしてヴィクトルの前に行き、頭を下げる。

「申し訳ありませんでした」

 深い謝罪。ローゼットと共に姿を消したことについてだろうか。


「火を放ったのは僕です。いかなる処分も」

「…………」

 考えずにいようとした想定が現実のものになる。

 暗殺者であったクオンの主がローゼットであり、主の命令によって屋敷に火を放ち、すべてを終わらせたのだと確定する。


「お前が無事ならば良い。これからもよく仕えてくれ」

「……殺される覚悟でしたのに」

「誰かを傷つけようとしたのなら、そうしていただろうが。殺意ひとつも発しなかっただろう」

「散々学習しましたので。僕には無理だと」

 苦笑する。どこか悲しそうで、どこか嬉しそうだった。


「これからお前が罪を犯せば、それは私の罪でもある。ゆめゆめ忘れるな」

「もったいないお言葉です。この命、いかようにもお使いください。我が君」




「クオンさん。話が終わったなら怪我を見せて」

「していません」

「私に隠せると思う?」

「あなたに助けられるなんて屈辱です」

「我慢して」


 クオンはまったく表には出さないが、裂傷に火傷、骨にヒビと満身創痍だった。

 クオンのプライドを尊重して、指摘はせずに順に治していく。

 その間にも伯爵邸は焼け落ちていく。赤い炎がちらちらと零れては、雨に打たれて小さくなる。この分だと他の場所に延焼したりはしないだろう。




「侯爵さま」

 いつの間にかナギがヴィクトルの前に進み出ていた。

「オレを侯爵さまの元で働かせてください!」

「好きにするといい」

 ナギの顔がぱっと明るくなる。初夏の若葉のように瑞々しい。


「だがまずは身体を癒し、学ぶことだ。できるな?」

「はい!」

 元気のいい声が、雨の止んだ空に響く。

 雲が晴れていき、夜明けが訪れる。

 朝が光と共にやって来る。



##



 デルフィーク伯爵家は終焉を迎えた。血筋が断絶したことで、すべては皇帝のもとに返還される。

 後日、燃え落ちたデルフィーク伯爵邸の焼け跡からは多数の人骨が見つかったという。かなり古いものも含めれば、恐ろしいほどの数の人間がここで亡くなっているという証だった。





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